剣聖のお姫様 (短編)

@T-kikey

剣聖のお姫様


「ひッ」


 ランタンの仄かな明かりに浮かび上がったを視界の端に捉えた瞬間、彼女の身体は凍りついた。

 黒ずんだ外殻に不釣り合いなほど長い後脚、ジリジリと軋むような動き――体長五センチメートルほどのバッタに似た虫、カマドウマだった。

 湿気と暗所を好むが、特に害をもたらすわけではない。だが、大の虫嫌いの彼女にとっては、あの窮屈なダンスレッスンですら愛おしく思えるほどに苦手な存在だった。


(ひぃぃ、お願い! 早くどこかへ行ってよぉ)


 彼女がなぜこんな夜更けに物置部屋へ忍び込んでいたのかを説明するには、まずこの世界のことから話しておこう。


 人間とマ族の戦争は二百年も続いたが、休戦が結ばれてからは久しい。今ではその戦争を知る者も少なく、人々は平和な日常を謳歌していた。


 そんなファンタジーな世界で、ランタンの光の先に現れたカマドウマ一匹でフリーズしている彼女――それがラダン地方を治めるクルバリン王国の第一王女、ファシェルである。


 クルバリン王国は島々から成る小国ながら、「勇者生誕の地」という伝説を持ち、豊かな資源に恵まれて観光・鉱石・漁業で栄えている。


 この世界の人々は十六歳になると「成人の儀」を受ける。水晶に手を当て、己に与えられたスキルを授かる――とある界隈ではお馴染みの儀式がこの世界にもしっかりと根付いている。


 そしてファシェルは明日、十七回目の星詠みの儀(生誕の儀)を迎える。成人の儀もその一幕として行われる。

 しかし彼女は好奇心旺盛で、銀色のロングヘアーを弾ませながら、真夜中にこっそり部屋を抜け出し明日の式典で使う小道具が置かれている物置部屋へ忍び込んだのである。


 カマドウマはランタンの光を嫌い、もそもそと闇の奥へと消えていった。ファシェルはホッと胸を撫で下ろし、台座に置かれた水晶へと歩み寄る。


(やっとこの日が来たわ。明日まで待っていたら、きっと寝不足で顔がひどいことになってしまうもの)


 水晶に掛けられていたシルクの布をそっと外す。


(お母様のような占星術のスキルも素敵だし、お祖母様の聖歌も憧れるわ。なんなら美食家のスキルでもいいかもしれない)


 零時を過ぎたのを確認し、両手を擦り合わせてから水晶を包み込む。


 しばらくすると、水晶はパァッと七色の光を放ち、部屋中が昼間のように明るく照らし出された。


 そして――


 『ウエポンマスターのスキルを得ました』


 頭の中に響くのは、イケボの無駄にいい声。


「う、うえぽんますたあ……?」


 思わず声が漏れる。ウエポンって……武器? 武器の達人!?

「ちょっと、なにそれ! 野蛮すぎるでしょ!? 嘘よね!?」


 感情がテンパり、再び水晶に触れてみるが、もう何も起こらない。


 脳裏には勝手に未来が浮かんでくる。


「なんと野蛮で破廉恥なスキルなのだ! 王宮の恥、お前は追放だ!」→「やあ、僕たちはS級冒険者。前衛職を探していたんだ、君こそ最適だ!」→「あれ? 私、何かやらかしまして?」→「よし、今日のクエストはダンジョン攻略だ! 大蜘蛛に、大蝸牛に、大団子虫を倒すぞ!」


 「……終わった」――無数の虫に囲まれる自分を想像し、その場にへたり込む。


「何やら物音がすると思えば……姫様ではありませんか。こんな所で何を?」


 突如、背後から声がした。


「ひっ!」


 短い悲鳴を上げて振り返ると、そこには執事長ジルバの姿があった。


「な、なんだ、ジイか……驚かさないでよ!」


 ジルバは大昔から王宮に仕えてきた老執事で、今はファシェルの教育係でもある。「す老スロウ」というスキルの影響で老化の速度が極端に遅く、百五十歳を超えてからは年齢を数えるのもやめたらしい。

