母の面影  六話

 三次からまつが働く漁港の裏手の小さな小屋にやって来た。

数人の女たちが、今日取れた新鮮な魚をさばいてる。

 見るとその中にまつの姿があった。

急いで近づいて行くと、急に振り向いたまつの顔が目の前にあった。


「若様!」

「まつ!」

「まぁ、大きくなられて……」


まつが声を詰まらせて、泣き出す。

何故かつられて、涙が出てくる。


「ここで暮らしていたのか、まつ!」

「はい、何とか……」


 気がかりな事が一つあった。当時別れた時に泣いていた赤子、確かおなごと言っていた。


「まつ、あの時のあかご、如何した?」

「えぇ、裏で魚を干してます。呼んできましょう」

そう言って裏手に回るまつについて行く。


 そこでやはり何人かの女たちの中で十くらいの女の子が懸命に働いていた。


「シズ!」

「かかさま!」

 呼ばれてかけてくるその少女はまつに似て黒い髪をひらひらさせていた。

「これが娘のシズです、若様」

「シズ……」

 あの時の子がこんなに大きくなっていた。年月がこんなに経ったのだ。


「良かった、みんな元気でいてくれて」

「若様もお元気そうで」

「まつ、家族で京に行こう、一緒に」

「え……京ですか……」

「そうじゃ、父上もいる、母上と兄は……」 それを言うと言葉に詰まった。


 それから暫く砂浜でお互いを語り合った。


 気がつくと海が茜色に染まっていく。

「ご一緒したい気持ちはあります、けど……私達が何なのかもうご存知ですね若様」

「若様はやめてくれ……」

「すみません、私達はここで仕事があります、この仕事の他に……」

「ババ様から聞いておる、伊賀であったか……」

「はい、小笠原様のお抱えでしたが、お家があの様に破れてしまい、私達は次の仕事についてます」

「次の……」

「勝手な事が出来ない……さだめ……です」

まつが言葉を詰まらせる

 なんとなく忍びの掟は分かっていた。伊賀で暮らしたお陰でこの者たちの掟も、今度はどんな仕事かも教えてはくれまい。


「そうか、まつ一つ教えて欲しい」

「はい、何を?」

「大熊の事、兄上の敵じゃ!」

「大熊、大熊源次郎でしょうか?」

「そうだ、あやつは今どこにいる?」

「大熊は武田きっての忍び、確か……大熊の他に後三隊あり、それぞれが忍びの輪を作ってます、例えば熊、猿、えっと……馬とあとは……」


「馬……」

「そうです、大熊と黄猿と白馬と……」

「黄猿……何処かで聞いた様な」

「確か、風林火山に因んで、自分達も隊を編成してそれぞれが忍びの働きをしている様で」

「そうなのか……」

「なかなか、どこにいるのか私らでも分かりません、忍びの仕事は……」

「確かに紛れておるからな」

「はい、戦さはたらきになれば、合戦で会えるのですが、敵中で見つけるのも難しいのです」

「たしかに」

「若様、すみません、清延様は伊賀で何か役目は?」

「あーそうだ、北条を探れとか、言っておったが、何をするか分からんのだが」

「北条様には大きな動きはないようです」

「そうか、ならこのままでよいか」

「そうですね」

「この国にいた方が安心かもしれない、見たところ暮らしは大丈夫そうだな」

「はい、ここは水も豊富で食糧には困りません、いくさになっても、なんとか」

「私はこれから大熊を探しに行く、武田の忍びについて教えてくれ」

「はい、分かることは全て……」

「ありがたい」


 辺りは紅く染まって、二人の影は黒くまるで母子の様に浮かび上がっている。





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