第九話:アトランティスの試練

 全ての準備は整った。


 俺は、自ら創り出した居住空間――この最下層における唯一の安息の地を、静かに見渡した。ふかふかのキングサイズベッド、温かいシャワーが出るバスルーム、いつでも最高の食事ができるキッチン。


 数日前、ここで絶望の淵にいた時には、想像もできなかった光景だ。

 この快適な拠点を手放すのは少し名残惜しい気もするが、俺が本当に求めているのは、こんな薄暗い地の底での一時的な安楽ではない。


 太陽の下、本物の自由だ。


「行くか」


 俺がそう呟くと、傍らに浮かぶ光の球体が、静かに応じた。


『はい、マスター。地上への帰還ルートへ、ご案内します』


 俺は、漆黒のフードを深く被り直し、滑らかな仮面の位置を微調整した。この装備を身に着けていると、不思議と心が落ち着く。俺という個人を完全に消し去り、ただの『力』という概念になったかのような、奇妙な万能感があった。


 俺は、未練を断ち切るように拠点に背を向けると、エノクの先導に従って、ドーム状の広間から伸びる、これまでとは別の通路へと足を踏み入れた。


 そこは、今まで探索してきた通路とは、明らかに雰囲気が違っていた。


 壁や床を構成する青白い発光石の輝きが、より一層強く、そして清浄なものに感じられる。道幅も広く、天井も高い。まるで、王族でも通るために作られた、地下の王道とでも言うべきか。


「ここが、地上へのルートか」


『正確には、アトランティスが遺した、正規の昇降施設へのアクセス経路です。あなた方の文明で言うところの、地下鉄の路線のようなものだとお考えください』


「地下鉄、ね。ずいぶんとまあ、立派なもんだ」


 感心しながら歩いていると、やがて、通路の先に、巨大な縦穴が姿を現した。


 直径は、百メートル以上あるだろうか。上も下も、深い闇に閉ざされていて、その全長は窺い知れない。そして、その巨大な円筒状の空間の中心を、一本の太い柱が、天と地を貫くように伸びていた。


「なんだ、これは……」


『軌道エレベーターのシャフトです。かつてアトランティスは、この施設を使って、地上の研究施設と、この最下層との間で、物資や人員の輸送を行っていました』


「軌道エレベーター……」


 SFの世界でしか聞いたことのない単語が、当たり前のように出てくる。


 見れば、縦穴の壁面には、螺旋状に細い通路が設置されていた。非常階段のようなものだろうか。


『エレベーターの動力は、現在は停止しています。我々はこの螺旋通路を使い、上層を目指します』


「歩いて登れってか。気が遠くなるな」


『マスターの現在の身体能力ならば、約三時間で踏破可能です』


 三時間。レベル100の身体というのは、もはや人間のそれではないらしい。


 俺は、エノクに促されるまま、螺旋通路へと足を踏み入れた。足場は、金属とも石ともつかない、特殊な素材でできており、滑る心配はなさそうだ。


 俺は、黙々と、螺旋の道をとにかく登り続けた。


 一段、また一段と、闇の中の階段を駆け上がっていく。時折、巨大なシャフトの向こう側、遥か下方に、俺が拠点としていたドームの青白い光が、星のように瞬くのが見えた。


 どれくらい登っただろうか。


 エノクの予告通り、三時間ほどが経過した頃。


 螺旋通路の終点が、不意に、目の前に現れた。


 そこは、行き止まりではなかった。巨大な縦穴の壁面に、ぽっかりと、大きな横穴が口を開けている。その先は、今まで歩いてきた通路よりもさらに広く、まるで巨大な神殿の入り口のような、荘厳な雰囲気を漂わせていた。


『マスター。ここが、最終ゲートです。この先が、地上へと繋がる最後のエリアとなります』


「最後……」


『はい。そして、この先に進むためには、あなたに、アトランティスが遺した最後の『試練』を受けていただく必要があります』


「試練、か。話には聞いていたが」


 俺は、腰に差したナイフの柄を、無意識に握りしめていた。地上へのリハビリ。不足はない。


「で、その試練とやらは、どこで受けられるんだ?」


『この、ゲートの先です』


 エノクに促され、俺は巨大な横穴へと、一歩、足を踏み入れた。


 その瞬間。


 背後で、ゴゴゴゴゴ……という地響きのような音がして、今通ってきたばかりの入り口が、分厚い隔壁によって、完全に塞がれてしまった。


 退路は、断たれた。


「……ご丁寧なこった」


 俺は、悪態をつきながら、改めて周囲を見渡した。


 そこは、円形の、巨大な闘技場のような空間だった。


 直径は、500メートル以上はあるだろう。床は、どこまでも滑らかな一枚岩。天井は、ドーム状になっており、そこから放たれる淡い照明が、闘技場全体を、不気味なほど均一に照らし出している。観客席のようなものはなく、ただ、だだっ広い空間が、そこにあるだけだった。


