引き返せない地点

朝の光がボロボロのブラインドの隙間を通り抜け、


剥がれた壁に細い金色の筋を描いていた。


まるでこの忘れ去られた世界の片隅で、希望を塗りつけるように。


アルヴィンの部屋は、錆びた金属と古びたコーヒーの匂いに満ち、


時間が止まったかのようだった。




ナイトスタンドの電子時計がピッと鳴り、7:30を告げた。


2060年の新たな一日。


技術が意識を拡張する世界で、彼の小さなアパートだけは変わらない。


アルヴィンはゆっくりと目を開け、


朝の冷気が肌に触れるのを感じた。




徹夜で機械義肢を組み立てた後の筋肉の鈍い痛みが、


貧困から抜け出す唯一の希望を思い出させた。




アルヴィン(内心):


「起きるの、ほんと嫌だ…


この面接、行かなくていいかな?


このガラクタを修理し続ける生活でいい?


いや、ダメだ。


これはまともな人生への切符だ。


仕事、金、ナノマテリアルだって。


もうコーヒーマシンを直したり、闇市場で自作モジュールを売ったりするのはうんざりだ。」








ベッドに腰を下ろし、


疲れと迷いを拭うように顔をこすった。


アパートは静寂に包まれ、


遠くの街の低いうなり——


車のエンジン音、ドローンの唸り、


窓の外の広告ホログラムのちらつき——が


かろうじて聞こえた。




視線が部屋をさまよった。


散らかった作業机には、


ワイヤー、マイクロチップ、工具が山積みだった。


そこには、昨夜完成させた機械義肢が置かれていた。


朝の光に照らされた金属の関節は、


今日の面接が成功すれば新しい生活が待っていると


約束しているようだった。




アルヴィン(内心):


「この面接が上手くいけば、ちゃんとした素材が買える。


ナノマテリアルだって夢じゃない。


この散らかりよう…


片付けないと、埃と自分の考えに埋もれちゃうよ。


朝からなんでこんな哲学的なんだ?


よし、コーヒー淹れよう。」








立ち上がり、キッチンへ向かった。


傷だらけのコーヒーマシンは、


何十年もの歴史を物語っていた。


ボタンを二回押したが、反応なし。


目を細め、背面のネジを回し、


接触不良の部分を押す。


一分後、マシンがゴボゴボと音を立て、


黒く香ばしいコーヒーがカップに滴り始めた。




コーヒーの香りが金属の匂いと混ざり、


奇妙だが慣れた心地よさを生んだ。




アルヴィン(内心):


「何回修理したんだっけ?


もう捨てるべきだ…


俺自身も、かな。」








コーヒーが滴る間、窓に近づいた。


埃っぽいガラス越しに、


西部地区の灰色の通りが見えた。


色あせたビルと錆びた金属構造物。


時折、朝霧の中で赤いライトを点滅させながら


ドローンが飛んでいた。




陽光がガラスに柔らかく映り、


過去の記憶がよみがえった。


かつての実家、新鮮なパンの匂い、


キッチンでの両親の声、


学校へ行く前ののんびりした朝食。


あの頃は、モジュールもバリアも、


監視の目もない、シンプルな世界だった。




アルヴィン(内心):


「無邪気な時間…


遠すぎて、考えると痛い。」








頭を振って郷愁を振り払い、


コーヒーカップを手にテレビをつけた。


古い画面がチラつき、青い光を放ち、


アナウンサーの声が部屋を満たした。


椅子に凭れ、濃いコーヒーを一口飲んだ瞬間、


ニュースに目を奪われた。




街のパノラマ、


新しいインプラントのレポート、


中心部の抗議活動…


そして、奇妙な映像が映し出された。








若い女性記者がマイクを手に立っていた。


声ははっきりしていたが、微かに震えていた。


背後では、西部地区の賑やかな通りを


警察が封鎖していた。


巨大な三脚に点滅する金属ノードが付いた構造物。


まるで古いSF映画のアンテナのようだった。




カメラが揺れ、


モジュールを装着した重装甲の警察官、


急ぐエンジニア、


装置の点滅するインジケーターを捉えた。


すべてが不気味で、


現実的すぎる雰囲気だった。




記者:


「現在、西部地区で警察が


防護バリアのジェネレーターを設置しています。


この装置は、外部の脅威から広範囲を隔離する


透明なドーム状のフィールドを生成するとされています。


脅威とは何か? 詳しくお伝えします。」








カメラが制服姿の背の高い男性に切り替わった。


胸には「デイヴ隊長」と書かれた名札が輝いていた。


手を背中に組み、


疲れたが自信に満ちた視線を向けていた。




記者:


「デイヴ隊長、このバリアは市民にとって安全ですか?


