語らないこと
それから何日か経った日の午後だった。差し出された葉皿には、芋の葉に
「へぇ、ありがとう」
礼を言われても、ユンロクおじさんは何も言わなかった。そこまではいつも通りのことで、ララも早速豆を
「なに?」
こちらを見るわけでもない。集落の真ん中で燃えている
「お前を拾ったから、これは俺のセキニンだった」
ユンロクがララに話しかけるのは、両手で数えられるほど珍しいことだった。「ん」とか「おい」とか言うことはあっても、言葉らしい言葉を話すのは本当にほとんどないことだった。
それでもララが本当に小さかったとき、
そういうとき、ユンロクは決まってセキニンという言葉を使った。その言葉の意味は、ララにはなんとなくしかわからなかった。マリアウルは「やらないと
「うん、知ってる。ありがとう」
長い
森から
「妻贈りが近いな」
「うん」
つまらなそうな話に、ララはひとまず芋と豆を指先に
「不安はないか?」
「ない」
豆を口の中に詰めたままのその声には、なんの考えもなかった。どちらかといえば、ゆっくり一人で飯を食わせてくれとばかりララは思っていた。
しかしユンロクの
もしかしてこれが大人の余裕かと
「ねぇ、妻贈りって見たことないんだけど、わたしって
ユンロクの顔が少しだけこちらに傾いた。それでも目はこちらを見ない。
「何もしないでいい。普通は一族の歌を歌うが、お前にはない。そのあと船に乗る」
「船!? 川を渡るの?」
手が止まった。どこか遠くの集落とは言っても、歩いて行けるところだと思っていた。川を越えるとなると、一人で帰ってくることは決して
「川をずっと登っていって、それが五回曲がる」
五回。ララは言葉の意味を考えた。川は何度か見たことがある。大きくて広くて水がずっと流れている、匂いが違う場所だ。あんなものが曲がってしまうなら、そこでは大地の方がねじくれてしまってはいないだろうか。右手の指を順に折りながら、ララは森の中に迷うような、あるいは
「そしたら次の曲に小さな岸がある。そこに船を
「どのくらい?」
「長くだ。俺もその森には詳しくない」
いよいよララは背を地面につけて倒れる。川を伝って、それから森をずっと歩いて、そんな場所に本当に人が住めるのだろうか? 同じように土があって、
「やがて大木があって、それを抜けたら歌を歌いながら進む。この歌もお前は歌わなくていい。花嫁は着くまで秘密だからだ」
もうララに何かを
倒れたまま見上げた空に、星がひとつふたつと輝き始めていた。しかしララと星の間を雲が流れて
「じゃあほんとにさよならだ」
火が燃えて
大切なとき、ユンロクは話すのをやめる。ララのそばにいるのに、あと一歩近づこうとしない。ララに優しくするようで、いつも
ララははたと気づいて口にした。
「セキニンってさ、わたしに怒られるってこと? わたし怒んないよ?」
ユンロクは声も出さずに優しく笑った。子供の頃ならきっと頭も
「お前、呪術師のところに行っているだろう」
豆と芋を
ようやく豆を飲み込んでから、ララは応じた。
「だって別に禁止されてなかったから」
「ああ、それはいい。禁止じゃない」
ララは一度腕を
「なんだ、怒られるかと思った」
「ねえ、なんで知ってるの? 見てた?」
ユンロクおじさんは頭を痛めたような表情でララをチラリと見た。最後に目が合ってからもうどれくらいたったのかわからないほど久しぶりだった。
「聞いた」
「だれに?」
答えてくれなかった。ララはしばらく考えて、マリアウルのはずがないとだけは思った。マリアウルとユンロクは別の一族だし、ユンロクは妻を亡くしていて子もないから、二人だけで秘密を話すと意味が変わってくる。
「え、呪術師だ。だよね?」
またユンロクは答えてはくれなかった。
ユンロクは呪術師に何かを頼むような人ではない。そもそも自分を最後に一族を
「いろんなことを教わっておけ。妻贈りまでなら、長老も何も言わんだろ」
「もう
ララはまた
ユンロクは立ち上がって、手振りだけで
——そうだ!
ララはこのとき一つのことを思いつき、口元を
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