02.混乱してる俺を誰か慰めてくれ
オークを倒した翌朝。
彼方は硬い寝床の上にいた。
軋む身体。見慣れない木の天井。
そして、この手で化け物を斬ったという感触だけが、しつこく残っていた。
「……やっぱり夢じゃないのか」
小屋に落ちる独り言は、思わずため息まじりである。
昨夜は村人が「アッシュ様」のために用意してくれた部屋で過ごしたが、眠れたのはほんのわずか。
目を閉じてもすぐ現実に引き戻され……結局、朝までぐるぐると考え続けていたのである。
(うん、泣きたい。むしろ大声で号泣したい)
平凡な学生が一夜にして“最強の戦士”になれるはずもないのに、現実は非情だった。
だが、泣いても状況は変わらないのだ。
(しゃーない……ひとまずは情報収集しないと、何にもわからないもんな)
腹をくくって立ち上がる彼方。それは、人生で一番重い腰だった。
外に出ると、村人たちが一斉にこちらに頭を下げてきた。自分を“最強の戦士アッシュ”として受け入れている様子に、安堵の息を吐く。
(……よし、一晩経ってもバレてない。口数が少なくても問題なさそうだ。……アッシュさんがめちゃくちゃ喋る人じゃなくてよかったぁ)
「アッシュ」自身の記憶を持っていない彼方にとって、これはありがたいことだった。そんな状況に全力で甘えつつ、村人の会話に耳を澄ませて情報を拾っていく。
朝食の席で、昨日の老人が恐縮しながら語ってくれたこと。
村の子供たちが、英雄を見る目で遠巻きに囁き合っていたこと。
そして、王都へと向かうための準備をしてくれている女性たちの会話。
それらの情報を、彼方は自室に戻ってから、必死に頭の中で繋ぎ合わせていた。
(よし、一旦落ち着いて整理しよう)
彼方は、見慣れない自分の顔を水面に映して眺めながら思考を巡らせる。
(まず、この身体は『アッシュ』というこの国では最強の戦士のもの。この国、『シルヴァリア』は国全体がかなり貧しい。原因は……魔物の大量発生で崩壊してから立て直しているところだから……ってことだったよな……)
「オーク一匹にこの国一番の戦士の力を借りてしまうとは。誠に申し訳ありませんでした」
と、心底申し訳なさそうな村人の言葉を思い出す。
しきりに恐縮している村人たちだったが、彼方はそのオーク一匹に大泣きした経験から、彼らを責める気にはならなかった。
しかも村には老人と子供ばかり。働き盛りの男の姿はない。この状況なら、魔物一匹でも十分に脅威だっただろう。
(そりゃオーク一匹でも大事件だわな……)
が、これだけでは無い様子なのが、今の彼方の頭を悩ませていた。
(……王都に行って、王様に会う途中だった……んだよな俺? しかも次の魔物大量発生の噂とか、やめてよそういう不吉なの!)
冗談じゃない。営業事務で内定をもらっていた一般人に、国の命運なんて背負えるわけがないのである。
(でもなぁ……)
彼方の脳裏に、またもや村人たちの会話が蘇った。
「王都の皆も、アッシュ様のご帰還を心待ちにしているだろうな」
「アッシュ様も……ご家族にやっと会えるのだ。少しは心穏やかな時間があるといいのだがな……」
アッシュにはどうやら「家族」がいるらしい。
彼方にとっては、顔も知らない会ったこともない赤の他人。だけどこの体とは血が繋がっている。故に“家族”に他ならない。
(でも、……俺がもし逃げたりしたら……)
王命を無視して、戦士であるはずの男が逃亡したとなればどうなるか……。残されたアッシュの家族の行く末を想像した彼方は、背筋が薄ら寒くなった。
どう現実逃避しても、結論は決まっていた。
この無理難題を詰め込んだロールプレイをクリアできる気は全くしなかったが、他人様の家族を見捨てて逃げ出せるほど、彼方は心が強くなかったのである。
少しはポジティブにならなければと、まずは腹を満たすことにしたのだが、見慣れぬ料理に即座にホームシックになりかけた。涙腺はまだまだ治ってはくれなさそうであった。
それでも、泣き虫の平凡な男にも、少しばかりの漢気は持ち合わせているのだ。
「やってやるか!! 最強の戦士アッシュを!!」
そうして、彼方は村を後にしたのだった。
王都までの道のりは三日。
道中目にした痩せた土地や、懸命に生きる民の姿に、彼方の胸にはズシリと重い何かがのしかかった。
本当にこの国は、国民が必死に耐えていることで成り立っているらしい。そのような有様なのに、どの国民も、一人として国への不平不満を口にしない。
それどころか、
「我らの王へ、どうか祝福があらんことを。辺境の村からの祈りを王へお伝えください」
なんて、自分たちよりよっぽどいい暮らしをしているであろう王様の平穏を願う者ばかりだった。
(ちょっと気味悪いんだけど……)
どうしてここまで王に心酔しているのか疑問だったが、王城に到着したところで彼方は納得してしまった。
ようやく辿り着いた王城は、彼方の想像よりもずっと小さく、そしてずっと古びていた。
そして、この国を治めていたのはあまりにも幼い王だったのである。
こうして、時間は謁見の間の会話へと繋がる。
幼い王が謁見の間で告げたことは三つ。
一つ、先王が自分の身を依代に結んだ結界が綻んできていること。
二つ、結界の綻びを誘発し魔物を利用してこの国を落とそうとする敵国の存在。
三つ、アッシュにこの事態の解決を頼みたいこと。
「シルヴァリアが最強の戦士、アッシュよ。……そなたの肩に全てを委ねてしまう、この愚鈍な王を許してくれるか」
玉座の間に通された彼方は、必死の覚悟で「最強の戦士アッシュ」を演じきった。
(無理ですって言えねえよ!! こんなにちっちゃい子が頑張ってんのに無理でーすって言えるやついねーよ!!)
などと言う内心の絶叫を押し殺し、「この身に代えましても」と、重々しく応える。
その言葉に、幼い王だけでなくその場にいた側近たち全員が、僅かに安堵の表情を浮かべた。
「……感謝する、アッシュ。これで、民も少しは安心できよう」
王はそう言うと、側近たちに目配せをした。
「皆、下がってくれ。アッシュと、……少し二人だけで話がしたい」
その言葉に、側近たちは一礼し、静かに玉座の間から退出していく。
やがて、重厚な扉が閉まり、謁見の間に彼方と幼い王の二人だけが残された。
先ほどまでの、国を背負う王としての張り詰めた空気は消え失せ、目の前にいるのは、どこにでもいるような、不安げな一人の少年に見えた。
王は、玉座から降りると、トコトコと彼方の元へ歩み寄ってくる。
そして、俯いたまま、小さな声でぽつりと呟いた。
「兄様……何も出来なくてごめんなさい」
静寂。
彼方の思考が、完全に停止した。
(……ん?? なんて……??)
聞き間違いだろうか。いや、でも確かにそう聞こえた。
幼い王はまっすぐに自分を見つめ、下唇をかみしめている。
兄様??
あにさま??
(……俺、王様の兄貴なの!!!?)
最強の戦士の身体の中で、ごく平凡な青年の魂が、この日一番の絶叫をあげた。
村で聞いたアッシュの家族。
目の前にいる幼い王——彼こそ、その「家族」のことだったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます