第7話 「辺境伯領の現実」
王都を発ってから数日、街道を馬でひた走り、さらに森を抜け、川を渡り、ようやく辿り着いた辺境伯領は、王都の華やぎとはまるで異なる世界だった。鬱蒼とした森と岩山に囲まれた大地は厳しく、冬を前にした冷たい風が吹き抜け、乾いた土埃を巻き上げていた。遠くにはラクリマリア宗教国家の山並みが見え、その向こうから吹き下ろす風は肌を刺すように冷たい。
城砦は岩山を削り取ったような堅牢さを誇っていたが、近づけば石壁の隙間は苔と風雨に侵食され、長い戦で荒れ果てた痕跡が色濃く残っていた。門をくぐれば、兵の顔は疲れ切り、鎧は手入れが行き届かず鈍い光を放っていた。彼らの視線には警戒と諦念が入り混じり、王都から派遣された新たな指揮官を歓迎する色はなかった。
「ここが……俺の任地か」アルヴァンは馬上から砦を見渡した。王都で英雄と讃えられた名も、この地では意味を持たない。ここでは日々、帝国の残党や魔の森から現れる魔物と渡り合うことだけが現実だった。
出迎えに現れたのは、辺境伯領を預かる老領主フェルディオ・ラグナルであった。六十を越えた壮年の男で、深い皺の刻まれた顔には戦場の風雪を耐え抜いた威厳があった。彼は杖をつきながらも背筋を伸ばし、アルヴァンに近づくと鋭い眼差しで見据えた。「そなたがアルヴァン・アルマディウスか。王都では英雄と聞いた。だがここでは名など通じぬ。剣を握り、血を流せるかどうか、それだけが価値だ」
アルヴァンは馬を降り、礼を取った。「承知しております。ここでは剣を振るうために来ました」
フェルディオはしばし黙して彼を見つめ、やがて短く頷いた。「よかろう。ならば見せてもらおう。兵は疲弊し、壁は脆んでいる。帝国の残党は国境に潜み、魔の森からは魔物が群れをなして押し寄せる。ここは平和など存在せぬ地だ。覚悟はあるか」
「あります」アルヴァンの答えは短く、それでいて確かだった。
そのやり取りを見ていた兵士たちはざわめいた。王都から送られてきた若い騎士に過ぎぬと侮っていたが、その眼差しと声音には揺るぎなき決意があった。だが同時に、彼らの目には疑いも消えていなかった。「英雄がこんな地で通じるものか」「王都からの追放者だろう」そんな囁きがかすかに広がる。
砦に案内されたアルヴァンは、石の廊下を歩きながら兵の視線を受け止めていた。敬意ではなく、値踏みするような目。彼らは王都の栄光よりも、この苛烈な地で剣を交える覚悟を見ようとしていた。
部屋に通された後、アルヴァンは窓から外を見下ろした。夕日が赤く砦を照らし、荒涼とした大地に長い影を落としていた。その光景は彼に、戦場で幾度も見た血の色を思い出させた。だが同時に、ここが新たな戦いの地であることを強く実感させた。
「アリシア……」思わず彼女の名を呟いた。遠く離れた王都に残した恋人。彼女の怒り、涙、そして誓い。その全てを胸に刻みながら、彼は静かに剣を握った。
砦内を一巡しただけで、アルヴァンは最優先で手をつけるべき箇所が幾つも目に入った。北壁の外面は冬の凍てつきと春先の融雪で目地が緩み、石の合わせが甘くなっている。壁上の胸壁はところどころ欠け、矢狭間の内側には古い煤がこびりついたまま、雨避けの庇板は腐って指が沈むほど柔らかかった。最も危ういのは見張り台の柱で、年輪の若い木を無理に使ったため乾きが甘く、ぎしぎしと嫌な音を立てる。兵舎は狭く、湿気が床板の裏に溜まり、寝藁にはカビの匂いが混じっていた。倉庫の戸前には、昨夜のものと思しき獣の足跡が泥に残り、その向こうの林からは、獣か魔物か判別のつかない低い呻きが風に乗って届いてくる。
