インヴィジブル・ラブ

武内明人

インヴィジブル・ラブ

「あのおばさん達、道路で、しかもあそこで話しこまんでええやん。邪魔したいんちゃう?」

 草刈り作業が本格化する7月。#西庄環境合合弁会社__さいじょうかんきょうごうべんがいしゃ__#は道路沿いの草刈り作業に追われていた。警備員が立ってはいるが地元住民が歩道に立ち話し込んでいるのを咎められないでいる。昭和の井戸端会議である。令和元年7月14日天候青天。気温39度。草刈り班の刈る近くで何故喋っているのか?作業ははかどらない。熱風が体力を一緒に奪い去って行く。刈り刃から石が飛び出すのを防ぐためにネットを持つ作業員。それでも人が近づけば作業停止となるのは茶飯事だ。然し、今日は長い。歩道にいる70代位の女性3人が居場所も考えず話し込んでいる。その間、1メートル。

「ちょっとあたしゆうてくる。」#恵那詩 麻結__えなし まゆ__#は自分勝手な振る舞いの3人の叔母様方に一言文句が言いたいと、粉骨砕身の草刈り班を助けようとして息巻いた。「そうだね。でも、市の委託でやってる以上市民をどかす事は出来ないよ。」「理不尽だね。」「そうだね。」

 麻結が話す相手は同僚の#江野 黄泉弥__ごうの よみや__#である。二人は西庄環境に同時入社した。最初こそ周りの足を引っ張る存在だった二人。今は名コンビと呼ばれるほど呼吸の合う相手となった。どんな小さな仕事も二人で共同作業を行った。何時しか男の黄泉弥が女の麻結を守る形になった。麻結は何時も彼に従った。彼女が困った時には黄泉弥が何時も傍でフォローしてくれた。麻結はお互い様から守られる側に変った。周囲の社員にはそんな二人の事が仲のいい同僚としてしか見えていなかった。二人はそれ以上の関係に見えない部分があった。それは、黄泉弥には妻がいるから。


「黄泉弥、ハンマーナイフ交代してくれ。」黙って黄泉弥が頷く。歩道横の川との間、5メートルほどをキャタピラ付きの乗用草刈り機で100メートルを刈る。麻結はそれを横目で見ながら「あの人は何でも出来るのに何時も私の傍にいてくれる。でも。」と愁いの目で見つめた。何時しか定時が来て二人は「お疲れ様」の一言でそれぞれの生活へと戻って行った。


キックバック

 麻結は、一人部屋に籠もりスマホで、草刈り機の使い方というユーチューブを流し思いに耽っている。「妻がいる男性かあ。例えOKもらってもトラブっちゃうんだろうなあ?私も会社追われるかもしれないし。それよりも何よりも黄泉弥さんがそもそもOKなんてありえないか。」その昔、略奪愛という言葉が社会現象にもなった。略奪愛は好ましいパートナーと結ばれる可能性を上げる方略として作用している可能性が有るという報告もある。「あーあ、誰かいい人いないかなぁ?えっ、うちの会社で他に?ないない、自分本位の男に興味は全くありませーん!」


 多くの文化圏では一夫一妻制が社会規範として用いられる。一方で浮気、不倫などの婚外関係は調査の結果報告によると20-40%の個人が結婚後、婚外関係を経験するという結果がある。それはつまりパートナーとの破局であり家庭の崩壊をも意味する。


「ねぇ、今日仕事どうだったの?」黄泉弥の妻、美紅は妊娠5ヶ月。大学卒業と同時に彼との結婚と大手IT企業への就職を得た。黄泉弥は草刈り会社で自分とは畑違いの環境だがヤンキーで彼女が街でしつこい男に絡まれているのを救ってくれた。二人はほそぼそと愛を育み、初めての子供を妊娠できた。黄泉弥も手放しで喜び定時できちんと帰って来てくれた。「何にもねぇよ。仕事して終わりって感じかな?」「バカね、仕事してって、その内容の事よ、中身。私だって草刈りのことくらいわかるのよ。キックバック。」キックバックは草刈機作業での誤操作により身体が傷付けられる可能性のある状態をいう。特に左回転から起こる逆抵抗が足接傷などを引き起こす。「知ってるやん。どこで知ったん?」「ユーチューブ!」美紅が観た動画は麻結が観た動画と同じものだった。


