第15話 愛の暴走と、嫉妬の教育計画
侯爵家の広大な庭園に面した温室で、俺はリ・ユエと向かい合っていた。周囲には色とりどりの蘭が咲き誇っているが、二人の間には張り詰めた緊張感が漂っている。
「今朝の政務報告書だ、リ・ユエ」
俺は分厚い書類の束をデスクに置いた。
「この中の、貿易協定に関する項目。なぜ、あなたが独断で細部を変更した?」
リ・ユエは書類を一瞥もせず、蘭の花の葉についた水滴を指先で拭い取る。その動作は優雅だが、まるで俺の質問をシステムエラーとして無視しているようだ。
「シン・ジエン。その協定は、君の自由な裁量権を、他国の商人に不必要に譲渡する可能性を含んでいました。それは、君の魂の主権を脅かすリスクです」
彼の言葉には、一切の悪意がない。ただ、純粋な保護と支配の論理があるだけだ。
「主権だと? これは現実の政治だ、リ・ユエ。利権の一部を渡すことで、より大きな利益を得るのが外交だ。あんたのいう『主権』は、孤立を意味する」
「孤立は、安全と同義です。君の魂の安定が、この世界の安定を意味する以上、私は君に危険因子を近づけさせません」
リ・ユエは静かに俺の前に立つ。
「君は、私と魂を繋いでいます。君が感じるストレスは、私の力に直接影響します。君の政務上のわずかな失敗や不安さえも、私にとっては世界の安定を脅かすノイズです」
「つまり、俺はミス一つ許されない人形だと言いたいのか?」
俺は苛立ちを隠せない。リ・ユエは首を横に振る。
「違います。私はただ、君がミスをする可能性そのものを、根絶したいのです」
「くそっ…」
俺は拳を握りしめた。これでは、前作で世界の鎖から解放したつもりが、今度は愛の鎖で雁字搦めだ。
「わかった。リ・ユエ。今夜、慈善パーティで俺が接触する人物について、絶対に干渉するな」
俺は、彼の教育計画の核となる存在について言及した。
「今夜、都でも指折りの貴族令嬢、アリア・エルトンが来る。彼女は才色兼備で、侯爵家にとって無視できない影響力を持っている。彼女との友好関係は、侯爵家の孤立を防ぐ唯一の方法だ」
リ・ユエの瞳に、わずかな疑問が浮かんだ。それは、彼が女性という存在を、エラーコードとして認識していなかったからだろう。
「アリア…彼女も君の魂を揺るがすリスクと判断される可能性がある。君が彼女に不快感を抱けば、私は彼女を排除します」
「不快感どころか、俺は彼女と親しくする必要がある」俺は強く言った。「俺の政略上、彼女を一時的に、盟友として取り込まねばならない。あんたは、ただの秘書として、俺の隣にいろ。余計な異能を使うな」
リ・ユエは、俺の顔をじっと見つめ、その表情を分析しようとする。
「…承知しました。ただし、私の監視は、君の魂の安全が保証されるまで解除しません」
俺は内心でほくそ笑んだ。これで一歩前進だ。リ・ユエは、まだアリアが自分にとって最も危険なエラーコードであることに気づいていない。
「いいか、リ・ユエ。もし俺が、アリアと親しくして『楽しい』と感じたら、あんたはその楽しさを排除できるか?」
リ・ユエは少し戸惑った様子で答えた。
「『楽しさ』は、ノイズではありません。むしろ、君の魂の安定に貢献します。それは肯定すべき値です」
「そうだろうな」
俺は微笑んだ。その論理こそが、俺の仕掛けるバグの入り口だ。
「だが、俺がアリアとの交流を通じて、あんた以外に心の平穏を見出したら、どうする?」
俺の問いに、リ・ユエの瞳の奥が一瞬、冷たい青い光を放った。彼の表情が固まる。
「…それは、最悪の事態です」
彼の声は、初めて微かに震えていた。その一瞬の動揺に、俺は確信した。
「嫉妬」という名のバグが、リ・ユエの論理回路に、確実に感染し始めている。
「じゃあ、今夜のパーティを楽しみにしていろ、リ・ユエ。俺の教育計画の始まりだ」
俺は、勝利を確信した悪役令息の笑みを浮かべた。
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