望まないこと

 まるでずっとそこにいたかのように、ララはそっとしげみから頭を出す。あたりをうかがってみても、ララがしばらく集落を離れていたことには誰も気づいていないようだった。なにより妻贈りの儀式が近づいているからには、それぞれの一族がほこりをかけて遠くの集落への贈り物を作ろうとしている。その忙しい時期に、どの一族でもないララのことなど気にめる者がいるわけもない。ララこそ集落で一番の贈り物であるはずなのだが、誰もそんなことを心から信じてはいないのだ。


 何食わぬ顔をして、舌がしびれる葉をちぎって退屈そうに噛みながら、ララはしげみを出る。誰もララが呪術師のところに行っていたなど思いもしないだろう。そう考えるなり、後ろから駆け寄ってのぞき込む顔があった。


「今度はどこ行ってたの」


 柔らかく肉付いた丸い顔立ちに、はっきりとした大きな瞳と平たい鼻、それに小さな口がいたずらっぽく笑った。マリアウルはバショウの葉を束にして抱えている。ララが腕を伸ばして半分持とうとしたら、申し訳なさそうに断られた。


「これは一族でやらないといけないって、おばあちゃんが。変な決まりだよね」

「変じゃないよ。そういうもんでしょ」


 村の中でララに友達として接してくれたのはマリアウルだけだ。精霊の子に対する村の決まりをギリギリ破らない範囲で、いつもララを忘れずにいてくれた。石投げだって草引きだって、マリアウルがいなかったらララは遊び方を一つも知らないで子供時代を過ごしただろう。許される限りララとマリアウルは一緒に過ごしていたし、彼女がいる限りララは孤独ではなかった。


「で、どこに行ってたの、花嫁様?」

「誰にも言わないでよ?」

「当たり前でしょ」


 ララが秘密を口にしようとすると、向こうの屋根から出た兄ぃがにこやかな表情で近づいているのに気がついた。マリアウルの兄もまた、ララに分けへだてなく接してくれた一人ではある。マリアウルよりさらに三つ歳上で、ララにもマリアウルにならって「兄ぃ」と呼ぶことを許してくれていた。しかしここしばらく——たぶん季節が一つめぐる間——ララは兄ぃとは挨拶あいさつのほか言葉を交わしていない。マリアウルもそれを察して、二人の会話からは遠ざけてくれる。もちろんそれだけではないことなど、ララも勘付いてはいた。

 なんにせよ、二人は秘密のおしゃべりをやめにする。すでにマリアウルはあごを引いて、わざとらしいひかえめな笑みで兄ぃを迎えていた。その表情はララの口をいっそうつぐませる。彼女のそういう姿だけは、ララはあまり好きになれなかった。


「マリィ、そいつ持ってくよ」

「ありがとう、お願い」


 兄ぃはマリアウルからバショウの葉束を受け取る。兄ぃはどさくさに紛れてマリアウルの腰をでて、微笑んだ彼女と視線を交わす。ララはそうしたやりとりをずっと見ないふりをしてきた。もしその関係を大っぴらに口にすれば、ララは姉のようにしたう友達を一人失ってしまうだろう。いや、どういうばつがあるのかなどララは知らない。ただなんとなく、それが好まれないことだけはわかっていた。


 マリアウルはララよりふたつ年上だった。本来ならとうに結婚が決まっているはずで、ララは出発より先に、彼女の祝いの席を遠巻きに見ることができたはずだ。たとえその輪に加わることが禁止されたとしても、その様子を目にしてから旅立ちたかった。

 しかしマリアウルはかたくなに結婚をこばんだ。一族が決めた相手に侮蔑ぶべつの言葉を放って破談はだんにしてしまった。父に殴られたあと謝ればよかったものを、マリアウルはあまりに頑固でゆずらず、一族は彼女が呪われていることにして呪術師に邪霊払いを頼むことを宣言した。しかし彼女を連れて戻ってきた呪術師は、これは邪霊の仕業ではないと言ってしまって、それでマリアウルの頭が冷えるまで放っておかれることになった。