行き着く先には

「お早う御座います。」「お早う御座います。」黄泉弥と麻結の1日は挨拶から始まる。何気ないこのひと事にも周囲との違いを感じる麻結。黄泉弥は決して馴れ馴れしい言葉を使わない。「おはよう」とか、「おっす」とか気安く話しかけようとするその魂胆が生理的に受け付けられない。男社会に慣れなければと頑張っているがこの世界はまだ男尊女卑が主流だ。道具の積み込みが始まる。今日の現場は美術館周りの剪定及び草刈り。草刈り機を持つ麻結の腕が急に軽くなる。「あっ。」「恵那詩さん、剪定ばさみをお願いします。」エンジン型の草刈り機は軽い構造とはいえ背負式のそれはバランスが悪く持ち運びは女性にとって負担がかかる。黄泉弥は常に周りの行動の先を読んだ。この作業では周囲がこう考えるだろう?じゃぁ、足りないものは何だと。その1つに作業の最後に掛けるブロアーと呼ばれる工具作業がある。要は機械で風を出し草や葉っぱなどを箒を使わず集められる。無駄な労力を無くし重労働を軽減させる効果がある。その使い方をちょっと変えたのだ。誰もが草刈りを終えた後作業終了前に行うという概念的なものを打ち崩した。刈り終えた場所から次々に仕上げる事で後始末のいらない作業工程を構築したのだ。ブロアーはあくまでも集めるだけ、当然パッカー車と呼ばれる収集車に集めた草木を入れなければ終わらない。運転手、ブロアー、かき集め、積み込み。この4つの作業を麻結と二人で遣る。それにより草刈り人数を増やす事が出来、作業効率を高めたのだ。4つの作業の内、麻結の仕事はかき集めて山を作る。後の作業を黄泉弥は一手に引き受ける。彼の高い身体能力がそれをさせている要因だ。作業終了まで二人は時折笑いあいながら心的負担を極力なくしていく。男性特有の緊張した状態では効率は上がらないと黄泉弥は考えた。モチベーションのアップ、コミュニケーションこの二つを念頭に置いて作業を行った結果残業時間が減り草刈り班の労力の低下、詰まり疲れから来る休みが減ったのだ。会社は二人の事を名コンビと呼んだ。


然し、そんな二人も所詮男と女。行き着く先は決まっていた・・・。


能動抑制と自動抑制

浮気をするときの脳内では腹外側前頭前野(VLPFC)が働いているとされる、その抑制は、潜在的な自動抑制と実行的な能動抑制によって制御される。詰まり二つの制御がきかなくなった状態を浮気と呼ぶのだ。


麻結は黄泉弥にとっては魅力的な女性だった。健康で明るく自分の事を立ててくれる。引き立てれば更にそれを返してくれる。決して自らを人の力で引き立てようとはしない。一歩下がった日本古来の女性だ。妻は、違った。結婚するまで彼の行為を自分の為だとした。自分に思いを寄せている。だから自分もそれに答えて行こう。そう言う女性だ。良い意味で行動的な自立女性。悪く言えば遠慮がない女・・・。妊娠して黄泉弥にも性的欲求が溜まっていた。だからではないが麻結の身体の線が彼の性欲を誘った。積もる思いにとうとう負ける日が来た。


