第七話:スキルの応用と拠点創造
ダンジョンの通路を歩いていた俺は、これまでのことを思い返していた。
レベルが1から100へ。
HPとMPはそれぞれ100倍。
ステータスウィンドウに表示された、まるでバグったゲーム画面みたいな数字の羅列
身体の奥底から、以前とは比べ物にならないほどの力がみなぎっていた。
さっきまでの戦闘で消費したMPも、レベルアップと同時に全快したのか、全く減っていない。それどころか、最大値が500から50000というとんでもない桁数に膨れ上がっていた。
床に転がっていた金属の鎌を、トンファーで叩き割った時の、あのビスケットみたいに砕け散った感触が、まだ右腕に残っていた。
「……はっ」
乾いた笑いが、自然と口から漏れた。
Aランクのボス。
かつて俺をゴミのように捨てた『ブラッディ・ファング』の連中が、日当二千円の俺をこき使いながら、必死こいて挑んでいたのがそのランク帯の足元にも及ぼないDランク。
あの連中が束になっても勝てるかどうか分からない相手を、俺は今、たった一人で、しかも群れごとまとめて消し去った。
世界がひっくり返った、なんて陳腐な表現じゃ足りない。俺がいた世界と、今ここにいる俺の世界は、もう繋がってすらいないのかもしれない。
その時だった。
ぐぅぅぅぅううう……。
静まり返った通路に、やけに間抜けな音が響き渡った。
音の発生源は、俺の腹だ。
レベルアップによる万能感に浸っていた頭に、強烈な空腹感が、ハンマーで殴りつけられたかのように叩き込まれた。
そういえば、最後に何かを口にしたのはいつだったか。アパートを追い出される前だから、もう何日も前の話だ。
ギルドの床で飢え死にしかけていたところをあのクズどもに拾われ、それから口にしたのは、日当で買った、あの百円の菓子パンだけ。
身体が再定義されてから、空腹も喉の渇きも感じていなかったが、どうやらあれは非常事態で感覚が麻痺していただけらしい。
レベルアップで身体が正常化した途端、生命維持のための基本的な欲求が、一気に牙を剥いてきた。
「……腹、減ったな」
ぽつりと呟く。
『マスターの生体反応をスキャン。血糖値、及び体内の水分量が危険水域にあります。早急な栄養と水分の補給を推奨します』
傍らに浮かぶ光の球体、エノクが、いつもの平坦な声で分析結果を告げた。
「推奨されなくても、そうするさ。問題は、どうやって、だ」
あたりを見回す。
青白く光る石でできた、無機質な壁と床。モンスターは倒したが、食えそうな肉片一つ残っていない。あるのは、砕け散った金属の鎌の破片だけだ。さすがにこれを食う気にはなれない。
『マスター。忘れたのですか? あなたには『創造権能』があります』
「創造……? ああ、そうか」
武器や防具を創れるんだ。食い物だって、創れないはずがない。
俺の思考は、今まで戦闘と生存にしか向いていなかった。だが、エノクの言葉で、このスキルの可能性が、一気に広がった気がした。
「よし。まずは水だ。喉がカラカラで、砂漠みたいになってる」
俺はそう言うと、右の手のひらを上に向けて、カップのような形を作った。
イメージするのは、ただの『水』。
冷たくて、澄み切った、綺麗な水。
この空間に存在する元素……空気中の水素と酸素の『情報』を読み取り、それを『H2O』という分子構造の『情報』に書き換える。
頭の中でそのプロセスを組み立てると、体内のMPがほんのわずかに、チリっと消費される感覚があった。
すると、俺が作った手のひらのカップの中に、何もない空間から、ぷくりと水滴が生まれ、それがみるみるうちに量を増していく。
数秒後には、俺の手のひらは、満々と湛えられた透明な液体でいっぱいになっていた。
「……おお」
思わず声が出た。
俺は、こぼさないように、そっとその水を口に運ぶ。
ひんやりとした液体が、乾ききった喉を潤していく。水道水のようなカルキ臭さも、鉄錆びの味も全くない。ただ、純粋な『水』の味がした。こんなにうまい水を飲んだのは、人生で初めてかもしれない。
俺は、夢中で手のひらの水を飲み干し、また新しく創り出しては飲む、という作業を何度か繰り返した。
「……ぷはっ。生き返った」
ようやく喉の渇きが癒え、俺は大きく息をついた。たかが水を飲んだだけなのに、全身の細胞が喜んでいるのが分かる。
『水分補給、完了。次に、固形物による栄養摂取が必要です。マスター、何か食べたいものはありますか? 具体的なイメージがあった方が、創造の精度が向上します』
「食べたいもの、か……」
エノクの問いに、俺は少し考え込んだ。
最後に食べた、あの人工的な甘さの菓子パンが頭をよぎり、すぐにそれを打ち消した。あんな貧相なモノはもう二度と食いたくない。
では、何が食べたい?