砦の詰所で、アルヴァンは最初の顔合わせを行った。老領主フェルディオの推挙で集まったのは、辺境で骨を埋める覚悟を決めた者ばかりだという。「城盾」の渾名を持つ年長の小隊長ロルフは、大盾を背負ったまま礼を取った。鼻梁の折れた厳つい顔だが、目の奥は驚くほどまっすぐで、言葉少なに告げる。「隊長。ここでは盾を並べる人手が足りません。俺の組は壁の穴埋めと交代見張りの両方を回してます」ついで、聖務官服に身を包んだ若い治癒司祭が一歩進み出た。「サンクティア神聖国派遣、癒光を務めるミリアです。薬草は不足気味ですが、簡易の祝祷なら一日に十数人は保てます」彼女の袖口は血と薬草の染みで色が沈み、それが言葉以上にこの地の現実を語っていた。
鍛冶場では、小柄な髭面の職人が槌を止めてこちらへ顔を上げた。フェルナンド王国から来たというドワーフのバルドで、腕組みのまま鼻を鳴らす。「王都仕込みの新任様が来たってな。鉄は足りねえ、炭も湿ってやがる。だが、やるこたぁやるさ。割れた胸甲なら三日で十枚、槍先は二十本。あとは金属を寄こしな」バルドの後ろでは、半分欠けた大砲――魔導式回転投射機の砲身が解体され、焼けた文様が黒く痕を残していた。
副官役に据えられたのは、若いが筋の通った女騎士ミレイユだった。蒼剣流の実力者で、腰の双刃は刃文が浅い。「隊長、巡邏路は西と北の『巡礼路』を押さえるのが最優先です。ラクリマリアからの巡礼者は冬前に増えますが、その列に紛れて帝国残党が境界標を見ているという噂が」アルヴァンが問い返す。「実見した者は」「名乗り出れば命が惜しい、と皆が黙ります。ですが、夜毎に灯りが点く丘がある――そう兵が言っています」
報告がひとしきり終わると、彼は地図台の上に掌を置いた。粗い羊皮紙に描かれた砦と林と河、巡礼路と見張り台の位置。北壁は短期補修、見張りの交代時間は短縮、倉庫と兵舎の間の通路は夜間灯を増設――頭の中で配置がひとつずつ組み替わっていく。「まず、昼の間に北壁の目地に砂利を詰め、暫繕いの漆喰で抑える。ロルフ、盾組を休ませつつ交代で壁に付け。ミレイユ、見張りは三交代を四交代に。持ち場と時間を切り詰め、眠気の生まれる間合いを潰す。ミリア、衛生場の藁を全替えしてくれ。感染は剣より厄介だ。バルド、炭の乾かし場を移す。北風を正面から受ける位置は捨てて、風裏で棚を組もう。金属は斫ってでも回す」矢継ぎ早の指示に、人々の顔がわずかに動いた。疑いも残るが、ためらいに押し込められていた筋道が見え、血の巡りが戻るのを感じている顔だった。
「隊長、その……」ロルフが言いにくそうに口を開いた。「兵は……王都の言い分ってのを気にしてます。栄転じゃなく、追い出されたんだってな。あんたがこっちで一つも剣を振らねえうちは、納得しねえ面も出るでしょうよ」ミレイユが横目でロルフを咎めるように見たが、彼は首を横に振って続ける。「ここじゃ、口より剣で語るのが早えんです」アルヴァンは短く頷いた。「分かった。ならば今夜までに、語る機会は向こうから来る」
