紐と歌

 教えてもらった草をり集めて、ララは荒屋あばらやの前に草の山を作る。呪術師へと向きを変えたララの鼻息は荒く、興奮こうふんおさえられない様子だった。仮面で表情は見えなかったが、息遣いで呪術師ははっきりと狼狽ろうばいする。


「取りすぎだ」

「たくさん使いたいから。これである分貸してよ」


 この数日で呪術師とはすっかり打ち解けていた。どれだけ何を言っても、呪術師はララを否定しなかったからだ。初めは居丈高いたけだかに口をきいていたものだが、今となってはまるでマリアウルに話すような口ぶりだった。

 何かを追い払うみたいに指先を振ったあと、呪術師は小屋に戻ってかわかした草束を持ち出す。たくわえてあった分だけでも十分足りそうだった。しゃがみ込んで草束をいくつかに分けてみて、途中でそれをやめにした。ひもは両手で数えられないほど作れる。あとは練習して、丈夫で綺麗きれいひもの作り方まで学べればそれでいい。


 早速さっそくララは手頃てごろな草を束で手に取って三つに分ける。すべてを集めた端を一本で結びながら、呪術師が先に座った石に半分食い込むように、ずいと座った。平たい石は二人には少しせまい。


「ちょっと空けてよ。ここが一番やりやすいんだから」


 足の指で結んだところを押さえると、その足を反対のひざの上に乗せる。すぐに三つの別れた束を順にっては巻き合わせる。長くなると足を下ろして作業さぎょうを続けた。このところこればかりやっていたからか、すっかり慣れた手つきでこなしている。

 すぐにひとつをりあげてしまった。しかしまだひもは少しゆるい。これではララの思う仕上がりにはおよばなかった。


「全部こう、何回もぎゅっとやっていいの?」


 ララが尋ねると呪術師はひもつまんでかかげる。あごを上げるところを始めて見たが、仮面の横顔に火傷やけどのようなあとがあった。


「強くやってもまぁ切れん。だが引くよりねじる方がいい」


 呪術師はひもを返そうとしたが、ララはそれを受け取らない。呪術師の仮面をまじまじと見る。


「なんで仮面してんの」

「呪術師の決まりだ」


 ララは目を細める。決まり、おきて、またこれだった。


「顔、なんかついてた」


 自分のあごのあたりをでて、顔の火傷痕やけどあとを見たことを伝える。呪術師は仮面の中で長く息をついたかと思うと、次にはつえをガシャガシャ鳴らし、そしてどこか遠くの木をぼうっと見た。

 何か言うと思ってララは耳をかたむける。しかし呪術師はずっと何も言わなかった。都合つごうの悪いとき、呪術師はそうやって意味ありげな動きをして誤魔化ごまかしている。そのことがララにもようやくわかってきた。そしてこうなったとき、呪術師はその話が続く限り口を開かなくなる。

 肩を落として次の草束を手に取った。


「ユンロクにばらしたでしょ、秘密だったのに」


 呪術師のつえをじっと見て、見よう見まねで石を一つみ込んでみる。しかし指がこんがらがって、どうにも石を支えられそうにはなかった。


「これからは誰にも言わないでよ。ユンロクとマリアウル以外はみんな私のこと嫌いだから、禁止されたらどうすんの」


 呪術師は人差し指を伸ばして、荒れた指でララの髪をいた。ぞっとしてララは身をのけぞらせる。呪術師の指はそこに残った。よく見ればその指にも木に泥がみたような火傷痕やけどあとがある。


「なにすんのさ」

「クシを通せ」

「なにそれ?」


 両手の指をだらりとらして、呪術師は自分の頭の左右をく。しかしララにはその動きでは伝わらなかった。


「骨を使って歯を作る。髪の汚れを落とす」


 呪術師は立ち上がって荒屋あばらやに向け二歩だけ進み、杖を振ったと思えば、何かふしをつけてとなえ始める。そのふしに合わせて一歩一歩と進むものだから、目的地に着くまではしばらくかかりそうだった。

 なぜそんなことをしないといけないのか、ララには全くわからなかった。精霊が呪術師にそうしろと言ったというのだろうか? もしもララの耳にもその声が聞こえれば、ああしてとなえようとでも思うときがくるのだろうか?


 杖を横凪よこなぎふるわせて、歯切れ良く何度か振るう。それで満足したのか、呪術師は荒屋あばらや枝垂しだれた草のまくはらって中に消える。ちらと見えたその住処すみかは昼間とは思えぬほど薄暗かった。草や枝でおおい隠された荒屋あばらやは、さながら洞窟どうくつに暮らすようなものだ。柱だけを立てて屋根をいた長屋根ロングハウスに比べれば、まるで隠れるような暮らしぶりだった。


「そりゃマリアウルにも嫌われるよ」


 また次のひもを作り始める。そろそろ石や貝をつける練習もしたい。旅立ちまでにあの杖と同じだけ、飾りをつけたひもを作るには、もう時は残されていなかった。

 用意していた石を一つとってみて、ひもしばり付けてみる。しっかり支えようとすると、結局全部巻くことになってしまった。


「違うんだよなぁ」


 解いてみて、呪術師の杖を思い浮かべた。ひもむ途中に巻き付くように石がついていたような気がする。また一つひもを作り途中で止めて、そこに石を挟んで細かい草を結び合わせていく。ララの人生で一番細かい作業に、目がしびれた。


「髪に触るぞ」

「わっ」


 いつの間にか後ろにいた呪術師が声をかける。


「ダメだよ、女なの?」


 男が妻以外の女の体に触れるのはよくないことだった。殴ったり蹴るのはいいようだから、絶対禁止ではないらしいとはララも知っている。しかし髪に触るのはそれとはわけが違った。


