第二章:覚醒とサバイバル

第三話:アトランティスの遺産

 どれくらい意識を失っていたのか。

 数秒か、あるいは数時間か。時間の感覚がぐにゃりと歪んで、うまく機能しない。


 最後に見たのは、俺を裏切った連中の嘲笑う背中と、殺意に満ちたモンスターの群れ。そして、足元から溢れ出した、全てを白く塗りつぶすほどの眩い光。


 身体のあちこちが軋むように痛む。

 特に、連中に突き飛ばされた時に強打した背中と後頭部が、ズキズキと熱を持っていた。ゆっくりと目を開けると、最初に飛び込んできたのは、見たこともない天井だった。


 えっ……?


 天井?


 俺はモンスターに食い殺されたんじゃなかったのか? 


 それとも、ここは死後の世界とでもいうのだろうか。

 いや、だとしたらこの身体の痛みはなんだ。死んでるなら、痛みなんて感じないはずだ。

 混乱する頭で、のろのろと上半身を起こす。


「……なんだ、ここは」


 思わず、乾いた唇から声が漏れた。

 そこは、石で造られた、だだっ広い部屋のような場所だった。天井はドーム状になっていて、俺が今まで潜っていたゴツゴツした岩肌のダンジョンとは、明らかに造りが違う。壁や床は、まるで一枚岩から削り出したかのように滑らかで、継ぎ目一つ見当たらない。


 そして、何より奇妙なのは、その色だった。


 壁も床も、天井も、全てが淡い光を放つ青みがかった白い石でできていた。

 光源らしきものはどこにも見当たらないのに、空間全体がぼんやりとした明るさに満たされている。その光は、どこか静かで、ひんやりとしていて、生き物の温もりというものを一切感じさせなかった。


 空気も違う。これまで潜ってきたダンジョン特有の、カビ臭くて湿った匂いがない。代わりに、澄み切っていて、少し金属っぽい匂いがした。深呼吸すると、肺がスッとするような、それでいてどこか非現実的な感覚に襲われる。


 周囲を見渡しても、モンスターの姿は一匹も見当たらない。


 あれだけいたゴブリンやオークはどこへ消えたんだ?


 俺は壁際までふらつきながら歩き、その表面にそっと触れてみた。

 ひんやりとして、ガラスのように滑らかな感触。

 間違いなく石のはずなのに、不思議と人の手が加わっているような、人工的な印象を受けた。壁には、幾何学的な紋様が薄っすらと刻まれている。それはモンスターが付けた傷などではなく、もっと意図的な、何か意味を持ったパターンのようにしか見えない。


 訳が分からない。


 俺はあの時、確かにモンスターの群れに囲まれていたはずだ。あの状況で生き残れる可能性なんて、ゼロだった。


 だというのに、なぜ俺はこんな場所にいる?

 あの光は一体何だったんだ?


 考えれば考えるほど、頭がぐちゃぐちゃになる。

 一つだけ確かなことがあるとすれば、ここは俺が知っているダンジョンのどの階層でもない、ということだ。低ランクのダンジョンしか潜ったことのない俺だが、それでも分かる。ここは、もっと……根源的な何かが違う。


 俺は壁に手をついたまま、ずるずるとその場に座り込んだ。

 助かったのかもしれない。

 だが、安堵感は全く湧いてこなかった。むしろ、得体の知れない場所に一人で放り出されたという事実が重くのしかかってくる。


 これからどうすればいい?

 出口はどこにある?


 食料も、水も、武器も、何もない。

 あのクズどもに、なけなしの私物だった探索者カードまで奪われた。


 今の俺は、文字通り丸裸同然だった。


 絶望。


 その二文字が、黒いインクのように心にじわじわと広がっていく。

 ブラック企業をクビになり、なけなしの希望を抱いて探索者になった結果がこれか。ハズレスキルを馬鹿にされ、奴隷のように扱われ、最後はゴミみたいに捨てられる。

 俺の人生、どこで間違えたんだろうな。

 いや、生まれた時から、ずっとこんな感じだったのかもしれない。常に誰かに搾取され、利用され、最後には切り捨てられる。そういう星の下に生まれたんだ、きっと。


 もう、どうでもいいか。

 こんな場所で、誰にも知られずにひっそりと死んでいく。それも、俺らしい結末なのかもしれない。

 俺は壁に背中を預け、ゆっくりと目を閉じた。全ての思考を放棄し、ただ静かに終わりを待とう。そう思った。


 その時だった。


 ピィン、と澄んだ電子音のようなものが、静寂に満ちた空間に響いた。


 なんだ?

 幻聴か?


 俺は閉じていた目を薄っすらと開ける。

 すると、俺の目の前、数メートル先の宙に、小さな光の点が現れていた。それは、まるでホタルの光のように、ゆらゆらと揺れながら、少しずつ大きくなっていく。


「……?」


 何が起きているのか理解できず、俺はその光景をただ呆然と見つめていた。

 光の点は、最終的にバスケットボールくらいの大きさの球体になった。それは自ら淡い青白い光を放ち、静かにその場に浮かんでいる。


 モンスターか?


