第5話
俺はカイとミナの手をしっかりと握り、冒険者ギルドの重厚な扉を押し開けた。
ギルドの中は、外の喧騒とはまた違った熱気に満ちていた。木の床を踏みしめるブーツの音、冒険者たちの威勢の良い話し声、そして酒の匂い。壁には巨大な魔物の頭部が剥製として飾られており、その迫力に圧倒される。
入ってすぐの広々としたホールには、屈強な戦士や、ローブをまとった魔法使いらしき人々が集い、情報交換をしたり、仲間を募集したりしているようだった。その誰もが、俺のような素人とは明らかに違う、歴戦の雰囲気をまとっている。
「うわぁ……」
カイとミナは、その空気に少し気圧されたように、俺の足にしがみついてきた。無理もない。森の中とは全く違う、人間の強さや欲望が渦巻いているような場所だ。
「大丈夫だよ」
俺は二人の頭を撫でて安心させると、ホールの奥にある受付カウンターへと向かった。カウンターの内側では、数人の職員が忙しそうに書類を整理したり、冒険者の応対をしたりしている。
俺は列の最後尾に並び、順番を待った。周囲の冒険者たちから、ちらほらと視線を感じる。俺の場違いな服装と、何より獣人であるカイとミナの存在が、好奇の目を引いているのだろう。
中には、あからさまに眉をひそめ、舌打ちをする者もいた。
「ちっ、なんでギルドに獣人のガキがいやがる」
そんな声が、すぐ近くから聞こえてくる。俺は声のした方を睨みつけそうになったが、ここで問題を起こすのは得策ではない。ぐっとこらえ、二人を自分の体で隠すようにして立った。
やがて、俺たちの順番が来た。カウンターにいたのは、栗色の髪をポニーテールにした、快活そうな女性職員だった。年の頃は、二十代前半だろうか。
「こんにちは。ご用件はなんでしょうか?」
彼女は俺たちの姿を見ても、特に驚いた様子もなく、にこやかな笑顔で尋ねてくれた。そのことに、俺は少しだけ安堵する。
「冒険者登録をお願いしたいのですが」
「はい、新規登録ですね。かしこまりました。こちらの書類にご記入をお願いします」
彼女が差し出してきたのは、一枚の羊皮紙だった。名前、年齢、出身地、特技などを記入する欄がある。しかし、この世界の文字は、俺には読めない。
「すみません、俺はこの世界の文字が読めなくて……。口頭でお伝えしてもよろしいでしょうか?」
俺が正直にそう言うと、彼女は少しだけ驚いた顔をしたが、すぐに笑顔で頷いた。
「ええ、構いませんよ。では、私の方で代筆しますね。まずはお名前からお願いします」
「ケンです」
「ケンさんですね。年齢と、出身地はどちらでしょう?」
「年齢は二十九です。出身は……遠い東の国、とだけ」
さすがに、異世界から来ましたとは言えない。適当にはぐらかすと、彼女は特に深くは追求せず、さらさらとペンを走らせた。
「特技や、扱える武器などはありますか?剣術や魔法など、何かアピールできることがあれば、最初のランク査定に影響しますよ」
「いえ、戦闘は全く……。武器も、護身用の手斧とナイフくらいしか扱えません。特技と言えるかは分かりませんが、罠猟や、植物の知識は少しあります」
俺がそう答えると、彼女は少し意外そうな顔をした。ギルドに登録しに来る人間で、戦闘ができないと公言する者は珍しいのだろう。
「罠猟と、植物の知識、ですか。なるほど、採集系の依頼で役立ちそうですね」
彼女は何かを納得したように頷くと、書類の記入を終えた。
「では次に、ギルドライセンスを発行するための魔力測定を行います。こちらの水晶に、手を触れてください」
彼女がカウンターの下から取り出したのは、バレーボールくらいの大きさの、透明な水晶玉だった。言われるがままに手を触れると、水晶がぼんやりと白く光る。
「……はい、ありがとうございます。魔力量は一般の方と同程度ですね。魔法の適性はありません」
まあ、そうだろうなとは思っていた。俺は特別な力を持っていない、ただの一般人だ。
「これで手続きは以上になります。ケンさんは本日より、Gランクの冒険者として登録されました。こちらがギルドカードになりますので、失くさないようにしてくださいね」
彼女はそう言うと、一枚の金属製のカードを俺に手渡した。カードには、俺の名前「ケン」と、Gというランク、そしてギルドの紋章が刻まれている。
「ありがとうございます。ちなみに、この子たちも一緒に登録することはできますか?」
俺が尋ねると、彼女はカイとミナを見て、少し困ったような顔をした。
「うーん、ギルドの規定では、冒険者登録は十六歳以上と定められていますので……。ただ、ケンさんの監督下で、依頼の補助をすることは可能です。その場合、この子たちの身分を証明する『従者登録』という形になりますが、いかがなさいますか?」
「ぜひ、お願いします」
カイとミナが、この街で生きていくためには、身分を証明できるものがあった方がいいだろう。俺は迷わず、従者登録を頼んだ。
カイとミナも、俺と同じように水晶に手を触れる。すると、二人の水晶は、ほんのりと緑色に光った。
「おや……この子たち、風属性の魔力を微量ですが持っていますね。まだ小さいですが、将来は魔法使いになれるかもしれませんよ」
