揺曳

舎まゆ

揺曳

 私はふらつきながら、ジェットコースターの乗降場に足をつけた。定められた気ままな急上昇、急降下、急旋回が私の三半規管を揺さぶったので、まだふわふわとした心地のまま預けていた荷物を持った。

「ナオちゃんったら!」

 後ろから飛んできたはしゃぐ声に、私はそちらを向いた。隣で同じように振り回されていたはずの私の連れは、ひどく嬉しそうな顔で私を笑っている。

「ちょっと、笑わないでよ」

「だってあんなに大声できゃあきゃあ言ってるナオちゃん、初めて見たもの!」

 いつもの小さなショルダーバッグをカゴから拾い上げながら、真っ直ぐに私の元に来るさなえを、私は気恥ずかしさから軽く睨み付けた。私たちを乗せていたコースターは、次の乗客がいないせいかガタガタと拗ねたような音をさせて、走り去っていった。

 外に出て息を吐く。派手な音を立ててジェットコースターは走っているがそれに振り回される悲鳴は聞こえない。ティーカップはひび割れた音楽に合わせてくるくると回っているが、ハンドルを無慈悲に回す子どもなんていないので、ただ一定の速度でつまらなく踊っているだけだった。

「良いペースで遊べてるよね、私たち」

「待ち時間なんて無かったもの。本当に誰もいないなんて、大丈夫かな?」

「大丈夫じゃないから、廃園になるんだよ」

 私の言葉に、そっか、とさなえは微かに俯いた。寂しげに笑みを浮かべたのを見た途端、私は言葉を間違えたことを悟り、軽く唇を尖らせた。すぐにどう言い繕えばいいのかを考えて、私はぎこちなく、だから、と続ければさなえはそっと顔を上げて、私の言葉を待ってくれた。

「だから、後悔しないようにしよう」

「うん、ナオちゃんの言うとおり。ナオちゃんと遊園地を独り占め出来るだなんて、なんて良い日かしら」

 さなえは私に微笑んで、はい、と手を差し出した。その滑らかで、柔らかな手のひらに私は私の手のひらを重ねる。こっち、とゆるく手を引くさなえの、柔らかい髪が背中の上で揺れた。


「そういえば、なんにも買ってない」

 お化け屋敷に入ったものの、やる気の無いお化けが可笑しくて笑いながらそこから出てみれば、目の前に売店があった。薄暗い店内を外から眺め、さなえはふと思いついたように言った。

「お土産? 家族に?」

「そういうのじゃなくて」

 私の問いをさなえは否定する。のんびりとした足取りで店の中へと入っていく彼女を追って、私も入った。店の照明は節電のためか、それとももう取り替える必要も無いと開き直っているのか、元気がない。台の上に積まれたクッキーの箱はうっすらと埃を被っていた。

「私たちのための何かをね、買ってないよ。ナオちゃん」

 壁際の棚に並べられたくたびれたぬいぐるみ、古いデザインのキーホルダー、硝子の曇ったスノードーム。それらをひとつひとつ、さなえは品定めしている。

「必要?」

「うん、絶対必要。だって思い出だもの。私とナオちゃんだけのね、ちゃんと買わなきゃ来た甲斐が無いよ」

 ナオちゃんも選んでよと促されて、私は素直に従った。この遊園地のマスコットが描かれたキーホルダーなんて、小さな頃に家族に連れられて遊びに来た当時のままだ。二十年近く、デザインを変えないまま今に至ったのだろう。

「あ、ほら! 四十年間、今までありがとうデザインだって!」

「へえ」

 そこだけが真新しかった。さなえがキーホルダーをひとつ摘まみ上げれば、閉園日と、笑顔でポーズを決めるマスコットたち――子犬と子猫の二人組が描かれていた。その笑顔も閉園が決まっていると思い起こせばどこか寂しい。

「これだといつ行ったか分かるから、いいかもね。だって、日付ってウソじゃないでしょ」

 同じデザインのものを摘まみ上げた私に、さなえはうんうんと頷いた。おそろいだ! と喜ぶ彼女のそれをとって、私はレジに向かう。退屈そうに立っていたレジ係の前にキーホルダー二つを置くと、奇妙な顔をさせながら彼はそこについたバーコードを読み込んだ。


