大地とララ

 ララを叩き起こしたのは長老だった。


「遅くまでんでいたが、できたか」

「うん、もう出発するの?」


 大きな欠伸あくびをして目をこすると、すぐに女たちがララを囲んだ。頭や腕が方々に引っ張られて、身体中に色のついた粉で模様が描かれていく。頭につけられた飾りは少しきつかった。


「この石外すよ」

「あ、それダメ。いい感じにつけてて」


 赤い石の飾りひもは絶対に外さない。マリアウルだって、死んでも外さなかった。


 みるみるうちに、葉や羽の飾りでララは華々しい花嫁姿になった。


「髪ちゃんとくししてあってよかった。あんた全然やってなかったから」

「うん、最近やれって言われて。どうなの? 変じゃない? 贈り物って感じする?」


 女たちは上から下までララを見て、口元をゆがませる。


「まぁ男なんて若けりゃ喜ぶよ」

「ちょっと贈り物にしてはせすぎてねぇ」

「もうちょっと可愛い子の方がよかったかしらねぇ」


 口々に適当なことを言われ、ララは口を曲げた。


「笑っとくんだね。そうすりゃ悪くはないよ」


 最後に長老が言って、ララは笑ってみせる。女たちはララのわざとらしい笑顔を見て腹をかかえる。みんなほとんど話したこともない人たちだ。ずっと陰でララをさげすんでいたのだろう。それでもこの集落の作り上げた長い長いひもを、いまここでり合わせているのはこの人たちだ。


「いままでありがとうございました」


 ララが口にすると、全員が笑うのをやめて目を丸くする。


「精霊の子なのに、ここに置いててくれたから」


 女たちは互いの顔を見合わせるが、誰も答えるべき言葉に当たらなかった。ただ長老だけが口をひらく。


「ほんとうにどこまでも厄介やっかいだったよ。そう思うなら、あとは無事で向こうまで着くんだね。贈り物なんだから」


 長老とララは互いを見つめる。長老がマリアウルのことをどう思っているのかはわからない。ただおきてにしたがって、マリアウルなどいなかったものとして振る舞っているだけかもしれない。ララがそのことで謝るのも間違っているのはわかる。だからもう一度、長老のためだけに、ララは感謝を口にした。


「ほんとうに、ありがとうございました」


 長老は最後まで表情を変えない。しかしララにできることはもうない。


 一歩を踏み出すと、広場で男たちが木や石を鳴らして、旅立ちの儀式が始まった。それぞれの一族が次々に進み出ると、積み上げた贈り物をかかげて歌を歌う。一族がどれほどさかえ、どれほど偉大かを叫び、贈り物を誇らしく高らかに掲げて舞い踊る。また次の一族がきそうように現れると、そのおさが戦の踊りを披露ひろうし、一族がそろって歌う。次の一族はこの旅路をみちびく船頭としての腕を受け継いでいると胸を張り、力強く弓を引いていた。


 ——こうやって続いていくんだ。


 ララはたくさんの糸を見ていた。それはずっと自分の周りにあって、り合わされるのを待っていた。こんなに簡単で、こんなに愛しくて、こんなに美しいものが、ララにはずっと見えなかった。


 そうして幾つかの一族が歌を終えると、ユンロクが一人進み出る。その腕には緑に白い筋の入った石がついたひも飾りが結ばれていた。ララを見ると、ユンロクは低い声で一人歌い始める。その歌のふしにララはおどろいた。


「精霊の子は、あれは歌ってはいけないの?」


 長老に寄ってたずねると、ひどく顔をしかめられる。


「今日は祝祭だ」


 それだけを言って、長老は目をつむった。

 ララは笑顔をはじけさせ、声高らかにユンロクに続く。


 集落全部がどっとく。若者たちはどういうことだと顔を見合わせた。知っているはずのない一族の歌をララが歌っている。遠く遠くの土地からこの集落にやってきた、旅をした一族の歌は、その言葉もふしも他の一族とは違っている。適当に歌えるはずもない。