「女だ。わからんで横に座ったか」


 呪術師のしびれたような声は男とも女とも取れなかった。少し考えてララは背をらせて呪術師を見上げる。よく考えれば、さっき仮面の下が見えたときに気づくべきだった。


ひげが濃くない。ほんとだ。じゃいいよ。マリアウルもときどき触るし」


 ララのごわついた髪に、何かがぐっと差し込まれる。髪を握られて引っ張られるような感覚があって、思わず手を止めて声を上げた。


「うあー なにすんだよ」

「これがくしだ。虫も取る」


 呪術師はクシを繰り返す。なんだか遊ばれているような気もしたが、呪術師が言うからにはそれも精霊の声を聞くために必要なことなのだと考えることにした。

 頭を引っ張られながら、なんとかひもを結ぼうとしてみても、どうにもクシが邪魔で仕方がない。ララが苦戦していると、想像だにしない言葉を呪術師が発した。


「マリアウルは、兄から離れたか?」


 ララは勢いよく立ち上がってあたりを見た。呪術師と自分しかその場にはいない。頭に刺さったままのクシを取って、呪術師に向き直る。呪術師の仮面は変わらずじっとララを見ていた。


「なんで知ってるの」

「一度邪霊払いを頼まれた」

「でも、じゃあ……おじさん気づいてるの?」


 呪術師は首を振る。

 しかしマリアウルが自分でそう言わない限り、集落の誰かがを呪術師に伝えている。それはマリアウルがララにさえはっきりとは伝えていない、重い重い秘密だった。いや、もはや秘密を超えている。それは邪霊のような後ろ暗さと恐怖と不安のかたまりだった。もしララ以外の誰かがそれに気づいているなら、マリアウルたちを守るもろからにはひびが入っている。

 ララは足元がおぼつかなくなって、ひざをついた。


「精霊しか知らない」


 呪術師は石を叩いてララを座らせる。ララは呪術師の言いなりになって、力なく項垂うなだれた。その背でもう一度クシが通される。


「怖いんだ。マリアウル、優しいから。でもわたし、もうどこか遠くに行っちゃうし、どうなっちゃったのかも知らないままでさ、ちゃんと普通にさ、結婚して子供産んでくれてたらさ、ほんとにいいのかは知らないけど、出発のときに遠くで二人とも幸せに生きてけるって思えたらさ、それだけでよかったんだけどさ」


 ララは自分が何を言っているのかよくわからなくなっていた。自分の口から次々と言葉が出てきてしまって、整理することも止めることもできそうになかった。

 呪術師は続けてララの頭にクシを突き刺す。背を向けているおかげで、ララは泣き顔を隠さずにいられた。


「邪霊じゃなかったんでしょ」

「ああ違う。そんなものはいなかった」


「やめさせられないの?」

「できない。マリアウルが自分で止まることができなければ」


 問答もんどうはそこで止まった。ただ風が木々をらす音だけがザワザワと鳴って、ララの頭がたびたびクシに引っ張られた。鳥の高い声が遠くでひびき、虫の羽音が近くでうなった。


 ——できない。


 ひもさえ作れなかったララならまだしも、この人は呪術師だった。精霊と話し、どんな病も治す。それどころか人だって呪い殺す、ララの知る限り最も多くのことを知る人だった。


 しかしその呪術師が「できない」と言った。


 呪いでも邪霊でもなんでもない。マリアウルはくさり落ちる果実のようなものだった。美しく、甘く、華やかな時を過ごし、やがて誰も寄り付かぬほどの腐臭ふしゅうまとって泥の中に落ちてゆく。そのばつは、マリアウルにとって避けられないさだめだった。止められる人など、いるはずもない。


 呪術師が大きく息を吸う。


 ふしをつけて何か呪文のようなものをとなえ始めた。女声にしては低いその声は、ひもを振り回すよりよほど低く、張ったつたふるわすようだった。呪文にしては珍しく、その言葉のところどころに、ララも知る言葉が聞こえる。しかしそのほかの言葉はよく知らなかった。

 しかしよく知らない言葉たちも、ふしがつくと感じるところがある。きっとララとは全然違ったところで生きてきた人たちの言葉だ。言葉がとがっていたり、にごっていたり、まるでこれからララが歩むことになる遠い道のりを思うようだった。


 ——歌だ。


 聞き慣れない節回ふしまわしだったが、ララはそれが呪文ではなく歌だと分かった。

 それは不思議な体験だった。呪術師はララの暗い気分に寄りったわけでもない。ただ知らない言葉、知らない土地の知らない人々がたくさんいることを歌っただけだ。それでもララの心には朝日が射したようだった。

 大地パラの広さを思うことは、とても寂しいことのはずだ。そのほとんどすべてはララとは別のところにいる。これだけ広い中で、優しいのはマリアウルとユンロク、それに呪術師だけだ。大地パラが広ければ広いほど、ララの敵は増える。だからその歌がどうして心を照らしたのか、ララには説明できそうになかった。


 歌声は不意に止まった。振り返ったララに、呪術師は杖で空を突いて言う。


「歌はひもと同じだ」


 ララはその言葉の意味を少し考えた。さっき感じたことが、もしかしたらそういうことなのかもしれないと思った。


大地パラと人々、精霊、時を束ねてひとつにする」

「すごいね。私も歌ってみたかったな」


 ララには歌える歌がなかった。歌は一族のもので、ララには一族がない。どの歌も歌ってはならないし、教えてくれる人もいない。それらしいものといったら、呪術師がとなえた邪霊払いの呪文の真似事まねごとくらいだ。


 つまらなそうに言ったララの背から、仮面の中にひびくような深いため息が聞こえた。


ひもも禁止だったろうが」

「え、じゃあいいの?」


 ララは振り返って目を見開いた。

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