第15話 黒騎士
床に落ちていた剣を抜く。剣は妖しい光を放っていた。これから訪れる死を案ずるかのように。くしゃくしゃになった俺の顔……はは、顔だけはイケてるか。
♢♢♢♢♢
時間が静止した。灰色の世界で一秒が一年に感じる程の遅さで。
(またかよ!お前は。いやアンタは誰だ!)
♢♦︎♦︎♢♢
(はぁ?)
♦︎♢♢♦︎♢
(もういい。さようなら)
♢♢♢♦︎♦︎
!?突如脳裏に映ったのは、深い森林の中で亜麻色の長い髪の女がいた。黒い甲冑姿の彼女は俺に気づくやいなや紫の瞳を差し向けた。そして彼女は不安そうな声で言う。
『お願い。私をここから救い出して』
「えらい急だなぁ。そもそも君は誰だ?」
『教えたら助けてくれますか?』
「勿論だ。……今のところ脱出する手立ては無いけど」
『わかりました。私はロクサネ———』
その名前を聞いたとき、最初に倒したあの男を思い出した。
「君がロクサネなのか?」
『?私をご存じなのですか』
「あぁ、俺がころ…いや看取った男が死ぬ前にその名を呼んでいた。そして男はこう、こう言ってい……」
突如として大地が裂け、俺は奈落の底へ落下した。地上の光が徐々に小さくなっていく。
(!?)
世界は再び元に戻った。だらんと持っていた剣を下ろす。力が入らないのだ。サイケデリックで神秘的な体験をした俺はあれだけ纏わりついていた希死念慮が綺麗サッパリ消え去っていたのに気付いた。
「知りたければ生きろか……」
思わず空虚な笑いを上げた。生きる目的がたった一人の女か。なぁアルバトフ、お前は平凡な男として一生を終えたそうじゃないか。
生きてるか死んでるかは知らんが、第二の人生は俺が享受してやろう。お前は絶対に邪魔するな。
今日を以てアルバトフは死んだ。そしてミカミ・ユータの人生が始まる。
「さて、まずはこの地獄から生き延びないとな」
天幕を開けると、そこは戦場だった。逃げ遅れた味方を敵騎馬は容赦なく屠る。眼球が絶え間なく動く。そして嬉しい事が二つ起きた。
「がっ……」
一つ、ロイゲアだ。ハルバードの尖端が彼の喉元を突き破った。ハルバードを引き抜くと文字通り彼の喉に風穴が開きそのまま前へ斃れた。
二つ、彼を殺した相手が黒の甲冑、黒騎士だ。おいおい始まって早々かよ。
「何奴か」
馬上の黒騎士はハルバードにこびりついた血肉を振りはらって言った。その声はまるで獅子の威嚇が如く、耳にしたとき、内臓が縮まるような感覚を味わった。
「ヴァール傭兵団仮入隊のユータだ。黒いの!聞きたいことが——あっ逃げるな」
俺の話を聞き終える間もなく黒騎士は背を向けた。
「生き急ぎの莫迦が…今回だけ見逃してやる。お前が信じる神とやらに感謝するんだな」
黒騎士の姿が段々と小さくなっていく。これで良いんだ、人違いかもしれない。でも俺はすでに覚悟を決めていた。
「———!!!」
そして、ソレを大声で言ったとき周囲の空気が一変した。さっきまで俺に情けをかけていた黒騎士が発する禍々しい殺気によってだ。
馬上の念を感じ取った彼の馬が同調して興奮している。黒い兜の隙間から獅子の咆哮すら生ぬるい、恐ろしい声で訊ねた。
「……何故その名を知っている?」
構えたハルバードが俺を睨んでいる。今すぐにでもお前を屠ってやる、と。
「殺した男の遺言だ。途中で死んだが、そいつは自分を爺と——!!」
ハルバードの刀身が顔上を通過した。咄嗟に【例の能力】を使って回避した。間に合わなかった前髪の一部が乱舞した。赤毛のワルツだ。
【灰色の世界】———生命の危機に瀕する時発動する全ての動作がスローモーションとなる。
その能力を以てしてもハルバードは素早く感じた。本当に間一髪で、もし一秒でも遅れたら、と戦慄を覚える。
「あれは!?」
ダルリの剣は敵の左肩に深くめり込んでいた。剣を引き抜き、黒騎士の方へ視線を見遣った。敵も味方も同様、二人の戦いを見守った。
「かの必殺と呼ばれた騎士殿のハルバードを奴は躱したというのか!!」
ダルリは驚愕を禁じ得なかった。そんな筈はない、偶然にも幸運の女神が味方しただけだ。二度目はない。
「フッ避けたか」
黒騎士は再び距離を取って得物を構える。俺も負けじと剣を構えた。目のピントが何度もハルバードの方へ意識する。
誰もが固唾を飲む。そして!!
「持ち上げた!?」
ハルバードが天高く現れた。マズイ何処からだ!!
再び発動した。両手持って剣の右に構えて数秒後、ハルバードと剣が交差し——
キィンッッ!!!
衝撃が右手首を襲い骨ごと捻っていった。
「ぐおわぁぁ」
右手首の痛覚が全身をズタズタにした。次に馬が体当たりした。誇張無しに身体は宙を飛んでギャラリーにぶつかった。数人を巻き込み地面に倒れる。
流石に無理か、でも次こそは……?右手に力が入らない。恐る恐る見てみると、右手首がおぞましい色のアザを発露していた。
「あ、あ……」
声を出すことすら無理だった。右手首が明後日の方向にダランと垂れ、まともに使える代物では無くなっていた。
一方で黒騎士は健在であった。
「幕だ。その命頂戴する」
馬が近づき野次馬たちは一斉に散会した。地面に横たわった俺は惨めにも馬に乗った黒騎士を見上げるしか無かった。
「お前にしては上出来だ。褒めて遣わす」
「それは光栄だ」
「最後に遺す言葉は?」
「そうだな、一つ聞きたいことがある」
「何だ」
「名前を知りたい。死んだ仲間同士、誰に殺されたかで自慢し合いたいんでね」
「最期まで軽口を叩くか、呆れる。残念だが答える気は無い」
「あぁそうかい!!じゃあ代わりに俺が言ってやる!!」
「よせっ!!」
お前の名は……
“ロクサネ・ツー・フォーミュラ”
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