規制されてしかるべき私達の

雲丹倉 ウニ

1.私のための照りマヨ豚とろ弁当①

——高校二年生 四月の始業式 木曜日の夕方  星見ほしみ凛虎りんこ



 もしも、私が主人公なのだとしたら、きっと駄作ださくになるんだろうな……。


『あなたの人生の主人公は、あなただ!』


 お弁当屋さんの店内に貼られた求人広告きゅうじんこうこくのキャッチフレーズに、ゆるいめ息がれていく。

 もし、本当に私が主人公なら、記念すべき高校二年生編の第一話は、家の玄関に座っているだけで終わってしまうのだ。

 その作品が映像なら、暗い玄関にうずくまる女の子が延々えんえんと流し続けられて、終わる。

 そんなものは、もはや事故か、事件だ。

 だけど、こういう日が最近たまにある。

 いつも通り制服に着替え、玄関でローファーをき、そして、立ちあがれなくなる。

 ぼんやりと力が抜けてほうける身体。

 その内側でいくらもがいても、心が神経に伝わらない。

 凄く疲れているわけでもないし、特別辛いことがあったわけでもない。

 それなのに時折、こうして登校できなくなることが、二ヶ月に一回くらいある。

 だけど、そんなに大げさなことではないのだ。

 下校時刻を過ぎれば、お腹が食事を要求し始めて、スッと足も立ち上がるのだから。

 我が身の現金さに、頭が痛くなる。二十時間以上絶食したせいか、やけに重くて痛い。

 とりあえず、足が言うことを聞くうちに何か食べておこう。

 そう思って、今、お気に入りのメニューがあるお弁当屋さんにまで、スタスタと歩いて来たところだった。

 私の意思にはしたがわないくせに、食欲には従順じゅうじゅんな足を、小さくつねる。

 明日の朝は、ちゃんと動いてくれるのだろうか。

 友達のいない学校に、この先も友達が出来ないであろう私を、ちゃんと運んでくれるのだろうか。


りマヨとんとろ弁当のお客様ー。お待たせいたしましたー。どうぞー」


 あざざいます、と口の中でお礼がもつれる。今日初めての発声だったから仕方ない。

 出来立できたての大好物を受け取った手のひらが、じんわりとぬくもっていく。

 待ち遠しい思いで袋をのぞくと、ほかほかの熱気が私のほほをくすぐった。

 空虚くうきょな一日を過ごしたからか、お弁当のくれる温もりが、なんだかとても嬉しかった。

 それなのに、店の外へ出た瞬間、ほくほくと私を包んでいた幸福感は、急激に冷え込んでしまう。


「あはは、ふふ! あははは! あっ……」


 たまたま店の前を通り掛かった同級生の二人が、私に遭遇そうぐうしてしまったのだ。

 一年生の時に同じクラスだった優しい優恵ゆえさんと、違うクラスだった元気な咲彩さあやさん。


「……こんにちわ、凛虎さん」


 気をつかって、柔らかに笑い掛けてくれた優恵さん。

 その花のような微笑ほほえみに、私は思わず、口を開いてしまった。


「なに笑ってんの?」


 その声は、酷く冷淡れいたんひびいた。

 二人の表情が凍り、私の表情も凍る。

 きっと誤解ごかいを与えてしまった。

 今、私が言いたかったのは、「楽しそうに笑ってたね。何の話で笑ってたの?」だ。

 大慌てで脳内をけ回り、弁明べんめいの言葉を必死に模索もさくする。

 だけど私より先に、優恵さんのほうが場の空気をやわらげようと頑張りだしてしまった。


「あ、あの、凛虎さんと私、また同じクラスで、その、あ、今日、委員決めをしたよ!」

「そう。で、何?」


 強張こわばったのどから無理やり押し出した私の声は、非常にあつが強く、まるで喧嘩腰けんかごしだった。

 心底、自分が嫌になる。

 私に友達ができない理由は、これだ。

 私が言葉を発すると、そのほとんどが人を突き放すような物言いになってしまう。

 今だって真意しんいは、「そうなんだ。また同じクラスなんだね。それで、私は何かの委員に決まったのかな?」だ。

 アワアワする優恵さんと絶句ぜっくしている沙彩さんに、私のたまれなさもきわまっていく。