 ファシェルは素直に起こった出来事を話す。


「ウエポンマスターですか。かの剣聖が持たれていたスキルですな。さすが姫様ですな」


「さすがじゃないわよ、このままじゃあ追放よ! 虫地獄よ! ジイ、何とか出来ない?」


 うるんだ目でジルバを見上げる


 「そうですなあ……承知致しました。ジイに名案があります。成人の儀では強く水晶をに触れて下さい」


「わ、わかったわ……強くね」


ジルバは懐からノミと金槌を取り出した。


 ◇


 ――翌日。


 城下町では花火が打ち上げられ、祭り囃子と人々の笑い声が空を揺らしていた。城内もまた祝宴の熱気に包まれ、玉座の間では延々と続く「御祝いの言葉」が響き渡っていた。

 だが、当の主役ファシェルは昨夜の寝不足、というか一睡もできなかった為、瞼が重く時折こっくりと首を傾けながら拝聴していた。


 やがて式は「成人の儀」へと進む。

 中央に水晶を据えた台座が運び込まれ、白衣の神官が厳かに祝詞を唱える。ファシェルは胸の奥がきゅっと縮むのを覚えつつ、一歩ずつ前へ。

 視線を巡らせると、老執事ジルバが静かに頷いて見せた。


「では、ファシェル王女。両の手で水晶に触れてください」


 促され、彼女はそっと手を伸ばす。

 掌を当て、意を決して力を込めた、その瞬間――


 ピキッ。


 澄んだ音と共に、ひと筋の亀裂が水晶を走る。続けざまにピキピキと亀裂は広がり、最後には甲高い破砕音を響かせて、水晶は粉々に砕け散った。


 場内に沈黙が落ちる。誰もが目を見開き、息を呑む。


 ――その時。


「こ、これは……! 先々先々代の王妃様の時と同じ……! ファシェル王女は、水晶では計れぬ聖女のスキルを授かったのじゃああ!」


 ジルバが突如、裏声で叫び上げた。


 どよめきが広がる。


「おお、それは誠か!」

 

 国王は思わず玉座から身を乗り出し、感嘆の声を上げた。それを合図に場は一気に熱を帯びる。


「聖女だ!」「聖女様だ!」「聖女さまーー!」


 歓声が重なり、場内は祝福と興奮で揺れ動いた。


(ちょっ……ちょっとジイ! 本当にそんなこと言って大丈夫なの!?)


 ファシェルは頬を引きつらせ、老執事を上目遣いに見やる。

 ジルバは親指を立て、片目をつむってウインクを返した。


 ♢


 星詠みの儀もいよいよ佳境を迎え、会場には大きな台車に載せられた国の象徴である、伝説のモニュメントが運び込まれた。

 それは、かつて勇者が振るったとされるつるぎが岩に深々と突き立てられたものであり、クルバリン王国の誇りそのものであった。


 現国王と妃の間には王子が生まれず、授かったのは五人の王女のみ。そこで五年前より王国は一つの慣わしを定めたのだった。伝説の剣を抜いた者を、王女の婿として迎える、というものである。

 この知らせを聞きつけ、各国の王子や貴族がこぞって挑戦に訪れ、今日もまた二人の若き挑戦者が会場に姿を見せていた。


「拙者は東方大陸から馳せ参じましたジャントン侯爵家の長男、マルオ・ジャントンであります、ブヒュ」


 ファシェルの前で膝を折り自己紹介を済ませたマルオが丸々とした身体を揺らし勇者の剣に歩み寄り柄を握る。

(フフ、こういうのは力任せにやっても駄目でござるよ)

 マルオはゆっくりと柄を引き上げる……が少しも動く気配がない。結局顔を赤くして力一杯入れるが剣が抜ける事はなかった。すごすごとマルオは席に戻る。


 次に現れたのは隣国の第二王子、チャルオス・マルデスク王子。

 甘いイケメンマスクで優雅に自己紹介を済ませ剣の柄を握る。

(剣は自ら主を求めるものさ、頭脳、容姿、家柄、すべて揃っている僕にこそふさわしいってことだろ)

 しかし、剣は応える事はなかった。「剣が僕に嫉妬しているのだな」一人つぶやきながら席に戻る。


(あれ? 終わった?)