ブラック企業に勤めていた頃。深夜までの残業を終え、終電でアパートに帰り着く。疲れ果てて何も作る気力もない俺が、自分への唯一のご褒美として、たまに買っていたもの。
そうだ。コンビニのカツ丼だ。
少し冷めて、衣がべちゃっとしているけれど、あの甘じょっぱい出汁が染みた米と、脂っこい豚肉の味は、すり減った心に唯一残った、ささやかな贅沢だった。
「……カツ丼、食いたいな」
『カツドン。検索……完了。あなた方の文明における、米、豚肉、鶏卵を主原料とした料理ですね。構成は複雑ですが、再現は可能です。創造しますか?』
「ああ、頼む。最高のやつを」
『了解しました。では、マスターの記憶情報をベースに、理想的な『カツ丼』の設計データを構築します。周辺物質から、炭素、水素、窒素、各種ミネラルを再構成。タンパク質の再合成、及び糖質の生成を開始……』
エノクが早口で何か専門用語を並べている間に、俺は両手を皿のようにして、目の前に構えた。
頭の中に、湯気の立つ、出来立てのカツ丼のイメージを鮮明に思い浮かべる。
ふっくらと炊き上がった白いご飯。その上に乗った、黄金色の衣をまとった分厚い豚カツ。それを優しくとじる、半熟のとろりとした卵。甘じょっぱい香りを漂わせる、玉ねぎと出汁。
ぐぅぅぅ、と腹が、期待に満ちた音を立てる。
目の前の空間に、まず陶器でできた丼が形を成し、次に、その中に真っ白なご飯がふわりと盛られていく。そして、調理工程をすっ飛ばして、完成されたカツとじが、ご飯の上に、とぷん、と乗せられた。
一連の創造にかかった時間は、およそ10秒。
俺の手の中には、湯気を立てる、完璧なカツ丼が収まっていた。
割り箸も、ちゃんと添えられている。
「……すげえ」
俺は、ごくりと喉を鳴らした。
甘い出汁の香りが、鼻腔をくすぐる。こんなちゃんとした飯の匂いを嗅ぐのは、一体何か月ぶりだろうか。
俺は、創造された割り箸をパチンと割り、まずは分厚いカツを一切れ、つまみ上げた。
衣に出汁が染みて、キラキラと光っている。
一口、かぶりつく。
「……!」
サクッ、という小気味よい衣の歯触り。直後、じゅわっと豚の脂の甘みと、肉の旨味が口いっぱいに広がった。コンビニの冷めたカツ丼とは、根本的にすべてが違う。
これは、老舗の専門店で出てくるレベルの味だ。
俺は、夢中でカツを咀嚼し、すぐさまご飯をかき込んだ。出汁が染みたご飯と、とろとろの卵、シャキシャキ感の残った玉ねぎが、口の中で最高のハーモニーを奏でる。
うまい。
うますぎる。
ただ、ひたすらに、うまい。
もう、言葉なんていらなかった。俺は、周りのことなど何も気にせず、ガツガツと丼に顔をうずめるようにして、カツ丼を食べ進めた。
温かい食事が、冷え切っていた胃の中に収まっていく。その熱が、じんわりと全身に広がっていくようだった。
数分後。
丼の中は、米粒一つ残さず、空っぽになっていた。
「……はぁー……。ごちそうさま」
俺は、満足のため息をついた。空腹が満たされただけでなく、ささくれ立っていた心が、少しだけ丸くなったような気がした。
ブラック企業で心を殺し、探索者になってからは尊厳を奪われ、俺は自分が人間だということを、忘れかけていたのかもしれない。
温かい飯を食って、「うまい」と感じる。
そんな当たり前のことが、今は、とてつもなく幸せなことに思えた。
不意に、目頭がツンと熱くなった。
俺は、慌ててそれを誤魔化すように、丼をその場に『消滅』させた。
「……さて、と」
俺は立ち上がった。
腹が満たされたら、次に襲ってきたのは、強烈な眠気だった。
考えてみれば、ここ数か月、まともにベッドで寝た記憶がない。ブラック企業では仮眠室の固いソファ、会社が倒産してからは安アパートのギシギシ鳴るベッド、そして『ブラッディ・ファング』に拾われてからは、ダンジョンの冷たい岩の上で、常に襲撃に怯えながら浅い眠りを貪るだけだった。
「エノク。安全に眠れる場所が欲しい。ここを、拠点にできないか?」
俺が指さしたのは、クリスタル・ウルフと最初に戦った、あのドーム状の広間だった。あそこなら、通路よりも広くて、見通しもいい。
『可能です、マスター。この最下層の構造は、極めて安定した物質で構成されています。一部を改変しても、全体の構造に影響はありません。どのような居住空間をご希望ですか?』
「希望か……。そうだな」
俺は、腕を組んで少し考える。
「まず、ふかふかのベッド。キングサイズのやつだ。それから、温かいシャワー。あとは、簡単なキッチンと、明るい照明。床がこのままじゃ冷たいから、何か敷きたいな。そうだ、壁もこのままだと落ち着かないから、色を変えたい」
次から次へと、欲求が溢れ出してくる。
