プロローグ1:一ノ瀬直也
九月の始まり。
夏の熱気がほんの少しだけ和らぎ、オフィス街のビル群にも秋の影が差し込み始めていた。
五井物産本社、二十階の会議室。
オレは、向かいに並んだ広報部と人事部の担当者たちを前に、微妙な顔をしていた。
「大学三年生向けの採用広報動画ですか」
「はい。今年はエントリー数をさらに伸ばしたいので、若手物産マンのホープ、未来志向の象徴として一ノ瀬さんに出てもらうのが一番効果的だと考えております」
人事課長が真剣な顔で言う。
広報部の女性もすぐに続けた。
「インタビュー映像だけでは弱いんです。五井物産で働く未来を鮮明に想像できるようにしたい。ですから、プロジェクトの会議風景や、一ノ瀬さんの執務シーン、さらには就業後の会食の様子まで撮影させていただきたいのです」
オレは眉をひそめた。
「……いや、ちょっと待ってください。普段オレは、仕事が終わったら家に帰って義妹と食事しています。会食なんて滅多にしませんよ。映像にしたら完全にフィクションになりませんか?」
「演出ですから」広報の担当が軽く笑う。
「就職希望者は“未来像”を欲しがるんです。そこで輝く先輩社員の姿を見て、自分もここで働きたいと夢を描く。演出が多少加わるのは、むしろ当然のことなんです」
演出……。
オレは心の中で小さくため息をついた。本来ビジネスの現場は汗と泥だらけで、彼らが編集する映像が映し出すようなスマートなものではない。彼らが描こうとしているのは「夢の物産ライフ」。学生たちを惹きつけるためには、美しい虚構も必要という事なのだろうが、正直賛成は出来ない。
ただ、こうした方針を決定するのは、結局は人事と広報だ。嘘を映像化する事にはオレは抵抗感が強かったが……。
その場の空気を破ったのは、ふいに響いた麻里の声だった。
「――それなら、私が、普通に直也と会食すれば問題ないでしょう?」
全員が一瞬、動きを止めた。
会議室に同席して広報側の資料に目を通していた麻里が、顔を上げてこちらを見ていた。
「DeepFuture AI日本法人代表として、そして五井物産のAI領域における事業パートナーとして。直也とは今後とも頻繁に会食しつつ打ち合わせする必要性もあるでしょう。
それなら直也が気にしている『嘘』にはならないし、私と直也が会食しながら打ち合わせしている様子なら、撮影して公開いただいても全然問題ありません。
既に資本関係もあるし、五井物産が主導する新規大型プロジェクトには、当社もステークスホルダーとして密接に関わっています。むしろ“日米をつなぐ次世代の絆”として採用広報としてだけなく、対外宣伝的にも効果が期待できるでしょう?」
場の空気が大きく揺れた。
広報担当の目が一気に輝く。
「それは素晴らしい! ぜひぜひお願いしたいです」
人事もすぐに頷いた。
「大学生にとって“AI最前線のトップと食事を共にする若手エリート”なんて、最高のイメージですよ」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
強い声を上げたのは亜紀さんだった。
「それは……さすがに、広報動画の趣旨から逸脱しすぎています」
玲奈も険しい表情で口を挟む。
「そうです。広報用に学生を集めるのは分かりますけど……そのために、直也が麻里さんと会食するシーンを撮影する意味が分かりません」
だが、広報と人事は引かなかった。
「これはそもそも『演出』や『嘘』でないと、神宮寺代表が仰っている訳ですし、実際、これ以上の魅力的なコンテンツはありません。五井物産がいかに未来志向の企業かを示す最高の映像シーンになるはずです」
――結局、方針はそこで決まってしまった。
亜紀さんは玲奈と「あんたがちゃんと管理しないから」とか「この分はペナルティーよ」とか言っているが、玲奈は玲奈で、「はぁ?私の責任ですか?」とか「制裁発動?受けて立ちましょう」とか言い合いになっている。
こういう本業とは直接関係しない業務で、大切なオレのサポートメンバーが揉めるのは、正直一番困る。
そして、麻里は静かに微笑みながらオレの方を見やった。
その瞳には、ただの広報映像を超えた、もっと先を見据えた思惑が潜んでいるように思えた。
(……また厄介なことになりそうだな)
オレは内心でそう呟きつつ、広報と人事が提示する今後のスケジュールを確認するしかなかった。
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