 半分意識が飛んでいた王女がよだれを拭い何事もなかったように振る舞う。

 式典もフィナーレの前にしばし歓談の時間となり、ファシェルは気分転換に洗面所へと向かった。


 ♢


 (……ん? 寝ちゃってた?)


 目をこすりながら、ファシェルは周囲をきょろきょろと見回した。廊下の方が妙に騒がしい。


 洗面所を出て歩いていくと、曲がり角に近づくあたりで、ドドドドッと地響きのような足音と、床を揺らす振動が伝わってくる。T字路を曲がった瞬間、目の前には押し寄せる群衆の波が広がった。


「ぷぎゃっ!」


 ファシェルは呑み込まれ、次々と人にぶつかられながら揉みくちゃにされる。式典に参加していた人々が我先に逃げ惑っているのだ。その混乱の中、不意に誰かの手が彼女を強く引いた。気づけば群衆から抜け出していた。


「……ジイ!? これはいったい――!」


 乱れたドレスを直しつつ問いかける。


「姫様、マ軍がこの城に迫っております」


 「マ軍……?」聞き慣れない響きに首をかしげ、心の中で反芻はんすうする。マ軍、マ軍……はっとして声が裏返った。


「マ族!?」


「さようでございます。陛下たちはすでに緊急転移装置ポータルで結界部屋へ避難なさいました。ですが装置は一度使うと再起動まで時間がかかりますゆえ……姫様は自力で結界部屋へ向かわねばなりません」


(え!? 私を残していかないでよぉ……)


「どうか、ジイから離れぬようについてきてくだされ」


 老執事ジルバはすぐに走りだした。ファシェルは慌ててその背を追う。涼しい顔で駆けるジルバに対し、「運動の授業」で常にD判定のファシェルは、足をもつれさせながら必死についていく。


 しばらく走ったところで、唐突にジルバが立ち止まった。勢い余ってファシェルが追い越し、慌てて振り返る。


「姫様……ここから先は、ひとりでお逃げてくだされ」


 ジルバは片腕を伸ばし、ファシェルを制しながら壁の方を睨む。


「え? なに? どういうこと――」


 言葉が終わる前に、廊下の壁がバキバキと裂ける音を立てた。鎌のようなものが壁を切り裂き、爆ぜるように破片が散る。その隙間から侵入してきたのは――


 体長二メートルに及ぶ巨大な怪物だった。三角形の頭に左右へ突き出す大きな複眼。両腕は鋭い鎌。上半身に比べ異様に膨れた腹と、地を掴む四本の脚。まるで悪夢な巨大なカマキリ。


「……ミツケタ」


 合成音声めいた不気味な響きで、カマキリはファシェルを見据えた。その瞬間、ジルバが彼女の前に躍り出る。


 老執事とは思えぬ跳躍で怪物の顔の高さまで飛び上がり、身体を捻って放たれた踵がカマキリの顔面を撃ち抜く。甲高い衝撃音と共に巨体がたわんだ。


「姫! お行きなさい!」


 耳をつんざくような咆哮。今まで聞いたこともないジルバの声に、ファシェルの体は反射的に駆け出していた。


(剣聖のスキルが姫様を護ってくださるじゃろう)

 

ジルバは走りだした姫を横目見やった後、マ族に視線を戻す。


「さてと……百年ぶりかのう。マジの戦闘は――のう、カマキリよ」


 ◇


(な、なによあれ……マ族って、あんな虫の化け物なの!?)


 思い返しただけで鼓動が早まり、背筋に冷たいものが走る。それでも足を止めるわけにはいかない。必死に駆け抜け、廊下の曲がり角を曲がったところで――

 不意に人影が目の前に現れ、ファシェルは驚いて足を止めた拍子にバランスを崩し、倒れかける。


「おっと」


 しっかりと抱きとめられ、事なきを得る。顔を上げると、そこにいたのは勇者の剣に挑戦していた隣国の王子、チャルロスだった。その傍らには侯爵家のマルオの姿もある。二人も避難の途上だったのだ。


「大丈夫かい、ファシェル王女」


 甘い微笑みと共に差し伸べられる声。


「ありがとうございます、チャルロス様……」


 息を整えつつ、ファシェルは慌てて礼を述べた。


 その時――。


 「ブブブブブッ!」

 耳をつんざく羽音が、空気を裂きながら迫ってくる。


 音の方を見ると、奥の廊下から茶色の塊が一直線に突っ込んできていた。


「王女は僕が守る!」

「いや、拙者が守るでござるッ!」


 剣を構えて前に出るチャルロス。拳を固めて臨戦態勢を取るマルオ。


(やだ……かっこいい……)


