【26冊目】『行方がわからなくなっている小説』

 こんなことならGPS機能を付けとけばよかった。


 実は先週からずっと、連絡が取れない状態が続いている。


 ── 自筆の小説と。


 もしかしたら僕が執筆の際に少しだけ生成AIを試したりしたのが気に障ったのかもしれない。


 小説というものはだいたいそうなのかもしれないけど、“彼”も情緒が起承転結していて不安定なほうだったから……。


 それでもこの半年くらいの間、昼間の仕事の傍、コツコツ書いてきた大事な小説が突然いなくなってしまったショックは大きくて、夜も眠れなかった。


 確かに、もう一度書き直せばいいのかもしれないが、あの原稿にはとても愛着があるし、たとえ同じものが出来上がったとしても、熱量が変わってしまうのがものすごく嫌なのだ。


 それにあの小説自身が自分に合ったジャンルの文学新人賞宛に自分でで郵送されに行った可能性だってあるから、二重応募規定の観点からも身動きが取れない。


 ダメもとで心当たりの文学賞事務局には電話やメールで聞いてもみた。


『そういったお問い合わせにはお答えできません』とのこと。


 そりゃそうだ。


 聞き方が、「そちらにウチの小説が伺ってませんか?」というものなのだから……。


 どうしたものか……。


 こういう場合の『途方の暮れかた』すらわからない。

まさか近所に“迷い小説”の張り紙をするわけにもいかない。


 とにかく小説の無事を祈りつつ、〆切順に各賞の選考経過報告にアンテナを張ったり、もしかしたら手順をすっ飛ばして出版されに行っている可能性もあるので、新作情報もくまなくチェックする日々を続けた。


 しかし、いっこうにその足取りは掴めず、“彼”の消息は杳として知れなかった。


 彼は僕が書いたものなのに……。


 ある事故調査員のかたがこんなことを言っていたのを思い出した。


「“安全”というと『危険が全て排除された状態をイメージする人が多いが、実は『リスクが許容できる範囲にあることに過ぎない』ことなんだと。『それが“安全”というものの正体なんだ』と……」



📖  📖  📖  📖



 さらに数ヶ月の間、まんじりともせずに僕は小説の帰りを待ち続けた。


 相変わらず手がかりは何もなかった。


 自分の書いた小説の影に、こんなにも自分が追いつけない事態を僕は想像していなかった。


 べつにあの作品がその芸術性において、他の追随を許さない傑作ってわけでもないだろうに……、追いつけない。


 夢に小説が出てくるようにまでなってしまい、しかもその小説中に僕が出てくる始末になってしまったので、これはいかんということで、とうとう探偵事務所のドアを叩いた。


 ヨーロッパ製の家具を売っていそうな感じに見える探偵所長さんが対応してくれた。


 こういうところに来るのは初めてだけど、なかはもっと雑然としているかと思っていた。


 応接テーブルを挟んで向かい合わせにソファに腰掛ける。相談者が座るには柔らかすぎるソファだ。


僕「こういった依頼はあまりないとは思うので言いづらいのですが……」


探「ははは、大丈夫ですよ。小説に出てくる程度のものまでならなんでもやれますから」


僕「……じゃあ、やめときましょうかね、やっぱ」


 僕は帰りかけた。


探「まあ、話だけでもしていってくださいよ」


 すごく暇なのかも知れない。もしくは、僕がすごく暇な人だと思われているのかもしれない。


 あったかいお茶が出てきてそれを飲んだ。


 その味に“彼”がいなくなったあの日からの季節の移ろいを感じた。


 すべてを僕が話し終わると、その探偵所長さんは冗談で「今のを小説にしてみてはどうですか?」と言って、膝を叩いていた。


 ぜんぜん笑えなかったけど、とりあえずこの件を引き受けてもらい、僕はそこをあとにした。


探「われわれにお任せなさい。へたな小説なんかよりはよっぽど筋を通しますから」


 今度は膝を叩かなかった。



📖  📖  📖  📖




 数日後、思っていたよりも早く、探偵事務所から連絡があった。


 どうやら見つかったらしい。


 詳しくは事務所に来た時に話すとのことだった。もちろん僕は飛んで行った。


 探偵所長さんはしばらくは窓から外を眺めていた。


 僕はテーブルの上に置かれた証拠写真付きの報告書をおそるおそる手に取り、そして中を見た。


 久しぶりに見る“彼”の姿。


 なんと“彼”は本になっていた。


 僕の知らないうちにしっくりくるカテゴリーをみつけたんだろう。とても生き生きと写っている。


 果たして僕はこれを喜ぶんべきなんだろうか、それとも逆なんだろうか……。


 とにかく一刻も早く会いたい。── 僕の小説に。


 するとそこで機先を制するかのように振り向いた探偵所長さんが言った。


探「その小説が写っている場所がどこかをあなたは知らないほうがいいと思います」


僕「なぜですか?僕の小説なんですよ」


 不意の理不尽なやり取りに涙が出てきてしまった。


 ものを書いたことがある人なら今のこの当惑をきっとわかってもらえると思う。


探「“彼”とても幸せそうでしたよ。新しい人と上手くやってるみたいです」


 所長さんはもう一度窓の外を見た。


僕「そう……なんですか……」


 そっと、テーブルに閉じた報告書を置いた。


 僕は誰よりも自分の小説のしあわせを願う者だ。


 たとえそれがどんな形であろうとも……。


 西陽が強烈で


 この部屋の中にいるのが耐えられなくなった……。


 僕はこの先、耐え切れることにしか耐えられなくなるような気がした……。


 それから数年後。


 ようやく気持ちの整理がついた僕は、そのときの出来事を小説にして、新人賞を受賞することができた。その段に至って、やっと僕は“彼”がいなくなった本当の意味がわかった気がした。


 ちなみにその作品内では、“彼”の本当のタイトルは、あえて伏せた。






                      終

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