第七話 飲み比べの火蓋

朝のリングベル一階。

パンとスープを並べていた私の耳に、やたら大きな笑い声が飛び込んできた。


「はーっはっは! こんな宿で朝を迎えるとは思わなかったが……悪くない!」


……声の主はもちろん昨日から泊まっているSランク冒険者レオン。

朝っぱらから金色の髪をかきあげ、堂々と食堂の真ん中でポーズを決めている。


(うわぁ……あそこだけ変な空気になってる……)


周囲の女性客は小声で「きゃあ」とささやき、男性客は呆れ顔。

一方でサリィはというと、まるで何事もないかのようにパンを切り分けていた。


「はいはい、騒がずに座ってくださいな。朝食はすぐ出ますから」


「サリィ! やはり君は美しい! パンを切る姿すらまぶしい!」


レオンはすかさず姉の隣に腰を下ろし、わざと大げさに距離を詰める。

彼の仲間の美女三人は「また始まった」と顔をしかめた。


私はパン籠を抱えながらため息をついた。

(これ完全に営業妨害……)



食後、さらに言い寄るレオンに、サリィがふっと笑みを浮かべた。


「ねぇレオンさん。私に勝てたら、考えてあげてもいいわよ?」


「……勝つ?」


「そう。夜に飲み比べ勝負よ。

私に勝ったら――少しくらい、お話してあげてもいい」


「姉さん!? 何言ってるんですか!」


私は慌てて止めに入る。


「だってホリィ、どうせ負けないもの。営業よ営業♪」


「営業ってそんな軽いノリで……!」


一方のレオンは、にやりと口元を上げ、わざとグラスを掲げて見せた。


「ふっ……面白い! その勝負、受けて立とう!」


「じゃあ、夜に決まりね」


挑発めいたサリィの笑みに、客たちはざわついた。


「あの兄ちゃん、サリィちゃんに挑むなんて無謀だろ!」

「今まで挑んだやつ全滅だぞ!」


何度も飲み比べで打ちのめされてきた常連たちの声が漏れる。

確かに姉さんは酔いつぶれることはあっても、勝負形式の飲み比べでは絶対に負けたことがない。

むしろ、負けた男が姉さんの酒豪っぷりに惚れて、気づけば店の常連になってしまうくらいだ。


(……まぁ、心配しすぎかな)



午後、キッチンで食器を片付けながら、私は思わず聞いてしまった。


「姉さん、もしかしてあのレオンって人、ちょっとは“アリ”とか思ってる?」


「まさか! あんな線の細いの全然タイプじゃないし、むしろ苦手!」


「そ、そうなの? じゃあ、どんな人がタイプ?」


「え? うーん……あらためて聞かれると……」


サリィは少し考え込み、にやっと笑った。


「お酒が強くて、ガッチリして、たくましい人かな」


(……それって、どう考えてもヘンドリックさんじゃ……)


私は内心で頭を抱える。

……うん、姉さんをあのひげもじゃおじさんに近づけるのは、全力で避けよう。


「そう……と、とにかく負けないでくださいよ」


「大丈夫だって、も〜ホリィは心配性なんだから」


「もう、誰のせいでこうなったと思ってるんですか」


私の心配なんて気にもとめず、けらけらと笑う姉。


……けれど相手は天下のSランク冒険者。

力比べじゃ当然かなうはずがない。

だからこそ、余計なトラブルは避けるべきなのに。


この胃痛が、ただの思い過ごしで終わればいいんですけど……。

私の不安は、洗った皿の水滴みたいに、しつこく胸に残ったままだった。



夜。リングベルの食堂。

テーブルの上には酒樽が鎮座し、グラスがずらりと並ぶ。


噂を聞きつけた客たちが続々と集まり、賭けを始める者まで現れる。

「サリィに銀貨三枚!」「いや、レオン様に金貨だ!」

どよめきと歓声が飛び交い、酒場は一夜にして闘技場に変わったようだった。


ふと視線を巡らせると、部屋の端にハマーさん。

少し離れた席ではミレーネさんが食事を取りながら成り行きを眺めている。

長期滞在のお客さんだ、私は一言かけに行った。


「すみません、騒がしくて。今から姉さんとレオンさんの飲み比べをやるみたいで……」


「レオン?」

ハマーの眉がぴくりと動く。すぐ横でミレーネが口を開いた。


「レオンさんって、例の《真紅の爪》の人よね。

実力はあるけど……あんまりいい噂は聞かないわよ」


「……ああ。とにかく注意しておけ」


その一言に、急に不安が胸に広がる。

胃がきゅうっと縮み、私は慌ててサリィのもとへ駆け寄った。


「姉さん、本当にやるんですか……」


「もちろん! 盛り上がってるでしょ? お客さんが喜んでくれるなら万々歳よ」


レオンの傍らには、例の美女三人組。

応援するでもなく、むしろ冷めた表情でワインを口にしていた。


サリィは余裕の笑みでグラスを手に取り、レオンの前に腰を下ろす。

レオンも挑発するように酒を注ぎ、豪快に言い放った。


「今夜、君を酔わせ――そして勝つ!」


「ふふん、言ってられるのも今のうちよ」


二人の視線がぶつかり、同時にグラスを掲げ――


「勝負開始だ!」


――その瞬間、割れんばかりの歓声が場内を揺らした。


つづく。

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