レモン

永福 章

レモン

唐揚げにレモンを勝手にかけることの是非が議論になることはあるが、これは流石に非だろう、と僕は思った。

家から塾へ向かう途中にいつも通る商店街、ちょうど真ん中あたりにある個人経営の本屋で、これまたいつものように雑誌の立ち読みに興じていた僕は、ふと顔を上げた時に視界の端に違和感を覚えるビビッドな色彩の影を捉えた。それはレモンだった。正確には、雑誌コーナーの更に奥の、平積みにされた占いの本の上に無造作に置かれたレモンだった。近づいて見てみるとちょうど表紙の「今月のラッキーカラーは黄色!」の文字のあたりにちょこんと置かれており、なんとなく幸運な気持ちにもなってきた。レモンは特に変哲のない、鮮やかな黄色の果実であり、丸ごと1個が少し突付けば転がりそうな様子で件の本の表紙に接していた。

当然ながらここは書店であり、レモンは売り場に置かれていないし、商店街に八百屋はあれどここまで勝手に転がってくるべくもない。誰かが意思を持ってレモンを持ち込み、そして占いの本の上に置いたのである。何のために?


棒立ちになってしばらく思いを馳せているうちに思考がぐるぐる回ってわけもわからず唐揚げが食べたくなり始めた頃、そう広くない店内で暇を持て余し、僕という客がいるにもかかわらず(ほとんど立ち読みしかしていないから客とカウントされていない可能性もある)ハタキで店内を掃除し始めた壮年の店主がレモンを前に固まっている僕に気づいた。

「あまり本を読む子だと思ってなかったけど、意外と洒落たことをするねぇ」

何を言っているかよく分からないが、僕がこのレモン置きの実行犯だと思われていることだけは感じ取れたので、慌てて弁明する。

「すると、君が気付いた時にはもうレモンは置かれていたという訳だね」

腕を組み、わざとらしく首を傾げながら店主は言う。古い小説にそういうシーンがあるのだ、とも教えてくれた。確か特に理由なく置いていただけだったと思うけどね、と付け足し、現実に置かれた方のレモンに目を遣る。

「その小説を読んだ人が真似したんですかね?」

「それが一番ありえそうだけど、何かのメッセージがあるのかもしれないね」

レモンを置くだけのメッセージなど何かあるのだろうか、と首を捻っていると、

「ほら、レモンって色鮮やかで目立つじゃない? それで高価なものでもないから目印代わりにたまたま持っていて使ったのかも。そうすると注目すべきは実は本の方なのかもしれないね」

まああまり納得できないが、喫茶店で注文前に席を取る時、適当に荷物から最悪盗られても困らないようなものを置くことはある。その本を自分のものとして取っておきたかったのだろうか? ただ平積みされていて在庫も十分ある本でわざわざそんなことをする必要はないように思えるし、仮に事情があっても店主に伝えて取り置いてもらえば良さそうなものである。あるいは何かを本に挟んでいて、重しの代わりにレモンを使ったということも考えられそうだ。そこでレモンを横にのけて、例の本をパラパラと下向けにめくってみるも、何も出てくる様子はない。「売り物に何かするぐらいなら先に買ってほしいなぁ」と店主。ごもっともである。

そうすると占いの本にやはり何か意味があるのだろうか? ラッキーカラーのものをちょうど持っていて嬉しくなってしまったのか? 見た人みんなにラッキーをお裾分けしてくれたのか?

結局考えても何も閃くことはなく、そのうちに塾に遅刻しそうになったため、その日は書店を後にした。


「増えたよ」

あくる日、相変わらずさして人気のない商店街をふらついて書店を訪れた直後に店主から声をかけられた僕は思わず面食らってしまった。正直なところ、前日の出来事はすっかり忘れてしまっていたし、何より「増えた」の意味するところもピンとこなかった。

「例のレモンだよ。2個になった」

「はい?」

促され、店の奥に入ると占い本の上には相変わらずレモンが置かれており、向かいの参考書コーナーにも同じようなレモンが1個置かれていた。もしや占い本の方は昨日から放置していたのか? と呆れつつ聞いてみると、確かに昨日片付けたが気付いた時にはまた置かれていたらしい。そしてその時に参考書の上の第二のレモンも見つけたとのこと。ちなみに置かれていたレモンは美味しくいただいたらしい。ほとんど拾い食いみたいなものだと思うがよく食べる気になるな…。

第二のレモンが置かれていた本を見ると高校化学の参考書で、表紙には扱っている単元の一覧が書かれていた。「酸化還元反応」という文字列を見て、なんとなく口の中がジワッと湿っていく感覚を覚えた。これもレモンと関係あるっちゃあるのか…?