 誰かマリアウルほどの破天荒はてんこうな女でも、美人なら嫁に貰おうという男が望まれている。しかしどうにも、一度ついてしまった悪評を払うのは難しい。同情して結婚を申し込んだ末、侮蔑ぶべつの言葉を吐かれて一族の顔に泥を塗られるくらいなら、はじめから縁談など申し込まない方がよいというわけだ。


 もちろんララにはそんなことのすべてが上辺うわべだけのものだとわかっていた。大人たちはおきてばかりを見て、誰もマリアウル自身を見ていない。彼女を見ていれば、彼女が兄ぃと恋仲にあることくらいすぐにわかるはずだ。

 もちろん兄妹の結婚なんてありえない。二人はその“ありえない”関係を保つためだけに、マリアウルを破天荒はてんこうで頑固な女に。そして大人たちも、“ありえない”関係など本当にないかのように、わがまま娘に頭を抱えてみせている。今のマリアウルを守っているのは、おきてが生み出した、そういう薄くもろからなのかもしれない。


 たくさんの嘘がねじくれてからまったこの兄妹には、きっとばつが待っている。親友が歩むことになる暗い森の姿を想像することは、ララをいつも重い気持ちにさせる。だからこそ、ララはそれをできるだけ想像しないことに決めていた。


 兄ぃの背中を見るマリアウルの横顔がようやく友達のそれに戻ると、ララは自分の頭の中を全部追い払う。残された日々で彼女のためにできることなど何もない。ララはいつも通り、飾らないぶっきらぼうな顔を保とうとした。


「どうかした?」

「いや。呪術師のとこ行ってた」


 マリアウルは目を丸くして口を開いたまま固まってしまう。次に何をたずねるべきなのかわからないのだろう。


「私さ、わかんないこと多いんだよ。ほら、精霊の子だし。誰も教えてくれないから、呪術師ならはじかれ者同士、ちょっとは教えてくれるかなと思って」


 ようやくマリアウルは口に出すべき言葉を見つける。


「でもあの人はさ……不気味だし、怖いし、あと臭くない?」


「それはそうだけど……ひもり方教えてくれたし、ここの大人より優しいよ。ほら」


 握っていたひもを開いて振り回して見せる。ララが初めて作ったひもは、空気をいてフンフンと音を立てた。まだ太く不格好だったが、ララを上機嫌にさせるには十分だった。


「ほんとだ、自分で作ったの?」

「すごいでしょ、秘密だよ」

「他も教えてもらえるといいね。役にたつ草とか」


 マリアウルは無邪気むじゃきだった。しかしこれだけ木々に囲まれた集落で、どの木の名前も知らないのはララだけだ。マリアウルでさえ、口をすべらせない限りは木々の名前を教えてくれることはない。長老に言わせてみれば、どの草も木も実もすべて集落のものだ。

 だから奥歯とほほの間にはさんだしびれ草も、本来ならララが味わっていいものではない。しかしほほの内側でゆっくりみ出すぼんやりとした感覚なしに、ララのからっぽの生活を埋めることなどできなかった。


 まったつばを吐く。しびれ草の汁を飲むのはよくない。それだけは身をもって学んでいる。


「これは知ってる」

「それ一番役に立たないよ」

「私にはこれが一番役にたつよ。マリアウルにはわかんないだろうけど」


 ねずみ小屋のすぐ横まで歩いて、ララは腰を下ろす。マリアウルはそこに座りはしない。そういうものだった。

 反対側でマリアウルの父が指笛を鳴らし、腕を使ってマリアウルを呼ぶ。壁のない円弧のような長い屋根だけがある集落では、どこで誰が何をしているのか、どこからでもはっきり見えてしまう。一族の用事を放り出して、いつまでも遊んでいられるわけではない。


「ほら、呼ばれてるから行きなよ。怒られるよ」

「でも……ララ、いなくなっちゃうでしょ?」


 ララは名前も知らない背の低い木をじっと見る。まるでその木のことならなんでも知っていて、考えることが山ほどあるかのように、目をらさない。


「いなくなっても、ここは何も変わらないよ」


 マリアウルがどういう顔で見ているのか、ララにはそれを確かめるつもりはなかった。

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