第六話:経験値とレベルアップ

 俺は、目の前に散らばる青白い水晶の欠片を、無心でかき集めていた。

 狼の身体を構成していたそれは、一つ一つが不揃いな形をしているくせに、どれもナイフの刃のように鋭利な断面を持っている。素手で触れば、簡単に皮膚が切れそうだ。だが、覚醒した俺の身体は、そんなガラスの破片のようなものを握りしめても、傷一つ付かなかった。


「こいつで、新しい鎧を創る……」


 俺がそう呟くと、傍らに浮かぶエノクが即座に応じた。


『はい、マスター。先ほど創造した革鎧をベースに、これらの水晶片を装甲として付加します。これにより、防御力は少なくとも5倍以上に向上すると予測されます』


「5倍か。そいつは頼もしいな」


『ただ、単に貼り付けるだけでは不十分です。最適な強度と機能性を実現するため、新たな設計図を構築しました。ご確認ください』


 エノクはそう言うと、俺の目の前に、再び精密な三次元設計図を投影した。

 そこに映し出されていたのは、先ほどの革鎧のデザインを継承しつつも、より洗練され、戦闘的に進化した鎧の姿だった。胸部、肩、前腕といった重要な部分が、まるで生物の甲殻のように、流線形の青白い水晶装甲で覆われている。それは、ただの継ぎ接ぎではない。革の繊維の隙間に、粉末状にした水晶を分子レベルで融合させ、一体化させるという、とんでもない加工法が示されていた。


「……なるほどな。革の柔軟性と、水晶の硬度。その両方を活かすってわけか」


『ご明察です。さらに、クリスタル・ウルフから採取した魔石を動力源として組み込むことで、鎧に魔力抵抗の機能を付与することも可能です。これにより、魔法的な攻撃に対しても、高い防御性能を発揮します』


 設計図には、胸の中心にあの赤い魔石を埋め込むための、ソケットのような部分もデザインされていた。

 素材を現地調達し、その特性を最大限に引き出す。この効率の良さ、合理性の塊のような発想は、まさに俺好みだった。


「よし、やろう。消費MPは、どれくらいだ?」


『鎧の再構築と機能付与で、およそ80。現在のマスターの残りMPは5000ですので、問題なく実行可能です』


「了解した」


 俺は、集めた水晶の欠片と、赤い魔石を足元に置くと、再び創造のイメージに意識を集中させた。

 今度は、ゼロから創るのではない。既存の物質を、より高次の存在へと『進化』させる。

 俺は身に着けていた革鎧を脱ぎ、目の前の空間に浮かべた。そして、足元の水晶の山に手をかざす。


「――分解」


 俺がそう念じると、硬い水晶の欠片が、フワリと宙に浮き上がった。そして、まるで砂糖菓子が水に溶けるように、サラサラと音を立てながら、青白い光の粒子へと変わっていく。

 次に、その光の粒子を、浮かべた革鎧へと導く。


「――融合」


 光の粒子が、革鎧に吸い込まれるように浸透していく。黒い革の表面が、内側から発光するような、淡い青白い輝きを帯び始めた。ジジジ、と微かな放電のような音が、空間に満ちる。

 最後に、赤い魔石を胸の中心へと。


「――定着」


 カチリ、とパズルのピースがはまるような小気味よい音を立てて、魔石が鎧の胸部に収まった。すると、魔石から血脈のように赤い光のラインが鎧全体に走り、やがて静かに消えていった。


 一連の工程は、わずか数十秒。

 全ての変化が終わった時、そこにあったのは、もはやただの革鎧ではなかった。

 黒を基調としながらも、光の角度によって青白くきらめく、精悍なデザインの軽鎧。それは、まるで深海に差し込む月明かりをそのまま切り取って固めたかのような、神秘的な美しさすら湛えていた。


「……すごいな」


 俺は、完成した『クリスタル・レザーアーマー』を手に取った 。見た目に反して、驚くほど軽い。だが、指で装甲部分を叩いてみると、コンコン、と鋼鉄を叩いたかのような硬い音がした。

 早速、身に着けてみる。先ほどと同様、身体に吸い付くようにフィットする。だが、その内側から伝わってくる安心感は、段違いだった。まるで、透明な要塞にでも入ったような、絶対的な守りの感覚。


『素晴らしい仕上がりです、マスター。これならば、この階層のほとんどのモンスターの物理攻撃を、無効化できるでしょう』


「ああ。これなら、どこから襲われても問題なさそうだ」


 俺は、満足げに頷くと、通路の奥へと視線を向けた。

 クリスタル・ウルフが、ここから現れた。つまり、この先には、他のモンスターがいる可能性が高い。


「行くか」


『はい。ですが、警戒は怠らないでください。この最下層の生態系は、まだ未解明な部分が多く存在します』


「分かってるよ」


 俺はナイフを手に、慎重に一歩を踏み出した。

 通路は、最初にいたドーム状の広間と同じ、青白い発光石でできていた。道幅は三人ほどが並んで歩けるくらいで、天井も高い。数メートルおきに、壁に同じ幾何学紋様が刻まれているのが、どこか人工的な印象を強めていた。