『了解しました。それらの要求を全て満たし、かつ、この環境下で半永久的に機能する、最適な居住ユニットの設計図を構築します。エネルギー源には、先ほど討伐したシャドウ・スティンガーのドロップアイテムである『シャドウ・コア』を再利用した、魔力発電機を推奨します』
「魔力発電機? そんなものまで創れるのか?」
『理論上は可能です。マスターの『創造権能』と、私の持つアトランティスの技術情報を組み合わせれば、現代文明の産物よりも遥かに高効率なシステムを構築できます』
話が、どんどんデカくなっていく。
だが、もう俺は驚かなかった。こいつと俺のスキルが組めば、不可能なことなんて、ないのかもしれない。
「面白い。やってみよう」
俺たちは、ドーム状の広間へと戻った。
広さはおよそ、学校の体育館の半分くらいか。天井が高く、声がよく反響する。
まずは、このだだっ広い空間に、プライベートなエリアを作ることから始めた。
「よし、エノク。あの壁、奥に10メートルほどくり抜いて、部屋を作る。広さは20畳くらいでいい」
『了解。空間情報の書き換えを開始します』
俺は、広間の壁の一点に手をかざし、強く念じた。
すると、硬いはずの石の壁が、まるで粘土のように、ぐにゃりと歪み始めた。そして、ずるずると音を立てながら、壁の奥へと空間が押し広げられていく。
ものの数十秒で、そこには、設計図通りの、長方形の部屋が出現していた。
「すげえ……。これ、完全に土木工事だな」
武器や防具を創るのとは、またスケールが違う。まさに『空間創造』だ。
『次に、内装の創造へ移行します。床材、壁材の情報を指定してください』
「床は、木がいい。温かみのあるやつだ。壁は、白で」
俺がそうイメージすると、殺風景だった石の床と壁が、みるみるうちに姿を変えていった。床には美しい木目のフローリングが敷き詰められ、壁は清潔感のある白い壁紙に覆われる。
「次は、家具だ。一番重要な、ベッド!」
部屋の中央に、巨大なキングサイズのベッドを『創造』する。フレームは頑丈な木製。マットレスは、高級ホテルにあるような、身体が沈み込むほど柔らかいやつだ。枕と、ふかふかの羽毛布団も忘れない。
続いて、シャワールーム。
壁際に、ガラス張りのモダンなシャワーユニットを創り出す。もちろん、お湯が出るように、魔力式の給湯システムも内部に組み込んだ。
簡単なキッチンには、シンクと、火を使わないIHコンロのような魔力調理器を設置。冷蔵庫も創っておこう。中身は、とりあえず冷たい水で満たしておく。
最後に、照明だ。天井に、太陽光に近い、目に優しい光を放つプレートを埋め込む。
「……できた」
目の前に広がる光景に、俺は満足のため息をついた。
そこは、もはやダンジョンの中とは思えない、都心の高級マンションの一室のような、完璧なプライベート空間だった。
『素晴らしい出来栄えです、マスター。居住ユニット、第一段階、完成です』
「ああ。これなら、安心して眠れそうだ」
俺は、さっそく創造したばかりのシャワーを試すことにした。
服を脱ぎ捨て、ガラスのドアを開ける。ノブをひねると、ザァーっと心地よい音を立てて、温かいお湯が流れ出してきた。
数か月ぶりに浴びる、温かいシャワー。
身体にこびりついた汚れと一緒に、心の澱のようなものまで、洗い流されていく気がした。ブラック企業の垢も、『ブラッディ・ファング』の泥も、全て。
シャワーを終え、創造したふかふかのタオルで身体を拭くと、俺は、まっすぐにキングサイズのベッドへと向かった。
そして、その中心に、どさりと身体を投げ出す。
「……はぁ……」
背中が、柔らかなマットレスに、ゆっくりと沈み込んでいく。
硬い岩の上でも、ギシギシ鳴る安物のベッドでもない。俺が、俺だけのために創り出した、最高の寝床。
天井の優しい光が、ゆっくりと眠気を誘う。
食うものには困らない。寝る場所も、安全で快適だ。モンスターの脅威も、今の俺の力と、この要塞化した拠点の前では、もはや問題にすらならないだろう。
この最下層は、俺にとって危険な場所なんかじゃなかった。
ここは、安全で、資源も無限にあって、誰にも邪魔されない、俺だけの聖域、『俺だけの領域』だ。
じわじわと、心が安らぎで満たされていく。
本当に、何年ぶりだろうか。こんなに、穏やかな気持ちで眠りにつけるのは。
この力があれば、もう誰にも搾取されることはない。
誰かに頭を下げる必要もない。
俺は、俺のルールで生きていける。
意識が、ゆっくりと闇に溶けていく直前。
ふと思った。
この生活を、ずっと続けるために。
地上に戻って、本当の自由を手に入れるために。
次に、俺がすべきことは、何だろうか?
その問いへの答えを探す前に、俺の意識は、深く、心地よい眠りの底へと落ちていった。
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