第7話:運命のもふもふ

 スローライフが始まって数週間。

 俺はルナと一緒に、村の食料にするための山菜を採りに、近くの森へ入っていた。


「アルノさん、見てください! 大きなキノコです!」

「ああ。それは食べられるやつだな。鑑定済みだ」

「もう、なんでも鑑定なんですね!」


 そんな他愛ない会話をしながら森の奥へ進んでいくと、不意に、獣の苦しそうな息遣いが耳に届いた。


「……?」


 音のする方へ、慎重に近づいてみる。

 茂みの向こう、木の根元に、白い毛玉のような小さな生き物が倒れていた。

 それは、子犬くらいの大きさだった。

 全身が雪のように真っ白な毛で覆われており、ぴんと立った耳が愛らしい。

 しかし、その体はぐったりとして、脇腹からは血が流れ、呼吸も浅く、今にも消えてしまいそうだった。


「アルノさん、この子……!」


 ルナが心配そうに駆け寄ろうとするのを、俺は手で制した。

 野生の動物は、下手に近づくと危険な場合がある。

 俺はまず、その白い生き物に【万物鑑定】の視線を向けた。

 そして、そこに表示された情報に、俺はかつてないほどの衝撃を受けた。


【種族:フェンリル(幼体)】

【状態:魔力枯渇症(重度)、深淵の呪毒(末期)】

【概要:神話に語られる伝説の聖獣。成長すれば、一国を滅ぼすほどの力を得る。現在は致命的な状態異常により、生命活動の維持が困難な状況】

【生存確率:0.01%】


 フェンリル……!

 まさか、おとぎ話の中にしか存在しないはずの聖獣が、こんな場所に。

 しかも、状態は最悪だ。

 魔力が枯渇し、さらに得体の知れない呪いの毒にまで侵されている。

 助かる確率は、絶望的と言っていい。

 だが、俺の鑑定は、まだ終わっていなかった。

 世界の真理を見通す俺の眼は、その絶望的な確率の先にある、唯一の希望を映し出す。


【治療法:清浄なマナと、『セイントハーブの根茎』を同時に経口投与する。成功確率:95%(施術者の技量に依存)】


「……助けられる」


 俺の呟きに、ルナが顔を上げた。


「アルノさん?」

「この子を助ける。ルナ、手伝ってくれ」


 俺は覚悟を決めた。

 見捨てられるはずがない。


「『セイントハーブ』という薬草が必要だ。この森の北側、崖の上に生えている。採取してきてほしい。ただし、崖は脆いから気をつけて」

「わかりました!」


 ルナは神弓を手に、風のように駆け出していく。

 彼女の弓の腕があれば、崖の上にある薬草を射落とすことも可能だろう。

 俺は残って、フェンリルの幼体の応急処置を始める。

 まず、自らの魔力を少しずつ、慎重に注ぎ込んでいく。

「清浄なマナ」は、俺の魔力で代用できるはずだ。

 多すぎれば、弱った体には毒になる。

 鑑定でバイタルサインを常に監視しながら、点滴のようにマナを送り続けた。

 フェンリルの苦しそうな呼吸が、少しだけ穏やかになる。


 しばらくして、ルナがセイントハーブの根茎を手に戻ってきた。


「アルノさん、持ってきました!」

「よくやった!」


 俺はセイントハーブの根茎をナイフで細かく刻み、清水で溶いてペースト状にする。

 そして、フェンリルの口をそっとこじ開け、マナを流し込みながら、同時に薬を流し込んだ。


「頼む……生きてくれ……!」


 祈るような気持ちで見守る。

 すると、フェンリルの体から、黒い靄のようなものが立ち上り、霧散していった。

 深淵の呪毒が浄化されているのだ。

 やがて、その小さな体は穏やかな光に包まれ、脇腹の傷もゆっくりと塞がっていく。

 浅かった呼吸は、すやすやという安らかな寝息に変わった。


「……助かった」


 俺とルナは、安堵のため息をついた。

 俺はその子犬を抱き上げ、村の家へと連れ帰った。

 数時間後、ベッドの上で眠っていた子犬が、ぴくりと耳を動かし、ゆっくりと目を開けた。

 その瞳は、美しい蒼氷色をしていた。

 子犬はきょろきょろと周りを見渡し、俺の姿を認めると、おぼつかない足取りでベッドから降り、俺の足元にすり寄ってきた。

 そして、感謝と信頼を込めるように、ぺろりと俺の手を舐めた。


「……はは。元気になったみたいだな」


 雪のように白いから、「シロ」と名付けよう。

 俺がそう決めて頭を撫でると、シロは嬉しそうに「きゅん!」と鳴き、尻尾をぶんぶんと振った。

 こうして、俺の穏やかなスローライフに、最高にもふもふな家族が加わったのだった。

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