第四話:『創造権能』の覚醒
意識がゆっくりと戻ってきていた。
俺の口からは、僅かに空気の音が漏れ出てきている。
ああ、俺が最後に感じたのは、頭蓋骨の内側で嵐が吹き荒れるような、凄まじい情報の奔流だった。それによって、俺という存在が一度粉々に砕かれ、全く新しい形に組み直されたような、そんな暴力的な再構築の感覚。
「……っ」
ゆっくりと瞼を持ち上げる。
視界に映ったのは、先ほどと変わらない、淡い光を放つ青白い石造りの天井。そして、俺の顔を覗き込むように静止している光の球体――エノク。
どうやら俺は、また気絶していたらしい。
いったいどれくらいの時間、意識を飛ばしていたのだろうか。
『おはようございます、マスター』
エノクの感情の温度が全く感じられない合成音声が、静かな空間に響く。
「……ここは、天国か地獄か?」
俺は、寝ぼけた頭でそんなことを口走っていた。全身がまだ、微かに痺れている。
『いいえ。マスター、ここはダンジョンの最下層です』
「ます、たー……」
その言葉を、俺は乾いた唇の上で繰り返した。
そのとき、身体を起こそうとして、ある違和感に気づいた。
身体が羽のように軽いのだ。
あれだけ感じていた疲労感や、突き飛ばされた時の打撲の痛みが、嘘のように消え去っている。それどころか、今まで常に身体にまとわりついていた、鉛のような倦怠感そのものが、きれいさっぱり洗い流されていた。ブラック企業で働き始めてから、一度も感じたことのない、驚くほどの快調さだった。
それだけじゃない。
世界が、昨日までとは全く違って見えた。
視界が、異常なまでにクリアだ。遠くの壁に刻まれた微細な幾何学紋様も、空気中を漂う小さな塵の動きさえも、くっきりと認識できる。耳もそうだ。自分の呼吸の音、衣擦れの音、そしてエノクが発する微かな駆動音のようなものまで、一つ一つが分離して聞こえてくる。
五感が、まるで高性能なセンサーに置き換えられたかのようだ。
「……何をした?」
俺は、目の前の光球を睨みつけるようにして尋ねた。
『あなたという存在の再定義。及び、覚醒に伴う身体能力の最適化を行いました。マスターのスキル『創造権能』は、脳に多大な負荷をかけます。その負荷に耐えうるよう、あなたの肉体を根本から作り変えたのです』
「作り変えた、だと……?」
まるでパソコンのパーツでも交換するような、軽い口調でとんでもないことを言う。
『はい。具体的には、細胞レベルでの活性化、神経伝達速度の向上、魔力循環効率の最大化などです。現在のマスターの身体能力は、オリンピック選手を遥かに凌駕することでしょう』
「……」
もはや、開いた口が塞がらない。
俺は自分の両手を見つめた。どこにでもいる、平凡な男の手だ。だが、その内側では、俺の知らない何かが起きている。力が、みなぎってくるのが分かる。空腹も、喉の渇きも感じない。あるのは、静かで力強い、万能感にも似た不思議な感覚だけだった。
「『創造権能』……。俺のスキルは、本当にそんなものに変わったのか?」
まだ、信じられなかった。アイテムボックスというハズレスキルが、そんな大層なものに変化するなど、都合の良すぎる夢としか思えない。
『疑うのも無理はありません。ですが、それは紛れもない事実です。マスター、まずはご自身の『ステータス』を確認してみてください。頭の中で、強く念じるだけで結構です』
ステータス?