 さっきまで二人は、ただ楽しくおしゃべりしていただけなのに。

 申し訳なさにえきれず、悪気わるぎが無い事を愛想笑あいそわらいで伝えて、立ち去ろうと決める。

 それもあんじょう


「……ハッ」


 二人を嘲笑ちょうしょうするような声音こわねとなった。


「感じ悪ゥッ‼」


 すれ違いざまに爆発した沙彩さんの怒号どごうは、私の自己評価と見事に重なった。


「何あれ⁉ 感じ悪いギャルとか、うまみゼロじゃん! 最悪! あの人大嫌い‼」


 歩き去る私の背中に突き刺さったその罵倒ばとうは、強烈きょうれつだった。

 あの場から離れても、まだジクジクと毒がみるように心が痛む。

 とても痛むのに、頭の中では、咲彩さんの声が何度も繰り返し再生され続けてしまう。

 何度も何度も繰り返し、延々と、止まらない。

 たぶん、友達のために怒って発せられた言葉を、私の脳が酷くうらやましがっているんだ。

 だけど、そのせいで心のほうは、よりみじめになっていく。

 憧れの友情でめ付けられながら、もる正当な悪言あくげんに埋まっていく。

 感じ悪い……、ギャル……、旨みゼロ……、最悪……、大嫌い……。

 ……ギャル。私は、ギャルに分類されて、いいのだろうか?

 脱色だっしょくし直したばかりの金の髪をつまんで見ると、黒でそろえた耳のピアスを花冷はなびえの風が撫でた。

 明るくて活発で、友達が多く、メンタルが強い。そんなギャルのイメージと自分を照らし合わせて該当がいとうするのは、髪色とピアスくらいだろう。

 内面は真逆だ。

 暗くて消極的で、ひとりで、メンタルが弱いのだから。


『強く生きなさい』


 ふと、頭の中に、母の言葉が浮かんだ。この言葉は、母の口癖だ。

 私は物心つく前から、強くれ、と何度も母にり込まれて生きてきた。

 その結果、幼い頃の私は、弱さを見せる事を極端きょくたんに良しとせず、しかめっつらと高圧的な態度で武装ぶそうした、本当に可愛げのない子供だったのだ。

 多くの純粋な優しさをこばみ、無垢むくな善意を幾度いくどとなく傷付けて、生きてきた。

 思い返すだけでも、悔恨かいこんの念で泣きたい気分になる。

 そうやって心が弱ってくると、決まって脳内には、母の声が響きはじめる。


『凛虎、強く生きなさい』


 凛虎。凛としたとら

 父が付けたというこの名前が、また良くなかった。

 女の子の名前にしてはめずらしい虎の字は、クラスが変わる度に揶揄からかわれ、そしてその度に私は、過剰かじょうに冷たいとげいて内紛ないふん勃発ぼっぱつさせてきた。

 さらに愛嬌あいきょうの無い私は、席替えの度にも敵を増やしていく。

 そんな歴戦れきせんの中で経験値けいけんちを積んだのか、いつの間にか、私の言葉のやりは自動迎撃げいげき機能を搭載とうさいし、渋面じゅうめんよろい何故なぜ殺傷力さっしょうりょくを得てしまった。

 だけど、長年の孤軍奮闘こぐんふんとう成果せいかはあった。

 いじめなどにいたることもなく、中学のなかば頃にもなると、表立ったいさかいはほとんど無くなってくれたのだから。

 それなのに、私は、今でも孤立こりつし続けている。

 気が付けば私は、相手を牽制けんせいするような刺々とげとげしい物言いしか、できなくなっていた。

 人と向き合うと、眉をしかめ、口を引きむすび、怪訝けげんそうな表情でかまえずにはいられない。

 恐ろしいことに、多くの子ども達から呪われてきた装備品が、今や私のしんにまでみ付いてしまい、もうはずすことができなくなっていたのだ。

 私はもう、コミュニケーションがまともに取れなくなっていた。

 特に、同年代とのコミュニケーションが。


「…………あぁっ……」


 思わず、声がこぼれてしまう。

 ひとごとは、メンタルが弱っている時の合図。心の悲鳴だ。

 すっかりめたお弁当を抱きしめて、私はマンションに帰る足を早めた。


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