「恵那詩さん、今日の帰りホームセンターで買い物するんだけど何か買いたいものあったら買ってきて上げるけど。」「えっ、あっ、私、丁度、手袋欲しかったから、もし良かったら一緒に行っていいですか?」麻結の何かが弾け、黄泉弥の思惑が叶った。「車、ガソリンもったいないから俺ので行こうよ。」「うん。」二つ返事に黄泉弥の相互作用はバランスを崩し始める。抑制の崩壊が始まった。


ホームセンターへ到着した二人は、少し離れて店内へ入った。麻結の目的は手袋と聞いていたので作業道具コーナーへ。然し、彼女の視線は黄泉弥の表情にあった。現場での彼とプライベートの彼の違いを探しているようだった。「恵那詩さん、これどうかな?ちょっと高いけど機能性耐久性は抜群だよ。」差しだす手袋を見た麻結は妥協しなかった。「江野さんがしてるのと同じのはあるかな?」黄泉弥の潜在意識が活発化する。能動的抑制機構が欲求を押さえに掛った。「ああ、これだよ、でも機能的にはさっきの方が・・」「これがいいの。だって同じの着けると仕事出来るようになりそうだから。」黄泉弥の潜在意識が押さえきれなくなった。同時に自動抑制が掛けられる。「黄泉弥さん、あっ、いけない。江野さんは何を買うの?」「黄泉弥でいいよ。俺は何も・・・。」黄泉弥と麻結二人の自動抑制機構はとうとう限界を超えた。「腹減ったろ、食事しようか?」「うん。」二人は、身体を寄せ合ってホームセンターを後にし繁華街へと消えた。




不倫の逢瀬

二人共に色恋がどうこう言う気持ちなど持ち合わせていなかった。ただそこにある現実が1つの方向へと導き二人の気持ちを同じ水槽の中に溶かして行った。」混ぜ合わせる色はその原型を無くし新たなる色彩へと変化させる。二人が気付いた時にはもう戻れない混色に変っていた。


「私、後悔なんてしないよ。黄泉弥さんとこう成れる事に満足してるから。でも、黄泉弥さんは後悔してるでしょう?」麻結は日帰りホテルのダブルベットの上で黄泉弥の裸の胸に甘えながらそう呟いた。黄泉弥の口からは暫く返事がなかった。その事で取り乱したりせず更に黄泉弥の唇にもう一度軟らかい感触を与える麻結。黄泉弥の中には何もなかった。性的欲求だけではない。仕事への影響、妻の事、そして生まれ来る子供の事も。ただ、この瞬間の果つる気持ちを何度も何度も意識の中で反芻した。男根が彼女をもう一度もう一度と求め始める。抑制機能を失った人間の歯止めの効かない暴走が更なる色の変化を求め彷徨う。

二人は日帰りホテルの予約時間を延長しながら更に逢瀬を繰り返した。


「きっと、私は、殺される。」麻結は黄泉弥を受け入れる度にそう心の中で呟いていた。それが、かえって彼女の性欲を刺激し黄泉弥は彼女から離れられなくなっていった。そのまま二人はホテルに宿泊手続きをとり最初の不倫お泊りデートとなってしまった。


次の朝、職場にそのまま二人で出勤できたのは、次に逢う日が決まったからだ。止まらない燃えるような逢瀬の余韻が仕事中も二人の意識に絡みつきそれが返って息の合う行動に繋がった。何時も通りに文句のつけようがない完璧な作業だった。

黄泉弥は家に帰る事無く、麻結の車と今度は2台で再び日帰りホテルに向かった。


「何してんのよう、連絡も無しでぇ。イライラするう。」妻、美紅は妊娠後の重い身体をダイニングテーブルに預け、昨日作った夕食を一品ずつ皿ごと床に叩きつける。床の上にはパスタやハンバーグの具材とソースやらが混在して異質な色合いに変っていた。会社に連絡したら昨日も今日も定時で帰ったと言った。「どこに行ってんだ、あのバカは!」妊娠しているお腹を擦る手に力が入るのを必死で抑えた。ストレートに伸びた髪が原型を留めていなかった。