ゲームじゃあるまいし。
俺は内心で毒づきながらも、言われた通りに、『ステータス』と頭の中で強く念じてみた。
すると。
俺の目の前の空間に、半透明の青いウィンドウが、すっと音もなく現れた。
「うおっ!?」
思わず、のけぞってしまう。なんだこれは。
ウィンドウには、いくつかの項目が整然と並べられていた。
====================
名前:ヨシダ リュウ
レベル:1
HP:150/150
MP:500/500
スキル:創造権能
====================
他の項目はともかく、俺はスキル欄に表示されたその四文字に、釘付けになった。
『創造権能』
間違いない。エノクの言った通りだ。
あれだけ俺を苦しめた『アイテムボックス』の文字は、どこにもない。
「……マジか」
『ご理解いただけましたか? それが、あなたの本来の力です』
エノクは、俺の驚きなど意に介さない様子で、淡々と続けた。
『では、次に、その力のほんの入り口を体験していただきましょう。マスター、その右の手のひらを上に向けてください』
俺は、言われるがまま、ゆっくりと右手を差し出した。
『そして、頭の中で、強くイメージするのです。あなたの手のひらの上に、ただの石ころが一つ、乗っているところを』
石ころ?
そんなものをイメージして、どうなるというんだ。
俺はまたしても半信半疑だった。だが、もうここまで来たら、こいつの言う通りにしてみるしかない。
俺は目を閉じ、意識を集中させた。
手のひらの上に、石ころが一つ。
道端に転がっているような、ごく普通のでこぼこした灰色の石。大きさは、親指の先くらい。重さは、数グラム。ひんやりとした、あの独特の感触。
そのイメージが、頭の中でくっきりと形を結んだ。
その瞬間。
手のひらの上に、ぽす、と軽い感触があった。
「……え?」
恐る恐る目を開ける。
そして、俺は息を止めた。
俺の右の手のひらの上に、確かに、一個の石ころが乗っていた。
今、俺が頭の中で思い描いたのと、寸分違わぬ形の灰色の石ころが。
「な……」
声が出ない。
指でそっと触れてみる。硬い。冷たい。紛れもない、本物の石だ。
俺は、その石ころを掴むと、近くの壁に向かって思い切り投げつけた。カツン、と乾いた音がして、石は床に転がった。
夢じゃない。
幻でもない。
本当に、石が現れた。
何もない空間から。俺の手のひらの上に。
「……どうなってやがる」
俺は、自分の手のひらと、床に転がった石ころを、何度も見比べた。理解が、全く追いつかない。
『素晴らしい。初回にしては、完璧なイメージの具現化です』
エノクが、どこか満足げに言った。初めて、その声にわずかな感情のようなものが乗った気がした。
「具現化、だと? まさか、これは魔法か何かか? 無から物を生み出したっていうのか?」
『いいえ、違います。マスター、あなたは『無』から何かを創り出したのではありません』
「じゃあ、この石はどこから来たんだよ!」
『あなたの周囲に存在する物質――この空間の床や壁、そして空気中に存在するケイ素や酸素といった元素。それらの『情報』を、あなたのスキルが一時的に『石』という物質の『情報』に書き換えたのです。そして、それらを再構築し、あなたの手のひらに転移させた。それが、『創造権能』の基本原理です』
情報の書き換え……?
