第十話 突入編
――バスルームからシャワーの音が響いてくる。
その間、サリィはベッドに縛られたまま、大きくため息をついた。
(……はぁ。初めては、好きな人とがよかったなぁ)
(いや、そもそも好きな人なんていないけど?)
笑おうとしたけれど、頬は引きつっていた。
べつに命を奪われるわけじゃない。
「ヘビに噛まれた」くらいの不運だと、忘れてしまえばいい……そう思おうとする。
でも――。
「……くやしいな」
やっぱり怖い。
縄が食い込む手首はじんじん痛むし、心臓は落ち着かないほど暴れている。
強がりの裏でこみ上げる涙を必死にこらえ、
ただ無情に過ぎていく時間に耐えるしかなかった。
◇
「……作戦開始」
廊下の前でハマーが低く告げ、魔剣をドアへとかざす。
黒い靄が部屋の隙間から忍び込み、たちまち濃霧のように広がっていく。
「行くわよ」ミレーネが短く合図をした。
私は震える指でドアノブを握る。モモが隣で小さく吠えた。
「……っ!」
勢いよく扉を開け放つ。
◇
「な、なんだ!?」
シャワーを終え、タオルを腰に巻いたレオンが黒い靄の中で目をこすった。
視界を奪われ、よろめきながら壁に手をつく。
「今だ!」――ハマーの声が響く。
ミレーネが先陣を切って飛び込み、
机に立てかけられていたレオンの剣をひったくると――
そのまま窓の外へ投げ捨てた!
「なっ……! おい! 俺の聖剣に何を――!」
叫ぶレオンの足に、モモが素早く噛みつく。
「ぎゃああああ! いってぇぇぇ!!」
混乱する声と怒号。
黒い靄の中で人影が入り乱れ、部屋は修羅場と化す。
私はその隙を逃さず、心臓を破裂させそうな勢いで走り出した。
「姉さんっ!」
ベッドの上――両腕を縛られたサリィの姿が、揺らめく靄の向こうに浮かび上がる。
「ホリィ……!?」
潤んだ瞳が、こちらをまっすぐ見つめてきた。
その顔を見た瞬間、胸の奥に詰まっていた恐怖が一気に吹き飛ぶ。
「今、助けるから!」
私は震える手で短剣を握り、縄に刃を押し当てた。
硬い繊維を裂く感触が指先に伝わり、ようやく縄がぱんっと切れる。
「姉さん、立って!」
「……うん!」
サリィは私に体を預けながら、必死に上体を起こした。
その瞬間、胸の奥で張り詰めていた何かが解けるように、涙がにじみ出た。
◇
一方その横で、ミレーネとレオンがぶつかり合っていた。
「邪魔なネズミめ!」
レオンがモモを蹴り飛ばし、悲鳴のような鳴き声が響く。
「ちっ……視界が……!」
レオンが腕を振り上げると、烈風が黒い靄を切り裂くように吹き荒れた。
霧は裂け、光が一瞬差し込む――が、すぐにまた闇が覆い尽くす。
「くそっ、効きが悪い……!」
巻き起こった風が周囲の備品を滅茶苦茶に吹き飛ばす。
机は横転し、棚は倒れ、窓ガラスがガシャーンと粉砕。
鋭い破片が雨のように床へ散らばり、部屋はますます混沌に包まれていった。
その間も靄を出し続けていたハマーの顔には大粒の汗が浮かび、血管が浮き上がっていた。
「くそ……俺も、もう限界――グホァッ!」
鮮血を吐き、前のめりに崩れ落ちる。
「二人とも! 早く外へ!」ミレーネが叫ぶ。
黒い靄が揺らぎ、裂け目からレオンの眼光がぎらりと突き刺さる。
タオル一枚の裸身にも関わらず、放たれる威圧感はまさにSランク。
その場の空気すら支配されるような圧が全身を押し潰した。
「貴様ら……小娘どもがッ!」
私は姉を支え、破片を蹴散らしながら滑り込むように部屋の外へ飛び出した。
◇
ミレーネさんがこちらを振り返り、ぱちんとウインクしてみせた。
「ちょっとド派手にいくから、怒らないでね?」
「えっ……なにそれ怖い……」
「モモ! おっきくなっちゃえー☆」
その掛け声に応じ、モモの体がみるみる膨張していく。
毛並みが逆立ち、光の粒を散らしながら天井へ迫り――
「わふぉおおおおん!!」
轟音とともに天井を突き破り、部屋いっぱいの巨大な獣へと変貌した。
「なっ……なんだと!?」
巨体に押し出されるように、レオンはタオル一枚のまま壁を突き破り――
「ぐあああああ!?」
裸のまま夜の街へ吹き飛んでいった。
ちょうどその場へ衛兵が数名駆けつけた。
「何の騒ぎだ!?」
「むっ!? おい貴様、なぜ裸なんだ!」
「いやっ……これは……違うんだ!
離せ! 俺はSランクパーティ《真紅の爪》の――!」
必死の言い訳もむなしく、レオンは衛兵に両脇を抱えられ、
夜の街へずるずると引きずられていった。
取り残された私たちはしばし呆然――そしてミレーネが肩をすくめる。
「……まぁ、結果オーライってことで〜」
つづく。
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