ELIXIR──The stories of something.

ビスマス工房

Story#000001

 春先のことだ。ホヴァーヴィークルの制御を行っている人工知能、"咲綾"が前方に人型の熱源を感知した、とビープ音を鳴らした。取り敢えずホヴィーをそこで停めて降り人型の熱源を確かめることにした。

 そこには、一人のセツ族の青い民族衣装を着た少年が倒れていた。様子を見ていると、しゅるりと青い鱗の小さな龍神が這い出してきて、威嚇するようにこちらに牙を見せた。シャー、というその声に微笑みを見せると、龍は戸惑ったように目を瞬きした。

 小さな龍を肩に乗せた少年を抱え上げて、ホヴィーに戻ると、メイデン・オートマタのアリスがこちらに歩み寄ってきた。その子、どうするの?と首をかしげるアリスに、心配はいらない、と笑みを返した。

 長らく旅を続けてきた中では、信頼出来る人は何より大切だ。そのうちの一つに頼るとしよう、とアリスに言うと、アリスはうん、と頷いてくれた。


 エリシウム平原に佇む古いドーム都市は、相変わらずそのくすんだ特殊鋼の屋根を大地の上にそびえ立たせている。通信電波をその屋根の中にいる者に向かって飛ばすと、少しして応答があった。

 やがて、ドームが出入り口を開けたので、ホヴィーをその中に入れる。地下発着場では三名の作業員が、こちらに上手く停車出来るよう合図を送っていた。

 ホヴィーから降り、店主はいるかと作業員の一人に訊ねると、ちょうど店主が現れた。店主は丸い体格の中年女性で、通信で言っていた子はどこだい、と聞いてきた。ホヴィーの奥の寝室のベッドに寝かせていたその少年を店主に見せると、こっちのホテルに来な、と言った。

 眠っている少年を万屋のベッドに寝かせていると、この万屋の雑用係の少年が近付いてきた。栗色の巻き毛に緑色の目をしている、ウイグル族の少年だ。栄養失調状態の場合に飲ませるゼリーを持ってきたらしい。

 その子、生き返るの?ウイグル族の少年の質問に声を穏やかにして、助ける為にここに連れて来た、と答えると少年は、元気になると良いな、と笑顔になった。

 ここの万屋は本当に、何でも揃っている。ホヴァーヴィークルの整備工場から宿泊施設まであり、マーケットでは携帯食料から火炎放射器まで買える。たくさんの従業員が客の要望を叶え、まるで一つの都市のようだ。

 セツ族の少年が不意に目を覚ましたのは、滞在二日目の昼頃のことだ。すぐに図書館にいた我々に、セツ族の少年が目を覚ましたと伝えられて、ウイグル族の少年が我々の手を引いて彼のいるホテルの一室に走った。

 セツ族の少年は、思ったよりも元気なように見えた。店主と我々二人、併せて三人で、セツ族の少年に何故無謀な旅をしていたのか詳しく聞き取りをした。

 これのためです、と少年は傍らに置かれた肩掛け鞄からいくつかの何かを取り出して、こちらに見せた。それは三つに割れて分かれてはいたが、確かに元は一つの結晶だったと見えるものだった。

 結晶機械です、とセツ族の少年は言った。空間の霊質波動を安定させる装置だと、これを僕に託した人は言っていました。

 セツ族は、元々チベットの山中で暮らしていた少数民族だが、今から二千年前に天から教師たちが降り立った時、地球で最も精神性の豊かな民族として、過去の戦争による傷を癒すために火星に送られたという。

 彼らの尽力により火星は人が長らく住めるくらいに環境が良くなったが、地球から鉱物資源の採掘の為に来た者たちによりセツ族は追いやられ、エリシウムの山麓に隠れ住むことを余儀なくされた。

 幸いエリシウムには良い草地があった為、セツ族は家畜の餌には困らなかったという。ある日、白綿ヤクの放牧に出かけたところ、この肩掛け鞄を持った奇妙な老人と出会ったのだと、セツ族の少年は語った。

 老人は識学者であり、何年も前に政府から言われてこの結晶機械を研究する為に極秘で火星から持ち出したが、その後に結晶機械の真の機能に気付き、これが持ち出された為に火星の環境が悪化していることを受け、これを還すために再び火星を訪れたそうだ。

 これを、オリンポス神殿遺跡至聖所の祭壇に戻してほしい。そう言って老人は息を引き取り、少年はその役目を引き受けたという。最初は大人が行くことになっていたが、龍の加護が降りた為に、少年が行くことになったのだそうだ。

 旅を続けるか、と聞くと少年が頷いた為、我々はある提案をした。オリンポスに行ってエリシウムに帰るまで、我々が用心棒を担うことにしよう。少年は我々の提案を聞いて、意外そうな、嬉しそうな顔をした。

 ちょっと待て。そう言って扉を開けたのはウイグル族の少年だった。

 俺も行く。あんたらにこいつの食べるものを任せられない。

 彼のこの言葉の理由は一つだ。私とアリスは人間ではない。アリスはオートマタでありものを食べる必要がなく、たまに食べるのは嗜好品である甘いものだけだ。

 私はある種の生物兵器で、錠剤一つだけで三ヶ月は保つ。感覚が鋭い為に味覚も人間のものと異なり、料理などをすれば人間が好む味付けとはかけ離れたものが出来てしまう。

 まあ分量を守ればそれなりのものが出来ることは分かっているのだが、彼はどうしても私の料理の腕を信用できないようだ。

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