第一九話 湯気の向こうに

私たち姉妹は先に裸になって浴場へ。

ほのかな湯気が立ちこめ、檜の香りが漂っている。


「アリシア〜、早くおいでよ」


「は、はい……」


戸口に立つアリシアは、両腕で胸元を隠しながらためらうように一歩を踏み出す。

白磁のような肌を湯気が包み、艶めいて見える。


眼帯を外した大きな瞳が明かりを受けて潤み、宝石のように輝いた。

私も姉さんも、思わず息を呑む。


「……その、あんまり見ないで欲しいです……」


「ご、ごめんね」


気まずそうに笑うサリィ。


「じゃあ、身体洗ってあげるから」



「え、あの……」


湯気の中、アリシアが身を縮めて戸惑う。

サリィがぬるりとアリシアの前に回り込み、にやりと笑った。


「サリィさん、なぜ前にいるのですか!?」


「え? ホリィが後ろ、私が前担当よ」


「ま、前って……あっ!」


温かな湯気に包まれながら、サリィの指先がアリシアの素肌をなぞる。

湯に濡れた肌はつややかで、触れられるたびに小さく震えた。


「なんて綺麗な肌なの……羨ましいわ」


「そ、そんなところ……んんっ!」


「ほら、ここも丁寧に……」


「ゆ、指が……だ、だめぇ……!!」


アリシアのつやめかしい声が浴場に響き渡る。

サリィもまた頬を赤く染め、荒い息を漏らしていた。


背中からその様子を見ていた私は──


「……ご愁傷さま」


そう呟くしかなかった。



お風呂上がり。

湯気をまとったまま、惚けきった表情のアリシアと分かれる。


「じゃあおやすみ〜」


「おやすみなさいぃ〜……」


ふらふらと足取りもおぼつかなく、階段を上がっていくアリシア。

段差につまずき、壁にゴン。『だ、大丈夫です〜……』と消えていった。


……姉さんの新しいおもちゃが一つ増えた。


「一生懸命でいい子じゃない」


「そうですね」


「なにより反応が可愛いわ」


「真面目な人に変なことを教え込むのやめてくださいよ……」



ただ、実際アリシアは頼もしい。

嘘を見抜くあの目。

そして魔物の血譲りの腕力。


三人で力を合わせれば、どんな事件もトラブルも乗り越えていけそうな気がする。


唯一の懸念があるとすれば……。


姉さんのペースに巻き込まれちゃわないか……それだけが心配だ。


そのうち「お姉様……」なんて呼ぶ関係になったりして。


……まあ、そうなったらそうなったでいいか。


そんなことを考えながら、私は幸せな眠りについた。



翌日。


「事件もトラブルも乗り越えていける」──昨日の夜、そんなことを思った。

けれど実際は、そう思うからこそ呼び寄せてしまうのだと痛感する。


「一部屋借りたい。滞在は何日になるかはわからない。なるべく迷惑はかけない」


黒いマントを頭まで深く被った二人が玄関に立っていた。

一人は大柄な男。もう一人は子ども。


どことなく周囲を警戒するような目つきで、視線が絶えず動いている。

ただ宿を探してきただけの客には見えなかった。


明らかにトラブルの予感しかしない。


とはいえ、訳あり客もウェルカム──それが宿屋リングベルの信条だ。


「ではこちらにサインを……」


男の名はガイエル。

子どもはアマン、と記されていた。


部屋に案内すると、アマンがぼそりと口を開く。


「……こんな部屋に泊まるのか?」


「申し訳ありません、殿……いえ、アマン様」


ガイエルの声がかすかに耳に届いた。

はっきりとは聞こえなかったが、ただの旅人ではない気配だけは伝わってきた。



一階に戻ると、アリシアが待っていた。


「あの人たち、偽名です。名前を書いているとき、黒い靄が見えました」


「夜……注意したほうがいいかもね」


サリィが真剣な顔で言う。その表情はいつもの飄々とした姉とは違い、どこか鋭かった。


「アリシア、部屋が近いからこそ気をつけてね」


「好奇心で覗いたり、危ないと思っても一人で動いたりしちゃだめ。いい? 

お客さんだからって、自分の身を危険にさらす必要なんて絶対にないのよ」


「……はい」


アリシアは素直に返事をしつつ、なぜか姉さんを見つめていた。

どうしてか視線を外せず、頬がほんのり赤くなっている。


……心配してくれたのが嬉しかったのかもしれない。

うん、そういうことにしておこう。



ハマーさんはダンジョン調査へ。

ミレーネさんは王都の書庫に。


二人とも今この宿には不在だが、出先から朝にふらりと戻ってくることもある。

けれど本来お客さんである以上、できるかぎり巻き込みたくはない。


もし夜に事件が起きたら──。

他のお客に被害が及ばないよう、私たち三人でなんとかしなくては。

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