 いや、違う。あんなモンスターは見たことがない。殺気や敵意といったものが、全く感じられない。それはただ、そこにあるだけの無機質な存在のように思えた。

 警戒しながらも、俺は身動き一つ取れずにいた。今の俺に、逃げる気力も、戦う力も残ってはいない。

 しばらくの間、奇妙な沈黙が続いた。


 俺と光の球。


 静まり返った空間で、ただお互いの存在を確認しているかのような、不思議な時間。


 やがて、その光の球体から、声が発せられた。


『――システム、起動。自己診断プログラム、実行。オールグリーン。マスター探索モードへ移行』


 それは、男の声でも女の声でもなかった。合成音声のような、感情の起伏が全くない、平坦な声だった。

 喋った……?

 こいつが?


「だ、誰だ……?」


 俺はかすれた声で問いかける。それが精一杯だった。

 光の球体は、俺の問いに答えるように、再び声を発した。


『私は『エノク』。人類統合アトランティス共和国連邦によって創造された、戦闘支援用ASI。あなたをサポートするために、長い間ここで待機していました』


 エノク。

 人類統合アトランティス共和国連邦。

 戦闘支援用、ASI。

 単語の一つ一つは聞き取れるのに、その意味が全く頭に入ってこない。まるで、難解な専門用語を羅列されているようだ。


「……何を言ってるんだ?」


『候補者の思考、および、言語パターンをスキャン。思考形態は日本語……状況に合わせ、さらなる最適化を実行します』


 エノクと名乗る球体は、俺の言葉を無視して、淡々と何かを呟いている。

 ASI、と言ったか。たしか、人工超知能の略称だったはずだ。俺がいたブラックIT企業でも、AI開発の真似事みたいなことをやらされていたから、そのくらいの知識はあった。

 だが、なんだってそんなものが、こんなダンジョンの奥底にあるんだ?

 というか、人類統合アトランティス共和国連邦ってなんだ。アトランティスって、伝説上の大陸の名前じゃなかったか? そんな非現実的な単語が、なぜここで出てくるのか?


 俺の混乱をよそに、エノクは再び口を開いた。今度の声は、先ほどよりも少しだけ滑らかになっているような気がした。


『改めて。私はエノク。来るべき厄災に対抗しうる『適合者』を探し出し、その活動を補助するために設計された、自律思考型の人工知能です』


「適合者……?」


『はい。そして、あなたこそが、我々が待ち望んだ『適合者』です』


「俺が……?」


 冗談だろ。

 何かの間違いだ。俺は、戦闘能力ゼロのハズレスキル持ち。ただの荷物持ちだぞ。そんな俺が、適合者? 何かの?


『あなたの生体情報、魔力パターン、そして遺伝子構造。その全てが、我々が想定した『適合者』の条件と、99.999%という驚異的な精度で一致しています』


「……悪いが、何の話かさっぱり分からない。俺はただのFランク探索者だ。あんたが探しているような、すごい人間じゃない」


『Fランク、ですか。なるほど、あなたたちの文明の基準ではそうなのですね。ですが、それは問題ではありません』


 エノクの光が、ふわりと強くなった。


『あなたの持つスキル。それは『アイテムボックス』などという低次元のものではありません。それは、我々アトランティスが追い求めた究極の理論、『事象創造理論』に最高の適性を持つ者のみが発現させうる、唯一無二の権能。本来の名を、『創造権能』と言います』


「創造……権能……?」


 聞いたこともない言葉だった。

 俺のスキルは、ただ物を出し入れするだけの、何の役にも立たない収納スキルのはずだ。

 だが、エノクは、それを『権能』と呼んだ。


『あなたのスキルが本来の力を発揮できていなかったのは、トリガーとなる存在がいなかったためです。そして、私、エノクこそが、その最後のトリガー。私と接触した今、あなたのスキルは本来の姿へと覚醒します』


 エノクはそう言うと、ゆっくりと俺の方へ近づいてきた。

 俺は思わず身構えたが、不思議と恐怖は感じなかった。エノクから放たれる光は、どこか温かいような気さえした。

 球体は俺の目の前で止まると、その表面から、細い光の糸のようなものを何本も伸ばし、俺の額にそっと触れさせた。


 その瞬間。


 脳を直接焼かれるような、凄まじい衝撃が全身を貫いた。


「ぐっ……あああああああっ!」


 頭の中に、膨大な量の情報が、濁流のように流れ込んでくる。

 知らない言語。見たこともない風景。理解不能な数式。それは、『アトランティス』と呼ばれる文明の途方もない知識と歴史の断片だった。

 そして、その情報の奔流の中心に、俺自身のスキルに関する『真実』があった。


 そうだ。

 これは、ただの収納スキルじゃない。

 俺は、この力の本当の使い方を、何も知らなかっただけだ。


 視界が明滅し、意識が遠のいていく。

 身体が内側から作り変えられていくような、強烈な感覚。


 これが、覚醒……?


 俺は、痛みに耐えきれず、再び意識を手放した。

 最後に聞こえたのは、エノクの、どこまでも静かで事務的な声だった。


『『創造権能』への覚醒シーケンス、開始。マスターを吉田リュウとして、再定義を実行します』

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