第1章-19:焦らしと解放(優理の戦略)

海斗は、優理の要求通り、遮蔽スイッチをオフにしたまま、ガラス張りのシャワールームに入った。


熱い湯が流れ落ちる中、彼は常に優理の視線を意識しなければならなかった。

優理はソファに座り、タブレットを取り出して、海斗の身体と、その動作に伴う彼の感情的な反応を、冷静に観察している。


(彼女は今、僕の『羞恥心』というデータを抽出している。だが、彼女自身の『覗き見ているという背徳感』が、どんなデータとして彼女自身に蓄積されているかも、観測しなくてはならない)


海斗は、優理の観察に耐えながら、自身の感情を業務的に処理しようと努めた。

しかし、優理の無関心に見えるほど冷静な視線は、彼にとって、これまでのどんな情熱的な行為よりも強い緊張と高揚感を与えた。


シャワーを終え、バスローブを羽織ってリビングに戻ると、ローテーブルの上には、冷えたビールと数種類のつまみが並んでいた。


「ルームサービスか?」


海斗が尋ねた。


「はい。この施設の宿泊費から推測すると、食事で利益を出していると考えたのですが、案外、通常のレストランと変わらない価格設定でした」


優理は、タブレットを置き、分析結果を報告した。


「これは、非日常空間の提供にコストを集中させ、飲食は実費に近い設定で、利用者の満足度を高める戦略と見なすべきでしょう」


優斗は、目の前のビールとつまみを、すぐに「経営戦略」として分析した優理の合理性に、思わず苦笑した。


「そうか。じゃあ、まずはその『高満足度戦略』に乗って、ビールを飲ませてもらおう」


海斗がビールを一口飲んだ時、優理は立ち上がった。


「では、次に私がコンディショニングに移ります」


優理は、バスローブを手に、浴室へと向かった。

そして、ガラス扉に手をかけた直後、彼女は海斗の方を振り返った。

彼女の目には、再び悪戯めいた光が灯っている。


「海斗さん。私はあとで、この非日常空間を最大限に活かしたレクリエーションを考えています」


優理は、その言葉を、海斗の『プリミティブな欲求』を最大限に刺激するように、ゆっくりと、しかし断言するように発した。


「ですから、少し我慢してくださいね」


彼女は、そう告げると、次の瞬間、遮蔽スイッチに手を伸ばし、カチリとオンにした。


ガラスは一瞬で白濁し、海斗と浴室との間の視界は完全に遮断された。


「っ!」


海斗は、グラスを置いた。

優理のこの行動は、完璧な「焦らしのプロトコル」だった。

彼女は、海斗の欲求を極限まで高めた直後に、視覚という最大の情報を完全に遮断したのだ。


(遮蔽スイッチをオフにすることで「露出の羞恥心」をデータ化させ、次はオンにすることで「視覚の遮断による欲求の増幅」をデータ化させるつもりか…!)


優理は、この焦らしが、海斗の「献身」という感情的コストを、「支配される快感」という形で逆利用し、自身の制御権を強化するための、巧妙な戦略であることを理解していた。


白く曇ったガラスの向こうから、シャワーの音が聞こえてくる。

海斗は、優理の冷静かつ挑発的な戦略に、もはや抗う術がないことを悟った。

ベッドサイドのスイッチまでは知らないだろうが、おそらく良い影響は与えないだろう。

彼の頭の中は、優理が予告した「レクリエーション」という、予測不能な非日常の快感への期待と、それを冷静に観測しなければならないという義務感で、激しく揺れ動いていた。

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