第5話

目の前に立つ少女は、深くフードを被っているせいで表情がよく読めない。

ただ、その佇まいからは、緊張と、藁にもすがるような切実な思いが伝わってきた。

俺はいつも通りの事務的な態度を崩さず、静かに問いかけた。


「私に何か御用でしょうか。依頼の申請であれば、あちらの番号札をお取りになってお待ちください」


「あ、いえ、依頼じゃないんです。その……キョウヘイさんに、直接ご相談したいことがあって……」


少女の声は、か細く、少し震えている。

また個人的な相談か。ガイオンさんの一件以来、どうもこういう案件が増えた気がする。

定時退勤を脅かす存在は、可能な限り排除したいのだが。


「個人的な相談は、原則として受け付けておりません。業務に支障が出ますので」


俺がそう言ってやんわりと断ろうとすると、少女は慌ててフードを少し持ち上げた。

現れたのは、大きな紫色の瞳と、銀色の髪を持つ、人形のように整った顔立ちの少女だった。

年の頃は、十五、六歳といったところだろうか。


「お願いします! 少しだけでいいんです! あなたの噂を聞いて……どんな願いも、いえ、どんな申請も、正しく処理してくださると……!」


その必死な様子に、俺はため息を一つ飲み込んだ。

どうやら、ガイオンさんの件が、おかしな尾ひれをつけて広まっているらしい。

仕方ない。話だけは聞くか。長引きそうなら、適当な理由をつけて切り上げればいい。


「……わかりました。では、手短にお願いします」


「あ、ありがとうございます!」


少女はぱあっと顔を輝かせた。

俺は彼女を、先日ガイオンさんと話した応接スペースへと案内した。

リナが心配そうにこちらを見ていたが、軽く目で合図して「問題ない」と伝えておく。


席に着くと、少女は改めて深く頭を下げた。


「私は、エイミーと申します。王都の魔術師ギルドに所属しています」


「ご丁寧にどうも。それで、相談内容は何ですか」


俺が促すと、エイミーと名乗る少女は、おずおずと自分の身の上を語り始めた。


彼女は代々優秀な魔術師を輩出してきた名家の生まれらしい。

その血筋ゆえか、生まれつき膨大な魔力量を持って生まれた。

しかし、その力が強すぎるあまり、全く制御ができないのだという。


「初級の火の魔法を使おうとしても、大爆発を起こしてしまったり……水の魔法を使えば、洪水みたいになってしまったり……。全く、狙った通りの効果にならないんです」


「なるほど」


俺は腕を組み、彼女の話を分析する。

これはつまり、「製品の出力が、仕様書の規定値を大幅に逸脱している」状態だ。

品質管理の観点から言えば、完全な不良品である。


「魔術師ギルドの教官からは、『才能はあるが、それを扱う器がない』と言われ、実家からは『一族の恥晒し』と……。もう、どうすればいいのか……」


エイミーは俯き、声を震わせた。

その手には、古びた杖が固く握られている。


(ふむ。これは個人の能力開発に関する案件だな。しかも、本人の資質と、目指すべき目標との間に、著しい乖離が見られるケースだ)


俺の頭は、完全に公務員モードに切り替わっていた。

彼女の悩みは、俺に言わせれば「個人のキャリアプランニングにおける目標設定の不備」に他ならない。


「事情は理解しました、エイミーさん。あなたは、ご自身の能力を正しく運用するための、適切な手順を踏んでいない。ただそれだけのことです」


「て、手順……ですか?」


「ええ。どんな優れた才能も、正しい申請と承認のプロセスを経なければ、宝の持ち腐れになるだけです。あなたに必要なのは、正式な『能力開花申請』の手続きです」


俺は、またしてもこの世界には存在しないであろう単語を、さも当然のように口にした。

エイミーは、きょとんとした顔で俺を見ている。


「の、能力開花申請……?」


「そうです。まず、ご自身の現状の能力を正確に把握し、それを書面にまとめる。次に、どのような能力を、どのレベルまで開花させたいのか、具体的な目標を設定し、それも書類に記載する。そして、その二つの書類をギルドに提出し、審査を受けるのです」


