第26話 私は悪くないのに※イザベラ視点

 あの惨事から、一週間が経った。


 社交界では私の名前が出るたびに、クスクスと笑い声が上がるらしい。


「前代未聞の噴水が暴走したパーティー」

「料理が不評だったパーティー」

「貴婦人たちのドレスを台無しにしたパーティー」


 ――全部、私のことを言っている。


 社交界の話題の中心は、今や完全に私。でも、賞賛ではなく嘲笑の的として。


 その失敗は、私のせいじゃないのに!


 スタッフが裏切ったせい。ちゃんと準備しなかったせい。わざと失敗された。それを責任も取らず、私のせいにして。全部、あいつらが悪いのに。なのに、責められるのは私ばかり。


 不公平だ。


 本当に、不公平だ。


 でも、今度こそ。今度こそ、成功させる。


 次のパーティーで、完璧な成功を収めて、この屈辱を晴らす。社交界の評価を取り戻す。『やはりイザベラ様は素晴らしい』『前回は不運だっただけ』そう言わせてみせる。


 失敗は許されない。


 絶対に。


 ヴァンデルディング家からも、厳しい視線が向けられている。


 屋敷で過ごしていると、使用人たちの目が冷たい。ヴァンデルディング家の評判を落としたから。前は、もっと丁寧に扱ってくれたのに。今は、最低限の礼儀だけ。心のこもっていない、形式的な対応。


 そして、ヴァンデルディング家の当主様は、私に会うたびに冷たい目を向けてくる。あの目が、怖い。


「次は失敗するな」


 廊下ですれ違った時、そう言われた。命令ではなく、脅しに近い。言い方も、冷たかった。


 言われなくても分かっているのに。わざわざ言ってくるなんて、性格が悪い。無駄にプレッシャーを掛けて、失敗したらあなたのせいよ。


 そう思うけれど、苦しみながらグッと抑える。


 ここで反論したら、さらに立場が悪くなる。今は、とにかく耐えるしかない。成功するまで、耐え続けるしかない。


 今回は違う。


 前回のような失敗をしないため、大胆なことをしない。無難に、普通に。成功させる。とりあえず、それだけを目指す。


 派手な装飾も、奇をてらった料理も、何もかも――まずは、普通でいいのよ。


 前回は、斬新すぎたのかもしれない。時代を先取りしすぎた。社交界の人々が、私の感性についてこられなかった。そう、考えることにした。


 だから、今回は普通にする。


 誰もが安心できる、ありふれたパーティー。


 それで、まずは成功を掴む。




 新しく雇ったスタッフたちとの初顔合わせの日。


 ヴァンデルディング家の応接室に、十数名のスタッフが集まっていた。


 前のスタッフたちは、全員解雇した。


 あの裏切り者たち。わざと失敗した連中だ。絶対に、わざとだった。そうじゃないと、あんな失敗があるわけない。パーティーを台無しにした。わざとじゃなくても、失敗をするようなスタッフは必要ない。


 今回は、違う。新しいスタッフで、やり直す。


 私は、彼らの前に立った。


 全員、整列している。真面目そうな顔つき。これなら、大丈夫そう。前のスタッフみたいに裏切ったり、失敗しないはず。


「今回のパーティーの準備を、あなた達に任せます。トラブルは、起こさないように」


 私は、できるだけ威厳を持って言った。スタッフたちは、黙って頷いている。


「わかったわね? では、準備を始めて」


 私が言うと、しばらく沈黙が続いた。


 誰も動かない。


「……?」


 やがて、一人のスタッフが手を挙げた。


「……何から始めましょうか?」

「え?」


 思わず、聞き返した。


 何を言っているの? 計画書を渡してあるでしょう。それに従って、準備を始めればいいだけじゃない。


「ですから、具体的に何から始めれば良いでしょうか」


 その質問に、私は一瞬、言葉を失った。


 前のスタッフは、私が指示を出す前に動いていた。計画書を確認して、優先順位を判断して、それぞれが自分の仕事を始めていた。私に確認なんて、いちいちしてこなかった。


 準備するのに具体的な指示が必要なの?


「私が用意した計画書があるでしょ。その通りになるように、準備を進めなさい」

「えーっと、それは。具体的に何から始めれば……?」


 指示を出しても、同じようなことしか言ってこない。もっと細かく言わないと、動いてくれない、ということなの?


