スカイブルーのトレジャーハンター
桜井もみじ☆
01 平和の鐘に集う者達
1
オレは視線にイライラしながら、本を机にのせた。
もうボロボロのハードカバーの表紙にはミザリーって書いてある。オレの宝物の本だ。昔、兄貴の部屋の本棚で見つけたのを今も大事にしてる。
どんなに古くても気にならねぇのは、きっと、もう何年も大事に持って歩いてるからじゃねぇかな。もらった当時はピカピカの新品みたいな状態だったんだけど、もう何年も繰り返し読んでるから仕方がねぇか。
仮に誰かがスティーブン・キングのサイン入りの新品と交換してやるって言ったとしても、これだけは渡せねぇ。それくらい、オレにとっては大事な物なんだ。
むし暑くなってきた教室じゃ、女子がこっちを見て何か話している。
どうせオレか、親友のサムの話をしてるんだろう。
どうでもいいから、こっち見んじゃねぇよ。オレはああいう女子が大嫌いなんだ。こそこそしながらこっちばっかり見やがって。腹が立つっての。
「ねえ、
隣りの席から身を乗り出して、親友のサムが言った。
サムはこの中学でも有名なハーフだ。成績優秀、何ヶ国語も話せて、おまけに親が大企業の社長。大金持ちのボンボンだ。
おしゃれな黒い髪に青い目をしてて、誰にでもニコニコしてる良い奴なんだ。ついでに映画俳優みたいなハンサムな顔をしてる。女子からモテるらしくて、よく声をかけられて困ってたっけ。
オレ達、小学生の頃からの親友なんだ。
オレは訳があって、小学校を一回転校した事がある。全然友達の出来なかったオレと、唯一仲良くしてくれたのはサムだった。いつも一緒につるんでんだ。
オレ達二人はちょっと危ない仕事をしている。いろんな国をめぐって、宝物を探すトレジャーハンターだ。
中学生のオレ達が仕事って、おかしな話に聞こえるかもしれねぇ。でもオレもサムも大真面目にやってんだ。大人相手にだって負けた事はない。危ない目にだっていろいろ遭ってきたけど、意外と上手く切り抜けて来られた。
オレ達、結構いいチームなんだ。
もともとはサムが双子の弟とやってたらしいんだ。遊びでやっていたやつを、いつの間にか真面目に仕事としてやるようになったんだってさ。オレはそこに混ぜてもらう形で始めた。
今はもう、弟がいなくなっちまったから、オレとサムの二人でやってるって訳。
サムは頭、オレは得意のボクシングと空手で協力してんだ。オレ達、いいチームワークしてんだぜ?
大勢の大人相手に、オレ達は二人きり。
それでも上手くやって来られたのは、サムがめちゃくちゃ賢かったのと、オレの武道の腕がいいからだ。
相手は銃を振り回して、オレ達を殺そうとしてくる。でも歴史的に重要な宝を守らなくちゃいけない。そういう仕事なんだ。
自慢じゃねぇけど、空手は黒帯、ボクシングももう通い始めてそこそこ長いんだ。どんな相手にも、オレは負けた事がない。
でもそのせいか、オレ達はクラスじゃちょっと浮いてる。オレが怖いからって、寄って来ねぇのもあると思う。別に困る事もないからいいんだけど、学校ってなんでこんなに面倒なんだろうな。来なくていいんだったら、毎日楽しく仕事してやるっての。
退屈でやる意味の分かんねぇ授業に、キャーキャーうるさい女子。遠巻きにこっちを見てくる男子に、やかましい先生達。全員が同じカッコをしなくちゃいけなくて、先生の言う事はちゃんと聞けなんて怒られる。
拷問みてぇじゃねぇか。
オレは隣りで楽しそうに笑ってるサムを見た。
こんな地獄みたいなところで、サムはいつも通り楽しそうに笑ってる。
「転校生がなんだよ」
「気にならない?」
そんなもん、どうでもいいじゃねぇか。
オレに変な絡み方して来ねぇんだったら、どんな奴でも構いやしねぇ。男子でも女子でも、なんでも好きにやってくれ。不良でも別に怖くねぇからな。
どうでもいいよ、そんなもん。
「別に」
オレはそう返事をすると、読みかけのページに目を戻した。
「その子、すっごい美人なんだって」
「ふーん」