また、設置の目的は何ですか?」




隊長は口の端で小さく笑ったが、


目は冷たかった。




デイヴ隊長:


「バリアの技術は機密です。


しかし、完全に安全だと保証します。


人やモジュールに影響を与えず、


自由に出入り可能です。


予防措置に過ぎません。」




記者:


「しかし、なぜ必要なのでしょうか?


危険な事態が起きているのですか?


また、人やモジュールに影響しないバリアが


どのように役立つのですか?」




デイヴは一瞬言葉に詰まり、


横に視線を逸らした。


自信が一瞬揺らいだ。




デイヴ隊長:


「まあ… 時には異常事態が起こるものです。


例えば、野生のテクノ鳩が市中心部に侵入して


混乱を引き起こすとか。


不安定なドローンとかね。


どんな事態にも備えなければ。」








アルヴィンはコーヒーを飲もうとしてむせ、


テーブルに少しこぼした。


袖で拭きながら、画面から目を離さなかった。




アルヴィン(内心):


「テクノ鳩? ふざけてるのか?


これが隊長?


こんなユーモアでどうやって昇進したんだ?


それとも… 何か隠してる?」




記者は戸惑いを隠そうと瞬きし、


プロの笑顔が揺らいだ。


その時、若い中尉がデイヴに駆け寄り、


何かを耳打ちした。




中尉:


「隊長、緊急情報です! コード3-9!」




デイヴ隊長:


「おっと、急用だ!」


彼は言い、さっさと中尉と去った。


明らかに質問から逃れたかった。








カメラが記者に戻り、


彼女は笑いをこらえながら髪を直した。




記者:


「ご覧の通り、警察は私たちの安全を守っています…


テクノ鳩からも。


現在、バリアは12番街から東の橋までを覆っています。」




画面に都市の地図が映し出され、


赤い線でドームの範囲が示された。


アルヴィンは固まった。


バリアは彼が面接に向かう地区を囲っていた。




アルヴィン(内心):


「やっぱり、面接の場所がそこか…


このバリア、ただのスキャナーだろ。


闇市場で似たようなドア用スキャナーを見たけど、


こんな規模じゃない。


機密技術? 出入りするものを監視してるんだ。


まあ、俺は大したことしてない…


自作モジュールを税金なしで売ったくらいだ。


こんなことで逮捕されないよな。


警察はもっと大事なことやってるはず… だろ?」








カップを置き、


椅子を軋ませて立ち上がり、着替えた。


時刻は8:30。


ボロボロのジャケットを着て、


ポケットをチェックした。


鍵、画面がひび割れた古いコミュニケーター、


数枚のコイン。




過去の記憶——


家、勉強、仕事、恋愛らしきもの——が


頭をよぎった。


胸に小さな不安が疼いた。


いや、いつもそこにあったのか?


数ヶ月前、闇市場でモジュールを売っていた時、


警察にほぼ捕まった。


あの時は警告で済んだが、


それ以来、どの物音も怪しく感じる。




アルヴィン(内心):


「準備できた! 8:30。


25分あれば、8:50には着く。


遅れずに済む。


時間厳守って俺らしいか?


まあ、いいか。行こう!」








ドアを開け、


暗い階段に足を踏み入れた。


古いビルの廊下は薄暗く、


剥がれた壁をちらつく蛍光灯がかろうじて照らしていた。


2030年代に取り壊される予定だったこの建物は、


なぜか金持ちのビジネスマンが買い取り、


貧困層に貸し出していた。


空気は湿気と古いプラスチックの匂いで重く、


遠くで古い換気扇のうなりが聞こえた。




エレベーターを呼び、乗り込んだ。


床が微かに揺れ、


1階のボタンを押すと、


ドアが閉まりかけたが、


直前に影が動いた。




声:


「待って! 私たちも下!」








ドアが止まり、


20代半ばくらいの男女が飛び込んできた。


エレベーターが動き出し、


緊張した静寂が広がった。


アルヴィンはちらりと二人を見た。


光るインプラントやインターフェースは見当たらない。


このビルでは、モジュールは高嶺の花だった。




アルヴィン(内心):


「モジュールなし?


