第2話 ハッカーと主婦力

--「ヴァーミリオン・シティ。この朱色の街の夜は、出会いと別れの交差点。昨夜、我らがヒーロー、ベルベット・ナイトメアは新たな出会いを果たした。だが、出会いの後には何が待っている?そう、面倒な後始末と……もっと面倒な同居人だ。」--


 カイラの完璧に整えられたマンションの一室。そこに今、招かれざる(というより拾ってきた)客がいる。ピンクのショートボブが特徴の少女、リズ・コードウェルだ。


 シャワーを浴びさせられ、カイラの大きめなTシャツとスウェットを借りたリズは、その華奢な体には不釣り合いな服をぶかぶかに着こなしながら、ソファの隅で少し緊張していた。目の前には、ヒーロースーツを脱ぎ、再びエプロン姿に戻ったカイラがお茶を置いている。


「さて……落ち着いたかしら?リズ、だったわね」

「う、うん。あのさ、あんた一体何者?さっきの、マジで人間業じゃなかったんだけど」

「自己紹介がまだだったわね。私はカイラ。そして時々……そうね、街のお掃除をしているだけよ」


 カイラはそう言って微笑むが、リズは納得いかない顔だ。


「お掃除ってレベルじゃないでしょ!あんた、あの“ベルベット・ナイトメア”本人?」


 ヴァーミリオン・シティの都市伝説。闇に紛れ、悪夢のように現れては悪党を打ちのめす謎のヒロイン。その名前をリズが口にすると、カイラは「しーっ」と人差し指を口に当てた。


「それよりあなたの話を聞かせて。なぜ『ネオン・ヴァイパー』に追われていたの?」


 その言葉に、リズの表情が曇る。

「……元々、あたしはあそこのハッカーだった。無理やりやらされてたんだけどね。でも、あいつらの計画がヤバすぎて……組織の機密データを持って逃げてきたってワケ」


「天才ハッカー、組織からの逃亡、機密データ。まるでスパイ映画のようだ。だが、どんなタフなスパイも、一つの欲求には勝てない。そう、空腹だ。」


「ぐぅぅぅ~」


 緊迫した雰囲気を打ち破ったのは、リズのお腹から鳴り響いた可愛らしい音だった。彼女は恥ずかしそうにお腹を押さえる。


「あ、ごめん」

「……何か食べる?と言っても、もう遅い時間だし簡単なものしか……」

「あたしが作るよ!お礼にさ!」


 リズはそう言って、自信満々に立ち上がった。カイラは一瞬、嫌な予感が脳裏をよぎったが、まあ卵料理くらいなら大丈夫だろうと、キッチンの使用を許可してしまった。それが、今夜最大の過ちになるとも知らずに。


 数分後。リビングで寛いでいたカイラの元に、キッチンから「バンッ!」という破裂音と、何かが焦げる匂いが届いた。


「……まさか」


 急いでキッチンへ向かうと、そこには地獄絵図が広がっていた。



--「言っておこう。リズは天才だ。ただし、それはデジタルの世界に限った話だ。物理法則が支配するこのキッチンにおいて、彼女はただの破壊神だった。」--



 床には割れた卵とこぼれた牛乳。壁には謎のケチャップの染み。シンクには泡が溢れ、そして電子レンジからは黒い煙がモクモクと立ち上っていた。リズはフライパンの炭と化した“何か”を前に、途方に暮れている。


「マジすか!?このコード、あたしのスナックより簡単だと思ったのに!」


 リズはハッキングの要領で料理をしようとしたらしい。その結果がこれだ。

 カイラは深呼吸を一つ。怒りを通り越して、もはや母性にも似た呆れがこみ上げてきた。


「……リズ」

「は、はいっ!」

「電子レンジもまともに使えないの!?というか、ゴミは分別しなさい!」


 カイラの主婦力が炸裂した。彼女はテキパキと窓を開けて換気し、床を拭き、焦げ付いたレンジを掃除し始める。その手際の良さは、先ほどの戦闘を彷彿とさせるほど無駄がない。


「いい、よく見てなさい。汚れっていうのはね、種類によって落とし方が違うの。これは油汚れだから……」

「は、はぁ……」

「あと、卵の殻をボウルに入れるのはやめなさい!次やったらトイレ掃除してもらうわ!」


 母のように叱りつけるカイラに、リズはシュンとしながらも、その完璧な後片付けに見入っていた。この人、本当に何者なんだろう。最強で、家事ができて、そして……なんだかんだ言って、優しい。


 結局、カイラが作った絶品のペペロンチーノを夢中で頬張りながら、リズは呟いた。


「カイラ……マジ神!あたしのお母さんになってよ!」

「母親になった覚えはないわ。それより、その機密データとやらは見られるの?」


 食後、リズはリビングのテーブルでノートPCを開いた。「私のPCに触る前に、ちゃんと手を洗いなさい!」というカイラの小言を受け流し、彼女は驚異的なスピードでキーボードを叩き始める。


「OK、来た来た。あいつらの次のターゲットは……ここだ」


 モニターに映し出されたのは、ヴァーミリオン・シティの電力供給を司る中央管理システムの設計図だった。


「街全体の電力網?まさか、街を丸ごと人質に取るつもり!」

「みたいだね。大規模なインフラ攻撃。これが成功したら、街はパニックで崩壊する」


 事の重大さに、二人の間に緊張が走る。さっきまでのコミカルな空気は消え、カイラの瞳に再びベルベット・ナイトメアの鋭い光が宿った。


「リズ、あなたはここにいて。私が片付けてくる」


 カイラはそう言うと、静かに立ち上がり、ヒーローの衣装が眠るクローゼットへと向かった。



--「こうして、一夜にして奇妙な家族が誕生した。一人は街を守る悪夢のヒーロー、もう一人はキッチンを破壊する天才ハッカー。果たしてこの凸凹コンビは、ヴァーミリオン・シティの灯りを守ることができるのか?物語はまだ始まったばかりだ。」--

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