 しんと静まり返った通路に、俺の足音だけが響く。覚醒した聴覚が、反響音から、この通路がかなり奥まで続いていることを教えてくれた。


 しばらく進んだところで、不意に空気が変わった。

 ひんやりとしていた空気に、わずかに生臭いような、澱んだ匂いが混じり始めた。


『マスター、前方に複数の魔力反応。数は、およそ15』


 エノクの警告と、俺が異変に気づいたのは、ほぼ同時だった。

 俺は、その場で足を止め、ナイフを構える。

 通路の先、暗がりの向こうから、何かがこちらへ向かってきている。

 カサカサ、カサカサ……。

 無数の虫が床を這うような、不快な音。


 やがて、その正体が、暗がりから姿を現した。


「……なんだ、あれは」


 それは、全長50センチほどの、カマキリに似たモンスターだった 。

 だが、その身体は、昆虫のような外骨格ではなく、揺らめく黒い影のようなもので構成されている 。実体があるのかないのか、判然としない。その影の中から、不気味な複眼だけが、ギラリと赤紫色の光を放っていた。そして、最大の特徴は、両腕に備わった、剃刀のように鋭い鎌だ。それは影ではなく、紛れもない実体を持った、鈍い金属光沢を放っていた。

 そいつらが、壁や天井を縦横無尽に這い回りながら、凄まじい速さでこちらに迫ってきていた。


『対象は『シャドウ・スティンガー』。半実体化した身体を持ち、物理的な補足が困難な厄介な相手です。両腕の鎌には、麻痺性の毒があります』


「半実体化……? つまり、ナイフじゃ斬れないってことか?」


『その通りです。通常の斬撃では、ダメージをほとんど与えられません』


 エノクがそう分析した直後。

 先頭を走っていた一体が、ビュン、と空気を切り払う音を立てて、俺の顔めがけて飛びかかってきた。


 速い!


 俺は、とっさに左腕を上げて、顔面をガードする。

 ガキンッ!

 硬い金属音と共に、腕に鋭い衝撃が走った。

 見れば、俺の左腕のクリスタル装甲に、シャドウ・スティンガーの鎌が深々と突き刺さっていた。もし、この鎧がなければ、俺の腕は今頃、骨まで断たれていたかもしれない。


「ちっ……!」


 俺は、腕に突き刺さったスティンガーを、力任せに振り払う。

 だが、その一体を振り払っている隙に、後続の群れが、一斉に俺に襲いかかってきた。壁から、天井から、あらゆる角度から、無数の鎌が迫る。


 ガギン、ガギン、ガギンッ!


 全身を、嵐のような連続攻撃が襲う。

 クリスタル・レザーアーマーの装甲が、火花を散らしながら、その猛攻をことごとく弾き返していく。頑丈な鎧のおかげで、ダメージは全くない。

 ないが、これではジリ貧だ。

 相手は半実体。こちらの攻撃は通じない。だが、相手の鎌は、紛れもない本物だ。いくら鎧が硬いとはいえ、いつまでもつか分からない。


「エノク! 弱点はあるのか!」


 俺は、四方八方から打ち付けられる衝撃に耐えながら叫んだ。


『解析、完了。シャドウ・スティンガーの弱点は、その不安定な身体構造そのものです。特定の周波数を持つ広範囲への音波攻撃により、その半実体化した身体の構造を維持できなくなり、自壊します』


「音波攻撃……!」


 なるほどな。クリスタル・ウルフが振動に弱かったように、こいつらは音に弱いのか。

 だが、どうやってそんなものを……。


「……いや、できるな」


 俺の頭に、一つの武器のイメージが、瞬時に閃いた。

 ナイフじゃダメだ。剣でも、槍でもない。

 必要なのは、『面』で制圧する、打撃武器。


「エノク、設計を頼む! 金属製のトンファーだ。内部に、クリスタル・ウルフの魔石を組み込んで、衝撃を与えた瞬間に、指定した周波数のソニックパルスを放出する機能を付けろ!」


『――了解。設計図、構築開始。……3、2、1、完了。マスターの脳内に、直接転送します』


 エノクの返答と同時に、俺の頭の中に、完璧な設計図が流れ込んできた。

 これだ!

 俺は、襲い来るスティンガーの群れを強引に突き飛ばし、数メートル後方へ跳んで距離を取った。


「創造する時間くらいは、稼いでもらうぜ!」


 俺は、両手を再び胸の前に構えた。

 今度は、戦闘の真っ最中だ。集中力が、先ほどとは比べ物にならないレベルで要求される。

 頭の中に、トンファーのイメージを叩き込む。

 全長約50センチ。材質は、ナイフと同じ特殊な炭素鋼。グリップ部分には、魔石を埋め込むためのシリンダー構造。そして、打撃の衝撃を魔力に変換し、ソニックパルスとして放出するための超小型変換回路。


 体内のMPが、ごっそりと持っていかれる。

 だが、構うものか!