まあ、この場所じゃ普通だ。


でも、この二人、初めて見るな。


いつ引っ越してきたんだ?


なんでこんな… 明るいんだ?」




エレベーターが止まり、


三人は外へ出た。


冷たい朝の空気が顔に当たり、


アスファルトと排気ガスの匂いが混ざった。




出口で女が振り返った。




女:


「ねえ、13号室の人?」




アルヴィンは頷き、


友好的に微笑んだが、


頭は面接とバリアのことでいっぱいだった。




アルヴィン:


「うん。君たちは?」




女:


「私たち、上の階の新しい住人よ!


私はディアナ、こいつは…」




男が割り込み、大きく笑った。




男:


「ハンゾン!」




ディアナが肘でつつき、目を細めた。




ディアナ:


「イリヤよ。


こいつのふざけた呼び名、気にしないで。」




イリヤは照れ笑いし、首を掻いた。




ディアナ:


「じゃ、仕事行くね。


アルヴィン、頑張って!」




アルヴィン:


「ありがとう、君たちも!」








別れた後、バス停に向かいながら、


アルヴィンは彼らの明るさが


少し気分を上げてくれたことに気づいた。


この灰色の地区では、


そんな人々は珍しかった。


まるで霧の中の光のようだった。




アルヴィン(内心):


「いい奴らだな。


今日、案外悪くないかも。


いや、俺が自分を励ましてるだけか?」




バス停の看板には


「バス運休:技術的問題」と書かれていた。


アルヴィンはため息をつき、


空っぽの通りを見渡した。




アルヴィン(内心):


「早めに出てよかった。


タクシー? 高すぎる。


歩くか。


健康にいいってことで。


誰を騙してるんだ?」








西部地区の通りは、


広告のネオン輝く未来都市とは程遠かった。


色あせたパネルと傾いた金属構造のビル、


ひび割れたアスファルト。


時折、ボロボロの車が通り過ぎるが、


最新技術の影はなかった。


空気は湿気と排気ガス、


金属の匂いで重かった。




頭上をドローンが飛び、


赤いライトがちらついた。


街が決して眠らないことを思い出させた。




メイン通りに出ると、


タクシーが目に入った。


運転手の名札には「ディラン」と書かれていた。


視線が交錯したが、


アルヴィンは通り過ぎた。




アルヴィン(内心):


「タクシーで5ポイント?


バスなら1.5だ。


歩くよ。」




ディラン:


「おい、若者、東の橋に行くんだろ?」




アルヴィンは立ち止まり、振り返った。


男は軽く笑っていたが、


目に何か不穏なものがあった。




アルヴィン:


「うん、だけど自分で…」




ディラン:


「待て待て! 2ポイントでいいよ。


そっちに用事があるんだ。


一人じゃ退屈だからさ。」








アルヴィンは目を細めた。


安すぎる。怪しい。




アルヴィン(内心):


「2ポイント? 怪しいな。


でも… こんな機会、逃せない。」




アルヴィン:


「よし、乗るよ。」




後部座席に座り、


タクシーが走り出した。


車は古く、


シートは擦り切れ、


タバコの微かな匂いが漂っていた。


ディランがラジオをつけたが、


音楽の代わりにノイズが響くだけだった。




しばらく沈黙が続いた。




ディラン:


「お前、アルヴィンだろ?


昨日のメッセージ、受け取ったな?」




アルヴィンは凍りついた。


心臓が一瞬止まった。


バックミラーでディランの視線と合った。




アルヴィン(内心):


「俺の名前を知ってる?


あの会社の人?


それとも… 罠?


何だこの状況?」








カチッ。


ドアのロックが鳴った。


車内の静寂が重く圧し掛かり、


ディランのバックミラーに映る笑顔が、


冷たく、まるで捕食者のように感じられた。


アルヴィンの指がシートを強く握った。




アルヴィン(内心):


「こいつは誰だ?


そして、俺に何の用だ?


これはただのタクシーじゃない…」

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