第六話 市場とお風呂とSランク

朝、私は帳簿を広げて、眉をひそめていた。


「……塩も小麦粉も残りわずか。布巾も買い替え時……」


「そして、ワインも空っぽ」


横から顔をのぞき込んだサリィは、しれっと言う。


「姉さん、それが一番言いたいだけですよね」


「バレた?」


……やれやれ。こうして、仕入れのため市場へ向かうことになった。


出かける前に、宿の戸口へ「買い出し中」と書いた立て看板を出しておく。

風に揺れるそれを背に、私たちは通りへ出た。



午前の市場は人でごった返していた。

行商人の呼び声。馬車の車輪の音。焼きたてのパンの香り。

あちこちで値切りの声と笑い声が入り混じっていた。


「うわぁ、すごい人……」


「市場って活気があっていいわね〜。おっ、向こうに面白そうなものが」


「姉さん、買い出しにきたんだからはぐれないで!!」


私は財布を握りしめ、少しでも安く仕入れようと必死だ。


「これ、二袋で銀貨三枚になりませんか?」


「よっしゃ、そんだけ買うならまけてやる!」


次はワインを仕入れに向かう。

ひげもじゃ店主のヘンドリックおじさんにサリィが値切り交渉をしかける。


「……飲み比べ、勝負して私が勝ったら安くしてくれない?」


「おいおい勘弁してくれよ、

サリィちゃんに飲み比べで勝てるやつなんてこの世にいねぇよ」


「あら、ヘンドリックさんならいい勝負になると思うけど?」

上目遣いでおねだりするようにヘンドリックを見る。


「仕事中だからな、いいよ、まけてやるよ」


「やったぁ!」


「後で店に届けてやるよ」


「ありがと!ヘンドリックさん」


ご機嫌に手を振る姉。

おかげで無事ワインは安く仕入れられた。


この二人、お酒が強い者同士、意外と相性いいのでは?

そう思ったけどヘンドリックさんがお義兄さんになったら……。

いやいや歳が違いすぎる、考えるのやめよ!



「だいたいこれで全部かな……あれ、あの人だかりなんだろ?」


「ギルドのほうね、行ってみましょ」


ギルド前は妙にざわついていて、通りすがりの人々までもが足を止めていた。


輪の中心には、金髪を陽光に映えさせる美丈夫と、その隣に並ぶ三人の美女。

男はピカピカの鎧をまとい、立っているだけで場の空気を支配している。

美女たちも一人は妖艶、もう一人は冷ややか、もう一人は可憐と、

まるで物語から抜け出したかのような取り合わせだった。


「……あれ、Sランクパーティの《真紅の爪》だろ?」

「最近レッドドラゴンを倒したって噂の……」

「しばらく滞在するらしいぜ!」


羨望と興奮の声が飛び交い、通りはちょっとしたお祭り騒ぎだ。


「Sランクパーティだって」


「ふーん、じゃあ相当強いのね」


「……イケメンと美女三人、完全に絵面が勝ち組だなぁ」


宿屋を営んでいる私たちには縁遠い世界。

私は荷物を抱え直し、視線をそらして宿へ戻ることにした。


……けれど、不思議と胸の奥に小さな棘のような違和感が残る。

なぜか、その華やかな背中から目が離せなかった。



夜。

大荷物を宿へ運び、一日の仕事を終えた私たちは、汗だくでお風呂へ直行した。


一階には姉妹専用の小さな浴場がある。

普段は部屋のシャワーで済ませるけれど、今日は特別に湯船に浸かることにした。


リングベルは王国の領内にあり、王国の魔導炉から魔力が供給されている。

おかげで灯りやお湯といった最低限の生活基盤は整っているが……

大浴場に湯を張り続けるなんて贅沢はさすがに無理。

うちでは安い小型魔導具をあれこれ組み合わせて、どうにかやりくりしているのだ。


身体を洗い終わり、肩までお湯に浸かると、体の芯からじんわりとほぐれていく。

ハーブの香りがふわりと広がり、思わずため息がこぼれた。


「ふぅ〜……やっぱり湯船は最高ね」

サリィは腕を縁にかけ、ワイングラスを持ってご満悦。


「……やっぱり持ち込んでましたか」


「お風呂で飲む一杯は別格よ〜」


「この前なんて、湯上がりに酔っ払って――

素っ裸のまま廊下で大の字になって寝てましたよね!!」


「あれは床が冷たくて気持ちよかったのよ」


「そんな理由で!!」


「私が第一発見者じゃなければ社会的に死んでましたよ」


「でもホリィが見つけてくれたんだから、九死に一生を得たわね♪」


「こっちは寿命が縮みましたよ!!」


私は額を押さえながら湯に沈む。


「……今日一日で財布、スッカラカンですよ」


「でも美味しい料理を出せるわ。お客さんが喜んでくれる。それでいいじゃない」


サリィは湯気の中で笑い、グラスを軽く掲げた。

その笑顔を見ていると、私も少し肩の力が抜ける。


「……まあ、そうですね」



翌日の夕方。

予想だにしないお客が来訪し、嫌な予感は的中した。


「Sランクパーティの真紅の爪、レオンだ。二、三日泊まらせてもらう」


「他の宿が空いていなかったのでね……まあ、ボロ宿だが我慢してやろう」


(ボロ宿って言った!!)


そう言いかけたレオンは、キッチンから顔を出したサリィを見て、

ぴたりと動きを止めた。


「……美しい」


「えっ」


レオンは堂々と歩み寄り、姉の手を取る。


「美しい人、名は?」


「は? サ、サリィですけど……」


「サリィ。君がいるのなら、この宿も悪くない。

明日夜、私の部屋に来てくれないか? 運命を共に語ろう」


「…………はい?」


仲間の美女三人は顔をしかめる。


「また始まった……」「現地妻コレクション増やす気ね」


……これはすんなりと終わらない。

そんな事件の予感がします……!

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