 目の前で、光の粒子が渦を巻き、二対の金属塊へと姿を変えていく。

 創造にかかった時間は、わずか5秒。


 カキン、という硬質な音と共に、俺の両手に、ずっしりとした重み、そこには漆黒のトンファーが握られていた。


「よし……!」


 ちょうどその時、体勢を立て直したシャドウ・スティンガーの群れが、再び俺へと殺到してくるところだった。


「もう、お前らの好きにはさせねえよ」


 俺は、トンファーを回転させ、しっかりと構え直した。

 そして、迫りくる群れの先頭、そのど真ん中の空間――何もない床に向かって、右手のトンファーを、力一杯叩きつけた。


 ゴォンッ!


 腹の底に響くような、重い衝撃音。

 直後、トンファーが叩きつけられた床を中心に、目には見えない力の波紋が、同心円状に、凄まじい速さで広がっていくのが分かった。


 そして。


 キシャアアアアアアア!?


 ソニックパルスの波に飲み込まれたシャドウ・スティンガーたちが、一斉に、金切り声のような悲鳴を上げた。

 揺らめいていた影の身体が、テレビの砂嵐のように、激しくノイズを走らせる。

 そして、次の瞬間には、まるで陽炎のように、シュワシュワと音を立てながら、一体、また一体と、黒い塵になって消滅していった。


 それは、もはや戦闘と呼べるようなものではなかった。

 強力な殺虫剤を撒かれた、害虫駆除。

 わずか数秒で、あれだけいた15体のシャドウ・スティンガーは、一匹残らず、この世から消え去っていた。


「……はっ。マジかよ」


 あまりの威力に、俺自身が、呆気にとられてしまう。

 後には、静寂と、床に落ちた15本の金属の鎌だけが残されていた。


 その時、俺の視界に、半透明のウィンドウが、滝のように連続で表示された。


『シャドウ・スティンガーを討伐しました。経験値10000を獲得』

『シャドウ・スティンガーを討伐しました。経験値10000を獲得』

『シャドウ・スティンガーを討伐しました。経験値10000を獲得』


 ……

 ……


 そして、最後に、ひときわ大きなウィンドウが現れた。


『累計経験値が規定値に達しました。レベルが10から100に上がりました!』


「……は?」


 レベルが、10から、100?

 一気に、90も上がったのか?

 俺は、慌てて自分のステータスを確認する。


 ====================

 名前:ヨシダ リュウ

 レベル:100

 HP:15000/15000

 MP:50000/50000

 スキル:創造権能

 ====================


 HPとMPの桁が、さらに跳ね上がっていた 。

 身体の奥底から、新たな力が、泉のように湧き上がってくるのが分かる。さっきまでの戦闘で消費したMPも、全回復している。


「おい、エノク……。こいつら、一体何だったんだ? 経験値10000って……」


 ゴブリンが、一体倒して経験値5とか10の世界だ。桁が、違いすぎる。


『シャドウ・スティンガーは、一体一体の戦闘能力は低いですが、その特殊な性質上、あなた方の文明ではAランクダンジョンのボスに匹敵する討伐難易度と判定されます 。この最下層のモンスターは、あなた方の文明の常識では測れません。リスクが高い分、リターンもまた、絶大なのです』


 Aランクのボス……。

 そんなやつらを、俺は今、群れごと一瞬で……。


 ぞくり、と背筋に何かが走った。

 それは、恐怖ではない。


 歓喜だ。


 この場所の、異常なまでの成長効率。

 エノクの完璧な分析能力。

 そして、どんな状況にも対応できる、俺の『創造権能』。

 この三つが揃えば、俺は、どこまでだって強くなれる。


 かつて、俺をゴミのように扱った連中が、必死こいてDランクの依頼にしがみついていた頃。

 俺は、そのボスに匹敵するモンスターを、遊び感覚で狩り、一瞬でレベルを100まで上げた。


 世界が、ひっくり返るような感覚。

 これまで俺を縛り付けていた、社会の常識や、他人の評価。そんなものが、いかにちっぽけで、無価値なものであったか。


 俺は、まだ両手に握られている漆黒のトンファーに目をやった。戦闘の最中、わずか数秒でイメージから創り出した、俺だけの武器。ひんやりとした金属の感触と、ずっしりとした質量が、この力が夢ではない現実なのだと告げている。グリップの内側では、動力源として組み込んだ魔石が、静かな鼓動のように微かに振動していた。


 ふと、足元に転がっていた金属の鎌が目に入る。シャドウ・スティンガーたちが消滅した後に唯一残された、奴らの牙。ついさっきまで、俺の命を脅かしていた紛れもない脅威の残骸だ。

 俺は無言でそれを一つ拾い上げ、左手で掲げる。そして、右手のトンファーを、何の感慨もなく、ただの確認作業のように振り下ろした。


 キィン!という甲高い衝突音。


 次の瞬間、頑丈そうに見えた金属の鎌は、まるでガラス細工のようにあっけなく砕け散り、キラキラと光る破片となって床に散らばった。レベル100の俺の腕力と、この特注の武器の前では、Aランクボスの牙も、ビスケットほどの硬さもなかった。


「……面白い」


 俺は、トンファーを構え直すと、通路のさらに奥へと、迷いなく足を踏み出した。

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