第十話 突入編

――バスルームからシャワーの音が響いてくる。

その間、サリィはベッドに縛られたまま、大きくため息をついた。


(……はぁ。初めては、好きな人とがよかったなぁ)


(いや、そもそも好きな人なんていないけど?)


笑おうとしたけれど、頬は引きつっていた。

べつに命を奪われるわけじゃない。

「ヘビに噛まれた」くらいの不運だと、忘れてしまえばいい……そう思おうとする。


でも――。


「……くやしいな」


やっぱり怖い。

縄が食い込む手首はじんじん痛むし、心臓は落ち着かないほど暴れている。

強がりの裏でこみ上げる涙を必死にこらえ、

ただ無情に過ぎていく時間に耐えるしかなかった。



「……作戦開始」


廊下の前でハマーが低く告げ、魔剣をドアへとかざす。

黒い靄が部屋の隙間から忍び込み、たちまち濃霧のように広がっていく。


「行くわよ」ミレーネが短く合図をした。


私は震える指でドアノブを握る。モモが隣で小さく吠えた。


「……っ!」


勢いよく扉を開け放つ。



「な、なんだ!?」


シャワーを終え、タオルを腰に巻いたレオンが黒い靄の中で目をこすった。

視界を奪われ、よろめきながら壁に手をつく。


「今だ!」――ハマーの声が響く。


ミレーネが先陣を切って飛び込み、

机に立てかけられていたレオンの剣をひったくると――


そのまま窓の外へ投げ捨てた!


「なっ……! おい! 俺の聖剣に何を――!」


叫ぶレオンの足に、モモが素早く噛みつく。


「ぎゃああああ! いってぇぇぇ!!」


混乱する声と怒号。

黒い靄の中で人影が入り乱れ、部屋は修羅場と化す。


私はその隙を逃さず、心臓を破裂させそうな勢いで走り出した。


「姉さんっ!」


ベッドの上――両腕を縛られたサリィの姿が、揺らめく靄の向こうに浮かび上がる。


「ホリィ……!?」


潤んだ瞳が、こちらをまっすぐ見つめてきた。

その顔を見た瞬間、胸の奥に詰まっていた恐怖が一気に吹き飛ぶ。


「今、助けるから!」


私は震える手で短剣を握り、縄に刃を押し当てた。

硬い繊維を裂く感触が指先に伝わり、ようやく縄がぱんっと切れる。


「姉さん、立って!」


「……うん!」


サリィは私に体を預けながら、必死に上体を起こした。

その瞬間、胸の奥で張り詰めていた何かが解けるように、涙がにじみ出た。



一方その横で、ミレーネとレオンがぶつかり合っていた。


「邪魔なネズミめ!」


レオンがモモを蹴り飛ばし、悲鳴のような鳴き声が響く。


「ちっ……視界が……!」


レオンが腕を振り上げると、烈風が黒い靄を切り裂くように吹き荒れた。

霧は裂け、光が一瞬差し込む――が、すぐにまた闇が覆い尽くす。


「くそっ、効きが悪い……!」


巻き起こった風が周囲の備品を滅茶苦茶に吹き飛ばす。

机は横転し、棚は倒れ、窓ガラスがガシャーンと粉砕。

鋭い破片が雨のように床へ散らばり、部屋はますます混沌に包まれていった。


その間も靄を出し続けていたハマーの顔には大粒の汗が浮かび、血管が浮き上がっていた。


「くそ……俺も、もう限界――グホァッ!」


鮮血を吐き、前のめりに崩れ落ちる。


「二人とも! 早く外へ!」ミレーネが叫ぶ。


黒い靄が揺らぎ、裂け目からレオンの眼光がぎらりと突き刺さる。

タオル一枚の裸身にも関わらず、放たれる威圧感はまさにSランク。

その場の空気すら支配されるような圧が全身を押し潰した。


「貴様ら……小娘どもがッ!」


私は姉を支え、破片を蹴散らしながら滑り込むように部屋の外へ飛び出した。



ミレーネさんがこちらを振り返り、ぱちんとウインクしてみせた。


「ちょっとド派手にいくから、怒らないでね?」


「えっ……なにそれ怖い……」


「モモ! おっきくなっちゃえー☆」


その掛け声に応じ、モモの体がみるみる膨張していく。

毛並みが逆立ち、光の粒を散らしながら天井へ迫り――


「わふぉおおおおん!!」


轟音とともに天井を突き破り、部屋いっぱいの巨大な獣へと変貌した。


「なっ……なんだと!?」


巨体に押し出されるように、レオンはタオル一枚のまま壁を突き破り――


「ぐあああああ!?」


裸のまま夜の街へ吹き飛んでいった。


ちょうどその場へ衛兵が数名駆けつけた。


「何の騒ぎだ!?」

「むっ!? おい貴様、なぜ裸なんだ!」


「いやっ……これは……違うんだ! 

離せ! 俺はSランクパーティ《真紅の爪》の――!」


必死の言い訳もむなしく、レオンは衛兵に両脇を抱えられ、

夜の街へずるずると引きずられていった。


取り残された私たちはしばし呆然――そしてミレーネが肩をすくめる。


「……まぁ、結果オーライってことで〜」


つづく。

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