帰宅

 対象の異性に魅力が乏しいと、能動的に実行制御が抑制し、欲求の程度が低い対象には実行制御が能動的に抑制される。

 然し、黄泉弥にとっても麻結にとっても所謂どストライクの存在であり互いの実行制御が抑制機能を失い箍が外れてエンドレスに求めあってしまった。そうなると歯車は大車輪の如く周囲を巻き込んでしまう物だが、気が付いたのは会社の者でも麻結の家族でもない、黄泉弥の妻だけだった。悲しいかな、それを証明するものは只妻としての勘のみだった。


「お帰り、どうしたの。この2日。何してたの?何処にいたの?」黄泉弥の帰宅は美紅の心を躍らせついつい心配も相まって矢継ぎ早の質問になってしまった。言葉を無くした黄泉弥に「ご飯すぐ作るからね。お風呂湧いてるから先に入って来て。」黄泉弥は言葉もなく疲れた表情で玄関から奥ばった場所にある風呂場へと歩いた。風呂に浸かっていても黄泉弥の其れは猛烈に熱くいきり立った。麻結の裸身が走馬灯のように脳裏を駆け巡ったまま意識も其処から離れられない。自分で制御できない己に困っていると風呂のサッシが開け放たれた。黄泉弥は瞬間体位を前かがみにする。「黄泉弥くん、一緒に入るね。」美紅は裸の体を隠す風もなく妊娠で突き出た腹を黄泉弥に見せ付ける様な仕草も加えて同じ浴槽内に入って来る、「狭いだろう。」黄泉弥はどうしても自身が大きくなっているのを見られたくないと今度は両手で隠す様に同じ方向を向いた。すると美紅の悪戯心に火がつき、黄泉弥の両脇からそっと両腕を差しこみ黄泉弥自身を弄ぼうとする。余り頑なに拒めば不倫がばれてしまうかもしれないという強迫観念に観念するしかない黄泉弥は仕方なく自身の物で遊ばせる道を選んだ。美紅の方に向き直り互いの身体を全身を確かめるように触れあう。何時しか妊娠を忘れ彼女の中に果ててしまった。

「麻結、逝くよ。」黄泉弥の心の叫びはその場所には無かった。


あ・うん

「黄泉弥、行ってらっしゃい。」満面の笑顔で送り出す美紅の表情には前日迄の曇りは一点も無く晴れ渡った今日の日を象徴していた。入浴中でのセックスが彼女を黄泉弥への信頼を復活させたのだ。それほど彼女は彼の行為に満足しきったのだった。「仕事場で嫌な事があったのね。あの人は抱え込んじゃうから。ガサツな人間が多い職場だからしょうがないけどちょっと心配だな。」美紅は、車に乗り込む彼の素振りが愛おしく切ない女心を刺激して来るのを感じながらも「運転気をつけてね。」と小さく呟いていた。


黄泉弥は、走らせる車の中でブルートゥースを使って麻結に電話を掛けた。「お早う。」一言で十分に気持ちが通じ合う。いくつもの文言が彼女に伝わって言った。麻結は「お早う。」黄泉弥が伝えたい言葉全てにその一言で答えていく。そしてお互いが同じ時間、同じ気持ちでいる事が伝わり、「後で。」の同じ一言で未来の時間設計も出来上がった。通じ合う心にはもう言葉さえも邪魔になった。二人には、求めあう本能のみが必要とされる存在なのだ。


