可愛い妹のお願い
結局のところ
くたくたの精神と足取りで家に帰りついたのは午後六時を過ぎた頃だ。
玄関を通り過ぎた俺はそのまま二階の自室に直行し、制服を着替える手間も惜しんで机に向かった。
出しっぱなしにしているノートパソコンを立ち上げ、『
中学に進学した頃から毎日欠かさず続けている記憶のバックアップだ。また何かの拍子で記憶が飛んだ時に思い出すための保険であり、仮に思い出さなくとも自身にまつわる過去を知るための手掛かりとなる。
日記と言わないのは趣味でないことの他に、少々書き方が異なるからだ。
例えば、『今日の朝、田んぼに反射する光を眩しく思いながら遅い時間に登校したら、先の景色に女子生徒がいるのが見えて面倒に思った……』と一人称で書くところを、『今日の朝、
なぜかと言うと、この文章を記憶の当てにしている時点で、これを書いたこと自体忘れている
記憶喪失だと分かってから一番
だから前者のように一人称で書いた場合、素直に自分目線だと捉えられずその違和感に苦しむことになるが、俯瞰的に書くことによって
手書きで書いていないのも日記感を無くすため。まぁそれ以外にも、ノートとかメモ帳に書いてたら何十冊となって収納場所に困ることや長年保存するには心許ないことも大きな理由だけど。
俺は少し考えてからピックアップする出来事を決め、日付の続きに文字を打ち込んでいく。
主に、記憶の重要な手がかりとなり得る『人との交流』を最優先に書くようにしているので、今日書くのは、朝に
「…………はぁ」
キーボードを叩きつつ、溜息をつく。
まさか一日で三人もの人と関わってしまうとは。人を避けている身としては情けない。
明らかに高校に入ってから個人的なことで人と関わることが多くなった。中学の頃はあったとしても
こうなった原因は言わずもがな
やはり卒業まで友達ゼロという目的を達成するには、一刻も早く
改めて想いを強めつつも、忘れないうちに記憶を綴っていく。
蓋を開け、中にある白の洋型封筒──匿名のラブレターを手に取る。
これを見ると、この謎が生まれた日の情景が鮮明に脳裏によみがえり、自然と推理してしまう。
俺のスリッパの横に堂々と置かれていた手紙。扉のない下駄箱では目立ち(たまたまその日は朝早くに登校したからよかったものの)誰かの目に留まれば話題になっていたかもしれない差出人の軽率さや匿名であることを考えて最初はイタズラやドッキリの線を追った。
しかし、陰で俺の反応を観察する仕掛け人と思しきやつはいなかったし、その後も不自然に見てくる人や絡んでくる人も現れなかった。そもそも反応の薄い俺に仕掛ける道理はないだろう。
この手紙は正真正銘、俺へのラブレター。
だからこそ、どれだけ考えても一つの答えにしか辿り着かなかった。
根拠はあるが証拠はない、俺の恋心が先走っただけの妄想に過ぎない答え。
この推理が正しいのか、それとも誤っているのか。その判断の拠り所となる何かを
そう考えていた時、不意に自室のドアが開いた。
「──
今年中学二年生に進級した俺の妹だ。知力よりも体力にステータスを全振りしたほど活発で男勝り。記憶を失ってからの二年ぐらいはあまりの性格の違いに本当に血の繋がった兄妹なのかと疑ったものだ。
どこか疲れた表情をしていることから今の今まで勉強と格闘していたっぽい。いつもはバスケ部の練習で帰りが遅いのだが、そういえば中間テスト期間中は部活が休みなのか。
「おう。俺でよければ全然教えるぞ」
「ほんと! オレ数学苦手だからめっちゃ助かる~。……あ、でも何か作業中だったか?」
「ただの日課で後からでもいいから大丈夫だよ。先に
俺は一旦パソコンを閉じて机の隅にやり、椅子から立ち上がって代わりに
本心では記憶の濃いうちのほうが正確性が増すので早めに済ませるのが良いと分かっていながらも、
こうやって頼られるのは遠慮が無くなった証拠だ。記憶とともに家族の繋がりも失ってしまった俺にとっては、兄妹として距離が縮まったことを実感できて素直に嬉しい。
「ん? これって
「ああ。差出人不明のな」
「なんで机の上に出てんの?」
「……少し思うところがあってな」
「あっ、もしかして送ってきた相手が誰なのかをまだ悩んでるとか」
「…………」
無言の肯定に、
「前にも言ったけど、ただのイタズラだと思うぞ。自分の名前も書かずに告白するって意味わかんないし」
「まぁ確かにそう思うのが普通だよなぁ」
「……
「ん? 何の話だ?」
「
「どうしてそう思ったんだ……?」
「だって
「自分じゃよく分からないけど……ただ単純に他の人と関わり合いがないからそう見えるのかもな。俺の中で
「ほんと?」
「ほんとほんと」
「じゃあ
「
「えー、一目惚れもないのか?
「俺も最初に会った時は思わず見惚れたから
「
「反応に困るお願いだなぁ。俺の感情がどうであれ、二人とも高嶺の花だから難しいよ」
「
「釣り合いが取れてるかはさておき、
強引な話の逸らし方だったが、
それが功を奏して俺の答えを後押ししてくれれば
俺は期待と不安に駆られつつも、ラブレターを元の場所に戻して
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