可愛い妹のお願い

 結局のところ神子上みこがみの推理は『乞うご期待』で終わり、そのあとは全く関係ない自作小説の話に付き合わされ、小一時間の末やっとお開きになった。


 くたくたの精神と足取りで家に帰りついたのは午後六時を過ぎた頃だ。


 玄関を通り過ぎた俺はそのまま二階の自室に直行し、制服を着替える手間も惜しんで机に向かった。


 出しっぱなしにしているノートパソコンを立ち上げ、『明瀬あかせ真昼まひるの過去(2024年度)』のドキュメントファイルを開く。白紙のページの冒頭に『5月11日 木曜日』と日付を打ち込んで一旦手を止め、今日の朝から放課後までにあった学校の出来事で記すべき内容を頭の中で選別する。


 中学に進学した頃から毎日欠かさず続けている記憶のバックアップだ。また何かの拍子で記憶が飛んだ時に思い出すための保険であり、仮に思い出さなくとも自身にまつわる過去を知るための手掛かりとなる。


 日記と言わないのは趣味でないことの他に、少々書き方が異なるからだ。


 例えば、『今日の朝、田んぼに反射する光を眩しく思いながら遅い時間に登校したら、先の景色に女子生徒がいるのが見えて面倒に思った……』と一人称で書くところを、『今日の朝、明瀬あかせが田んぼに反射する光に目を細めながら遅い時間に登校すると、先の景色に女子生徒の姿があり、それを知った明瀬あかせは足を止めて表情を曇らせ……』と三人称で書いている。具体的に言えば、心の中で抱いた感情よりも、表情や行動に表れた感情に重きを置いている。


 なぜかと言うと、この文章を記憶の当てにしている時点で、これを書いたこと自体忘れているつその時の性格が異なっている可能性が高いからだ。


 記憶喪失だと分かってから一番つらかったのは、今と昔の自分が受け取る感情の違いだった。人から聞いた明瀬あかせ真昼まひるの感性は今の自分にない。そのちぐはぐな状況がより不安を煽った。


 だから前者のように一人称で書いた場合、素直に自分目線だと捉えられずその違和感に苦しむことになるが、俯瞰的に書くことによって明瀬あかせ真昼まひるが登場人物の一人になり、まるで小説のように読み進められる。要は自分で書いたものだが自分で書いていないように見せることで、少しでも気持ちを落ち着かせて昔を振り返りたいのだ。


 手書きで書いていないのも日記感を無くすため。まぁそれ以外にも、ノートとかメモ帳に書いてたら何十冊となって収納場所に困ることや長年保存するには心許ないことも大きな理由だけど。


 俺は少し考えてからピックアップする出来事を決め、日付の続きに文字を打ち込んでいく。


 主に、記憶の重要な手がかりとなり得る『人との交流』を最優先に書くようにしているので、今日書くのは、朝に逢乃あいのと会って話したこと、昼休みの図書当番で早咲はやさきに絡まれたこと、放課後に神子上みこがみと推理したこと、の三点だ。


「…………はぁ」


 キーボードを叩きつつ、溜息をつく。


 まさか一日で三人もの人と関わってしまうとは。人を避けている身としては情けない。


 明らかに高校に入ってから個人的なことで人と関わることが多くなった。中学の頃はあったとしても逢乃あいのか、その他はすべて学校関連を通してだったのに。


 こうなった原因は言わずもがな神子上みこがみだ。人気者という立場で接してくるから俺までもが目立ち、みんなの話題に上がって話しかけられる羽目になる。


 逢乃あいの早咲はやさきに関しては、俺の性格を考慮してくれているのか特定の場面でしか声を掛けてこないが、神子上みこがみは顔を合わせれば所構わず勧誘してくるほど空気が読めない。ほんとに同じクラスじゃなくてよかった。


 やはり卒業まで友達ゼロという目的を達成するには、一刻も早く神子上みこがみから離れなければ。


 改めて想いを強めつつも、忘れないうちに記憶を綴っていく。


 神子上みこがみと推理を話し合う場面を書いている途中で、ふと、あることを思い、デスクワゴンの一番下を引き出し、奥にあるプレーン缶を取り出して机の上に置いた。


 蓋を開け、中にある白の洋型封筒──匿名のラブレターを手に取る。


 これを見ると、この謎が生まれた日の情景が鮮明に脳裏によみがえり、自然と推理してしまう。


 俺のスリッパの横に堂々と置かれていた手紙。扉のない下駄箱では目立ち(たまたまその日は朝早くに登校したからよかったものの)誰かの目に留まれば話題になっていたかもしれない差出人の軽率さや匿名であることを考えて最初はイタズラやドッキリの線を追った。


 しかし、陰で俺の反応を観察する仕掛け人と思しきやつはいなかったし、その後も不自然に見てくる人や絡んでくる人も現れなかった。そもそも反応の薄い俺に仕掛ける道理はないだろう。