『――システム、起動。適合者、最終認証シーケンスへ移行』


 不意に、エノクとは違う、重く、荘厳な合成音声が、空間全体に響き渡った。この施設そのものが、喋っているかのようだ。


『これより、適合者たる汝が、我らが遺志を継ぐに値するかを問う、最終試験を開始する』


 その声と同時に、闘技場の中心の床が、静かに割れ始めた。


 そして、そこから、巨大な何かが、ゆっくりとせり上がってくる。


 それは、生物ではなかった。


 金属と、未知の素材で構成された、全高20メートルはあろうかという、巨大な人型の機械。


 流線形の、黒光りする装甲。昆虫を思わせる、細く長い四本の腕。そして、頭部にあたる部分には、単眼の、巨大な赤いレンズが、不気味な光を放っていた。その全身には、無数の砲門や、ミサイルポッドのようなものが、これでもかと搭載されている。


 それは、もはや兵器というよりも、『破壊』という概念そのものが、形をとったかのような、圧倒的な威圧感を放っていた。


『対侵略者用、自律殲滅兵器――『キメラ』。かつて、我々アトランティスを滅亡寸前にまで追い込んだ、厄災の再現データの一端である』


 施設の合成音声が、その機械の正体を告げた。


『適合者よ。この『キメラ』を打倒し、汝の力を証明せよ』


 その宣告と同時に、キメラの単眼レンズが、ぎろり、とこちらを向いた。


 ピピピ、と電子音が鳴り、俺の存在を、完全にロックオンしたのが分かった。


「……はっ。なるほどな。こいつが、俺のリハビリ相手か」


 俺は、絶望するどころか、むしろ、口の端が吊り上がるのを感じていた。


 相手にとって、不足はない。


 むしろ、好都合だ。


 今の俺の力が、どこまで通用するのか。


 この災厄の『再現』とやらで、試してやろうじゃないか。


『マスター。対象の戦闘データをスキャン。……危険です。この兵器は、私がこれまで観測した、どのモンスターとも、エネルギーの次元が異なります。推奨される行動は、戦闘の回避、及び……』


「回避、ね。ご丁寧に、退路は塞がれちまってるがな」


 俺は、漆黒のコートのフードを目深に被り直すと、両手に、あのソニックパルストンファーを『創造』した。


「それに、こいつを倒さなきゃ、地上には戻れないんだろ? だったら、やることは一つだ」


 俺の言葉が終わるか終わらないかのうちに、キメラが動いた。


 巨体からは想像もつかない、滑るような、高速の動き。


 四本の腕のうち、二本が、俺に向かって、凄まじい速さで伸ばされる。その先端には、ドリルのように高速回転する、鋭い槍が装備されていた。


 速い!


 だが、今の俺には、止まって見える。


 俺は、最小限の動きで、その二本の槍をひらりとかわす。


 直後、キメラの肩に搭載された無数の砲門が、一斉に火を噴いた。


 シュゴゴゴゴゴ!


 小型のミサイルが、雨あられと、俺に向かって降り注ぐ。


「ちっ……!」


 俺は、舌打ちを一つすると、トンファーを床に叩きつけ、ソニックパルスを発生させた。


 だが、不可視の衝撃波は、ミサイル群に届く直前で、何かに阻まれるようにして、霧散してしまった。


『マスター! 対象は、周囲に不可視のエネルギーフィールドを展開しています! ソニックパルスは、無効化されました!』


「マジかよ!」


 回避が、間に合わない。


 俺は、とっさに両腕を交差させ、全身の防御に徹した。


 直後。


 ドドドドドドドドン!


 全身を、凄まじい爆発と衝撃が襲った。


 視界が、真っ白に染まる。全身の骨が、軋むような悲鳴を上げた。


 俺の身体は、まるで紙切れのように、数十メートル後方まで吹き飛ばされ、闘技場の壁に、強かに叩きつけられた。


「……ぐっ……はっ……!」


 背中から、肺の中の空気が、ごっそりと押し出される。


 俺が身に着けていた、ステルスコートのあちこちが焼け焦げ、破損している。内側に着込んでいたクリスタル・レザーアーマーも、いくつかの箇所に、深い亀裂が入っていた。


 もし、この二重の防御がなければ、俺は今頃、肉片すら残っていなかっただろう。


『マスター! 身体へのダメージ、37%! 戦闘の継続は危険です!』


「うるせえ……! まだ、やれる……!」


 俺は、壁に手をつき、ふらつく足で、ゆっくりと立ち上がった。


 キメラは、俺がまだ生きていることを確認すると、その単眼レンズを、さらに赤く、禍々しく輝かせた。


 今度は、胸部の中央にある、巨大なハッチが、ゆっくりと開いていく。


 その奥から、漏れ出してくるのは、全てを焼き尽くさんとする、凄まじい熱量と光。


『主砲、エネルギー充填、120%。発射します』


 施設の合成音声が、無慈悲に告げた。


「……やべえな、あれは」


 直感で、分かった。


 あれを食らえば、いくらレベル100の俺でも、今度こそ、塵も残らない。


 回避? 防御?