その言葉どおり、午後の天頂をわずかに過ぎたころ、北側の林をかすめる巡邏路から伝令が駆け込んだ。顔は泥に塗れ、息はちぎれ、言葉は連なった。「灰鱗蜥蜴が……三、いや五。木立をすり抜けて、川筋へ。見張り台二番、合図の炬火上がらず!」ミレイユが即座に号令を飛ばし、ロルフの盾組が走る。バルドは舌打ちして槍先を束にし、ミリアは祈祷札を胸に押し当てて駆け出した。「二番台は人が足りてない、昨日も交代が延びていたはずだ」アルヴァンは馬上へ跳び、鞍に足を掛けるより先に体を沈めて脚で締めた。「北門半開、盾前列、槍二列、弓は胸壁から。ミレイユ、右の林縁に回り込んで切り上げろ。灰鱗は突きが浅いと逆上する。喉と目だけ狙え。ロルフ、下がる者が出たら盾で押せ。退くな、押せ」
北門外へ躍り出ると、冷たい空気が肺の底まで刺さる。湿りを帯びた森の匂い、砂と乾草の埃、鉄の匂いと獣の体温が混ざり、肌の上を這い上がるように近づいてくる。木立の隙間から灰色の鱗が閃き、低く唸る音が幾つも重なって地面を震わせた。体高は人の腰、体長は槍二本分、分厚い尾が砂を払って弧を描く。灰鱗蜥蜴――群れで動けば馬の脚を斬り、倒れた獲物を骨ごと噛み砕く厄介な魔物だ。
第一列の盾が土を噛み、第二列の槍が低く構えられる。アルヴァンは先頭に歩を出し、手首だけで剣を解いた。鞘走りの音は短く、刃は空気を裂いて光を拾う。体内の魔力が、戦場の癖で筋肉の皮膜に薄く張り付き、皮膚の下で熱を帯びながら静かに流れた。彼は大技を嫌う――この地で無闇に魔力を暴れさせれば、林の奥に潜むものまで呼び覚ましてしまうからだ。だからこそ、動きは小さく、鋭く、正確に。
最初の一頭が飛びかかった。喉が鳴る。アルヴァンは半歩踏み込み、足裏で土の角度を測り、腰を切って手首だけで刃を送る。迅剣流・閃光三連――一の刃は喉を裂き、二の刃は目を斬り、三の刃は反転する尾の付け根を断つ。灰の鱗が散り、温い血が地に落ちる。続く二頭が左右から挟むように突っ込んできた。右の個体は顎で噛み上げ、左は尾で足を払う型。アルヴァンは右足の踵で土を押し、身を浅く沈めて視界の端で左尾の軌道を読み、刃を逆手気味に返す。顎の筋が盛り上がるより早く喉に斜めの切れを作り、尾は腰を回した反動で、刃の背で受け流して地面へ逃がす。背で風が動く、ロルフの盾列が押し出し、槍の穂先が二頭目の眼窩に吸い込まれた。
胸壁の上から矢の雨が降り、ミレイユの小隊が林の縁を削るように切り上げてくる。彼女の刃はきめ細かく、蒼剣流特有の連ねる打ち込みで、鱗の隙間へ正確に点を重ねていく。彼女は叫んだ。「二番台まで押す! 足を止めないで!」灰鱗の群れは突撃の勢いを失い、尾を振って散りかけた。そこへ、遠い丘の上で赤く小さな火が灯る。合図火――だが、色が違う。ここで使う炬火は白、あの火は赤。ロルフが眉をひそめる。「誰かが、別の合図を……」アルヴァンの背筋に冷たいものが走った。「人だ。逃がすな、丘の火まで追うと森に吸われる。切り上げる」
撤収の号令が短く飛び、盾列は乱れず下がる。灰鱗は林へ散り、残った一頭をロルフが正面から盾で叩き伏せ、ミレイユが喉を刺して息の根を止めた。土煙が収まり、空気がようやく一つ息を吐く。負傷者は四、うち一人は脚に深い噛み傷。ミリアが膝をつき、祝祷を低く唱え、青白い光が常温の水のように傷口へ広がった。兵は歯を食いしばり、彼女の袖口を握る。「ありがとう……」彼は息の隙間で笑った。
戦後の手順は迅速だった。死体は引き寄せて皮と骨を分け、生肉は半分を埋め、半分を燻し場へ回す。魔物の脂は長く燃える。匂いで他を呼ぶ危険を減らすため、灰は薄く広げて風に散らせる。二番見張り台は人が倒れ、炬火台は濡れて火が上がらなかった。赤い火を焚いた見張り台はさらに先の小丘で、そこは本来の警戒線より外だ。足跡は二人分、靴底は王都兵のものと違い、縫い目の位置が浅い。「帝国式の軍靴……それにしては新しい」ミレイユが身を屈めて泥を指で撫でる。「今季、誰かが物資を渡している」ロルフが低く吐き捨てる。「巡礼に紛れて、だ」