 お互い、キーホルダーを揺らしながら園内を回った。ティーカップ、バイキング、おかわりのジェットコースター。

 何に乗ってもさなえは楽しいと笑った。再び三半規管を駄目にしかけた私の手を握って、ほら、パレードが始まるよと引っ張ってくる。

 情けない足取りのまま、パレードが通る位置に連れてこられると、ふと頭上で何かの唸り声がした。

 ぱた、と小さな雫が私の頭を叩いた。ぱた、ぱた、ぱたぱたぱぱぱ。

「うそ、雨?」

「えーっ」

 今日の予報は晴れだったのに、と嘆くさなえの手を掴んで、本格的に降り出した雨から逃げるために近くの屋根へと走る。軽く濡れたけど、たいした問題じゃなかった。

「髪の毛拭いて」

「いいの?」

「いいよ」

 持っていたタオルハンカチを手渡して、私は携帯端末の画面に視線を落とした。天気アプリを開いて雨雲レーダーを表示する。その合間にも、雨は強くなっていく。


 ――予定しておりましたパレードは、荒天の為中止とさせていただきます。どうぞご了承ください……。


「そんなぁ」

 気落ちするさなえの頭を、タオルハンカチ越しに撫でる。見たかったなあ、と零すさなえの傍らで、私は彼女の楽しみを奪った雨雲が暫く居座るらしいことを悟った。雷も鳴っている。これだと屋外のアトラクションは案内を止めるだろう。

「もう最後なのに」

 さなえが呟いて、私はそちらを見た。濡れた髪を拭いて湿ったタオルハンカチを握りしめて、雨を見つめている。この遊園地が持つなけなしの華やかさが灰色に染まるのを眺めながら、私たちは暫く呆然と、突っ立っていた。


 ――魔法をかけたブランコに乗って、不思議な旅をしよう!


 不意に、私の耳に届いたのは重々しい空気には些か場違いな、明るい声だった。やはり音割れしたそれは、コミカルな音楽と共に繰り返されている。私たちの背後から、聞こえてくるようだった。

「あ……」

 私は思わず声を出した。雨宿りをするべく駆け込んだそこが、実に懐かしいアトラクションだったからだ。昔はここにも長い列が出来ていたというのに今となっては列を作るロープが虚しい。

「さなえ」

 微かに早くなった鼓動を抑えながら、私はさなえを呼んだ。ねえ、さなえ。覚えてる? 私の問いにさなえがどうしたの、と振り向けばすぐに、あ、と小さな声を漏らした。

「乗ろうよ、これ。最後だから」

 私は、乗り場で次々に行進する〝魔法をかけたブランコ〟を模した二人がけの乗り物に目を奪われながら提案した。さなえは小さく息を呑んで、しかし雨降りしきる外を見やった。

「でも、遅くなったら雨が強くなっちゃうかも」

「それでもいいよ」

「ナオちゃん、明日は――」

「うん。でもいいよ、雨に濡れて風邪をひいたって休むから」

 でもでも、と急にしおらしくなって躊躇いを見せるさなえの手を、私はぐっと掴んだ。さなえのすべらかな手は、雨のせいで急に冷えたからか微かに震えている。

「もしかすると、乗っている間にやむかもしれないから」

 私はさなえに笑いかけて、励ました。すると彼女ははっとした顔をして、こくりと頷いた。


 二人乗りの〝魔法をかけたブランコ〟に腰を下ろす。背もたれがあって、くたびれた座面のそれは年季を感じさせた。大人になった私たちが乗ると、随分と狭い。足を置く場所はなく、私たちの足はゆらゆらと頼りなく揺れて、濡れた靴のつま先から雫が滴った。

 がこん、とぎこちなく安全バーが降りてくる。それは私たち二人の身体をしっかりと固定し、間違ってもブランコから落ちないようにという意志を見せた。

 ブランコはゆっくりと出発し、暗闇の中へと入っていく。目の前にあるはずの腕の輪郭すら見えないまま、私たちはどこかへと運ばれていくのだ。

「……ナオちゃん」

「うん?」

 さなえが、何故か声を潜めて私に呼びかけてくる。応えれば、ほっと、息を吐く音が聞こえた。

「ううん、ちょっと不安になっただけ」

「なにそれ」

「思ったより暗くて……ナオちゃんはいるかなーって」

「いるよ」

 安全バーで動けないし、と私が答えるとそうだったねとさなえが笑う。まだブランコは暗闇を進んでいる。こんなにも長かったかな、と私も不安になって、思わず隣にいるはずの彼女へと視線を向けた。すると見計らったかのように暗闇は途切れ、燦々とした明るさがさなえの顔を照らした。