 目の前の背中に、ファシェルの胸が思わず高鳴る。


 人の大きさほどもある茶色の影――マ族の一体が、透明な羽をぶん回しながら加速する。


「セイッ!」


 チャルロスが数歩前へ踏み込み、鋭い一閃を振り下ろす。

 だが茶色の怪物はスルリと身をひねり、刃を紙一重でかわすと、その勢いのままマルオに襲いかかった。


「ぐはっ!」


 巨体に弾かれ、マルオの丸々とした体は宙を舞い、背中から壁に叩きつけられる。


「ジジジ……聖女、ミツケタ……コロス」


 濁った合成音声のような声を発し、怪物は羽音を止めて壁にとまる。その姿を明らかにした。

 それは、人間ほどの大きさを持つセミ。

 アブラゼミを思わせる姿だが、硬い外殻はヌメりを帯びて光り、六本の脚は異常に太く、眼はどこに焦点を合わせているのか分からない。普段でも嫌悪感を催す虫が、人の大きさに拡大され、細部までくっきりと迫ってくる。


「いやあああっ!」


 全身に鳥肌。ファシェルは崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。


「グランドォダブルシュラァアアシュ!!」


 チャルロスが雄叫びを上げ、渾身の斬撃を放つ。

 だが、次の瞬間。


「パキンッ!」乾いた破滅の音が廊下に響いた。剣は根元から無惨に折れ、破片が床を転がる。


「ハハハッ……! これは無理だ! 姫ッ、騎士を呼んできます!」


「ふぇ? え、えぇ!? ちょっと、私を置いて行く気なの!?」


 チャルロスの背中があっという間に遠ざかっていく。呆気に取られたファシェルは思わず叫んだ。


「ジジ……聖女……コロス」


 濁った声を響かせ、セミのマ族がもそもそと動き出す。壁から床に降り立つと、ギチギチと関節を鳴らしながら後脚で立ち上がった。


 その腹部が、ファシェルの目にまざまざと映る。

 硬い外殻の表面は油を塗ったように光り、節の隙間からは淡い黄緑色の肉が脈打つように露出している。うっすらと透ける皮の奥で、管のような器官が蠢き、何か小さな赤い斑点がびっしりと付いている。

 ぞわりとした不快感を全身に走らせる。何より、腹の奥からは「ジジ……ジジジ……」と不気味な振動音が響き、まるで体全体が鳴き声そのもののようだった。


「ぎゃっぁああ! 裏側を見せないでぇ!」


 ファシェルは尻もちをついたまま必死に後退る。その時、脳裏に艶やかなイケボが響いた。


『――を認識しました。使用しますか?』


「……え?」


 意味が分からず周囲を見回すが、何もない。ふと手元に硬い感触を覚え、視線を落とす。そこにあったのは、マルオが自己紹介の時に披露していた手のひらサイズの遊具の「ケンダマ」彼の故郷で流行っているらしい。


(モーニングスター? って……棒の先に鎖とトゲトゲ鉄球が付いてる、あの武器のことじゃないの? でも、これただの木製の遊び道具だし……)


 困惑したまま、ついケンダマを握りしめた瞬間――。


 ビリッと電流が全身を駆け抜け、重力を無視したかのように体が跳ね起きる。


(えっ、なにこれ!? 勝手に身体が!)


『――脅威を確認。攻撃に移行します』


 強制的に腕が構えを取る。左手に玉、右手に十字を握り、糸を張った姿勢で静止。


「ちょ、ちょっと! 勝手に操らないでよ!」


 思わず声を上げるも、イケボはお構いなしに耳元へ囁く。


『――脅威を速やかに排除します』


 次の瞬間、腕が勝手に暴れ出した。肩、背中、腰をしならせ、玉と十字を入れ替えながら体の周囲をグルグルと回す。轟く風切り音と共に、樫の木の玉がセミのマ族へ振り下ろされる。


