追放された最強の闇魔法使いは辺境の地でマイペースに生きていく

たなたなか

第1話 自由を手に入れました。

王都ラグランジェ。


その中心に聳え立つ白亜の王宮は、夜であっても煌びやかな灯火に照らされ、眠ることを知らぬ巨城のように輝いていた。


 だが、その大広間に漂う空気は華やぎとは程遠く、冷たい緊張と恐怖で満ちていた。




 集められた貴族や文官、騎士団の幹部たちが居並ぶ中、ひとりの青年がひざまずいている。


 黒衣を纏ったその姿は質素に見えるが、彼の背後に揺らめく漆黒の気配は、見る者すべての背筋を凍りつかせた。




 名は――ディラン・アークレイン。


 年は二十を少し過ぎたばかり。


 黒髪と琥珀の瞳を持つ平凡な青年の外見だが、その身に宿す魔力の深さは異質そのもの。




 彼こそが、この王国における最強の魔法使いにして、忌避される存在。


 人々は彼を「闇魔法の怪物」と呼んだ。




 壇上の王が、重苦しい声を響かせる。


「ディラン。お前を、王国より追放する」




 ざわめきが広間を駆け抜ける。


 文官の一人は安堵の息を漏らし、騎士の何人かは顔を見合わせた。


 そのどれもが、恐怖と同時に解放の色を帯びている。




 ディランは伏せていた顔を上げ、王を真っ直ぐに見据えた。


 その瞳には怒りも嘆きもなく、ただ困惑がにじんでいる。




「……理由を伺ってもよろしいですか?」


「理由だと?」王は低く唸る。「お前の魔力は強大すぎる。もはや我らの制御を超えた。闇魔法は不吉を呼び、国を危うくする」




 その言葉に、ディランは思わず瞬きをした。


 彼は戦場で幾度も前線に立ち、魔物の大軍を押しとどめた。王国を侵略しようとした隣国の魔導師を一瞬で打ち倒したこともある。


 すべてはこの国のために。


 なのに――その結果が、追放。




「……つまり、私が強すぎるから、不要ということですか」


「不要どころか、害悪だ」王は吐き捨てるように言った。「王国は光を掲げる国。闇を抱える余地はない」




 広間にいる誰もが、深くうなずいた。


 恐怖に支配され、理屈を失った同調の動き。




 ディランはしばし黙し、やがて肩をすくめた。


「なるほど……。まあ、仕方ないですね」


「な、何を……」




「だって、嫌われている場所にいても仕方ないでしょう?」




 そのあっけらかんとした口調に、王も臣下たちも言葉を失った。


 最強の魔法使いが追放を言い渡されているというのに、本人は怒りも悲嘆もなく、ただのんびりとした調子で応じている。




 だが、その無頓着さこそが、彼が「どこか抜けている」と言われる所以だった。




「ディラン。これでお前はもはや王国の人間ではない。身分も地位も剥奪する」


「はいはい。じゃあ、荷物をまとめて出ていきます」


「……っ」




 王は言葉を失い、ディランを睨みつけるしかなかった。




 彼は最後に広間をぐるりと見渡す。


 かつて肩を並べた同僚たちは目を逸らし、救われたはずの貴族は安堵と軽蔑の入り混じった表情を浮かべている。




 ――ああ、自分は最初から、居場所を間違えていたのかもしれない。




 そんな思いが一瞬よぎったが、彼はすぐにそれを打ち消した。


 考えても仕方ない。考えたところで、腹が膨れるわけでもない。




「では、失礼します。皆さん、どうかお元気で」




 淡々と告げ、ディランは踵を返す。


 漆黒の外套がひらりと翻り、広間の人々を震えさせた。




 扉が閉じ、彼の背中が消える。


 その瞬間、張り詰めていた空気が一気に解放された。




「やっと……やっと厄介者がいなくなった……!」


「闇の怪物め、二度と戻ってくるな……!」




 人々の囁きが背後で渦巻くのを感じながらも、ディランの足取りは軽かった。




 夜風が頬を撫でる。王宮の灯火を背に、彼はひとり歩き出す。


 月の下で、その顔には微笑が浮かんでいた。




「さて……追放かぁ。となると、明日からどうしましょうかね」




 王国最強の闇魔法使いは、思ったよりも呑気に新たな人生を踏み出したのだった。




 王都を追われたその翌朝、ディランは簡素な荷物をまとめ、南門から街道へと足を踏み出していた。




