第十一話 みんなのサリィ
朝の光が差し込む部屋。
サリィはベッドの上で、ぼんやりと天井を見つめていた。
「……やっちゃったなぁ、私」
ロープで縛られていた感覚がまだ手首に残っている。
あのときの恐怖と悔しさが、じんわりと胸に広がった。
「ホリィに……合わせる顔ないよ」
小さくつぶやき、深いため息を吐く。
「――合わせる顔ないって。
そう思うなら、もう少しお酒との付き合い方を考えてくださいね」
いつの間にかドアを開けたホリィが、じとっと睨んでいた。
腕を組んで立つその姿は、ちょっと怖いくらいだ。
「うっ……ごめん」
「ほんとにもう。心配で胃に穴が開くかと思いましたよ……」
ホリィが頬をふくらませて言うと、サリィは苦笑した。
「でも――助けられて、よかった」
その一言に、サリィの胸の奥がじんと熱くなる。
「……ありがとね、ホリィ」
二人はしばらく見つめ合い、照れくさそうに笑い合った。
――ただし次の瞬間。
「……でもお酒はやめないけどね!」
「……知ってますよ、もう」
宿屋リングベルの朝は、またいつものように騒がしく始まった。
◇
翌日、宿の前に影が立った。
――レオンだ。
昨夜の屈辱をまだ引きずっているのか、やけに不機嫌な顔で扉を押し開ける。
「サリィ……! 昨日の件は水に流そう。だが、俺のものになる運命は変わらん」
その瞬間、空気がぴんと張り詰めた。
広間にいた客たちが一斉にざわつき、私は反射的に身を乗り出す。
「な、何しに来たんですか! 衛兵を呼びますよ!」
思わず声を荒げる私の横で、サリィも真剣な表情で立ち上がった。
「……いい加減にして。これ以上しつこいなら、本気でただじゃ済まさないわよ」
普段飄々としている姉の声音に、怒気がにじむ。
さすがのレオンもわずかにたじろいだ。
次の瞬間、彼の体から一瞬だけ、Sランク冒険者の圧が漏れ出す。
広間の空気が一気に重くなり、私の背筋も凍りついた。
だが――
「ふざけるな!」
一人の冒険者が立ち上がり、拳を握って叫んだ。
それを皮切りに、あちこちから声が上がる。
「昨日、飲み比べで魔法使っただろ!」
「姑息な真似で勝とうなんて、恥ずかしくないのか!」
「サリィちゃんに謝りやがれ!」
続いて別の客が、思い出したように叫んだ。
「飲み勝負で負けて倒れた俺に、サリィちゃんは優しく毛布をかけてくれた!」
「女に振られた夜、一緒に飲んで笑わせてくれるいい子なんだ!」
「酔いつぶれて帰れない俺に、肩を貸してくれたんだぞ!」
「はぁぁぁぁ!? 触ってんじゃねえよ!!」
「てめぇふざけんな!!」
「ずりぃぞ!!」
なぜか客同士で殴り合いが勃発。
……なにやってんだあんたら。
ざっと数十人。
宿の広間にいた客たちが一斉に立ち上がり、怒声と応援の声が渦を巻いた。
その迫力は壁を震わせ、Sランクの圧をもかき消していく。
「な……なんなんだ一体……」
レオンが押されて言葉を探していると――
仲間の美女が一歩前に出て、呆れ顔で肩をすくめた。
「レオン……もうやめなさいよ。見苦しいわ」
「なっ、君まで……!」
「あなたのそういうところ、昔から嫌だったの」
美女は冷ややかな目で首を振る。
レオンはぐっと言葉を詰まらせ、顔を真っ赤にした。
「……ちっ。もういい!」
捨て台詞を残し、宿を後にする。
◇
その背中を見送っていたサリィは、ふっと目尻に涙をにじませこちらに振り向いた。
「……ありがとう、みんな……」
客たちが「よっ、サリィ!」「気にすんな!」
「なんたって、リングベルのマドンナだかんな!」と声をかけ、笑い声が響く。
ざわめく広間の片隅で、ハマーとミレーネは静かに成り行きを見守っていた。
「ったく……なによそれ……」
そう言いながら姉さんは笑っていた。
私は胸の奥がじんと温かくなった。
――改めて思う。姉さんはお酒にだらしないし、トラブルも呼び込む。
でも、誰よりも愛されてるんだなって。
……そして私にとっても、やっぱり自慢のお姉ちゃんだ。
「さぁ! 今日は全部私の奢りよ! 飲むわよー!!」
サリィがグラスを掲げた。
「おおーっ!!」
湧き上がる歓声。
けれど私は、その盛り上がりを横目に壊れた屋根を見上げる。
(……修繕費、いくらかかるんだろう)
額を押さえて小さくため息をついた。
◇
こうして、レオン騒動は幕を閉じた。
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