砦へ戻ると、兵の目にわずかな変化が見えた。さっきまで値踏みしていた視線が、いまは僅かに礼に傾く。ロルフが頷き、盾の上から短く言う。「……見た。言葉より剣だって言ったが、あんたは両方を持ってる」ミレイユも息を整えながら、汗に濡れた額を拭った。「隊長、二番台の交代枠、明日から私の組で埋めます。人手が尽きても、穴は空けません」アルヴァンは二人に視線を巡らせた。「頼む。夜は誘い火が来る。丘の赤は、我らを林に引きずり込む合図だ。追えば分断される。二番台は炬火を白に、赤が見えた時は『下がれ』の意味に統一する」バルドが短く笑い、親指で鍛冶場を指した。「赤を白に? なら色粉を変える。石灰を多めに混ぜりゃいい。夜の風向きは俺の鼻が覚えてる」
日が落ちると、砦は別の顔を見せた。風は鋭くなり、石の隙間を笛のように鳴らして吹き抜け、遠い森の奥では獣が互いに縄張りを知らせる咆哮を上げる。壁上の兵は、肩に掛けた古毛皮を顎まで引き上げ、歯の根を合わせないように奥歯でぐっと噛む。アルヴァンは胸壁を歩き、持ち場ごとの灯りの色と間合いを確かめた。足音は軽く、視線は絶えず遠近を繰り返し、耳は風の芯の乱れを拾う。夜の砦は、音の嘘を隠さない。
やがて、自室に戻ると、机の引き出しから粗末な羊皮紙を取り出した。墨は薄く、水に溶いた煤に膠を混ぜただけの簡便なものだ。筆を持つと、書き出しが自然と決まる。「アリシアへ」そこから先は、言葉が慎重に選ばれていく。「到着した。砦は思っていたより疲れている。だが、人も石も、叩けばまだ音が返る。今日は灰鱗蜥蜴を五、うち二は兵の槍が仕留めた。ミレイユという若い副官がいる。手際がいい。ロルフという盾持ちもいる。壁に穴があることを隠さず言う。こういう男は信用できる。バルドは口が悪いが腕は確かだ。ミリアの祝祷は温い。血の匂いの中で、温いというのは得難い」墨が乾く前に、灯が揺れて、窓の外から低い角笛が一度だけ鳴った。合図は「注意」。アルヴァンは筆を置き、窓を押し開け、冷たい夜気を胸に吸い込む。遠い丘の上に、赤い灯が一つ、また一つ。誘うように、間を置いて上がっては消えた。
彼は窓を閉じ、羊皮紙に短く付け加える。「赤い灯が丘に見える。人の仕業だ。追わない。明日の朝、足跡を拾う。こちらは大丈夫だ。心配するな――とは言わない。心配してくれることを、今は剣の重さの代わりにする。お前の心がこちらへ伸びているのを、夜風の中で確かに感じる」書き上げると、蝋で封をし、ミレイユに託す準備をした。ラクリマリアの巡礼路を通る聖務官の便に紛れれば、王都まで三十日と聞く。届くころには、王都はもう冬の白に縁取られているだろう。
翌朝、白い息を吐きながら二番台の先へ出ると、丘の斜面に靴跡が残されていた。縫い目の浅い帝国式、踵の削れ方は右が強く、歩幅は均等、癖がない。訓練された足だ。しかも、歩幅の途中にほんの一箇所だけ、意図的に深く沈んだ跡がある。重りを下ろしたか、地面の様子を探る癖か。アルヴァンは膝を折り、指先で泥を摘んだ。匂いは薄い油、獣脂ではない、植物油に樹脂を混ぜたもの――帝国北部の工房でよく使う防水油の匂いに似ている。
