第十二話 お礼の晩餐
「……ふぅ。ようやく平穏が戻りましたね」
夕暮れの厨房で鍋をかき混ぜながら、私は大きく息をついた。
宿に静けさが戻り、窓から差し込む橙の光さえ穏やかに見える。
「ねえ、ホリィ」
ワインの栓を軽やかに抜きながら、姉が片目をつむる。
「さすがに今回は、ちゃんとお礼しないとね」
「……それ、飲み会したいだけじゃないですよね」
「半分はね!」
私は深いため息をつきつつ、テーブルいっぱいに料理を並べていった。
◇
その夜。
リングベルの広間には、香ばしいシチューと焼きたてパンの香りが満ちていた。
テーブルにはワインの瓶、そして私とサリィの正面にはミレーネとハマーの姿。
モモは相変わらずふわふわと毛を揺らし、テーブルの下で椅子に寄りかかっている。
「改めて……助けてくださって、本当にありがとうございました」
私は立ち上がり、深々と頭を下げた。
「いえ。あの場に居合わせたのも縁ですから」
ミレーネはやわらかな笑みで答え、モモが「きゅるっ」と鳴いて尻尾を振る。
サリィはと言えば、頬をかきながら小さく笑った。
「……ありがと。私、調子に乗ったせいで迷惑かけたわね」
すでにワインを何杯も飲んでいる姉さんに、私は冷ややかな視線を向けた。
「その自覚があるなら少しは控えてくださいよ」
「えー? でも飲み比べは楽しかったでしょ?」
「こっちはずっと胃がキリキリしてましたよ……」
私とサリィのやり取りに、ミレーネがくすりと笑った。
――けれどその直後、姉が視線を落とし、ワイングラスをそっと回した。
「……ほんとはね、怖かった。誰もきてくれなかったらって考えたら……」
一瞬だけ、彼女の肩が小さく震えた。
私は息をのんだ。サリィがこんな顔をするなんて、滅多にない。
「姉さん……」
「だからみんな、本当にありがとう」
そう言って、照れ隠しのように一気にワインをあおった。
◇
ハマーがグラスを傾けながら、テーブル脇に立てかけた剣をじっと見ている。
黒い靄が一瞬、鞘の隙間からふわりと漏れた。
「……っ」
思わず身を引いた。あの時、魔剣にモモが興奮していた光景が頭をよぎったのだ。
「大丈夫よ、ホリィ」
ミレーネがモモを抱き上げると、モモが「くぅーっ」と鳴き、靄に向かって尻尾をぶんと振った。
すると靄はすっと消え、剣も静かになる。
「……こいつは、不思議な子だな」
ハマーの硬い声に、ほんのわずか驚きが混じった。
「モモはね、妙にこの剣と相性がいいみたいなの」
ミレーネは微笑む。
「興奮したときに何度か反応したけど、今は……むしろ“落ち着けてる”感じ」
私は胸をなでおろした。
「……なら、ひとまず安心ですね」
ハマーは視線を落としたまま低くつぶやく。
「……制御できないこともある。手放すことも……できない。
憎いはずなのに……こいつを嫌いになれないんだ」
その声音には深い矛盾と痛みがにじんでいた。
◇
「私もね、この街に来たのは“探し物”のためなの」
ワインを注ぎながら、ミレーネが続ける。
「モモの未来のために必要なものが、この近くに眠っているはずだから」
彼女はモモを抱きしめ、そっと毛並みに頬を寄せた。
「……大切な子を守るためにね」
「探し物、ですか……」
私は真剣にうなずいた。
訳ありの客ばかりだと思っていたけれど、
この二人は“訳あり”どころか、とても大きなものを抱えているんだ。
「でも……」
私はにこっと笑って言った。
「宿はお客さんを迎える場所ですから。
訳ありの方でも、安心して泊まっていってください」
「ホリィ……」
サリィが驚いたようにこちらを見て、それからふっと笑った。
「そうそう。訳あり客大歓迎、胃痛保証付きの宿だからね!」
「保証ってなに!?」
私のツッコミが広間に響いたそのとき――、
常連客たちがわらわらと近づいてきた。
「お? また飲み比べか?」「よーし、樽ごと持ってこーい!」
「今度は俺も挑戦するぞ!」「胃痛保証なら客の俺も対象だよな!?」
「サリィちゃん、今度は俺が勝つからな!」
「ちょ、ちょっと待ってください! なんでそうなるんですか!」
あっという間にテーブルは酒瓶とグラスで埋まり、
誰かが歌い出し、誰かが踊りだす。
モモは輪の中を駆け回って、常連の足にじゃれつき、広間は一気にお祭り騒ぎになった。
「ほらホリィ、こういうのも宿屋の仕事よ!」
「仕事じゃなくて騒乱です!」
胃を押さえて頭を抱える私をよそに、夜はますます更けていくのだった。
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