私と魔女さま

鳩鳩

1

 今日の実験も案の定、失敗に終わったらしい。

 机に突っ伏して眠る魔女さまの足元には、できそこないの「私」がまとわりついている。

 眼窩が空っぽであることさえ除けば顔立ちは綺麗だが、細く窄まった頭頂部を見るに、脳みそが入っていないらしい。これではとても、魔女さまの求める「私」にはなれまい。

 私は「私」を抱え上げて、手に持っていた大きな黒いビニール袋の中に放り込んだ。


 失敗作の始末は、私の役目。そうとは分かっているけれど、一応は自分自身である生き物を手にかけるというのは、あまり気分のいいものではない。

 だが、このまま放置しても「私」の苦しみを長引かせるだけだし、なにより不愉快だ。さっさと屠殺室に連れて行こうと踵を返した、その矢先。魔女さまが不意に「んん……」と呻き声を漏らした。


「おはようございます、魔女さま。こちらはいつも通り私の方で処分しておくので、ご心配なく」

「……あっ、あ! まって待って! その子は、いいの」

「はい?」

「そっ、その子は、捨てなくていいの。袋から、あの、出してあげて」

「はあ」


 言われるがまま、「私」をゴミ袋から摘み上げると、それは力なく手足をばたつかせた。魔女さまはか細い腕をそっと伸ばし、「私」を抱き寄せる。


「よしよし……。ごめんね、僕がうっかり寝ていたから」

「魔女さま、この子には重要な部位が足りていないようですが。体もずいぶん小さいですし、廃棄なさって新しいのを造った方が……」

「や、えっと、その……。この子、ほくろがあるの。ほら、ここ……見てみて」


 魔女さまは、優しい手つきで「私」の髪をかき分け、首筋を露出させた。確かに、小さなほくろが三つ連なっているのが確認できる。


「……これが、なにか」

「あの、ね。本物の君にも、こんな風に三つ並んだ可愛いほくろがあったんだ。この子はそれが上手く再現できてる。初めてのことなんだ」

「……そうですか」

「も、もちろん、君を造るのはまだまだやめないよ。だってこの子には脳がないし、この身体じゃ明日の朝まで生きられないだろうから……。けど、でも」

「……まあ、いいですよ。自然に死ぬまでは、生かしておいても。世話は魔女さまがやってくださいね」

「うっ、うん! ありがとう……」


 その時、魔女さまの腕の中で大人しくしていた「私」が、突然ぐずりはじめた。口を歪めて体をよじらせ、醜くうごめいている。


「わわわ、えっ、どうしたの」

「お腹が空いたんですかね」

「どうしよ……あっ、クッキーならあるけど、食べさせていいかな……?」


 魔女さまは、机の隅に置かれた皿の上の、いつのものかも分からないクッキーに目を遣った。この「私」の力ではろくに消化できないどころか、かみ砕くことすらできまい。


「固形物はやめておきましょう。ホットミルクを作ってきますから、あなたはその子をあやしててください」

「あっ、ありがとう……」

「……なにニヤついてるんですか」


 魔女さまは慌てて口元を抑えてから、もごもごと、

「だって……やっぱり君は、本物の君にそっくりだなって……」

「見た目は、全然似てないですけどね」

「ごっごめん……。せめて、もうちょっとかわいい姿にしてあげればよかったね」


 私は別に、自分の容姿に不満はない。この姿は魔女さまと全く同じものなので、当然だ。


 一番最初の「私」は、ごく普通の人間だった。魔女さまと出会い、友人になり、伝染病であっけなく死んだ。

 魔女さまはそんな「私」と、もう一度会いたかった。それで何百年もの間、「私」を再現したホムンクルスを作るのに没頭しているのだ。


 気が遠くなるほどの試行錯誤の末、彼女はなんとか「私」の人格を再現したホムンクルスを造り上げた。それがこの私だ。あくまで性格面のみを重視した試作品なので、造形は創造主たる魔女さま自身のものを流用している。

 その後、魔女さまは「私」の姿に似せたホムンクルスを造りはじめた。こちらの試みは見ての通り、未だに実を結んでいない。

 だが魔女さまは諦めない。いつの日か、「私」の人格と容姿を併せ持った完全な「私」を完成させ、永遠に一緒に暮らすのだそうだ。彼女の夢が叶った時、用済みの私は廃棄されるだろう。


「だ、台所に行くなら、ついでに紅茶も淹れてくれると嬉しいな……。もう丸一日何も飲んでないから、喉がカラカラで。それから、ジャムもひと匙持ってきて。君はみんな、ブルーベリージャムが大好きだからね、この子にも食べさせてあげなきゃ……」

「魔女さま、その必要はありません」


 私は魔女さまの小さな声を遮って、「私」を指さした。

 ぐったりと脱力して、魔女さまの胸にもたれかかっている。息をしているようにはとても見えない。


「あっ……ああ! そんな……」

「まあ、見るからに弱そうでしたもんね、その子。処分してくるので、こっちにください」


 しょんぼりと肩を落とす魔女さまの手から「私」の死体を取ると、さっきの袋にポイと投げ入れた。

 傷む前に解体して、再利用できる部分を取り出さなければならない。

 魔女さまはくらくらと首を振りつつ、申し訳なさそうに私を見た。


「う……その、ごめんね、いつも任せちゃって」

「構いません。……嫌なんでしょう? 友達の形をした生き物を処理するのが」

「……だってみんな、大好きな君なんだもの」


 姿かたちに面影があるというのは、そこまで重要なことなのだろうか。

 「私」に似ても似つかない私は、決して魔女さまの「私」にはなれない。いや、例え姿と中身が揃った「私」がいずれ生まれたとしても、それが本物の「私」になるはずはない。死んだ人間は決して蘇らないのだから。

 本当に「私」のことを想うなら、墓参りくらいしてやればいいのに。「私」の子孫に会いに行って、思い出話の一つでもしてやればいいのに。


 無言で立ったままの私を、魔女さまは不安そうに見上げていた。私は彼女を安心させようと、軽く口角を上げて見せた。


「……あなたは本当に、どうしようもない馬鹿ね」

「えっ……え!?」

「なんでもありません。失礼します」


 戸惑う魔女さまに構わず扉を閉めて、つかつかと彼女の部屋から遠ざかっていく。廊下に並んだ窓の外で、糸杉が揺れている。私が一歩踏み出すたびに、手に提げたゴミ袋の中で「私」が転がる。

 私は歩みを止めずに、そっと「私」に話しかけた。


 ねえ、あの人は一体、どれだけの私を造って捨てたら気が済むのかしら。

 「私」は答えた。

 さあ、きっといつまでも、こんなことを続けるんでしょう。これだから、馬鹿な魔女は嫌いなの。気持ち悪いったらありゃしない。

 そうね。だけど、私たちくらいは付き合ってあげてもいいと思わない? ええ、もちろん。当然じゃない。そうよ、あの子は私たちの魔女。これまでもこれからも、ずっと。


 この館に残る何百人もの私たちが、いっせいに喋り出した。一人一人の声は小さいけれど、これだけ多いと流石に騒がしい。

 それなのに魔女さまには何も聞こえていないようなので、やっぱり馬鹿だなと思う。

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