ある学者の論文作成用メモ(手記・日付不明)

オオゲツヒメに関しては様々な考察がなされています。

古事記にその伝承が残っています。


一般的には、スサノオノミコトに食物を提供する代わりに、その行為を穢れと見なされ、怒りを買って斬られて死んだとされており、豊穣には対価として命が要求される という、日本神話全体に散見される「生命と食の交換原理」を読み取ることができます。


この構造は世界神話にも広く見られ、例えば穀物神が一度死に、その身体から農作物が生まれるという神話類型にも通じます。


ハイヌウェレ神話などが有名ですね。


ただ、この地域においては、少し変わった伝説が残されています。


死んだとされたオオゲツヒメは、その後も 生き続けたというものです。

つまり、スサノオノミコトに殺されたものの、その亡骸もしくは欠片かけらを祀る人々によって「復活」を果たしたという伝承です。

ただし、生前のような実体はもたず、祈りの対象としての存在 に変質したという点が特徴的です。


これは他地域の「物言わぬ神」「姿なき祭神」と類似しています。


某社の御霊信仰や、あるいは山岳信仰における依代を欠いた神とも通じます。


しかし本地域の特徴は、

「死者となった神が、なお食に関与し続ける」

という点にあります。


つまり、本来断絶されるはずの死者と生者の境界が曖昧になっていることが分かります。


伝説によれば、滋賀県の●●山(実名のため伏せる)の奥深く――。

恐らく地下と思われますが、小規模な洞穴、もしくは土中に掘られた横穴のような場所にひそかに祭祀場が作られ、人々はそこに穀霊としてのオオゲツヒメを祀ったのではないかと考えられます。


この遺跡は現代では所在不明ですが、近隣住民の口承を集めると、湿った空気のこもる古い穴の奥、誰が掘ったのか分からない暗い石の部屋、といった一致したモチーフが複数出てくることから、実在した可能性は比較的高いと考えています。


ここで興味深いのは、なぜ実体を失った神を祀り続けたのか、という点です。


実は、オオゲツヒメには飢えた人々を救う非常に大きなご利益 があったのではないか、という考察をすることができます。


この伝承が生まれた時代には、度重なる飢饉があったと推測されていまして、人々はほんのわずかな食料も神に依存せざるを得なかったのでしょう。


その祈りは、オオゲツヒメに選ばれた『巫女』(神の代理者)によって聞き届けられたとされます。巫女は集落内の女性から選ばれ、「視えざるものを視る資質」を持つと信じられていたようです。


巫女に選ばれた者の役割は奇妙で、以下のような介在的な儀礼を司ったとされます。


すなわち――

人々が事故や事件にて 不慮の死 を遂げた際、その身体の一部が食べ物に変えるというのです。


もちろん実際に物理的な変化が起きたわけではなく、儀礼的変換――象徴的解釈だと考えられます。

しかし、民俗学的には「死者の肉から穀物が生まれる」「死者の血が発酵の源となる」などの伝承が世界各地にあり、これもその一類型とみて差し支えないでしょう。


なお対象となる人は、誰でもよいわけではなかったようです。


伝承では、巫女との接触、すなわち神の代理人との会話や身体的接触などによって

オオゲツヒメの影響を強く受けた者だけが、死後に供物化したとされています。


単なる接触だけでなく、巫女によって強い感情が喚起される必要 があった点が興味深いです。


感銘・怒り・悲しみ・恐怖――


いずれも心の強い揺れが求められており、心理的衝撃が神的作用の媒介になるという珍しいモチーフと言えます。


こうした心の揺れが起きた後、偶然(の形をとり)死亡した人物の、欠損した骸と血液は、巫女の元へ届けられるようです。巫女は自分の工房のようなものを持っており、そこに供物が運ばれる仕組みだと伝わっています。


また、当然ながら供物であるため、これは神にささげる神饌です。


整然と盛り付けられるのが当然で、これは神饌の配置原理。

つまり、順序の乱れは祟りを招くという考えにつながります。


例えば肉は串にさされて並べられ、脳や眼球はスープにされた、といった

具体的な料理名を思わせる伝承もあります。


一見すると不気味ですが、死者を穀霊として再編する象徴的調理と考えれば

体系は決して破綻していません。


また当然のように記されているのが、社稷しゃしょくに捧げる前に巫女が まず『毒見』をするという点です。


この毒見は神饌の味をたしかめるというより、巫女自身が神に接続するための儀式に近かったようです。


この際、巫女は『幽冥境を異にする』――つまり生死の境界を一時的に越えるとされます。

これは日本の古代祭祀における憑依に類似していますが、死者との接触や会話を可能にするという点で、いわゆる黄泉信仰と深く結びつきます。


黄泉の国と常世の国の往還は通常不可能です。


イザナギ、イザナミの伝説でも示される通り、帰ってくるプロセスには凄まじい困難が伴うものなのです。


その橋渡しとして、巫女は蚕の糸を使うとされていました。


蚕の生成は古事記のオオゲツヒメの逸話にも現れますが、本地域では特に、

「死と再生を繋ぐ糸」

として重視されており、巫女が黄泉から戻る際にその糸を辿ったとされています。


これは単なる象徴というより、境界を越えるつながり、あるいは運命としての糸という、シャーマニズム的なモチーフと一致していると思われます。


これがこの地にひっそりと口碑くちびとして伝わる『オオゲツヒメ伝説』 です。


もちろん、そのような遺跡は見つかっていませんし、見つかったとすれば大発見です。


まぁ、そもそも死んだ人間のケッソンした人体の一部が食べ物や蚕に変わるなど、ありえませんがね。


ただし――

古代の人々が飢饉の中で生き延びるためにこうした交換の物語を編んだこと自体は、歴史的には十分理解できることなのです。


(メモ終)

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