 背中に背負ったのは革袋ひとつ。


 その中身は、換金した金貨が少々と、予備のローブ、それからパンと干し肉。


 武具らしい武具は何ひとつない。彼にとっては杖すら不要で、魔力さえあれば十分だった。




「さて、と。追放ってことは……自由ってことですよね」




 王都の白い城壁が遠ざかるのを振り返りながら、ディランは小さく伸びをする。


 怒りも未練もなかった。ただ、あの堅苦しい空気から解放されたことに安堵している自分に気づいて、苦笑いを浮かべた。




 空は高く澄み、初夏の風が心地よい。


 街道を進めば小鳥のさえずりが響き、遠くに山脈が青く連なっている。


 王都にいた頃は気づきもしなかった自然の美しさに、少しだけ心が癒される。




 「おや、旅のお方かい?」




 しばらく歩くと、一台の荷馬車が街道を行くのに出会った。


 荷台には木箱が山と積まれており、御者台には日焼けした中年の男が座っている。




「ええ。辺境の方まで行こうかと思ってまして」


「辺境? 好き好んでそんなとこに行くとは……あんた、物好きだねぇ」




 御者の男は首を傾げつつも、にやりと笑った。


「荷台に乗っていきな。森を抜けるまでは物騒だからな」


「ありがとうございます。お言葉に甘えて」




 ディランは荷台に腰を下ろし、がたごとと揺れる中、木箱に背を預けた。




「で、なんで辺境なんぞに?」


「……まあ、ちょっと追放されまして」


「……追放?」




 御者は目を丸くしたが、すぐにあっけらかんと笑った。


「ははぁ、罪人ってわけじゃなさそうだ。アンタの顔色を見りゃ分かる。ま、訳ありってやつだな」


「まあ、そんなところです」




 御者は好奇心をぐっと飲み込み、それ以上は聞いてこなかった。


 その無遠慮すぎない態度に、ディランは少し感心した。王都の連中なら根掘り葉掘り聞いてきただろう。




「辺境はな、土地は痩せてるし魔物も多い。だが、いい人間は多いぞ。俺も昔はあっちに住んでてな」


「そうなんですか。……食べ物はどうです?」


「食べ物?」


「ええ、美味しいんですか?」




 御者は思わず吹き出した。


「ははは! 追放されたってのに、最初に気にするのは飯か!」


「生きる上で大事なことですから」




 ディランは真剣な顔で返し、御者は肩を震わせながら笑い続けた。




 昼を過ぎると、馬車は大きな森の中へ入った。


 鬱蒼とした木々が陽光を遮り、鳥や虫の鳴き声が響く。時折、茂みの奥から獣の唸りが聞こえ、御者の表情が強ばる。




「森ん中は魔物の巣みたいなもんだ。襲われたらひとたまりもねえ」


「そうなんですか。……でも、なんだか静かですね」




 ディランは耳を澄まし、眉をひそめた。


 ――静かすぎる。


 さっきまで鳴いていた鳥の声が、ぱたりと途絶えていた。




 御者もそれに気づいたのか、手綱を引いて馬を止める。


「やべえ、嫌な予感がする」




 次の瞬間。


 森の奥から、獣じみた唸り声とともに、赤い目がいくつも浮かび上がった。




 茂みを押し分け、血に飢えた狼――ブラッドウルフの群れが姿を現す。


 漆黒の毛並み、滴る涎、ぎらつく眼光。


 数は十を超える。




「くそっ……!」


 御者が顔を青ざめさせた瞬間、先頭の狼が飛びかかった。




「おっと」




 ディランは軽く指を鳴らした。


 その瞬間、地面の影が伸び上がり、黒い鎖となって狼たちを絡め取る。




「《奈落の鎖アビスチェーン》」




 狼たちは咆哮を上げ、必死に暴れるが、鎖は容赦なく締め付け、次々と闇に呑み込んでいった。




 ものの数秒。


 血の臭いすら残さず、群れは消え去った。




「ふう。……大丈夫ですよ」


 何事もなかったかのように言うディランに、御者は呆然と口を開けた。




「……お、お前さん、一体……」


「ただの追放された魔法使いです」


「ただの、じゃねえだろ……!」




 御者は震えながらも、深々と頭を下げた。


「助かった……命の恩人だ……!」


「いえいえ。ご飯を食べる前に死なれると困りますから」


「……飯のために助けたのか……?」




 御者は目を丸くしたが、ディランは至って真剣にうなずいた。


 


