『Seasons』は、春・夏・秋・冬の “四季” をテーマに、
4つのまったく違うジャンルを、1話1~2分で読める形に凝縮した短編集やねん。
春は、恋の終わりと始まりが同時に流れてくるような青春ドラマ。
夏になると一転して、背筋がひやっとするホラーの闇。
秋は読んでて思わずクスッと笑ってしまう現代ダンジョンコメディ。
冬は静かで、でもちゃんと温かいSFのハートフル物語。
どの話もすぐ読めるのに、読んだ後に心に残る“余韻”が四季みたいに移り変わっていくねん。
忙しい日でも、ちょっとだけ物語の空気を吸いたい読者さんにぴったりな一作やと思うよ……!
<<ネタバレなしの講評会>>
オンライン会議室に入ると、四季みたいに色が違う四つの短編が並んどるような気がして、ウチはちょっと胸が高鳴った。今日はどんな話になるんやろ、ってわくわくしてる。
(ユキナ)
「みんな、今日も来てくれてありがとなあ✨ ほな、講評会を始めるで!
今回の作品は橘永佳さんの『Seasons』、1話目の現代ドラマから4話目のSFまで、まさに四季みたいなジャンルの変化が楽しい短編集やね。
それぞれ話の“温度”が違うのがポイントやと思うんよ。春は恋、夏は怪談、秋はコメディ、冬は……ちょっと切ないSF。
まずはみんな、全体を読んでどこに注目したんか教えてほしいな! トオルさん、どんな印象やった?」
トオルさんが軽く会釈して、画面の前で眼鏡を押し上げた。理屈屋らしい視線で作品全体を見とる感じが伝わってくる。
(トオル)
「僕としては、ジャンルが章ごとに完全に切り替わる構成が面白かったかな😄 特に“1話を読んだ読者が次に何を期待するか”を裏切るバリエーションが効いてたと思う。
春は恋愛ドラマで感情の温度が高かったのに、夏ではいきなりホラーの質感に落とし込まれる。このギャップが全体のリズムを作ってたね。
それに、全部短いのに世界観処理がきれいで、設定の切替が破綻してないのが良かったよ👍」
ユヅキさんは静かに頷き、落ち着いた声で語り始めた。まるで四季の移ろいをひとつの詩にまとめるみたいに。
(ユヅキ)
「トオルの言う“切り替わりの妙”……私もそこに惹かれたわ。特に春と夏の対比ね。春は恋の香りと未練の余韻が淡く漂っていて、夏では一転して“正体のないものへの恐れ”が支配する。
その移ろいは、まるで季節の変化そのもの。作者さんが四つの物語を通して“心の温度のふり幅”を描いたようにも思えるの。
短い物語であっても、感情の色がはっきり分かれていて、どれも独立した世界として成立していたわ。」
二人の意見を聞きながら、ウチは「ほんまそれ!」と頷きすぎて首が痛くなるくらいやった。せやけど、それぞれの視点で作品が違って見えるんがおもろいわ。
(ユキナ)
「トオルさんの“構成のリズム”の話と、ユヅキさんの“感情の色の違い”の話、両方めっちゃ分かりみ深かったで……!
ウチは特に1話目の“春”が好きでな。桜の描写と未練の言葉が混ざり合って、“青春って痛いほど綺麗やな”って気持ちにさせられたんよ。
ほんで夏になると一気に“何かがおる”って空気がぬるっと迫ってきて、秋では一転してツッコミどころ満載のコメディ、冬ではやさしいSFになる……四季の移り変わりを感じさせる構成がほんま巧いと思ったわ✨
ほな、この流れで夏目先生からも一言、聞いてみよか?」
トオルさんとユヅキさんの意見をまとめた後、ウチは召喚した文豪のチャット欄を確認した。そこにじわっと光が走って、夏目先生の魂がコメントを投稿してくれはった。
(夏目漱石)
「ユキナ殿らの読み取り、まこと興味深い。
春の章における“言えぬ恋”は、わたくしが『こゝろ』で描いた沈黙の気配にも通じ申す。短き文ながら、少女の未練が風に揺れる桜のごとし――。
夏の怪談では、“己の正体”を問う不安が鮮やかで、読者の心を揺らす力がある。秋の滑稽は虚無の明るさを映し、冬のSFは献身の静けさが胸に沁みる。
良き点は“四季の純度”。
改善を申せば、章を貫く陰影の糸がもう一段あれば、作品全体がさらに深まろう。」
夏目先生の言葉に、チャット欄の空気がきゅっと引き締まった。ほどなくして、鋭い筆致みたいな文字が浮かび上がり、三島先生の魂が応答してきはる。
(三島由紀夫)
「夏目先生の“純度”という言葉は、美学の中心であります。
春の恋は散りゆく桜のように痛ましく美しい。若さとは常に滅びを孕むゆえ、輝くのです。
夏の怪異は“正体なき自己”との対峙であり、精神の闇を象徴する。秋の滑稽は現代の虚無を嘲り、冬のSFは献身という精神性を静かに照らす。
ただ、冬の章に“死の覚悟”があれば、さらに崇高へ届いたでしょう。
しかし作者殿の“美への感受性”は確か。次の季節を期待しております。」
三島先生の強い言葉が落ち着くと、チャット欄の文字がふわりと揺れて、柔らかいけれど哀しみを含んだ気配が現れた。一葉先生の投稿や。