「黄泉弥、今日は人数少なめだ。別現場に人を取られてるからな。何せ、お国の大事な仕事だからしょうがねぇ。フルで頼むぞ。」「はい。」今日は、年に一度の国を挙げての一斉草刈り日。国管理の土地や、放棄地などを全国の草刈り業者が請け負い、一日いけるところまで刈りっぱなしで草を刈る。残った物件は後で県や市の委託業者が受ける。残り作業は殆んどが後片付けだ。収集業者が主体となる。分散主義の国ならではの手法だ。だが、各業者とも手持ちの物件はその仕事だけではない。受けている仕事や新規の仕事もある。黄泉弥達は、後者の主力作業を行う事になった。あ・うんの呼吸で黄泉弥が動けば麻結が合わせて就いていく。手際は、匠と呼ばれるほどの高度なものだった。黄泉弥がかけるブロワーは散る事のない草の山を作り、出来た先から麻結が其れを消して行った。そこで草刈りが行われた形跡さえも見当たらない。パッカー車に乗り込み動かすスピードは、運転手もいない車が二人に合わせて動いているようにも思えた。


「ふうーっ、お疲れさん。どうだ、黄泉弥。一杯いくか?」黄泉弥は先輩草刈り師に丁重に断りを告げる。「嫁が此れですから。」と右手で腹が膨れている状態を表現した。承知の相手も「大事にしてやれよ。」と彼の労をねぎらう形で了承する。

然し、彼が付き合いを断った本当の理由には誰も気付かない。離れた場所に其れを聞いている麻結がいた。黄泉弥の視線が彼女を向くと其処には何時も彼女の目線が合わさった。その日の帰りも二人は互いの車で、日帰りホテルに帰って行った。


消えた熱愛

自動的抑制機構の一例として、パートナーに対する強い愛着やコミットメントが関係の維持に貢献する。関係の初期段階には特に強い愛着やコミットメントを伴う「熱愛」が示される。一方、熱愛は時間と共に低下する。具体的には、パートナーとの関係が始まって6カ月以内の個人では血中のコルチゾール濃度が関係を持っていない個人と比べ高い。しかし、12から28カ月が経過すると差異が見られなくなる。詰まり、愛情が低下し、秘密裏の婚外関係を招く要因となる。(上田 竜平氏、親密な異性間関係の構築と維持を支える認知神経機構の統合的解明。京都大学2019。博士論文より引用)


美紅を助けてから、1年8カ月、結婚し、子供も出来た。黄泉弥にとってこれほど順調と思えた期間は無かった。高校2年まで成績はトップをキープしていたが、3年生の先輩から虐められていた同級生を救おうと夜の街で暴力事件を起こし、傷害で捕まった。少年鑑別所は免れたが、以降暴走族のリーダーとしてこの町では顔の広い立場となった。社会人になると、もう一度、成績の良かった頃の自分に戻ろうと、族を退き、通信大学を卒業した。然し、傷害事件の余波は就職となると荒波と化した。中堅企業の面接を30社受け続けたが、全て面接前に断られた。心折れた黄泉弥は、今の草刈り会社に就職したのだ。他にない訳では無かった。ハローワークでたまたま見かけたこの会社の求人票をたまたま受けて一発合格したからそここにいる。男社会のこの仕事、美紅との愛は深まる一方だった。


麻結が入社するまでは。


「宜しくお願いします。」朝必ず、黄泉弥に、笑顔で挨拶して来る麻結に、仕事のイロハを教えて行く。「黄泉弥、明日から草刈り機は持たずに、収集作業に回ってくれ。」機械など子供の玩具程度にしか考えていない黄泉弥は、社長の一言で麻結と同じ作業となった。周囲からは、教育係と冗談を言われた。「若い、可愛い娘が、こんなおっさんくさい仕事を何故?」そう思いながら、彼女の一生懸命さに何時しか、本気で相棒にしたいと思いだした。毎日、休まずに男でも根を上げる仕事を続ける彼女が愛おしくなった。あ・うんで動くようになると、何故か親密な気持ちが増幅した。気が合う。美紅にそんなところがあっただろうか?