 「ギチッ!」


 怪物は前脚でそれを弾くが、勢いを利用してさらに連撃が畳みかけられる。


「ふ、ふぇ? あわわわわ……」


 目まぐるしい攻防に脳が揺れ、ファシェルの視界がぐるぐる回り出す。


「ジジジ……ソノテイドノ、スピードカ」


 四本の鎌と木玉がぶつかり合い、火花のような音を撒き散らす。ファシェルは呆然と見つめながら、今にも気を失いそうになっていた。


『……フィニッシュモードに移行可能です。発動しますか?』


「え……もう……好きにして……!」


 セミの腹の裏側が視界に入り、耐えきれず震えながら答える。


『オッケイ! ――ジャスティス スターダスト ドライブ、発動!』


 急にテンションの上がったイケボと共に、ケンダマの速度が爆発的に加速した。


「ジジッ!? ハヤイ……! ドウイウコトダ……ッ!」


 木玉と糸がセミの腕を絡め取り、容赦なく引き千切る。ブシャッと体液が飛び散り、ファシェルのドレスを濡らす。


「いやあああああっ!」


 悪夢のような光景に姫の悲鳴が廊下に響き渡る。


 やがて六本すべての脚を失ったセミは、置物のように突っ立ったまま「ジジジ……」とか細い音を漏らすだけになった。


 ファシェルの体が勝手にケンダマを振りかざし――樫の玉が怪物の頭部へ叩きつけられる。


 どっかーん。


 セミのマ族は爆散し、廊下に体液と破片を撒き散らして消え去った。


『脅威を排除しました』


 耳に響くイケボ。放心状態のまま廊下の隅に目をやると、気絶から目覚めたマルオがキョロキョロと周囲を見渡し、突如として一目散に逃げ出していった。


「え……? わ、私も逃げなきゃ……」


 ふらつきながら立ち上がり、再び走り出す。

 結界部屋へ続く階段を上がると、またしても長い廊下が続いていた。


 その奥から――バッサバッサと羽ばたく音。鱗粉が舞い、視界を曇らせる。目を凝らすと、人間大の蛾が連なり群れとなって迫ってくる。


「ひぃっ……!」


 小さく悲鳴を上げ、踵を返そうとするが、足が縺れて倒れかける。とっさに掴んだものは、床から伸びた三叉の燭台だった。


を認識しました』


 またしてもイケボが脳裏に響く。


(え、なに? 今度は……すたっふ!?)


『脅威を確認――排除します』


 困惑する暇もなく体が勝手に動く。重い燭台を軽々と持ち上げ、両手で水平に構えた。先端に据えられた三本の蝋燭に炎が灯り、やがて周りの空気が渦を巻いてひとつの火球へと凝縮していく。


「ちょ、ちょっと……熱いってば!」


 銀髪が後方へと流れ、頬がジリジリと焼ける。


『――ファイヤーボール・エクスプロージョン!!』


 テンション高めのイケボと共に、巨大な炎の塊が廊下を塞ぐ勢いで射出された。轟音と共に蛾の群れを呑み込み、爆ぜる。


「熱っ!」


 灼熱に耐えきれず燭台を放り出す。ゴンッと鈍い音を立てて床に転がった。


「は、早く行かなきゃ……!」


 焦げ臭い煙の立ち込める廊下を走り抜け、角をいくつか曲がると、ようやく階段が見えてきた。


(この階段を上がれば……結界部屋だわ!)


 最後の力を振り絞り駆け上がる。目の前に結界部屋の扉が近づき、騎士が叫ぶ。

「早く、こちらへ!」


 その時だった。


 ゴゴゴゴ……!


 足元が揺れ、床に亀裂が走る。崩落の轟音に騎士の声はかき消される。円形に床が砕け落ち、ファシェルは悲鳴を上げる間もなく下へと落下していった。


『衝撃を感知――自動防御に移行します』


 ドレスが輝き、シルクの布地は瞬く間に鱗状の金属へと変わる。ティアラは変形し、ヘルムへと姿を変える。


 次の瞬間、瓦礫と共に玉座の間へと墜落。


「痛っ!」


 尻を強く打ち、涙目で呻く。


「痛ったいじゃないの! 護るんならちゃんと護りなさいよ!」


 イケボに悪態をつく。バイザーが自動で上がったので周囲を見渡す。埃が舞い散る玉座の間――式典の熱気が嘘のように静まり返っている。


 そして。


 目の前に――黒い影。


 見上げた瞬間、悲鳴が喉に詰まった。


 それは黒光りする外殻を持つ異形。分厚い胸板と隆起した筋肉質の腕。節だらけの脚は四本――これまでのマ族よりはやや人間に近い姿。そう、害虫の中の害虫。キングオブ害虫。名前を口にするのも嫌悪する。