 前のスタッフは、それなりに優秀だった――そんな考えが、一瞬頭をよぎる。でも、すぐに打ち消した。いいえ、違う。あいつらは裏切り者。あんな奴らを頼ろうとするのは間違っている。


「……まずは、会場の装飾から」

「承知しました」


 そこまで言って、ようやく動き出した彼ら。質問も、提案も、何もない。


 ――まあ、いいわ。指示すれば問題ないでしょう。


 そう思いながら、私は準備を進めることにした。だが、これは始まりに過ぎなかった。




 装飾の準備が始まった。


 私は、会場の図面を用意して、スタッフに渡した。


 これは、前回も使ったもの。会場の配置図。装飾をどこに置くか、書き込んである。


「装飾の配置は、この図面通りに。わかった?」

「……これは、どちらを上にするのでしょうか?」


 スタッフが、図面を逆さまに持ちながら聞いてきた。


「は?」


 思わず、声が出た。


 何を言っているの? 図面を確認すれば、どちらが上かなんて、すぐわかるでしょう。何をしているのよ。


「この図面は、どこを、どうやって見ればいいのですか?」

「っ!」


 見ればわかるでしょう!


 そう言いたいのをグッと堪えた。今回は、とにかく失敗が、許されない。スタッフと揉めている場合じゃない。ここで怒鳴って、スタッフのやる気を削いだら、また失敗する。


 我慢、我慢。


「こちらが上よ。わかった?」


 指さしながら説明した。


「承知しました」


 スタッフは、ようやく図面を正しい向きに持ち直した。


 ホッとしたのも束の間。


「花の配置は、どこに?」


 別のスタッフが聞いてくる。


「この絵画は、どこに飾りますか?」

「照明の角度は?」

「カーテンは、どのタイミングで設置するのですか?」

「テーブルクロスの色は、こちらで良いですか?」


 次々と、質問が飛んでくる。


 いちいち、いちいち!


「だから、図面に書いてあるでしょう!」


 ついに、声を荒げてしまった。


 スタッフたちが、ビクッと身を竦める。


「はい、ですが念のため確認を……」


 スタッフは、少し怯えたような表情を浮かべる。なんで怯えてるのよ。悪いのは、まともに仕事ができずにこんな大声を私に出させた、あなた達でしょ。


 私は、深く息を吸い込んだ。落ち着け。パーティーの準備を完了させるためにも、怒ってはいけない。怒鳴っても、時間の無駄になってしまう。無駄になってしまう。怒るのは、全て終わってから。成功してから、いくらでも怒れる。


「……わかったわ。花は、テーブルの中央。絵画は、その壁に。照明は、この角度」


 一つ一つ、丁寧に説明する。


 前のスタッフは、こんな説明なんて必要なかった。


 図面を見れば、ちゃんと理解して、準備していた。私が何も言わなくても、仕上げていた。


 ――ああ、面倒くさい。


 でも、我慢。苦しいけれど、我慢するしかない。それに、考えてみたら私が作業を細かくチェックできる。何か細工されても気付ける。そういう利点がある。


 そう思わないと、やってられない。今度こそ、成功させるために。




 何日もかけて、会場の準備を進めた。


 装飾、料理、音楽、ゲストの誘導、スケジュール管理。全てに、私の細かい指示が必要だった。もう怒る気力もない。とにかく、この準備を終わらせたかった。早く、この面倒から解放されたかった。


