第十二話 お礼の晩餐

「……ふぅ。ようやく平穏が戻りましたね」


夕暮れの厨房で鍋をかき混ぜながら、私は大きく息をついた。

宿に静けさが戻り、窓から差し込む橙の光さえ穏やかに見える。


「ねえ、ホリィ」


ワインの栓を軽やかに抜きながら、姉が片目をつむる。


「さすがに今回は、ちゃんとお礼しないとね」


「……それ、飲み会したいだけじゃないですよね」


「半分はね!」


私は深いため息をつきつつ、テーブルいっぱいに料理を並べていった。



その夜。


リングベルの広間には、香ばしいシチューと焼きたてパンの香りが満ちていた。

テーブルにはワインの瓶、そして私とサリィの正面にはミレーネとハマーの姿。

モモは相変わらずふわふわと毛を揺らし、テーブルの下で椅子に寄りかかっている。


「改めて……助けてくださって、本当にありがとうございました」

私は立ち上がり、深々と頭を下げた。


「いえ。あの場に居合わせたのも縁ですから」

ミレーネはやわらかな笑みで答え、モモが「きゅるっ」と鳴いて尻尾を振る。


サリィはと言えば、頬をかきながら小さく笑った。

「……ありがと。私、調子に乗ったせいで迷惑かけたわね」


すでにワインを何杯も飲んでいる姉さんに、私は冷ややかな視線を向けた。

「その自覚があるなら少しは控えてくださいよ」


「えー? でも飲み比べは楽しかったでしょ?」


「こっちはずっと胃がキリキリしてましたよ……」


私とサリィのやり取りに、ミレーネがくすりと笑った。


――けれどその直後、姉が視線を落とし、ワイングラスをそっと回した。


「……ほんとはね、怖かった。誰もきてくれなかったらって考えたら……」


一瞬だけ、彼女の肩が小さく震えた。


私は息をのんだ。サリィがこんな顔をするなんて、滅多にない。


「姉さん……」


「だからみんな、本当にありがとう」


そう言って、照れ隠しのように一気にワインをあおった。



ハマーがグラスを傾けながら、テーブル脇に立てかけた剣をじっと見ている。

黒い靄が一瞬、鞘の隙間からふわりと漏れた。


「……っ」


思わず身を引いた。あの時、魔剣にモモが興奮していた光景が頭をよぎったのだ。


「大丈夫よ、ホリィ」


ミレーネがモモを抱き上げると、モモが「くぅーっ」と鳴き、靄に向かって尻尾をぶんと振った。

すると靄はすっと消え、剣も静かになる。


「……こいつは、不思議な子だな」


ハマーの硬い声に、ほんのわずか驚きが混じった。


「モモはね、妙にこの剣と相性がいいみたいなの」


ミレーネは微笑む。


「興奮したときに何度か反応したけど、今は……むしろ“落ち着けてる”感じ」


私は胸をなでおろした。


「……なら、ひとまず安心ですね」


ハマーは視線を落としたまま低くつぶやく。


「……制御できないこともある。手放すことも……できない。

憎いはずなのに……こいつを嫌いになれないんだ」


その声音には深い矛盾と痛みがにじんでいた。



「私もね、この街に来たのは“探し物”のためなの」

ワインを注ぎながら、ミレーネが続ける。


「モモの未来のために必要なものが、この近くに眠っているはずだから」

彼女はモモを抱きしめ、そっと毛並みに頬を寄せた。


「……大切な子を守るためにね」


「探し物、ですか……」


私は真剣にうなずいた。

訳ありの客ばかりだと思っていたけれど、

この二人は“訳あり”どころか、とても大きなものを抱えているんだ。


「でも……」

私はにこっと笑って言った。


「宿はお客さんを迎える場所ですから。

訳ありの方でも、安心して泊まっていってください」


「ホリィ……」

サリィが驚いたようにこちらを見て、それからふっと笑った。


「そうそう。訳あり客大歓迎、胃痛保証付きの宿だからね!」


「保証ってなに!?」


私のツッコミが広間に響いたそのとき――、

常連客たちがわらわらと近づいてきた。


「お? また飲み比べか?」「よーし、樽ごと持ってこーい!」

「今度は俺も挑戦するぞ!」「胃痛保証なら客の俺も対象だよな!?」

「サリィちゃん、今度は俺が勝つからな!」


「ちょ、ちょっと待ってください! なんでそうなるんですか!」


あっという間にテーブルは酒瓶とグラスで埋まり、

誰かが歌い出し、誰かが踊りだす。

モモは輪の中を駆け回って、常連の足にじゃれつき、広間は一気にお祭り騒ぎになった。


「ほらホリィ、こういうのも宿屋の仕事よ!」


「仕事じゃなくて騒乱です!」


胃を押さえて頭を抱える私をよそに、夜はますます更けていくのだった。

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