 ユンロクさえもおどろきに目を丸くして歌を続けていた。


「精霊に教わったの!」


 精霊と話せなどしない。それでもそうだと言えば、皆がそうだと信じてしまう。精霊が子をなすというなら、歌も教えるはずだと。精霊というのはいつも勝手で、不思議なことや許し難いことがあると決まって現れる。決して集落が滅びないように。繋いできたひもが切れてしまわないように。

 ララは両手を広げて歌い続ける。いまやララと繋がっているのは大地パラだけではない。木々も風も、集落の人々も、川の流れのように続く昔の人々も、そのすべてが歌の中につながっているのを感じていた。


 ——これが精霊の声だったんだ!


 歌い終えたとき、ララはその喜びに打ち震えていた。両肩に手を置いて自分を抱きしめ、大きく息をする。


「呪術師に祈祷きとうをもらう」


 混乱をしずめるように、長老が宣言する。呪術師が姿を現すと、その背後にはみので全身をおおったマリアウルの姿もある。


 呪術師がひとつ杖を振って鳴らすだけで、あたりは急に静かになった。


「待って」


 ララは小走りに寝床に戻ってひもを拾い上げる。青色の石が揺れた。


「呪術師が祈祷きとうをするなら、代わりに何かを渡さないと。みんなは渡しただろうけど、わたしの分はまだだから」


 呪術師の腕をとって、飾りひもを結ぶ。手を止めると、ララは頭をかたむけて、自分の赤い石の髪飾りをつついた。視線を交わして、マリアウルがうなずく。


「精霊の子でも友達がいたから、わたしは生きてこれたんだ。信じてあげてね」


 マリアウルになら伝わっただろう。彼女のおかげでララが生きてこられたこと。マリアウルが産むことになる精霊の子も、信じてあげればきっと大きく育つこと。


 結び目を作り終える。

 火傷のような傷痕きずあとが残った呪術師の腕。ララはその腕から手を離せなかった。初めて会ったとき、呪術師はララの腕から手を離さなかった。それもそのはずだ。聞きたいことも伝えたいことも、ララにだって呪術師にだってたくさんある。

 でもララは手を離さなければならない。二人が親子だという秘密は、おきてふたで隠さなければならない。そうすることが、マリアウルとその子供を守ってくれるはずだ。

 ララの指先が静かに離れる。どうして今までわからなかったのだろうか。仮面の奥には、いつもやさしい瞳がララを見つめていた。


 もう一度手を取る。少しだけ腕を引いて、ララは母の耳元に顔を寄せた。


「ありがとう、お母さん。いってくるね」

「元気でいて」


 二人にだけ聞こえた小さな声。そのどちらともが震えていた。ララがこれまでに聞いたどんな声よりも温かくて、知らないはずなのに懐かしい声。笑ったほほに涙が伝った。


「じゃあ祈祷きとうをお願いします。呪術師さん」


 大きな声でララがいうと、呪術師は杖を振って音を鳴らす。それぞれの一族が用意した贈り物の前で舞いながら、呪文を唱えてゆく。それが一つ終わるたびに、旅立ちの時が近づくのを感じた。

 もう二度とこの土地に来ることはないだろう。ユンロクにも、マリアウルにも、お母さんにだって会うことはない。せっかくこんなにつながりがわかったのに、なんにだって感謝できるくらいに大人になったのに、ララはここを去らなければならない。


 木々が打ち鳴らされる。ついにその時が来たのだ。


 歓声をあげながら、先頭の一族が進み始める。


「わたし……」


 大泣きしながら、ララはやっと言葉を口にする。


「わたしを、精霊の子にしてくれて、ありがとう」


 言葉にならないむせび泣く声が、一歩ずつ一歩ずつ、森の中へと消えていった。

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精霊の子 早瀬 コウ @Kou_Hayase

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