そして・・・。


魅力度

「黄泉弥さん。」「黄泉弥で良いよ、麻結。」二人の肉体は絡み合う事で融合して行く。気持ちという液体も同じく薄い桃を含む色となり変化して逝く。それは二人の身体から湧き出るヘロモン水とも呼べた。甘い香りに鼻空が擽られ、耐えがたい刺激に体内が痙攣する。「逝くよ!」「うん!」・・・。

ピルを使用してでも黄泉弥自身が欲しかった麻結は、果ててもまだ彼を求める。黄泉弥自身も弱まっては強くいきり立つ。終わりなき肉体関係に二人の心はこの世にはない。


黄泉弥が美紅を好きになった因子として、美的魅力はルックス、上品の2項目だ。対人的魅力として、社交的で面白い。社会的魅力は、頭が良い、有能なところ。地位と富の部分では、社会的地位が高く給料も高額、そして支配的であるというところ。身体的魅力は、モデルの様に背が高く、スタイルが良いと言う部分。

一方、麻結に関しては、美的要因に、可愛い、そしてセクシー。対人が、明るく思いやりがある。社会的には真面目で勤勉。地位と富に劣るが、豊満な肉体に身体的魅力を感じた。違うタイプの二人に黄泉弥は、美紅にない魅力を麻結に求めたのが始まりだった。

麻結の方が、黄泉弥に魅かれていく要因としては、美的魅力は、ルックス、そしてスタイルのいい、鍛えられた肉体美。対人部分は、面白く思いやりを強く感じた。社会的には、頭がよく、勤勉でまじめ。そして何よりも有能な人に感じた。地位と富では、恵まれてはいないが、自分よりも社会的地位が高くお金もそこそこはあり、支配してくれる。身体的にも申し分のない、スタイルが良く背も高い。

二人共に、一瞬で恋に落ち、一瞬で、愛し合ってしまった。

後悔を残して。


男性は、女性以上に交際相手に美的魅力の高い相手を平均的に選ぶ。より美的魅力のある相手をより愛しているでは無く、男女関係が成立し美しさに慣れてしまうと、他のより性的魅力のある相手をより愛してしまう。また、それよりも重視されて来るのが性格。社交的な美紅に比べ、内向的だが、明るさを併せ持つ麻結の魅力に、黄泉弥の支配的な部分が合致した事も、この関係が深まった要因の一つだ。地位や富のある美紅はそれが返って、黄泉弥との関係を後退させる結果に繋がってしまった。黄泉弥にとっては、劣等感から来る疎外感で、悶々とした気持ちがあったのだ。

そして、女性の認識に関して言えば、男性との関係において、女性は概ね自分の美的魅力の度合いが大きいと感じるところである。美紅の場合は、特にそれが顕著で、化粧、服飾等お洒落に大金を使うところがあるのに対して、麻結は、ナチュラルな装いを崩さず無頓着ではないが、派手さがない。

そんな、相対する魅力を秤に欠けた時、黄泉弥は、クーリッジ効果も相まって同じメスとやり続ける事が性欲の衰えと共に出来なくなり、違うメスとの交尾に明け暮れる毎日となっていった。


【男女関係の愛と幸福度に影響する魅力、川名 好裕氏、立正大学心理学部教授、論文より引用】


黄泉弥の相棒

「おい、黄泉弥。お前、まさか麻結と付き合ってんじゃねぇだろうな。」先輩草刈り師の何気ない冗談が、黄泉弥を不安なものへと変えた。「美紅に知れたら…。」彼の守るものは、まだ今の家庭にある。麻結との仲が深まっていくに連れ薄れてきてはいるが、子供の力がそれを上回る。「少し、離れていよう。周りが感づいているかもしれないから。」黄泉弥の言葉は、妻が大事だと言っている様に麻結には思えた。ショックを受けた麻結は、2日程、有給休暇を取った。