「ちょっと面白いからさ、SNSにも投稿しちゃったよ」

ほら、と言いながら店主が書店の公式アカウント(失礼ながらSNSを活用しているのは意外だった)のホーム画面を見せてきた。

「本屋とレモンの組み合わせ、不自然すぎる」「梶井基次郎のやつじゃん」「唐揚げ食べたくなってきた」などSNSらしい雑多なコメントが付いており、小規模ながら話題になっているようでもあった。


その後も、店主の監視(?)をかいくぐるようにレモンは置かれ続けた。流石にそんなに広い店内でもないので、無制限に増え続けることはなかったが、最大で5個置かれた時もあったという。店主はなかなかどうしてマメな性格らしく、2日に1回はレモンの置かれた様子やどの本に置かれていたかをSNSにアップしており、レモンの置かれる本の絶妙にひねりのあるチョイスや写真の見栄えのおかげか、その度に小バズりの様相を呈していた。


だんだんそういうものだと思い、ここ最近はもはやレモンが置かれることは特に気にも留めていなかったが、ある日雑誌の立ち読みをしていると、

「ほら、これ、レモン! 本当に置いてある!」

などというざわめきが耳に入ってきた。どうやら店主はSNS運用が(失礼ながら)上手いらしく、レモンがある種の名物として集客につながっているのだ。それだけにとどまらず、「#無断レモンチャレンジ」というハッシュタグをつけて、店主に気付かれないように新しく店内にレモンを置いていく輩まで現れ始めた。普通に身元が割れれば叩かれそうなものだが、店主が特に気にしていないどころか、チャレンジを受けることを公言しているような有り様で、皆嬉々として店を訪ねてはレモンを持ち込んでくるような状況である。


さて、塾の前のささやかな安寧の時間を奪われた僕はいよいよ我慢ならなくなり、店主を捕まえて問いただす。

「このレモン、自作自演ですよね」

店主が自ら店内にレモンを置いてその意外性からSNSで話題を作り、客を呼び込もうとしているのだ。いくら監視カメラが無いような古い店内だからといって、毎回見つからずに置き続けられる訳がない。何よりある種の業務妨害を受けているにもかかわらず呑気すぎるし、SNSでチャレンジを受けて立っていることからも店主がレモンの配置を黙認しているか、自ら行っていることは明白である。

きっとバツの悪そうな顔でしどろもどろの弁明を繰り出すに違いない、と見込んでいた僕はにやりと笑った店主の返答に逆に困惑させられた。

「それだけだと50点だね」

どういうことだろう? 店主が店を目立たせるためにやっているのではないのか? 50点ということは真実の一部は言い当てられているのか? 頭の中を回る思考に黙ってしまった僕に店主は続ける。

「そういうお誂えな小説があるなら、ぜひレモンを使ってくれと言われてさ」

その言葉に僕の疑問は氷解した。

「共犯がいたんですね」

思わず人聞きの悪い表現をしてしまったが店主は特に気にする風でもなく首肯する。SNSに投稿される鮮やかなレモンの写真、無断レモンチャレンジの挑戦者たち、これらは書店の宣伝だけでなく、同時にレモンそのものの販売を促進していた。それによって誰が利益を得るのか? 明らかに同じ商店街の八百屋である。わざわざすぐ近くで買えるものを別のところで買う理由もない。人気のない商店街において、八百屋もまた売上アップに苦心しており、書店と話すうちにSNSでのマーケティングに協力することにしたのだろう。店主が見せてくれた八百屋のSNSアカウントでは例のハッシュタグをつけて「レモン売ってます! チャレンジにどうぞ!」と全くステルスではない直球のマーケティングを行っていた。


真相にたどり着いた君にプレゼントだよ、と渡されたレモンを手の中に転がしながら、僕は塾へと歩く。途中見かけた八百屋では、なるほど目立つ位置にレモンが売られており、この騒動が起こる前と比べるといくらか賑わいを取り戻しているようにも見えた。

「結局僕が場所を追われただけか…」と独り言ちつつ、ただ立ち読みしかしていないので追い出されても文句は言えないし、今のところ誰も損はしていないから良いのかなとも思う。育った街の商店街に閑古鳥が鳴いているのはやっぱり少し寂しい気持ちにもなるので、その意味でもSNSマーケティングが奏功しているのは良かったと思う。

そのうちに商店街の端の塾についた僕はなんとなしに受付向かって右の壁沿いにおかれた学校紹介の冊子の方を向き、そのまま思わず呆れて笑ってしまった。

「こっちはダジャレかよ」

折り重なった学校紹介の上、そこには肉屋のメンチカツがプラスチック容器に入って無造作に置かれているのであった。

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レモン 永福 章 @sho_eifuku

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