丘の稜線の向こうは、低木の茂みが波のように続き、さらに奥に、古い廃祠の屋根がのぞいていた。ラクリマリアの古い祈祷所だという。ミレイユが囁く。「隊長、あそこは巡礼の道からは外れてます。誰も近寄らない。……近寄れない、が正しい。夜になると、鐘のような音がすると言います」ロルフの顎が渋く動く。「音は風で鳴るんじゃない。誰かが鳴らしてる。赤い灯の合図に合わせてな」
アルヴァンは立ち上がり、短く息を吐いた。「昼は近づかない。夜に誘われても追わない。準備をして、三日後の朝に行く。兵ではなく、私とミレイユ、ロルフ、ミリア、そして……」視線が鍛冶場へ流れる。バルドが両手を真っ黒にしながらこちらを睨んだ。「俺か? 祠の板釘が錆びてりゃ、俺がいなきゃ入れねえだろうよ」彼は工具袋を肩に引っ掛け、苦笑を一つ。「それに、音の正体ってのは、いつだって金属が知ってる」
砦に戻る道すがら、アルヴァンは胸の内で静かに積み木を組んだ。赤い灯、帝国式の足跡、廃祠、誘い火、そして巡礼路――誰かが国境に薄い穴を開け、往来の形を装って物と人を流している。辺境伯領の兵を疲弊させ、炬火を濡らし、見張り台の交代を狂わせるのは、そのための前準備だ。王都はこの地を「重任」と言いながら、ここで起きていることの細さをまだ知らない。あるいは――知らぬふりをしている。
「殿」ミレイユが口を開いた。「昨夜、兵の中で賭けが回りました。殿が初陣で退くか退かないか。……誰もが、退かないに賭けました」アルヴァンはわずかに目を細めた。「そうか」ミレイユは肩を竦める。「退かないと知りながら賭けるのは、兵のやり方です。勝つと分かっている試合に、自分の手の内を乗せる。負けたら、拳で払うだけ」ロルフが笑う。「拳で払うのは俺の役目だ」
砦に戻ると、ミリアが祈祷の合間に温い薄粥をよそってくれた。匙が陶器の縁に当たる音は小さく、湯気に微かな薬草の香りが混じる。「殿、食べてください。夜は冷えます」彼女の指は細く、爪の際が赤い。「昨夜の兵は助かった。礼を言われた。だから、私が礼を言います」アルヴァンはほんの少しだけ肩の力を抜いた。「礼は私の方だ。あなたの光は、ここにあるべき熱だ」ミリアは首を振り、匙を持ち直した。「熱は皆の中にあります。私は、ただ、少し掬い上げるだけ」
窓の外では風が土埃を巻き上げ、空は鈍い鉛色をまとい始めていた。冬は近い。壁の目地は凍り、木は鳴き、指はかじかむ。それでも守るべき場所があり、立つべき壁がある。アルヴァンは椀を置き、立ち上がった。「三日後、廃祠へ行く。今日と明日は砦の『息』を整える。交代のリズム、灯の色、足音の速さ――全部、揃える」彼の声は静かだが、部屋の空気を確かに温めた。ロルフが頷き、ミレイユが「了解」と短く答え、バルドが工具袋を叩いて笑い、ミリアが胸元の聖印に触れて祈りの言葉を一つ、落とした。
夜、手紙の封に王都行きの印を押すと、アルヴァンは窓辺に立って耳を澄ませた。遠く、林の奥で鐘のような音が二度、ゆっくりと鳴る。誘う音、試す音、誰かの意志の音。その音に、王都の彼女の青い瞳が重なる。彼は低く、誰にも聞こえない声で囁いた。(必ず整える。ここを、剣が正しく振るえる場所に)剣を壁際に立てかけ、鞘の口に布をかぶせると、外の風が一瞬だけ収まり、砦の夜が深く沈んだ。翌朝が、初めての「こちらから踏み込む試し」になる。準備は静かに、だが着実に整っていった。
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