 森を抜け、夕暮れの空が茜色に染まる頃。


 ようやく視界が開け、小さな村が見えてきた。




「ここが、ローデン村だ」


「ふむ……」




 木造の家々はところどころ崩れ、畑は荒れて草が生い茂っている。


 人影は少なく、子どもたちの笑い声すら聞こえない。


 活気という言葉からは程遠い。




 ディランは、しばし村を眺めて小さく頷いた。


「……なるほど。辺境って、こういう感じなんですね」




 御者は苦笑する。


「魔物に襲われ、収穫も減り、若いもんは出稼ぎに行っちまった。今じゃ老人と子どもばかりさ」


「なるほど」




 ディランはどこか楽しげに微笑んだ。


「逆に言えば、伸びしろがあるってことですよね」


「……は?」




 御者はぽかんとしたが、ディランは村の土の匂いを深く吸い込み、肩を軽く回した。


 ――追放された場所ではなく、これから暮らす新しい場所。


 そう考えると、胸の奥が少しだけわくわくした。




 ローデン村の入り口には、背を丸めた老人が一人、杖をつきながら立っていた。


 白髭をたっぷり蓄えたその男は、御者を見るなり顔を綻ばせる。




「おお、ガルドか。無事に帰ってきたか……!」


「村長さんよ。今回は命拾いしたぜ。こっちのお方が助けてくれたんだ」




 御者――ガルドが指差した先で、ディランは軽く手を上げて会釈した。




「どうも、通りすがりの追放者です」


「追放者、じゃと……?」




 村長は目を丸くしたが、すぐに困ったように笑った。


「まあ訳ありなのじゃろう。それより助けてくれたことに変わりはない。本当に感謝する」


「いえいえ。食事前に襲われて死んでしまっては困りますから」


「……食事のため、かの」




 老人は呆れつつも、どこか柔らかな眼差しを向けた。


 王都なら忌避されるはずの闇魔法を使ったのに、この老人の態度には恐怖よりも感謝が勝っている。




「もし良ければ、今夜は村で休んでいかれよ」


「ありがたいです。腹が減ってまして」




 ディランは即答した。




 夕暮れ時、村人たちが小さな広場に集められ、焚き火の周りで粗末な食事が振る舞われた。


 干し肉の薄切れ、乾いたパン、そして僅かな野菜の煮込み。


 王都の豪奢な宴とは比べ物にならないが、空腹の胃には温かく沁みた。




「ふむ、素朴ですが美味しいですね」


 ディランが真顔で言うと、村人たちは目を丸くし、そして小さく笑った。




 だが、その笑顔はすぐに翳った。


 村の若者がぽつりと漏らす。


「……このままじゃ、冬を越せねえ」




 村長が重々しくうなずいた。


「畑は痩せ、魔物が増え、収穫は半分以下じゃ。井戸も濁り、水を飲んで病に倒れる者もおる」




 その言葉に、ディランは箸を止め、静かに辺りを見回した。


 焚き火に照らされた村人たちの顔は、みな疲れ切っている。痩せ、瞳には希望の光がない。




「なるほど。……じゃあ、少し手を貸しましょうか」




 あまりに軽い口調に、場が一瞬凍りついた。




「……なにを言っておるのじゃ、若いの。ここは辺境じゃぞ。助けなど――」


「できますよ」




 ディランはパンをかじりながら、さらりと言った。




翌朝。村の中央にある古びた井戸の前で、村人たちが半信半疑の目を向けていた。


 濁った水が底から汲み上げられ、ひどい臭気を放っている。




「この井戸が……病の原因だな」




 ディランは縁に手をかざし、低く呟く。


 闇色の魔力が水面を覆い、深く潜っていく。


 普通なら腐敗や毒を祓うのは聖属性の役目とされている。だが、闇は『吸収』の性質を持つ。




「《虚無の抱擁イレイズ》」




 ぼうっと井戸全体が暗く輝き、濁った水が黒い霧となって吸い上げられ、空気に溶けて消えていった。


 代わりに、底から湧き出すのは透明な水。




「……きれいだ」


 村人たちが息を呑んだ。




 ディランは桶ですくい、ためらいなく口をつける。


「うん、飲めますね」


「ま、待て! 危険では……!」


「いえ、もう大丈夫です。味も悪くない」




 村人たちは顔を見合わせ、次々に水を口にした。


 久しく忘れていた清らかな味に、誰もが歓声を上げる。




「すごい……本当に浄化された……!」


「闇魔法でこんなことが……!」




 子どもたちが歓声を上げて駆け回り、老人たちが涙を流して手を合わせた。




 その夜、広場に再び焚き火が焚かれた。


 昨日と同じ食卓だが、誰もが昨日より明るい表情をしている。


 人々の視線は自然とディランへと向かい、感謝と尊敬の色が混じっていた。




「ディラン殿……お主、王都では何をしておった?」


 村長が問いかける。




「ええと、まあ……魔法で戦ったり、ちょっとした雑用をしたり」


「雑用、であんなことができるのか……」




 村人たちが笑い、次第に場が和んでいった。




 食事を終えたあと、ディランはふと星空を見上げる。


 王都では灯火と煙に隠れて見えなかった星々が、無数にきらめいている。




「……悪くないですね、辺境って」




 ぽつりと呟いた声は、夜風に溶けて消えた。


 その胸の奥には、かすかな高揚感が芽生えていた。


 ――ここなら、自分の居場所を見つけられるかもしれない。




 だがその平穏は、長くは続かなかった。




 数日後。


 畑を耕していた若者たちが、血相を変えて駆け込んできた。




「魔物だ! 森から大群が押し寄せてきてる!」




 村は再び恐怖に包まれる。


 しかし、その中心にいたディランはというと、パンをかじりながら立ち上がった。




「……仕方ないですね。ご飯の続きは、魔物を片づけてからにしましょう」




 常識はある。だが、どこか抜けている。


 そんな彼の一歩が、辺境の運命を大きく変えていくのだった。

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