A市連続女性失踪事件 改め、

二八 鯉市(にはち りいち)

A市連続女性失踪事件 改め、

 ぐぅ、と腹が不細工な音をたてて鳴った。私はふと、目を覚ました。

 思わず呻く。ああ、頭も肩も腰も痛い。

 そうか、硬い床の上で寝てしまっていたのだ。

 たまに、やってしまう。ちょっとした昼寝をするにしても、ラグの上だと暑くて眠れないからだ。


 うっとりするような夢を見ていた、その名残だけがある。


 私はゆっくりと身を起こす。じわじわと、現実の形を思い出していく。


 部屋だ。

 うん。そうだ、私の部屋だ。


 テレビに、観葉植物。

 木目調のローテーブルに、食器。黒の座椅子。

 食器はまだ、スプーンもフォークも放り出したまま片付けられていない。

 そうか、食後の睡魔に負けたのか。私は目を擦りながら、単純な生理現象に負けてしまった自分が思いのほか可愛らしくて、笑った。


 自分でいうのもなんだが、洒落た部屋だと思う。

 この部屋を訪れてくれた女性は皆、たいてい「おしゃれな部屋」と言ってくれた。まあ、そういう風に造っている。


 「ロマンがある部屋」をテーマに色々とセンスよく仕立てたつもりだが、やはり、壁にかざった絵が良いのだろう。

 たまたま立ち寄った若手の画家が集う展示会で、一目ぼれして買った絵だ。

 価格は24万円だった。高いと感じるか安いと感じるかは人それぞれだ。


 私はこの部屋に来てくれた女性に、

「あの絵、いくらぐらいに見える?」

と尋ねる。


 こういう質問をされたとき、人間は2種類に分かれる。

「そんな質問をするのであれば、さぞ高いのだろう」

と考える人間。


 或いは、

「こんなに綺麗な絵を前にしてあえてそんなことを尋ねるのだから、意外とお買い得なのだろう」

と、考える人間。


 私としては、どちらでもいい。

 その質問の答えに、意味などないのだから。


 大事なことは一つ。

 そう尋ねられた客人は、たいてい、絵をちゃんと見ようとして立ち上がり、壁際に立つ。

 そして、ラグの上に立つのだ。


もしも、だ。

「ねえ、ちょっとそこのラグの上に立ってくれるかい?」

などと言ったら、警戒される。スムーズに立たせられない。


 だが、

「あの絵ってさ、いくらに見える? 詳しい知識とかが無くても、近くで見てみたら意外と分かるんじゃないかな」

そう尋ねた人間は、自然と壁際まで歩み寄り、ラグの上に立つのだ。


 「する場所」をラグの上と決めているのは、なんだろう。意味のないこだわりだ。

 誰にだってある、とりとめのないルーティーンなのだろうと思う。

 「緊張する日はこのネクタイ」だとか、「改札は右から2番目」だとか、そういう類のルーティーンだ。


 ああ、ドアの外—―廊下がうるさい。


 額のあたりに軽い頭痛を覚え、私はキッチンに立つ。硬い床で寝たせいか。グラス一杯の水を飲んだ。冷たい水が喉を冷やし、胃袋へと落ちていく。ああ、それでもまだズキズキする。


 騒音。

 ドアを叩く音。

 頭痛。

 ドアが叩かれる。


 ああ、そうか。


 ドアがガチャリと、外から乱暴に開く。


 この音は、さっきからずっとしていたんだ。

 。そうか、そうだったか。


 ガンッと耳障りな音を立てて開いたドアが、チェーンロックに阻まれる。だが、ドアの隙間に電動の工具が差し込まれ、チェーンはあっという間に切られた。

 私はグラスを持ったまま、

「チェーンとはあんなに簡単に切られるものなのか」

と、不思議に思っていた。


 ドアが開く。外の生臭い風が吹き込む。


 文字通り血眼の男が、マンションの廊下から私を見た。私の名を叫び、突進してくる。私はグラスを置くと、キッチンからリビングへと後退した。

 だがすぐに追いつかれ、組み敷かれる。


 ああ、痛い。


 硬い床に押し倒され、私はうめく。


 血眼の男は、うつぶせになった私に馬乗りになったまま、何か大声で喚いている。

 やめてくれ、何もかも耳障りだ。

 君が何を言っているのか理解しがたいんだよ、こちらは。


 男以外の数多の足音。いずれも硬い靴音。なんだ、私の部屋に土足で入ってくるとは。


 汗臭い。生身の人間の体臭。

 あるいはきつい柔軟剤の匂い。


 数多の人間の匂いが、部屋の中になだれ込んで、混ざり合っていく。


 ああ、そうか。

 手も足も拘束されたまま、私は合点する。


 昨日の女か。

 いつも通り、「あの絵はいくらだと思う?」という質問をして、壁際に立たせたのに。

 背後から近づく私の気配を敏感に感じ取り、ラグから逃げたあの女。


 「ラグの上で出来なかった」

 それが、妙に嫌だった。順番が狂ったような。いつものローテーションが崩れたようで、ひどく気持ち悪かった。

 だから、昨日はしなかった。


 私の部屋に押し寄せた男たちのうちの一人が、私の寝室のクローゼットから、あの女を連れだした。  


 女には、食事も水も与えてはいない。

 だから衰弱してはいる。女は男たちに連れられ、よろよろと歩いている。白い布が視界をよぎった。なるほど、担架か。


 ああ、そうか。

 昨日あの女が言っていた、

『こんなこと、いつまでも隠し通せない。兄が、私の居場所を必ず見つけてくれる。あんたが誘拐した麗香れいかの居場所だって、兄が必ず見つけるんだから』

という言葉は、苦し紛れの虚言ではなかったのか。


 ならば。

 この部屋に飛び込んできた、あの血眼の男。確かに、顔が似ていた。そうか、彼女の兄か。

 面影がある。彼が男でなければなぁ。喜んで招き入れた好みの顔立ちなのに。


 私に馬乗りになったその『兄であろう男』は、大声で何かを言っている。

 ほかの女はどうしたのか、ということを聞いているのだろう。

 麗香。

 麗香という女がどんな女だったか、私は分からない。「女」とは「女」でしかなく、それ以上を覚えていないからだ。だから、ほかの女の名前を言われても、分からない。


 すべて、うわんうわんと響く、不愉快なノイズにしか聞こえない。

 私の腹はまた、ぐぅという不細工な音を立てて腸を蠕動させる。


 私は、とにかく彼らが発するノイズを黙らせてほしいという気持ちで、仕方なかった。

 だから、うんざりして言った。


 「静かにしてくれないか。で、眠いんだ」


***


 A市連続女性失踪事件改め、A市連続女性殺人および、死体損壊事件。



<終>

 

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