第2話:万物を見通す神の眼

 冷たい石の壁に囲まれ、魔物の唸り声が遠くから響いてくる。

 Sランクパーティですら命がけで挑む古代迷宮の深層。

 普通なら、生きて帰れる可能性はゼロに等しいだろう。


 だが、俺は冷静だった。

 いや、むしろ心が躍っていた。


「今まで、すまなかったな。俺の本当の力よ」


 誰に言うでもなく呟き、俺は深く息を吸い込む。

 そして、今まで固く閉ざしていた蓋を、勢いよく開け放った。


「【万物鑑定】――全起動(フルドライブ)」


 瞬間、世界が変わった。

 視界に、膨大な情報が洪水のように流れ込んでくる。

 目の前の壁には、淡い光の線が浮かび上がった。


【古代ドワーフが掘削した隠し通路。内部は安全。迷宮の三層までショートカット可能】


 右側の床には、赤い警告マーカーが点滅している。


【感圧式トラップ:猛毒の矢が左右から射出される。起動閾値50kg。解除キーは天井の第三レンガ内部】


 左手、暗闇の奥で蠢く影。


【モンスター:シャドウパンサー(擬態中)】

【弱点:光属性。特に眉間のコアが脆い。強烈な光を浴びせると3.7秒間行動不能に陥る】

【ドロップアイテム:影の魔石(希少)、俊敏の爪】


 これが、俺の本当の力。

 世界の真理、あらゆる事象の最適解を映し出す、神の眼。

 今まで、この力のすべてを解放すれば、レイドたちの理解の範疇をあまりに超えすぎて、さらに気味悪がられるだけだとわかっていた。

 だから、情報の流入を極限まで絞り、アイテム鑑定という当たり障りのない能力のフリをしていたのだ。


「もう、遠慮はいらない」


 俺はまず、シャドウパンサーが潜む暗闇に向かって、足元に転がっていた石を拾い、鑑定する。


【ただの石:特筆すべき事項なし】


 次に、懐から小さなナイフを取り出し、石の表面に魔法陣を刻み込む。

 それは、俺が鑑定で見抜いた、ごく僅かな魔力で最大限の効果を発揮する光属性魔法の術式だ。


「――光よ」


 魔力を込めると、石は太陽のように眩い光を放ち、暗闇を切り裂いた。


「ギィャアアアアッ!」


 悲鳴を上げ、影の中から巨大な黒豹が姿を現す。

 その眉間は、光を浴びて苦悶するように明滅していた。

 俺はその隙を見逃さない。

 隠し通路へ続く壁際を走り抜けながら、もう一つの石を拾い上げる。


【魔力結晶の原石(純度B+):内部に高密度の魔力を内包している。磨けば高値で売れる】


「これもいただくか」


 レイドたちなら「邪魔だ」と蹴飛ばすだけの石ころだ。

 だが俺には、それが金塊に見える。

 俺はそれを懐にしまうと、迷わず隠し通路へと滑り込んだ。

 背後でシャドウパンサーが悔しそうに咆哮しているが、もう関係ない。


 隠し通路は、まさに安全なハイウェイだった。

 罠もなければ、魔物もいない。

 壁からは時折、希少な鉱石が顔を覗かせている。


【ミスリル銀鉱脈(小規模):高品質の武具の素材となる】

【発光苔:暗闇でも消えない光を放つ。錬金術の材料として重宝される】


「これも、これも……全部いただきだ」


 俺は笑みを浮かべながら、まるで宝探しのようにそれらを採取していく。

 レイドたちといた頃は、こんな寄り道は絶対に許されなかった。

「最短ルートで行くぞ!」と怒鳴られるのが関の山だっただろう。

 彼らは気づいていない。

 本当の宝は、ボス部屋ではなく、こうした見過ごされた道端にこそ眠っているということを。


 一時間もしないうちに、俺は迷宮の三層までたどり着いていた。

 レイドたちが何日もかけて攻略した道のりを、だ。

 途中、擬態して冒険者を待ち構えていたスライムの粘液が、実は強力な回復ポーションの材料になることを見抜いたり、一見ただの瓦礫にしか見えないものが、古代文明のアーティファクトの一部だったりするのを発見したりした。

 俺の背負う袋は、あっという間に“お宝”でいっぱいになった。


「さて、と。地上まではもう一息だな」


 迷宮の出口から差し込む光が見えてきた。

 追放された時は、黒いパンと濁った水だけが全財産だった。

 だが今、俺の手には、かつての仲間たちが束になっても稼げないほどの富と、何物にも代えがたい「自由」が握られている。

 俺は迷宮の出口に立ち、一度だけ振り返った。

 もう未練はない。


(ありがとう、レイド。お前のおかげで、俺は本当の人生を歩き出せるよ)


 心の中で皮肉を呟き、俺は太陽の光が満ちる外の世界へと、力強い一歩を踏み出した。

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