第3話 波立つ
〇*〇*〇
リュエルは自室のベッドで寝返りを打つ。
あの日、一人早めに眠ったのに、翌日目覚めたのは昼近くで、すでにアルシャたちの姿はなかった。
『いっそのこと、正式なカムナギになってしまえば?』
「……簡単に言ってくれるぜ」
リュエルはボソリと呟き、布団に潜る。
嬉しくないと言えば嘘になる。リュエルがカムナギになれば、依頼に関わる全員が気持ち良くその一件を終えられるだろう。聖界から敵視されることも減るはずだ。けれど、そのためには難関の試験に合格しなくてはならない。
(聖典もないし…)
ウタは、聖紋と呼ばれるアートのような字で綴られる。それは一般人がおいそれと見られるようなものではなかった。
ルーマ家のような名家には、その家に伝わる独自の聖紋が収められた聖典があるのだ。
(ウタに関することは、知りたいと思うけど)
しかし、わざわざ貴族ばかりの学び舎に通って試験を受けずとも、リュエルは “ウタ紡ぎ” の活動ができている。それに、いつか、依頼を引き受けたときに言われたのだ。
『一向にカムナギが来る気配がなくて。あんたに来てもらえて良かったよ』
もし、それがままある事なら。
「リューくん、朝ごはんできたわよー!」
階下から響いた明るい声に促され、リュエルはむくりと起き上がる。ハンガーにかかっている制服に目をやり、小さく息を吐いた。
それはフード付きの丈の短いマントのような服で、胸元に学舎のエンブレムが刺繍されている。そのため、一目でどこの生徒か分かるのだ。
「ホント、面倒だな…」
リュエルが十一歳の頃、都会の波がこの田舎にもやってきて、通学制の学び舎が設立された。そこへ通うのは強制ではないが、通わないと不審がられる。たかだか三四年で、学問所はその程度には人々に浸透していた。
簡単に身支度を済ませたリュエルは、最後に紺色裏地の黒マントをぞんざいに身に纏い、部屋を出る。
「おはよう、リューくん」
「おはよう、リュー」
「……はよ」
階段を下りてリビングに行くと、すでに陶芸家の父は食後のコーヒーを飲んでいる。
「もうじき卒業だな」
「高等学校へは、本当に行かなくていいの?」
「いい」
“ウタ紡ぎ” の活動については、リュエルの両親も知っている。特に母は心配そうだが、「それがあなたのやりたい事なら」と、認めてくれた。
「今日は良い色が出る気がするんだ」
「こんなに良いお天気だものね」
「そうとも。絶好の焼き日和だよ。君も今日はいるんだろ? お昼は一緒に――」
両親の軽やかな会話を聞きながら、リュエルは黙々と朝食を平らげる。
「いってらっしゃい!」
背中にかかった母の声に軽く手を上げ、麗かな日差しの中へ足を踏み出した。
通学路を粛々と歩いていたのは最初だけ。当然のごとく脇道に逸れたリュエルは、裏山へ向かう畦道にいた。
顔を上げれば清々しい青空が広がっているというのに、どうして学び舎で窮屈な思いをしていられるだろう。悪戯な風が、美しい銀髪を巻き上げた。
「今日はなにを紡ごうか…」
リュエルは煌めく光の粒子たちを愛しげに目に映し、小さく呟く。
山道を少し入ったところで、ふと足を止めた。風に乗って、かすかな話し声が耳に届いたのだ。そっと木々の向こうへ目をやると、お気に入りの場所に、どこかで見たような不良たちがいた。
リュエルは小さく息を吐き、回れ右をする。
「なあ、あの銀髪、リュエルじゃね?」
「おーマジだ。おまえもサボりか」
「おい、一曲歌えよ。今でもカムナギの真似して歌ってるんだろ」
「精靈さんとおしゃべりしたりな」
耳障りな笑い声に突き動かされ、リュエルはゆっくりと振り返る。
「カムナギの真似じゃねえ。紡ぐのが好きなだけだ。ウタは "紡ぐ" って言うんだよ。そのくらい知ってろ」
「ンだと、偉そうに!」
「どこの馬の骨とも知れない銀髪野郎が何言ってんだか」
その言葉を耳にした瞬間、リュエルは走り込んで膝蹴りしていた。
「ぐふぉっ」
吹っ飛んだ相手を見下すセレストの瞳は怒りに燃えている。リュエルは手の平を握りしめ、なんとか平静を装った。
