プロローグ4:谷川莉子
あの秋の夕暮れを、私は一生忘れない。
高校三年生。進路指導の紙に「音楽活動」と書いて提出した日のことだった。
担任の顔は苦笑い。両親は烈火のごとく怒り、口を揃えて「現実を見ろ」「甘い夢を見るな」と言った。
頭では分かっていた。けれど、心は納得できなかった。
――もう限界だ。
制服のまま、私は家を飛び出して、近所の小さな公園に足を運んだ。
錆びついたブランコに腰を下ろす。鎖が軋む音に合わせて、涙が勝手に溢れてきた。
夕焼けはやけに鮮やかで、まるで自分の悔しさや孤独を嘲笑うように赤く染まっていた。
その時だった。
「……莉子?」
振り返ると、直也くんがそこに立っていた。
驚きと心配の入り混じった瞳。私は堪えていた感情を一気に吐き出した。
「もういやなの……! わたし、家なんて出ちゃってもいい! 自分一人でやっていきたい!」
声が震え、涙で顔がぐしゃぐしゃになった。
直也くんは黙って聞いてくれて、そして小さく息をついた。
「分かった。とりあえず、とにかくウチにおいで」
その言葉に、胸が一気に解けていった。
それから数日間、私は直也くんの家に身を寄せることになった。
直也くんのお父さんも事情を知り、温かく迎えてくれた。
台所で野菜を切りながら「無理に家事しなくて全然構わないのに」と言ってくれる直也くんとお父さんの優しさに、何度も涙が溢れた。
直也くんはその日のうちに一人で私の家へ行き、両親に頭を下げてくれたらしい。
「莉子は今、落ち着く必要があります。必ず自分の言葉で説明するように説得します。だから少しだけ時間をください。その間は我が家で大切にお預かりします」
そう訴えてくれたと、後から聞いた。
私はその間、心の中を整理した。
やっぱり私は音楽をやりたい。ボーカロイドを使って作った曲が評価され始めていること。自分でも音楽の勉強を積み重ねていること。そしてボイトレもしている。
それを、ちゃんと自分の口で伝えようと決めた。
数日後。直也くんと、そのお父さんと一緒に、私は両親の前に座った。
胸は張り裂けそうに高鳴っていた。
「お父さん、お母さん……。わたし、どうしても音楽をやりたいの」
深く頭を下げた。
「それ以外の時間は、家の手伝いを一生懸命する。だから、認めてください」
父は苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
空気が重くなったその時、直也くんが口を開いた。
「莉子は、もう遊びで、なんとなくやっているわけじゃないんです。彼女が作った楽曲は高く評価されています。きちんと音楽に関する基本的な勉強もしている。そして、自分で先生を探して、ボイトレも続けている。……きちんと努力を積み上げているんです。だから認めてあげてもらえないでしょうか?」
その真剣な声が部屋に響いた。
両親は目を見交わし、沈黙が続いた。やがて、父がため息をつきながら言った。
「……そこまで直也くんが言ってくれるなら、好きにやってみなさい。ただし、本気でやるんだぞ。あと家の仕事もきちんとするんだ」
その瞬間、視界が滲んだ。私は、直也くんの横顔を見て、胸が熱くなった。
自分のために、ここまで必死に頭を下げてくれる人がいる。
この人がいなければ、私は夢を諦めていたかもしれない。
当時、直也くんには、お付き合いしている人がいることも知っていた。
でも――そんなことは全く関係なかった。
私が今ここにあるのは、全部、直也くんのおかげなのだから。
私は全部、直也くんのもの。
そして、永遠に直也くんを愛している。
だからブルーダイヤモンドは、そうした思いの結晶として、それが直也くんに通じた証のように思えた。
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