女子か。最悪だな。
オレは女子が大嫌いだ。
やたらめったら声を掛けられて、カッコいいだのなんだの言われんのは嫌なんだよ。顔しか見てねぇくせに、オレの何が分かるってんだ。頭が空っぽで、脳ミソはお花畑なんじゃねぇか? うぜえだけじゃねぇか。
「輝は本当に女子が嫌いだよね」
「当たり前だろ」
そう返事をしたら、教室に先生が入ってきた。動きやすそうなジャージのズボンにシャツの先生は、確かにきれいな顔した女子を連れていた。
つやつやの長い黒髪に整った顔立ち、水色のセーラー服を着てる。不良なのか? めちゃくちゃ短いスカートだ。あそこまで短い奴、この学校内にはいねぇんじゃねぇかな。でも確かに美人だとは思う。
面倒くさそうな顔で黒板の前に立ってて、先生に言われて名乗った。
「
女とは思えない、低い声だった。
教室にいた奴、全員が呆然とその女子を見つめてる。妙な女だからなのか、きれいな顔をしてるからなのかは知らないけど、黙って前を見てるんだ。
どうでもいいから、オレは本に目を戻した。
ちょうどいいところなんだよ。作家がイカレた大ファンに足をぶった切られそうになってるところ。もうちょっとキリのいいところまで読んでしまいたい。
転校生の女はオレの横を通り過ぎて、後ろの席に座った。
先生がどうでもいい話をしてる。面倒だなと思いながら、オレはそれを聞き流した。どうせサムが聞いてるだろうし、いざとなったら聞けばいい。教えてくれるだろ。
むしむし暑苦しい教室は、蝉の鳴き声でうるさい。面倒な先生の声がその中でも一番耳障りだ。もうこんな温度だったら、真夏になる頃にはこんな制服を着てるのが嫌になりそうだな。
しばらくすると、先生はいなくなった。
急に賑やかになってくる教室に嫌になる。
「お前、その映画見たのか?」
後ろから声がしたけど、オレは無視した。この女も頭がお花畑らしい。こんなのの相手はしたくない。学校に来るだけでも嫌だっていうのに、何が悲しくてこんな女子の相手までしなくちゃいけねぇんだよ。
でも転校生はオレの肩を掴んで揺す振ってきた。
「おい、返事しろよ。お前に言ってんだ」
イラっとして、オレはその手を振り払うと本を閉じた。そのまま後ろを見ると、転校生が無邪気な顔してオレを見ていた。
「うるせぇな。話し掛けんな」
「いいじゃねぇか。オレ、その映画好きなんだ」
変な女子だと思った。
自分の事をオレって呼んで、男みたいな話し方をしてるから。しかもミザリーの映画を見た事があるなんて言ってやがる。そりゃ有名な映画だから、見た事があってもおかしくはない。
でも普通だったらこれくらい言ったら寄っては来ねぇんだけどな。特に女子は。
イライラしながら転校生を見てたら、サムが困った顔で言った。
「輝は女嫌いだから、話し掛けない方がいいよ」
「そうか、オレもなんだ」
長い髪を揺らして、転校生は笑顔で答えた。
マジでどうかしてんじゃねぇのか、この転校生。自分も女子じゃねぇか。女じゃなかったらなんだって言うんだ? セーラー服を着た変態か?
転校生はくるっと横を向いて、サムに手を差し出した。
「オレは太陽。よろしくな」
めちゃくちゃ困った顔をするサムを見て、オレは転校生に向かってはっきり言った。
「お前、耳聞こえねぇのか? 構うなって言ってんだ」
「なんでだよ、くりくり頭。オレが何したって言うんだ」
流石にカチンときた。
これでも気にしてんだよ。自分がすげぇクセ毛だって事。でもどうにもならねぇんだからしょうがねぇだろ? それをくりくり頭なんて呼び方しやがって、どこまでオレをイラつかせたら気が済むんだ。
でも殴る訳にもいかない。
オレは空手も黒帯だし、ボクシングだって長い間通ってんだ。こんなところで問題を起こす訳にはいかない。しかもよりによって相手は女子なんだぜ? オレだって、そこまでバカじゃねぇ。
拳を握ると、深呼吸をした。
落ち着け、こんなの相手にしたって仕方がねぇ。自分よりずっと小せぇ女、殴る訳にはいかねