第36話《色無き御使い》

 葦原 廻(あしはら・めぐり)は心の中で《モノクロームトリガー》を"引いた"。世界を進行させているルールが、現実世界の"それ"から滅びた世界の集合体である《ホワイトカオス》の"それ"へと切り替わる。


 時間が瞬時に停止した。世界から色が失われ、白黒写真のようなモノトーンの世界へと変わっていく。その中で、色を保つのは《ホワイトカオス》由来の力を認知できる超能力者の《ジャッジメント》だけだ。


 目の前の妹・葦原 祷(あしはら・いのり)の色も失われなかった。祷は色が失われた世界を不思議そうに、キョロキョロと眺める。


「祷、認識できたようだな。よかった」


 廻が少しほっとする。祷は胸を張った。


「お兄、6年前と違って、今度は置いていかれないね!」


 6年前に《死神》が現れた時、9歳の葦原 祷は無力だった。2階から飛び降り、メイド長の駒生 仍(こまおい・なお)に連れられて、藍坂 祐奏(あいさか・ゆうか)が呼んだタクシーに乗り込んだことを思い出す。


 あの時は、母の栞を助け出すために、兄の廻も、祐奏も屋敷に行こうとしていた。祷は祐奏が兄を手助けに行くのを見て、自分もタクシーを降りようとした。それを、藍坂 歩奏(あいさか・ほのか)が袖を引いて止める。


「お館様は、お姉ちゃんは葦原家と藍坂家が今後も残るように、わたしたちを逃がそうと考えているわ。祷ちゃんが運動神経抜群でも、大人で《死神》が憑りついた篠垣さんには勝てない。一瞬で何が正解なのか判断できないと、足手まといになるわ。だから、お館様とお姉ちゃんだけでいい。わたしたちは、血を残さないと」


 祷も歩奏も《名家》令嬢だから、家の存続は無視できない。警備員室に走っていく姉を、悔しそうに見る歩奏の顔を見て、祷は抗わずに従うことに決めた。


 でも、その時の自分の無力さがあまりにも悔しかったから、事件以来、合気柔術など、相手の力を逆用する武術を学んだのである。


「祷、頼りにしている。それに、あいつは母さんの仇だ。俺一人の敵じゃないだろ。俺の小説は……読んでいるよな?」


「モチのロン。超能力者の《ジャッジメント》は、滅びた世界の集合体である《ホワイトカオス》に落ちた《世界の欠片》を拾い上げて、超能力の《アクセス》を使う、でしょ。お兄の小説の手順を思い出して、やってみるね」


 祷の周囲に輝くオーラが出現し、その両手は赤黒いオーラを纏う爪で覆われた。


「これが《基本アクセス》でしょ。身を守る結界を張る《アイデンティティガード》と、《ホワイトカオス》に落ちた物品やエネルギーを拾う《アポート》。うーん、何か、この爪、ちょっと敵っぽいね。棒にするわ」


 祷はにっと笑って爪を引っ込め、『西遊記』の孫悟空が使うような棒を取り出した。


「飲み込み速いな。ちなみに、《モノクロームトリガー》を引いた時に、自分がいた場所とポーズは覚えておけよ」


「なんで!? ああ、別な場所で時間を動かしたら、元いた場所から消えちゃうのか」


 察しのいい祷に、廻はニヤリとし、そして宣言した。


「というわけで、付いてこい!」


 番組スタッフに案内されてきた裏口に向けて、廻は走り出す。


 《モノクロームトリガー》を引いた時に、《ホワイトカオス》からのエネルギーが体に流れ込んでいて、廻の身体能力を飛躍的に強化していた。祷が唖然とした1秒の間に、もう15m以上移動している。


「時速60km/hと仮定すると……秒速16.7mか。お兄はやっ」


 祷はそう呟きつつ、兄の後を追った。凄まじい速度で通路が流れていくが、踏みしめた地面への衝撃でモノが動いたりすることはなく、時間停止を実感する。


 一瞬見失いそうになるが、身体能力では祷の方が上で、すぐに追いついた。


「お兄、どこいくの?」


「《死神》は、この世界に長居できない。長居できるなら、6年前に消えたりはしなかったし、俺たちを皆殺しにでもできたはずだ。……ここだ」


 廻は《電気室》と書かれた部屋の前で立ち止まった。時速60km/hを超える速度で走ったことで壊れた靴を《アポート》で脱ぐことなく交換する。


 扉はナンバーロック式で、渦巻くような赤い光がノブを取り巻いていた。


「奴の《時紋》が残っている。やはりここに来ているんだ。《死神》が祐奏を絶望させたいなら、停電させるだけでいいからな。それで番組は中断する。20分停電しただけでも、祐奏は歌えなくなる」