エノクの言葉は、まるでSF映画のセリフのようだった。
だが、その突拍子もない説明は、不思議と俺の頭の中にすんなりと収まっていった。覚醒の際に流れ込んできた、膨大な知識の断片が、エノクの言葉を補完していく。
そうだ。この世界の全ての物質は、元をたどれば同じ元素の組み合わせでできている。その組み合わせの『設計図』ともいえる情報を書き換えることができれば、理屈の上では、どんな物質でも創り出せるはずだ。
鉄を金に変える錬金術なんて、子供の遊びだ。空気からパンを、石から水を、理論上は可能なはず。
『あなたのスキル『アイテムボックス』は、この『創造権能』、その極めて不完全な発現形態でした。あれは、対象の『空間座標』という情報を書き換えることで、アイテムを異空間に転移させていただけに過ぎません。しかし、覚醒した今、あなたは座標だけでなく、物質そのものの構成情報にまで干渉できるようになったのです』
「……つまり、俺は、何でも創り出せるってことか?」
『理論上は、そうなります。ただし、それには二つの条件があります』
エノクは、俺の質問に間髪入れずに答えた。
『一つは、マスター自身の『理解』です。創り出したいものの構造、材質、機能を、あなたがどれだけ正確に理解し、イメージできるか。例えば、ただのナイフを創るのと、スマートフォンを創るのとでは、必要とされる情報の密度が全く異なります』
「なるほどな……。複雑なものほど、創るのが難しい、と」
『その通りです。そして、もう一つの条件は、『コスト』です』
「コスト?」
『はい。事象の書き換えには、相応のエネルギーを消費します。それが、あなたのステータスに表示されていた『MP』、すなわちメンタルポイントです。先ほどの石ころの創造では、あなたのMPを0.01ほど消費しました』
俺は、もう一度ステータスウィンドウを呼び出した。
MPの項目が、『499.99/500』になっている。確かに、わずかに消費されている。
「このMPがゼロになったら、どうなる?」
『スキルが使用不能になります。MPは時間経過、あるいは特定のアイテムの摂取によって回復しますが、枯渇した状態での無理な使用は、精神に深刻なダメージを与える可能性がありますので、お勧めしません』
なるほどな。
万能に見えて、ちゃんと制約はある、というわけか。
まあ、それでも、とんでもない力であることに変わりはないが。
俺は、ゆっくりと立ち上がった。
床に転がっていた、俺が最初に『創造』した石ころを拾い上げる。
ずっしりとした、現実の重み。
この力があれば。
この常識を根底から覆すような力があれば。
俺は、ここで生き残れるかもしれない。
いや、生き残るだけじゃない。
誰にも縛られず、誰にも搾取されず、自分の力だけで、自由に生きていけるかもしれない。
ブラック企業の上司も、俺を裏切った『ブラッディ・ファング』の連中も、もう俺の人生に関わることはない。俺が、関わらせないと決めれば、それで終わりだ。
じわじわと、腹の底から熱いものがこみ上げてくる。
それは、怒りでも、喜びでもない。もっと静かで、それでいて確かな意思のようなものだった。
灰色一色だった俺の世界に、色が戻ってきたような気がした。
「……よし」
俺は、拾った石ころを強く握りしめた。
「やることが見えてきた」
俺の言葉に、エノクが応じる。
『ご理解が早くて助かります、マスター。では、早速ですが、この最下層で生き抜くための、最初のチュートリアルを始めましょう』
「チュートリアル?」
『はい。ここは、あなたがこれまで経験したダンジョンとは、比較にならないほど危険な場所です。強力なモンスターが多数徘徊しています。まずは、あなた自身の身を守るための装備を、『創造』することから始めます』
「装備、か。なるほどな」
今の俺は、薄汚れた普段着一枚だ。丸腰でモンスターに遭遇すれば、いくら身体能力が上がったとはいえ、一瞬で引き裂かれるのがオチだろう。
「具体的には、何を創ればいい?」
『最適なプランを提示します。まず、武器として、最低限の殺傷能力を持つナイフを。次に、防具として、この階層に生息するモンスターの爪や牙を防げる程度に、革の鎧を創造します』
「ナイフと革鎧……」
『はい。それらを創造するために必要な素材情報は、この空間に豊富に存在します。マスターは、私が提供する設計図データを元に、それをイメージし、具現化することに集中してください』
エノクはそう言うと、俺の目の前に、新たなウィンドウを表示させた。
そこには、シンプルなサバイバルナイフと、身体にフィットする軽装の革鎧、それらの驚くほど精密な三次元設計図が映し出されていた。材質の構成比率から、刃先の角度、革の厚みに至るまで、ありとあらゆる情報がデータとして示されている。
『これらを創造するための総コストは、MP約50です。現在のマスターの最大MPの10%に相当します。問題ありませんか?』
「ああ、問題ない」
俺は、力強く頷いた。
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