第3話 魔の樹海1

 魔の樹海を吹く風は生暖かい。木々が風に揺れてペルルノアの黒髪を揺らしている。

 ペルルノアはそっと息を吐き、気配を探った。細身だけれどしっかり鍛えられた体に緊張感が走る。ざわざわと揺れる木の葉は獣の気配を隠してしまう。

 どこに消えた? あの体を隠せるはずはない。

 さっきから虎に似た獣と戦っている。虎と違うのは、通常の倍ほどの巨体に翼が生えていることだ。

 あの巨体で隠れるのは難しいはずだが一体どうやって身を隠すのか、唐突に現れては姿を消す。さすがは噂に名高い魔の樹海に棲む魔獣だとしか言いようがない。

 

 息をひそめたペルルノアは両手で剣を握りなおした。

 これは自分の剣ではない。二日前に拾ったものだ。骨しか残っていない戦士の側にこの剣が落ちていて、国境の町で雇った案内人兼護衛のウーヤンがそれを拾ってペルルノアに渡したのだ。

「使えるならこれは役に立ちますよ」

「使えるなら? どういう意味だ?」

 抜いてみてと言われてペルルノアは鞘から剣を抜いた。どういうわけか、見た目に反してひどく重い。

「なるほど、さすがは貴種だな」

 小さくつぶやいたウーヤンは意外そうな顔をしていたが、困惑するペルルノアに訊ねた。

「剣を振れますか?」

 

 試しに縦横に振ってみたが、なぜだか思い通りに動かない。それなりに研鑽を積んでそこらの騎士には引けを取らない腕前のはずなのに。

 どういうことかと訝しんだが、ウーヤンは端正な顔にほっとした表情を浮かべた。

「何とか使えそうですね」

「すごく扱いづらいんだが?」

「それはそういう剣です。気にしないでください」

 ペルルノアは不思議に思いながら手の中の剣をじっと見つめた。


「死者の剣を奪って使うなんて」

 その様子を見ていた誇り高いソブラリアの数人の騎士たちが眉をひそめてウーヤンを非難した。

 戦闘の多いソブラリアでは、戦場でなら他人の武器を奪っても罪に問われないがここは戦場ではない。それにペルルノアは自分の剣を持っている。騎士たちの言い分にウーヤンは冷静に告げた。


「ですが、あなた達の剣が役に立たないことはわかってるでしょう? この剣は妖魔を斬れます」

 それを聞いて騎士たちは口を閉じた。妖魔と呼ぶ生き物は、自分たちの剣では斬れないことを魔の樹海に入って初めて知ったからだ。普通の獣には弓矢も剣も有効だが、妖魔は斬れないのだ。


 だから、ここまで来るのも非常に苦労した。

 樹海に入る前、ウーヤンは「契約者(ペルルノア)以外は守らなくていいなら」と条件を出したが、腕に覚えがある騎士団の騎士たちもペルルノアと宰相を含んで四人の使節団も、それで問題ないと思っていた。

 単純計算で使節団一人につき五人の騎士が護衛している。しかもそのうち四人は魔術を使える魔術騎士だから、魔獣の襲撃があっても守れる。

 ペルルノアもウーヤンは自分を守る護衛というよりも魔の樹海の案内人として雇ったのだ。しかし実際の妖魔の襲撃を受けて、まったく予想と違っていたことに全員が衝撃を受けた。

 

 魔の樹海には恐ろしい猛獣がうろついていて容易に入れない。事前にそう聞いていたけれど、それは熊や獅子のような凶暴な獣がいるのだろうと思っていた。

 ところが本当に魔獣(ウーヤンは妖魔と呼んでいた)がいて、騎士たちの剣ではそれらを斬ることができなかった。かろうじて魔術は効果があったが、消滅させるのに非常に手こずった。

 これは戦闘において致命的に不利で、おかげで出発時にニ十人いた騎士は次々に数を減らしていった。十人ほどの死亡は確認したが、散り散りになった残りの者たちが生き延びているかどうかもわからない。その状況で妖魔を斬れる剣が、思いがけず手に入ったのだ。


「俺はありがたいと思うよ」

 ペルルノアは死者の骨に感謝の礼をしてから剣を腰に差した。ウーヤンがうなずく。

「こんなふうに斬魔剣が残っていることはめずらしい。同行者がいれば剣は回収して遺族に渡します。運がよかったですね」

 ウーヤンは骨に向かって拝跪した後、そばに落ちていた荷物を残らず拾った。人が住まない樹海では物資は貴重なのだ。騎士たちも苦い顔をしつつ、骨に向かって礼をしてその場を離れた。


 その後の移動で確かにこの剣は役に立った。これがなければペルルノアはとっくに命を亡くしただろう。

ただし、ものすごく使いにくい剣だった。もし剣に人格みたいなものがあるなら、ペルルノアを拒んでいるとしか思えないのだ。それでもこれを使うしか助かる術はない。


 剣を握って、ゆっくりと息を吐く。

 ソブラリアでは一人で狩りに行くなんて日常だった。だから獣の気配を感じ取るのは慣れている。いつも通りに落ち着けばいい。ここが魔の樹海であっても同じことだ。

 ペルルノアは自分に言い聞かせ、感覚を研ぎ澄ませて獣の気配を探った。虎に似た妖魔は諦めたのか、しばらく待っても出て来ない。

「セルリア?」

 さっきまで一緒に戦っていた従者の名をそっと呼んでみるが、返事はなかった。

 近くにはいないのか? 胸騒ぎがしてペルルノアは足を踏み出し、周囲を見回した。風が吹いて木の葉の音が聞こえるだけだ。


「セルリア? ウーヤン?」

 声を大きくして呼んだが、やはり返事はなかった。

 魔の樹海でたった一人になってしまったのか? さすがに不安になる。

「セルリア! どこにいる?」

 ペルルノアはもう一度、声を張り上げた。しかし七歳上の従者の姿はどこにもなかった。不安が胸にこみ上げる。

 普段ならセルリアの心配などしない。彼の剣術はペルルノアと引けを取らないからだ。しかし今は状況が違う。樹海の妖魔は通常の剣では斬れない。

 ウーヤンと一緒にいてくれればいいが……。


 いや、問題は自分だ。ウーヤンの案内なしでトウレイ国の王宮にたどり着けるだろうか?

 ざっくり東に向かえばいいことはわかっているが、深い森では太陽の光もなかなか入らず、方向を確かめることも難しかった。

 しばらく辺りを探したが、セルリアもウーヤンも見つからない。どうすべきか逡巡したものの、ここに留まっていても仕方ないと太陽の位置を確かめ、ペルルノアは東に向かって足を踏み出した。

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