「そ、そんな手続き、聞いたことがありません……」


「ええ、そうでしょう。私が今、このギルドに導入しようとしている新しい制度ですから」


俺はしれっと嘘をついた。

いや、嘘ではない。業務を効率化し、問題を未然に防ぐためには、新たなルール作りも必要だ。

これも、ギルド職員としての務めである。


「というわけで、まずはこの申請書にご記入ください」


俺は懐から、先ほどカウンターで即席で作り上げた書類を取り出した。


【個人別 技能習熟度向上計画 申請書】


ガイオンさんの時と同様、俺の前世の知識が詰まった、本格的なフォーマットだ。

現在のスキルレベル、保有魔力量の自己評価、目標とする魔法の系統とレベル、習熟期間の希望などを書き込む欄を設けてある。


エイミーは、その申請書を恐る恐る受け取った。


「これを……書けば、私の魔法も……?」


「正しく記入し、私に提出され、そして私がその申請を『受理』すれば、です。ただし、内容に不備があったり、目標設定が非現実的であると判断された場合は、『却下』します。その場合は、また一から計画を練り直していただくことになります」


俺の言葉に、エイミーの表情が引き締まった。

彼女はごくりと唾を飲み込むと、真剣な眼差しで申請書に向き合い始めた。

その姿は、まるで難解な魔法の論文に挑む学者のようだ。


それから三十分ほど、エイミーは必死にペンを走らせた。

時々、顔を上げては「あの、この場合の目標レベルというのは、具体的にどう書けば……?」などと質問してくる。

俺はそれに、「まずは初級魔法を、詠唱時間三分の一、消費魔力二分の一で安定して発動させる、といった具体的な数値を目標にしてください」と、的確(事務的)にアドバイスを送った。


やがて、全ての項目が埋められた申請書が、俺の前に差し出された。


「……書けました。これで、お願いします」


「拝見します」


俺は申請書を受け取り、その内容を厳しくチェックしていく。

なるほど、保有魔力量は自己評価で「規格外」か。

目標は、火、水、風、土の四系統の初級魔法を、完璧に制御下に置くこと。

習熟期間は一ヶ月。

実に謙虚で、現実的な目標設定だ。


(これなら、問題ないな)


申請内容に、何一つ不備はない。

本人の強い意志も感じられる。

これは、十分に『受理』に値する案件だ。


「内容、確認しました。エイミーさん、あなたの『技能習熟度向上計画』、非常に素晴らしい。具体的かつ、実現可能な目標設定です」


「ほ、本当ですか!?」


「ええ。これほど完璧な申請書は、なかなかお目にかかれませんよ」


俺がそう言って微笑むと、エイミーの顔が、安堵と喜びにぱっと明るくなった。

俺はインク壺を取り出し、親指にインクをつける。

そして、申請書の最も重要な欄に、それを押し当てた。


「よって、本申請を、正式に『受理』します」


俺の指が、決裁欄に『受理』の証を刻む。

その瞬間、エイミーの体から、ふわりと淡い光が溢れ出たように見えた。

しかし、それは一瞬のことで、すぐに消えてしまった。気のせいだろう。


「あ……」


エイミーが、何かを感じ取ったように、自分の両手を見つめている。

体の中を駆け巡っていた、荒れ狂う奔流のような魔力が、まるで穏やかな川の流れのように、静かに、そして力強く脈打っているのを感じるという。


「な、なんだか……すごく、落ち着きます……。今まで、ずっと暴れていた力が、私の言うことを聞いてくれるような……」


「当然です。正式な手続きを経て、あなたの能力向上計画はギルドの承認を得たのですから。これからは、あなたの力は、計画書に沿って、正しく運用されることになります」


俺は、さも当たり前のことのように言った。

申請が通ったのだから、それに沿って物事が進むのは当然の理屈だ。

市役所の補助金申請と同じである。


「さあ、試してみてください。一番得意な魔法を」


俺が促すと、エイミーはこくりと頷き、立ち上がった。

彼女は応接スペースの隅にある、観葉植物の植木鉢にそっと手をかざす。


「『ウォーター』」


短い詠唱と共に、彼女の手のひらから、透き通った水が静かに流れ出した。

それは、まるで細い絹糸のように、一切の乱れなく、植物の根元に吸い込まれていく。

以前の彼女なら、この部屋を水浸しにしてしまうほどの奔流を生み出していただろう。

しかし、今彼女が生み出した水は、完璧に制御されていた。


「……できた……! できた……!」


エイミーの瞳から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

彼女は何度も何度も、水を出し、そして止めるという動作を繰り返している。

そのどれもが、寸分の狂いもなく、彼女の思った通りの結果を生み出していた。


「ありがとうございます……! キョウヘイさん、本当に、ありがとうございます……!」


彼女は俺の前に駆け寄ると、深々と頭を下げた。

その声は、感謝と喜びに打ち震えていた。


「いえ、私は仕事をしたまでです。あなたの努力が、正しい手続きによって実を結んだ。ただそれだけですよ」


俺はあくまでクールに、そう答えるのだった。

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