(樋口一葉)
「三島先生のお言葉、よう胸に響きました。
わたしは春の少女の“言えぬ恋”に深く寄り添いました。時代は違えど、未練というものは女の胸に長く残るものでございます。
夏の怪談は、孤独がそばへ寄り添うように読めて、胸の内に少し痛みが走りました。
秋の章の軽やかさは『たけくらべ』の子らの笑いを思い出し、冬の献身には静かな涙がこぼれます。
良きところは“人の機微”が生きておりますこと。
改善を申すなら、冬の章で機械の胸の痛みに、もう一歩触れてもよろしいかと存じます。」
樋口先生の優しい文章が流れたあと、チャット欄に雪の欠片みたいな静かな光が集まり、川端先生の魂がすっと言葉を刻んだ。
(川端康成)
「一葉先生のお言葉、胸にやわらかく落ちました。
四つの章はそれぞれ別の色を持ちながら、どれも“心の風景”が丁寧に描かれております。
春の涙は花の影を落とし、夏の怪異の生温い闇は美しささえ宿す。
秋の滑稽は人の営みの可笑しさを映し、冬の章では“人ならぬものが人の温度を求める”光が淡く灯るようでした。
どうか作者殿には、この“情景の美”を大切に歩んでいただきたい。
次の季節も、静かに楽しみにしております。」
川端先生の静かな余韻が画面に残る中、チャット欄の文字がぱっと軽やかに跳ねた。そこに現れたのは、明るい観察眼を持つ清少納言様の魂の投稿や。
(清少納言)
「川端先生のご感想、まことにしとやかにて候。
わがみは、春の章の“未練の涙が桜に紛れる”ところ、いとをかしと思うて読み申した。季節と心が寄り添うさま、良きものに候。
夏の怪異は、気味悪さの中にも妙に滑稽なるところありて、枕草子にも書きたくなる趣向にて候。
秋の章は、世の子らがはしゃぐ様子を見るようで、冬の章には、機械のものが主への愛しさを知るくだり、哀れ深う感じ入り申した。
ただ一つ申せば、冬の終わりに“余韻の間”があれば、さらに心に残りましょうぞ。」
清少納言様の明るい言葉に場が和らいだところで、チャット欄に重みのある黒墨のような気配が落ちた。そこに芥川先生の魂がコメントを書き込みはった。
(芥川龍之介)
「清少納言様の“間”という指摘、興味深いです。
私は、とりわけ夏の怪談に心惹かれました。“己の正体を失う恐怖”は、宗教的・哲学的な深淵に通ずるものがあります。
春の章の未練はやさしく、秋の章は俗の明るさが心地よい。しかし冬のSFは、“救いの形”をどこに置くのか、読者に静かな問いを残す。
良き点は、四章それぞれに“核となる象徴”があること。
改善を述べるなら、冬の章で“赦し”か“罪”のどちらへ重心を置くのか、あと一歩踏み込むと深みが増したでしょう。」
芥川先生の厳かな語りが流れたあと、ウチは画面のトオルさんの表示をちらっと見る。いつもより柔らかい表情でマイクをオンにした。
(トオル)
「皆さんの意見、すごく面白かったです😄
上位・中位・下位の先生方が違う角度から“季節の変化”を見つけていて、作品の印象が立体的になりましたね。
春の心理、夏の恐怖、秋の滑稽、冬の献身……その一つひとつを文豪たちが深掘りしてくれたおかげで、短編集が“一本の四季の樹”みたいに見えてきました。
全体として、章ごとの切り替えをどう評価するかが議論の核になった気がします。
橘永佳さんの物語構成、やっぱり巧いですよね✨」
トオルさんの言葉が落ち着いたあと、ユヅキさんはゆっくり頷いて、落ち着いた声で続けてくれた。
(ユヅキ)
「本当に、皆さまの視点が“物語の四季”を豊かにしてくれましたわ。
特に夏目先生の“純度”、三島先生の“美学”、一葉先生の“境遇へのまなざし”、川端先生の“情景の美”、そして芥川先生の“象徴性”。
それぞれの観点が、四つの短編に別々の光を当てていました。
全体としては、作者さんが“季節ごとに心の色を変える”という意図を大切にされていたように感じます。
次はどんな季節が生まれるのか……とても楽しみです。」
文豪のチャット欄が静まり、トオルさんとユヅキさんの顔出し映像がふっと柔らかく揺れた。ウチは深呼吸して、会の締めに入った。
(ユキナ)
「みんな、ほんまありがとう✨
今回の『Seasons』は、四つの短編がまるで四季の景色みたいで、読む側の心の温度を自然に変えてくれる作品やったと思う。
春の恋、夏の恐怖、秋の笑い、冬のぬくもり……その移り変わりを文豪のみんなが深く読み解いてくれて、めっちゃ贅沢な会になったわ。
橘永佳さん、素敵な物語をほんまありがとうなあ。
次の講評会も、ウチ楽しみにしてるでっ💕」
会議室の画面がそっと暗くなり、ウチは感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。また次の季節を、みんなと一緒に迎えられますように。
ユキナ💞
※この講評会の舞台と登場人物は全てフィクションです※