「この色は先祖返りだ。今度言ったら容赦しねェからな」
「すでに、容赦ねえ、っつの…」
「、アートンっ!!」
「しっかりしろ、俺がわかるか? 幼馴染のウーくんだぞ、なあ――」
賑やかな連中に踵を返したリュエルは、振り返ることなく山を下りた。当然のごとく足が向くのは、移動の陣がある町外れの公園だ。そこから一瞬で街へ出て、テオのいる《なんでも屋》へ向かう。
(すっかり日常だ)
出会ったときからテオはあの調子で、人を寄せ付けない雰囲気のリュエルのところへ、お構いなしで来た。
『あんた、スゲェな』
無邪気に笑って。
『ぅお、美人』
『っ寄るな離れろ』
突然縮んだ距離に驚いたけれど、澄んだ瞳が真っ直ぐに見上げてくるので、突き放すことはできなくて。
『前髪長すぎじゃね?』
『おまえが短いんだよッ』
『ははっ、長いと鬱陶しいじゃん』
『おまえのほうが鬱陶しい』
『ひどっ。でも、初めて言われてちょっと新鮮』
テオの表情はころころ変わる。
『……なんで喜んでんだよ』
『あー…、なんかさ、意外と話してくれるんだなって』
リュエルはそっぽを向いて唇を引き結んだ。それから気づけば、依頼の話になって――。
『今度こういう話を聞いたら、リュエルに繋ぐよ。ウタが好きなんだろ? 』
『そんなこと言ってねえ』
『じゃあなんで紡いだんだよ。俺も新しい商売できて嬉しいし、人助けにもなるし。三方良しだな』
あの時、これから始まる新しい日々の予感を、リュエルは確かに感じていた。
◯*◯*◯
「よっ、リュエル。今回はちょっと歩くぜ」
その日、街の移動の陣で合流したテオとリュエルは、次なる依頼に向かっていた。
「次から次に、よく依頼が舞い込むな」
「噂が噂を呼ぶってね。こっちの筋では、リュエルは有名人だから」
「変な噂流すなよ」
リュエルはジト目でテオを見やる。
「まえに釘を刺されたしなー」
テオは苦笑して頬を掻いた。
「なに言われたんだ」
「あぁ、アルシャさんたちじゃねえよ。ほら、古書店の」
「ネージュさんか」
ネージュは古書店のオーナーでありながら、情報屋でもある。
「あの人、聖界にも詳しくてさ」
それなら、フラム家のことも知っているに違いない。テオは聞いただろうか。機会がなくて、リュエルがまだ話せていない遠い過去のこと――。
「ぅわ、こりゃ大層な山だな」
どこか気の抜けた声に意識が引き戻された。
「……この上に人が住んでるのか?」
「山の向こうに集落があるんだと」
「このルートしかないのかよ」
思った以上に本格的な登山となりそうで、リュエルは半目でテオの方を向く。
「山に囲まれた場所だから、どこから行くにしても山越えになるってさ」
テオが一番楽な行き方を聞いたところ、この山を越えるルートを教えられたわけである。
「手紙には、 "ちょっとした山" って書いてあったんだぜ」
「……その集落は猛者の集まりか?」
ちょっとあまり行きたくない。
「引き受けちまったもんはしょうがねえ。行こうぜ」
リュエルは息を吐いてテオに続いた。
雨の季節だ。昨晩も雨が降ったのだろう。濃厚な緑の匂い。草木の緑が瑞々しく輝いて美しい――なんてよそ見をしている余裕はない。ぬかるんだ足場が滑るのだ。二人は木や岩に手をついて、慎重に足を進めた。
息が上がってきた頃、先頭を行くテオが大きな岩を発見して振り返った。
「あそこで、ちょっと、休もう」
頷こうとしたとき、横から顔面に向かって飛んできた何か。リュエルは思わず仰け反る。
頬にチリリとした痛み。
テオが真っ青な顔で目を見開いた。
口を開くのが、スローモーションに見える。
「っリュエル!!」
視界に空が映り込み、背筋が凍った。
(足が滑っ)
ギュっと目を閉じた次の瞬間、頭に衝撃が。
仰向けに落ちて頭から着地したにしては、それほど痛みはない。けれども落ちたショックで、身体が上手く起こせなかった。心臓がバクバクしている。
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