受付の彼女が、少し嬉しそうに言った。カイとミナは、自分が魔法を使えるかもしれないと聞いて、きょとんとしている。
二人の登録も無事に終わり、俺たちは晴れて冒険者ギルドの一員となった。
「私は受付のサラと申します。何か困ったことがあれば、いつでも声をかけてくださいね」
サラさんと名乗った彼女は、最後まで親切に対応してくれた。
「ありがとうございます、サラさん。これからお世話になります」
俺は深々と頭を下げた。
登録を終えた俺たちは、ギルドの奥にある依頼掲示板を見に行くことにした。掲示板には、様々な依頼書が所狭しと貼られている。
依頼は、内容によって色分けされているようだった。赤は魔物の討伐、青は護衛、緑は採集、黄色はその他の雑多な依頼、といった具合だ。
「すごい数だな……」
俺が眺めていると、カイが俺の服を引っ張った。
「ケン、あれ、なんて書いてあるの?」
カイが指さしたのは、赤い紙に書かれた依頼書だった。そこには、牙を剥く巨大な狼の絵が描かれている。
「ああ、これは『森の悪狼、ガルムウルフの討伐』って書いてあるな。危険な魔物を倒してくれっていうお願いだ。報酬は金貨五枚。すごい金額だな」
「きんか、ごまい……」
カイがゴクリと喉を鳴らす。
「でも、これは俺たちには無理な依頼だ。俺たちは、こっちの緑の紙の依頼を探そう」
俺は、戦闘能力のない自分たちにできる依頼を探す。薬草の採集、珍しいキノコの採集、建材用の木材の調達。様々な採集依頼があった。
その中で、俺はある一つの依頼書に目を留めた。
「『月光草の採集』。報酬は十株で銀貨五枚か。悪くないな」
月光草。確か、キャンプの時に読んだ野草図鑑に、似たような名前の植物が載っていた気がする。夜になると、淡く光を放つという珍しい薬草だ。暗い場所でも見つけやすく、毒性もなかったはずだ。
これなら、俺の知識と、カイとミナの能力を活かせるかもしれない。夜の森は危険だが、街のすぐ近くの森が採集場所なら、問題ないだろう。
「よし、最初の仕事はこれに決めよう」
俺が依頼書を剥がそうとした、その時だった。
「おいおい、マジかよ。あんなヒョロヒョロの兄ちゃんが、獣人のガキ連れて冒険者になったのか?」
背後から、下品な笑い声と共に、そんな声が聞こえてきた。振り返ると、そこには見るからに柄の悪い、三人の男たちが立っていた。
リーダー格らしき大柄な男が、にやにやと笑いながら、こちらに近づいてくる。
「しかも、最初の依頼が薬草採集だぁ?だっせえの。そんなもんは、女子供の仕事だろうが」
男たちは、俺たちを嘲笑うように、げらげらと笑っている。
「ケン……」
ミナが不安そうな顔で、俺の背中に隠れた。カイは、男たちを睨みつけている。
俺は、面倒なことになったな、と思いつつも、冷静に対応することにした。ここで怒りを露わにしても、相手の思う壺だ。
「俺たちがどんな依頼を受けようが、あなたたちには関係ないでしょう。それに、どんな仕事にも、貴賎はないと思いますが」
俺が静かにそう言うと、男の表情が引きつった。
「あぁ?なんだと、この素人が。俺たちに口答えする気か?」
男が、俺の胸ぐらを掴もうと、手を伸ばしてくる。
その瞬間、男の手がピタリと止まった。いや、止められたのだ。
「ギルド内での私闘は禁止されています。それ以上問題を起こすようであれば、相応のペナルティを科しますが、よろしいですか?」
凛とした声と共に、俺と男の間に割って入ったのは、受付のサラさんだった。彼女は、先ほどの柔和な笑顔からは想像もつかないような、厳しい表情で男たちを睨みつけている。
「……ちっ、サラさんかよ。分かったよ、やめりゃいいんだろ、やめれば」
男はばつが悪そうにそう言うと、仲間たちと共にその場を去っていった。
サラさんは、男たちの背中が見えなくなるのを確認すると、俺たちの方に向き直り、にっこりと微笑んだ。
「お怪我はありませんでしたか、ケンさん?」
「ええ、大丈夫です。助けていただいて、ありがとうございます」
「いえいえ。困った時はお互い様ですから。あの人たちも、根は悪い人じゃないんですけどね。少し、口が悪いだけで」
サラさんはそう言って笑うが、ギルドの受付嬢が、あの屈強な冒険者たちを一声で黙らせるとは。彼女、一体何者なんだろうか。
「月光草の依頼ですね。承りました。依頼達成の報告は、こちらのカウンターまでお願いします。お気をつけて」
サラさんに見送られ、俺たちはギルドを後にした。
少し後味の悪い出来事はあったが、俺はそれほど気にしていなかった。どこの世界にも、ああいう人間はいるものだ。
それよりも、俺たちの最初の仕事が決まった。そのことへの期待で、胸が高鳴っていた。
「さあ、二人とも。仕事の前に、まずは腹ごしらえだ。今日は俺が奢るぞ!」
「ほんと!?」
「やったー!」
俺たちは、ギルドの近くにあった食堂へと向かった。これから始まる新しい生活への希望を胸に。
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