 そんな次元の話じゃない。


 どうする?


 どうすれば、あの絶望的な破壊の奔流を、凌げる?


 俺の脳が、今まで経験したことのない速度で、回転を始める。


 既存の武器じゃダメだ。トンファーも、ナイフも、あの巨体と、エネルギーフィールドの前では、おもちゃ同然だ。


 新しい何かを、創るしかない。


 あれを上回る、絶対的な何かを。


 その時、俺の頭の中に、エノクがダウンロードさせた、アトランティスの膨大な情報アーカイブ。その片隅にあった、一つの兵器の設計思想が、閃光のように蘇った。


 それは、あまりに理論が先行しすぎて、当時のアトランティスの技術力ですら、実現不可能とされた、机上の空論の兵器。


 だが。


「……いける」


 今の俺なら。


 この、『創造権能』があれば。


「エノク! 設計図を再構築! 理論兵器『G.O.D』! この場の物質だけで、創造可能な簡易バージョンでいい! 急げ!」


『……! 了解しました、マスター!再計算、開始! 3、2、1、完了! マスターの脳内に転送します!』


 初めて、エノクの声に、驚きとでも言うべき感情が、わずかに乗った気がした。


 直後、俺の頭の中に、常軌を逸した、あまりに複雑で巨大な兵器の設計図が、叩き込まれた。


 同時に、キメラの主砲の充填が完了する。


 単眼レンズの奥で、小さな太陽が生まれたかのような、凄まじい光が収束していく。


「――創造開始!」


 俺は、残りのMP、そのほとんどを、一気に引き出した。


 身体が、悲鳴を上げる。MPが枯渇していく、不快な感覚。


 だが構うものか!


 俺は、両手を天に向かって突き上げた。


 俺の呼びかけに応えるように、この闘技場の床が、壁が、天井が、バリバリと音を立てて、その姿を変えていく。


 闘技場を構成していた物質が、光の粒子となって、俺の両手の先に、渦を巻くように集まってくる。


 そして、それが、一つの形を成していく。


 全長、30メートル。


 キメラをも上回る、巨大な砲。


 それは、もはや兵器というよりも、神の裁きを執行するための祭具のようだった。


 砲身には、アトランティスのものとも違う、幾何学紋様が、青白い光を放ちながら無数に刻まれていく。


『主砲、発射』


 キメラの主砲から、純白の破壊の光が、一直線に俺に向かって放たれた。


 世界から、音が消える。


 空間そのものが、蒸発していくような、絶対的な破壊。


「――遅い」


 俺の目の前で、巨大な砲『G.O.D』の創造が、完了した。


 俺は、その砲のトリガーを、ただ、引いた。


 放たれたのは、光ではなかった。


 闇。


 全てを飲み込み、無に還す、球状の漆黒の闇。


 キメラが放った純白の光は、その小さな闇の球に触れた瞬間、何の抵抗もできずに、吸い込まれるようにして、消滅した。


 そして、闇の球は、その速度を緩めることなく、キメラ本体へと到達した。


 音はなかった。


 ただ、キメラの巨体が、まるで、黒い絵の具を染み込ませた紙のように、その存在の輪郭から、静かに消えていった。


 装甲も、内部構造も、動力炉も、何もかもが例外なく、『無』へと還っていく。


 数秒後。


 あれだけ圧倒的な存在感を放っていた巨神は、跡形もなく、この空間から完全に消え去っていた。


「……はぁ、はぁ、はぁ……」


 俺は、その場に、膝から崩れ落ちた。


 MPは、ほぼゼロ。ステータスを開くまでもない。身体が、スポンジのように空っぽだ。


 俺が創り出した巨大な砲も、その役目を終えたかのように、サラサラと光の粒子になって消えていく。


 後には、静寂だけが残された。


『……戦闘、終了。殲滅兵器キメラ、完全消滅を確認』


 施設の合成音声が、どこか、呆然とした響きで、結果を告げた。


『……信じられない。理論上の存在を、この場で即座に創造し、行使したというのか……』


 その声は、賞賛でも、驚愕でもなく、畏怖の色を、確かに含んでいた。


『……最終試験、合格。汝こそは、我らが待ち望んだ、真の『適合者』であると判定した』


 その言葉と共に、闘技場の奥、俺が立っている場所の、ちょうど反対側の壁が、ゆっくりと左右に開いていった。


 その向こうから、差し込んできたのは、地上の光。


「……終わった、か」


 俺は、ふらつく身体を、ゆっくりと立ち上がらせた。


 アトランティスの試練。


 なるほど、確かに上等なリハビリだった。


 おかげで、俺の力が、どこまで通用するのか、嫌というほど、よく分かった。


 俺は、開かれたゲートの向こう、地上へと続く、その道をまっすぐに見据えた。


 もう、何も俺を縛るものはない。


 俺は光の差す方へと歩き始めた。

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