「わあ……」

 建物の中に作られたジャングルに、さなえは先ほどの悲しみが拭い去られたようで、目を輝かせた。

「見て、かわいい」

 さなえが指さした先には、色鮮やかな羽毛を纏った鳥が木の枝で羽を休めていた。もちろん本物ではなく、機械仕掛けのものだ。しかし長年の役目をものともせず、それは美しく囀り、羽根を広げたり、首を傾げている。そこかしこで、鳥たちは囀っていた。私たちが乗る魔法のブランコは、ジャングルの茂みに向かい合うように角度を変えながら進んでいく。

「ジャングル、行ってみたいなあ」

 さなえは出し抜けに呟いた。返答できずにいる私に笑って、さなえは続ける。

「楽しそうじゃない?」

 ブランコが奥に進むほど、木々は生い茂り、花は咲き誇っていた。外から見た建物の大きさを思えば、随分広いな、と思いながら、私はさなえの語る言葉に耳を傾けた。

「こうやって木をかき分けてね、私は進んでいくの。綺麗な鳥とか、ゾウとかヒョウとかに出会って……それから一番奥深くで、綺麗な花が咲く木を見つけるんだ」

 さなえの言葉に応えるように、茂みからゾウが顔を出し、木々の間を獣の影が横切る。

「それで、私はその木を切り倒すの」

「……どうして?」

「うん。遠慮も容赦もしないわ。ジャングルの奥でひとりぼっちのまま、綺麗な花が咲く木を。倒れる時に音がするよ。でもそれを聞くのは、世界でたった一人、私だけなの」

 ブランコは再び向きを変えた。目の前に洞窟が口を開けて、私たちを飲み込もうとしている。私はさなえの言葉の意図を理解しようと試みたけど、理解なんか出来なかった。洞窟に埋まる鉱石の光が目に滲むたびに、どうしようもなく胸がざわついた。それに呼応するかのようにブランコはゆっくりと、上昇しているようだった。

 洞窟を抜けると、満天の星だった。天井は見えないほど――私にはそれが本物の夜空で、魔法のブランコは何か不思議な力をもって本当に空を飛び、雨雲を突き抜けて成層圏のあたりを飛んでいるのではないかと錯覚した。私たちの揺れる足の下も、床ではなく、永遠に落ち続けてしまいそうな闇だった。私は星々が瞬く空間に放り出されたような気持ちになって、心細くなってしまった。さなえはそんな私に気がついたのか、安全バーの上に置いた私の手に触れて、そっと指を絡めてきた。

「ねえ、ナオちゃん」

 さなえが私の顔を覗き込む。丸くて人懐っこい目をそっと細めて、緩く笑みを浮かべて、夢を見るような顔で。

「覚えていてね。思い出してね。どこかで木が倒れる音がしたとき、夜空で流れ星を見たとき、私のことを」

「――……」

 がくん、とブランコが揺れて、私の視界に夜空が広がった。耳元でびゅうびゅうと風の音がして、私は、思わず目を瞑った。恐ろしかったのだ。このまま永久に落ちてゆくような気がして。

「さなえ」

 思わず、私は私が愛した人を呼んだ。私の手の甲に柔らかな手のひらの温かさが重なったのを、はっきりと感じ取った。


 ――当園は、閉園時間を迎えました……。今日一日、楽しかったですか? どなた様もお気をつけてお帰りください……。


 ゆらゆらと己のつま先が揺れているのを、私はぼんやりと眺めていた。顔を上げると、天気の癇癪が収まったのか、雨は止んで湿った空気を漂わせていた。安全バーがゆっくりと上がる。それはどこか木が軋む音に似ていた。私は急かされるように立ち上がり、一歩踏み出す。まだふわふわとした意識のままだったからか、ほんの少しふらついた。その拍子に鞄につけたキーホルダーの音がして、私は――。



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揺曳 舎まゆ @Yado_mayu

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