 前のスタッフの時は、こんなに大変じゃなかった。


 あの時は、私が大まかな方針を示せば、後は勝手に動いてくれた。細かいことは、全部やってくれた。私は、ただアイデアを出すだけで良かった。楽だった。


 今は、違う。


 一つ一つ、全て私が判断しなければならない。そして、指示が必要だった。なんなのよ、これは。


 私は、パーティーを主催する貴族であって、使用人じゃないのに。なのに、まるで使用人みたいに、細かい作業まで全部やらされている。


 疲れ果てた。


 でも、何とか準備を終わらせた。


 無難に、普通に。派手なことは何もしていない。


 装飾はシンプル。料理は定番のもの。音楽も、よくある曲目。


 これなら、失敗することもないはず。


 誰も文句を言わない。無難な、普通のパーティー。


 そう信じて、招待状を送った。


 前回よりも規模は小さく、招待客の数も減らした。それでも十分な数。


 返事が届くのを、待った。




 数日後。


 招待状の返信が、届き始めた。


 私は、一通目を開封した。中身を確認する。


 ――欠席。


 まだ一通だけ。たまたま、都合が悪かっただけかもしれない。


 次も、開封する。


 ――欠席。


 手が、少し震えた。


 その次も。


 ――欠席。


「なぜっ!?」


 声が、震えた。


 次々と開封していく。


 欠席、欠席、欠席。


 どんどん積み上がる、欠席の返信。参加の返事は、ほんのわずか。


 全ての返信が揃った時、私は愕然とした。


 半分以上が、欠席。いいえ、半分どころじゃない。三分の二以上が、欠席。


 しかも、参加するのは――。


「ヴァンデルディング家と関係の深い家ばかり……」


 義理で参加する者たち。


 断れない立場の者たち。


 そして、残りの参加者たち。


 後になって分かったことだけど、彼らの目的は前回の失敗の話を聞いて、興味本位で参加を表明してきた貴族たち。


 『どんなパーティーになるのか見てみたい』

 『また失敗するんじゃないか』

 『面白そうだから参加してみよう』


 そういう、野次馬。


 私のパーティーは、見世物じゃない。


 笑いものにされるために、開くんじゃない!


 拳を握りしめた。


 悔しい。本当に、悔しい。


 でも、どうすることもできない。


 これが、前回の失敗の代償。


 たった一回の失敗で、こんなにも信用を失うなんて。


 私のせいじゃないのに。


 前のスタッフが、裏切ったせい。


 わざと失敗された。


 私は、悪くない。私は、ちゃんと斬新なアイデアを持って挑んだのに。


 これが、社交界で私に下された評価。どうにかして、この評価を変えないと。そのためには、今回の成功が必要不可欠。参加者は、わずか。


 義理参加と野次馬ばかり。


 前回のような大失敗は避けられるかもしれない。でも、成功しても評価を得られるのかどうか。


 本当に、意味があるのか。


 私は、欠席多数の返信を見つめたまま、動けなくなった。




 その日の夕方。


 ロデリックが応接室にやってきた。私は、立ち上がって彼を迎えた。できるだけ、平静を装って。


「ロデリック様」


 意識して、笑顔を作る。


「参加者が少ないらしいな」


 彼は、冷たい声で言った。挨拶もなく、いきなり本題。もっと私を、気遣ってくれていいはずでしょ。


「……努力は、しています」


 前回よりも確実に、私は頑張っている。間違いなく。朝から晩まで、準備に追われて、疲れ果てて。それでも、諦めずに続けている。成功を目指して。


「努力では足りない。結果を出してほしい」


 ロデリックは、冷たく言い放った。


「はい」


 従順に答える。


 でも、心の中では――。


「今度こそ成功させてほしい。失敗したら、君も俺も、どうなるかわからないから」


 そう言うだけで、彼は何も助けてくれない。


 口だけ。


 文句だけ。それが、私には不満だった。


「ロデリック様は、何かお手伝いくださらないのですか?」


 思わず、口に出た。


 ロデリックは、眉をひそめた。


「俺は門外漢だから、余計な口は出さない。パーティーのことは、君に任せている。君を信じて、結果を待っているから。だから、頼んだ」

「……はい」


 信じていると口で言うだけ。結局、助けてくれない。


 勝手なことばかり言って。


 『失敗したら』って、あなただって前回、私のアイデアを絶賛していたじゃない。


 噴水も、異国料理も、流行の音楽も。


 全部、『素晴らしい』って言ったじゃない。


 今でも、まるで部外者のように関わろうとしてくれない。責任を全部、私に押し付けるつもりね。


 心の中で、罵った。


 でも、口には出せない。ここで言っても、意味ない。


 私は、成功させるしかない。結果を出すことだけ求められている。


 それしか、ない。


「必ず、成功させます」


 私は、そう答えた。できるだけ、自信があるように。


 ロデリックは、満足げに頷いた。


「期待している」


 そう言い残して、彼は去っていった。


 一人残された応接室で、私は拳を握りしめた。


 絶対に、成功させる。


 今度こそ。

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