第十一話 みんなのサリィ

朝の光が差し込む部屋。

サリィはベッドの上で、ぼんやりと天井を見つめていた。


「……やっちゃったなぁ、私」


ロープで縛られていた感覚がまだ手首に残っている。

あのときの恐怖と悔しさが、じんわりと胸に広がった。


「ホリィに……合わせる顔ないよ」


小さくつぶやき、深いため息を吐く。


「――合わせる顔ないって。

そう思うなら、もう少しお酒との付き合い方を考えてくださいね」


いつの間にかドアを開けたホリィが、じとっと睨んでいた。

腕を組んで立つその姿は、ちょっと怖いくらいだ。


「うっ……ごめん」


「ほんとにもう。心配で胃に穴が開くかと思いましたよ……」


ホリィが頬をふくらませて言うと、サリィは苦笑した。


「でも――助けられて、よかった」


その一言に、サリィの胸の奥がじんと熱くなる。


「……ありがとね、ホリィ」


二人はしばらく見つめ合い、照れくさそうに笑い合った。


――ただし次の瞬間。


「……でもお酒はやめないけどね!」


「……知ってますよ、もう」


宿屋リングベルの朝は、またいつものように騒がしく始まった。



翌日、宿の前に影が立った。

――レオンだ。

昨夜の屈辱をまだ引きずっているのか、やけに不機嫌な顔で扉を押し開ける。


「サリィ……! 昨日の件は水に流そう。だが、俺のものになる運命は変わらん」


その瞬間、空気がぴんと張り詰めた。

広間にいた客たちが一斉にざわつき、私は反射的に身を乗り出す。


「な、何しに来たんですか! 衛兵を呼びますよ!」


思わず声を荒げる私の横で、サリィも真剣な表情で立ち上がった。


「……いい加減にして。これ以上しつこいなら、本気でただじゃ済まさないわよ」


普段飄々としている姉の声音に、怒気がにじむ。

さすがのレオンもわずかにたじろいだ。


次の瞬間、彼の体から一瞬だけ、Sランク冒険者の圧が漏れ出す。

広間の空気が一気に重くなり、私の背筋も凍りついた。

だが――


「ふざけるな!」


一人の冒険者が立ち上がり、拳を握って叫んだ。

それを皮切りに、あちこちから声が上がる。


「昨日、飲み比べで魔法使っただろ!」

「姑息な真似で勝とうなんて、恥ずかしくないのか!」

「サリィちゃんに謝りやがれ!」


続いて別の客が、思い出したように叫んだ。


「飲み勝負で負けて倒れた俺に、サリィちゃんは優しく毛布をかけてくれた!」

「女に振られた夜、一緒に飲んで笑わせてくれるいい子なんだ!」

「酔いつぶれて帰れない俺に、肩を貸してくれたんだぞ!」


「はぁぁぁぁ!? 触ってんじゃねえよ!!」

「てめぇふざけんな!!」

「ずりぃぞ!!」

なぜか客同士で殴り合いが勃発。


……なにやってんだあんたら。


ざっと数十人。

宿の広間にいた客たちが一斉に立ち上がり、怒声と応援の声が渦を巻いた。

その迫力は壁を震わせ、Sランクの圧をもかき消していく。


「な……なんなんだ一体……」


レオンが押されて言葉を探していると――

仲間の美女が一歩前に出て、呆れ顔で肩をすくめた。


「レオン……もうやめなさいよ。見苦しいわ」


「なっ、君まで……!」


「あなたのそういうところ、昔から嫌だったの」


美女は冷ややかな目で首を振る。

レオンはぐっと言葉を詰まらせ、顔を真っ赤にした。


「……ちっ。もういい!」


捨て台詞を残し、宿を後にする。



その背中を見送っていたサリィは、ふっと目尻に涙をにじませこちらに振り向いた。


「……ありがとう、みんな……」


客たちが「よっ、サリィ!」「気にすんな!」

「なんたって、リングベルのマドンナだかんな!」と声をかけ、笑い声が響く。

ざわめく広間の片隅で、ハマーとミレーネは静かに成り行きを見守っていた。


「ったく……なによそれ……」


そう言いながら姉さんは笑っていた。

私は胸の奥がじんと温かくなった。


――改めて思う。姉さんはお酒にだらしないし、トラブルも呼び込む。


でも、誰よりも愛されてるんだなって。


……そして私にとっても、やっぱり自慢のお姉ちゃんだ。


「さぁ! 今日は全部私の奢りよ! 飲むわよー!!」

サリィがグラスを掲げた。


「おおーっ!!」


湧き上がる歓声。


けれど私は、その盛り上がりを横目に壊れた屋根を見上げる。


(……修繕費、いくらかかるんだろう)


額を押さえて小さくため息をついた。



こうして、レオン騒動は幕を閉じた。

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