 ――「G」


 人間の体格に拡大され、二本の触角をゆらめかせるG人間。油を塗ったような艶のある黒い外殻が鈍く光り、複眼の奥で赤い光がチカチカと瞬いている。口の端からは鋭い顎が覗き、時折カチリと音を立てた。


「ワレハ、マオウショウグン、キブリゴ……聖女――」


 低い声で何か喋りだしたが、ファシェルは悪夢のような姿に気を失いかけ、目の奥が白くチカチカと瞬いた。


 ――思い出す。


 私がまだ幼かった頃、こっそりと書庫へ忍び込んで見てしまった「マ族図鑑」余りにも衝撃的な内容だった……そしていつしかマ族に酷似した虫を嫌いになった事を――


  震えは、恐怖ではなく怒りへと変わっていく。よろよろと立ち上がり、叫ぶ。


「……私の誕生日……成人の年、滅茶苦茶だわ……何がスキルよ、何が聖女よ、何が婚姻の儀よ、何がマ族よ! あぁ、なんだか無性に腹が立ってきたわ!」


 まだ何か喋っているGのマ族を無視し、岩に突き刺さった勇者の剣に歩み寄る。柄を握った瞬間、剣が光を放った。


 ファシェルの瞳は金色に輝き、銀髪は黄金へと変わり扇状に広がる。

 

を認識しました。使用しますか?』


「ええ。思う存分やってちょうだい」


『了承しました――脅威を確認。排除します』


 姫君は勇者の剣を片手でゆっくりと岩ごと持ち上げ、黒光りのマ族へ向き直る。


 神々しい殺意に気圧されGのマ族は喋りをやめ「ゲ、ギ、ギ」と濁音を漏らし、後ずさった。


 姫君は下段ににハンマーを構える。全身が虹色に輝き始める。腰を落として顔を上げ呼吸を整える。


『フィニッシュモード発動可能で――』


「思いっきりいくわよ!」


 食い気味に応え、足を一歩踏み出す――二歩、三歩と段々と加速していく。マ族が身を翻し逃走を図るがそれより早くファシェルが間合いに入る。


『ボルケーノハンマー・ジ・エエエエエンドォ!!』


「赤い惑星ほしまで――飛んでいけぇええ」


 凄まじい速さでハンマーを薙ぎ払う。Gのマ族の身体はくの字に曲がり壁に叩きつけられ、その衝撃で壁が爆ぜ勢いそのままで遥か彼方へ飛んでいった。


 訪れる静寂――


『脅威は排除しました』


 瞳と髪の色が元に戻り、姫君はその場にへたり込み、深く息を吐いた。


「もう、限界だわ……明日絶対に筋肉痛よね」


 一人ぼやいていた所に「姫様、ご無事でしたか! さすがですな」とジルバが入ってくる。


「さすがじゃないわよぅ。どういうことなのよ、もう!」


 ふくれっ面で責める姫に、老執事は頭を下げる。


「実は……式典の最中より、不穏な念話の気配を感じておりました。マ族に精通する者が潜んでいたやもしれませぬ」


「もぅ、なによそれ……まあもういいわ、後はジイに任せるから」


 とりあえずお風呂……壊れてないといいけど。

 そんなことを思っていると、チャルロスが満面の笑みで駆け込んできた。


「おお、ファシェル姫、無事だったか!」


 白々しい奴と思いながら顔を上げる。埃まみれの姿、おおよそ何処かへ隠れていたのだろう。差し伸べられた手をしばらく見てるとチャルロスの頭の上に小さな影。


「コンニチワ」と現れたのはカマドウマ。


「ひっ」と短い悲鳴を上げ思わず握る勇者の剣。

 

 ファシェルの瞳が金色に輝く。


 イケボな声――


『トールハンマーを認識しました。使用しますか?』

 

 

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