出来たばかりの有給を使った事で仕事場では「やっぱり女ってのは駄目だな。」と溢すものが多かった。中々、有給を取れないで無理している社員が多いからだ。2日間、ずっと一人部屋に居て、黄泉弥の事ばかりを考えていた。終わりかと思い、会社を去る事も考えた。その度に、逢瀬が蘇り、再び黄泉弥を身体が求める。麻結の感情の中に静かに入り込む邪悪な思考。「奥さんと別れてしまえば黄泉弥さんは私だけのもの…。」邪悪な感情はいつしか、彼女の全てを覆い尽くした。「奪ってしまえばいいのよ。私が。」


有給を終え、麻結が会社に出勤すると黄泉弥の横には年老いた老婆が居た。「此方、社長のお母さん、手が足りないから手伝ってくれてる。惠那詩は、彼女の周りの仕事を頼む。」黄泉弥は、平然とそう言った。腹が立った。「彼の相棒は私なのに、こんなババアには負けられない。」然し、老婆ではあるが、草刈り会社の身内。名前は伊達ではない。すべての動きに無駄がなく、黄泉弥の思う先に彼女は居る。麻結は、どうしても彼と絡むことが出来なかった。


「悔しい!糞ババァ、死ね!」一人、アパートに帰った麻結は、社長の母親に悪態付きながら、チューハイ、ビール、焼酎を浴びるように飲む。一週間もすると部屋は空き缶や一升瓶で溢れた。黄泉弥が部屋に来てもいいように甘い香りのアロマオイルを漂わせていた部屋の臭気が何時しかアルコールの刺激臭に変わっていても気づかない程、彼女は酒に依存していった。それは、仕事にも影響していく。動けていたものが動かない。分かっていたことが分からない。麻結の会社での立場は危ういものに変わった。「此れだから若いのは駄目だ。特にあんなチャラチャラした女はな。」社長以下社員の大多数が休憩時間、彼女に聞こえよがしに話していた。黄泉弥は自分の責任だと痛感していた。彼女がおかしくなったのは自分が距離を置いた日からだった。「このままだと麻結は…。」黄泉弥は、決心する。妻も子供も、そして麻結にも辛い思いはさせたくない。


仕事終わり、肩を落とし車で去っていく彼女を周囲に気付かれないように追いかける。そして彼女のアパートに互いの車が止まると黄泉弥は彼女のもとに行きこう声を掛けた。「麻結、部屋入っていいか。」


別れの時

麻結は、はち切れんばかりの笑顔で黄泉弥に向き直り彼女の車の前で、人目も気にせず抱き着いた。「ほんとに、ほんとに、私の部屋に入ってくれるの?嬉しい。」麻結は、潤んだ上目遣いで黄泉弥を見上げ、その場でにキスをせがんだ。「ちょっ、ちょっと待って、ここは人目があるから。」黄泉弥は、正直、最近の麻結には魅力を感じてはいなかった。妻の方が良いというわけでもないが、性的魅力、社会的魅力に満ちていた彼女の最近は、酒臭い日があったり、時々あまりにも身勝手な行動を見せるようになった。黄泉弥の女性に対する幸福度が、麻結に対しては減退気味だった。「さっ、部屋でゆっくり話そう。」黄泉弥の呼びかけに麻結は僧帽を崩し、「えぇ~、嫌だぁ~、ここがいい~!」と酔っぱらいのように駄々をこねる。見兼ねた黄泉弥は、麻結の左腕を持ち、引きずるように彼女の部屋へ連れて入った。部屋のドアを開けると彼は一瞬噎せた。アルコール臭が鼻を突いたのだ。中に麻結を入れると彼女が抱きついてくる。仕方なくそれを受け止め、欲しがるままに唇を交わす。しかし、黄泉弥の恋愛感情は沈黙していた。その時彼はこう思っていた。「子供の顔を早く見たい。」と。