 この手紙は正真正銘、俺へのラブレター。


 だからこそ、どれだけ考えても一つの答えにしか辿り着かなかった。


 根拠はあるが証拠はない、俺の恋心が先走っただけの妄想に過ぎない答え。


 この推理が正しいのか、それとも誤っているのか。その判断の拠り所となる何かを神子上みこがみが掴んでくれればいいのだが。


 そう考えていた時、不意に自室のドアが開いた。


「──昼兄ひるにぃー! 数学の問題でどうしても分からないところがあるから教えて~!」


 真白ましろがそう言いながら、手に持ったプリントの束と教科書を俺のほうに勢いよく突き出してくる。


 今年中学二年生に進級した俺の妹だ。知力よりも体力にステータスを全振りしたほど活発で男勝り。記憶を失ってからの二年ぐらいはあまりの性格の違いに本当に血の繋がった兄妹なのかと疑ったものだ。


 どこか疲れた表情をしていることから今の今まで勉強と格闘していたっぽい。いつもはバスケ部の練習で帰りが遅いのだが、そういえば中間テスト期間中は部活が休みなのか。


「おう。俺でよければ全然教えるぞ」

「ほんと! オレ数学苦手だからめっちゃ助かる~。……あ、でも何か作業中だったか?」

「ただの日課で後からでもいいから大丈夫だよ。先に真白ましろの勉強からしよう」


 俺は一旦パソコンを閉じて机の隅にやり、椅子から立ち上がって代わりに真白ましろを座らせる。


 本心では記憶の濃いうちのほうが正確性が増すので早めに済ませるのが良いと分かっていながらも、真白ましろにお願いされればそちらを優先させたくなる。


 こうやって頼られるのは遠慮が無くなった証拠だ。記憶とともに家族の繋がりも失ってしまった俺にとっては、兄妹として距離が縮まったことを実感できて素直に嬉しい。


 真白ましろがせっせと机にプリントを広げようとした時、(つい置きっぱなしにしたままだった)匿名のラブレターに気づいて手に取る。


「ん? これって昼兄ひるにぃが前に貰ったラブレター?」

「ああ。差出人不明のな」

「なんで机の上に出てんの?」

「……少し思うところがあってな」

「あっ、もしかして送ってきた相手が誰なのかをまだ悩んでるとか」

「…………」


 無言の肯定に、真白ましろは「えぇ……冗談で訊いたのにほんとに悩んでるのか……」と引いたような微妙な顔をする。


「前にも言ったけど、ただのイタズラだと思うぞ。自分の名前も書かずに告白するって意味わかんないし」

「まぁ確かにそう思うのが普通だよなぁ」

「……昼兄ひるにぃが何に納得がいかないのか知らないけど、今さらそんなものにかまけてないで現実の恋に集中したほうが絶対にいいよ。早くしないと他の人に取られちゃうぞ」

「ん? 何の話だ?」

昼兄ひるにぃこよみちゃんのことが好きなんだろ?」

「どうしてそう思ったんだ……?」

「だってこよみちゃんと一緒にいる時の昼兄ひるにぃってどことなくテンションが高いような感じだし、学校のエピソードを話すときもこよみちゃんのことがよく出てくるし」

「自分じゃよく分からないけど……ただ単純に他の人と関わり合いがないからそう見えるのかもな。俺の中で逢乃あいのは気兼ねない幼馴染で唯一の友達って認識だよ」

「ほんと?」

「ほんとほんと」

「じゃあ白愛はくあちゃんは?」

神子上みこがみは俺からすればまだ出会って日が浅い人だし、恋を抱くまで関係が深まってないよ」

「えー、一目惚れもないのか? 白愛はくあちゃん元から可愛かったけど、しばらく会わないうちに上品さも増しててすっごく美人さんになってたのに」

「俺も最初に会った時は思わず見惚れたから真白ましろが言うことも分かるけど、恋愛に限らず一番大事なのは容姿じゃなくて中身だからな」

白愛はくあちゃん性格も明るくて素敵だと思うけどなぁ。でもでもこよみちゃんも可愛いうえに頭が良くてすっごい優しいし、オレからすれば二人のどっちかがお義姉ねぇさんになってくれれば嬉しいから昼兄ひるにぃには頑張ってほしい!」

「反応に困るお願いだなぁ。俺の感情がどうであれ、二人とも高嶺の花だから難しいよ」

昼兄ひるにぃは他の誰よりも脈ありだと思うぞ。それにオレからすれば自慢の兄だって人に言えるぐらい昼兄ひるにぃもすごいし、どっちと付き合ってもお似合いカップル間違いなし!」

「釣り合いが取れてるかはさておき、真白ましろがそう言ってくれると兄としては嬉しいな。──さ、夕食になる前に問題を解こうか」


 真白ましろの手から匿名のラブレターを取って勉強に促す。


 強引な話の逸らし方だったが、真白ましろは素直に「そうだった! えーっと、書いてある通りに解いてるつもりなのに証明問題がちんぷんかんぷんで……」とプリントと教科書を捲り始める。


 真白ましろが準備する中、俺は手に持った匿名のラブレターをふたたび見る。


 神子上みこがみは差出人を特定する方法があると豪語していた。


 それが功を奏して俺の答えを後押ししてくれれば真白ましろのお願いを叶える一歩になるのだが、はたして明日どうなることやら。


 俺は期待と不安に駆られつつも、ラブレターを元の場所に戻して真白ましろの勉強を手伝った。


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