 そう言いつつ、廻は輝く糸を出現させ、ドアノブ全体を糸で取り巻いた。


「お兄、その《アクセス》は!?」


「俺の《固有アクセス》・《マリオネットマイスター》だよ。意志を込めた糸を投射できるし、糸に別の《アクセス》を合わせて使うこともできる」


 そう言うと、ドアノブ付近が青い輝きを帯びた。ドア全体が元の色である緑色を取り戻していた。


「扉に、俺の時間を流し込んで、《解凍》したんだ。で《ウィスパリングパスト》で、場所の記憶を読み取った。つまり」


 そう言いつつ、廻は糸でナンバーロックの解除ボタンを押した。


「うわっ、泥棒し放題だね」


 鮮やかな手際に、祷がツッコミを入れた。


「それは無理。小説にも書いたけど、所属する世界の秩序を乱すような《アクセス》の使い方は、自分の世界から拒絶されて、世界との《アンカー》が失われる」


「つまり?」


「《ホワイトカオス》からの吸引力に抗えなくなって、消滅する。今やっていることも、かなり危険な使い方だけど、そうも言っていられない」


 吸引力に抗うために、意識を集中しつつ、廻は扉を開いた。すぐに部屋に入り、閉じる。扉からは瞬時に色が失われていった。


「あたし、お兄が落ちて行かないように、心の中で掴んでいるね。要するに、お金とか宝石とかは出せないのか。世界が滅茶苦茶になっちゃうから」


 廻は頷き、祷は「ちょっと残念」と笑った。


「……いるね」


 そこで表情を切り替えて、祷は部屋の奥を見た。


 細長いコントロールルームのパネルの前に、色のついた警備員の男が立っていた。パネルの一部が《解凍》され、時間が流されようとしていた。


「──《死神》っ!」


 廻は即座に《マリオネットマイスター》の糸を投射して、警備員を縛り上げる。だが、次の瞬間に《糸》は反射されたように、四散した。貫くように鋭く自身に跳ね返った糸を、廻は消し去ることで防いでいく。


「Serait-ce le Jugement dernier ?... Et c'est Meguri Ashihara Quel homme embêtant !(まさか《ジャッジメント》か……しかも、葦原 廻。厄介な男よ)」


 警備員はフランス語で語った。廻はこの6年間でフランス語を理解するようになっており、相手の言葉を分析した。


(俺を厄介と言ったのか。珠子様の世界の俺と比較しているということか)


「Je ne peux pas utiliser ses pouvoirs tant que je possède ce corps. Je vais tester à quel point tu es une nuisance dans ce monde.(こんな身体に憑りついていては、あの方の力が使えぬ。『こちらの世界』の貴様が、どう厄介か、まずは試そうぞ)」


 そう言うと、男の足元に時計版のような魔法陣が出現する。体内から三重の関節を持つ異常に長い手がぬるりと伸びた。そして細長い体躯が実体化していった。色彩を失った灰白のヴェールと、青い稲妻のような残影が"それ"を取り巻いていた。


 特に異様なのは首から上だった。顔があるべきところに存在したのは砂時計。中で砂が渦巻いて、青白い燐光を放ち、砂が人のような表情を取っ四いた。


 頭部の《砂時計》から流失した砂により、背中には二対四枚の翼が生えていく。翼が羽ばたくたび、周囲の風景も歪んで見えた。


 胴体は燕尾服のような形状。しかしそれは「皮膚」だった。布ではなく、肉が礼服を形作り、ネクタイやカフスのような形の何かが脈打っていた。


 右手には巨大な鎌が握られていた。先端と柄のそれぞれに黒い刃がある。異様なことに、刃の起点に分針と秒針があり、時計盤のような魔力が取り巻いている。


「Si la lumière s'éteint, l'espoir s'évanouira comme du sable. Je suis le Séraphin Incolore. Souvenez-vous-en.(灯りを消せば、希望は砂のように零れ落ちよう。我は《色無き御使い/セラフィン・インコローレ》。以後お見知りおきを)」


 《色無き御使い/セラフィン・インコローレ》は、異様に長い三重関節の手を仰々しく曲げて、嘲るように笑った。頭部の砂は、嘲る時はゆっくりと、殺気を向ける時は激しく渦巻いていた。


「お兄、いきなりラスボス感凄いの来ちゃったね。まぁ、ぶっ飛ばすんだケド」


 祷が不敵に笑い、廻を見た。廻も不敵に笑う。兄には静かな怒りと余裕があった。


(不思議だ。怖くない。お兄がいる。それだけであたしは負けないと思えるんだ)


 この状況でそう思える自分を「戦闘向き」だと、祷は自己分析した。


「待ったぞ《死神》、この時を! 降りかかる死を、運命のままに終わらせない」


 廻は、母・栞の仇である《色無き御使い/セラフィン・インコローレ》に、強くそう宣言すると、頭上に無数の剣を現出させた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る