不倫の結末

黄泉弥は、麻結の自堕落さに、失望を隠せずに居る。それでも、彼の性的欲求はまるでN極から離れられないS極のように取り込まれることを臨んでいた。彼にはもう麻結の姿を捉えられない程、セックスの虜となっていた。「黄泉弥、寂しいの。抱いて・・・」麻結には黄泉弥とは違う彼を愛する気持ちが渦を巻き、その心を彼の中に沈めた。「もう、離れられない。」脳内に思考という雑念が消え、男と女そのもののエロスへと変化する。麻結、そして惹き込まれてしまう黄泉弥、二人は引き合う身体を重ね合わせる。


「もう別れなくちゃいけない。そんな気がする。」黄泉弥は、自分の胸元に体を預けた麻結に心のなかで呟いた。然し、それを言う勇気が黄泉弥にはない。失いたくない性欲に自己をコントロールする事が出来なかった。

暫く二人は裸のまま抱き合っていたが、麻結が寝息を立て始めた頃、黄泉弥は彼女のアパートを後にした。


そしてその日が訪れる…。


麻結は、仕事中ずっと黄泉弥と関われない日が続いてはいたが、仕事終わりに二人で日帰りホテルに行くことで気持ちを清算しようと努力した。

その気持ちは、独占欲を逆に強めることになった。「黄泉弥さんと結ばれたい。ずっと一緒に暮らしたい。奥さんになりたいと…。」


「ど、どうしたんだよ。こんなことして。」黄泉弥が驚いたのは、麻結の奇異な行動に会った。日帰りホテルからの帰り際、駐車場に止めた黄泉弥の車の中に、自分の付けている香水を振りまき、更に、麻結の好きなキャラクターのワッペンをダッシュボードの中央に張り付けたのだ。「こんなことしたらバレルじゃないか、そしたら二人は逢えなくなるんだぞ!」怒りながら言う黄泉弥に対して麻結は笑顔を浮かべながら「どうして怒るの。いいじゃん、奥さんと別れれば。嫌なんでしょう?奧さん。私と一緒にいたいんでしょう?」腹をくくったように言いのける彼女に黄泉弥は、嫌悪感を覚える。「どうしたの、黄泉弥さんは私を性欲のはけ口にしてるだけなの?」麻結の言葉は黄泉弥の核心をぐさりと突き刺した。「そんなこと許さないから。私は黄泉弥さんのお嫁さんになれると思って全てをあげたんだからね。逃げられないよ。」麻結の顔は、何故か幸せそうに見えた。黄泉弥は焦りと恐怖と何とかしなければならない使命感に襲われていた。その時、遠い記憶が蘇ってきた。黄泉弥が押し殺してきた悪の部分がその芽を再び膨らませる。「ぶっ殺す!」

                   ・

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黄泉弥:「それが全てです。あのままじゃぁ、家の家庭は崩壊して子供とも別れる羽   目になっていたから…。」


刑事:「だからと言って殺していい事にはならないだろう。それは分かっているのか?」


黄泉弥:「はい。それは頭の中ではわかってたんですが、あの時は、気持ちが混乱して…。」


刑事:「首を絞めたのは殺したかったからだな!」


黄泉弥:「いえ、よくわかりません。もう、無我夢中で…。」



黄泉弥は、麻結との関係を清算するために彼女を絞殺した。学生時代に、人を助けるためには手段を選ばず暴力に走った悪の部分が、美紅との仲を守るために今度も手段を択ばず殺人を犯すことになったのだ。

罪状は殺人罪、懲役15年。裁判では情状を酌量されての判決となった。黄泉弥が、刑務所に入っても美紅が面会に来ることはなかった。そして事件から1か月ほどして美紅の印を押した離婚届が送られてきた。そして、彼女の弁護士が訪れ、養育費と慰謝料の請求を黄泉弥の両親に請求していることが伝えられた。


不倫の定義とは、人道に背く事であり、男女の関係において既婚者が伴侶以外の人間と性的関係を結ぶことである。


                                  


                完

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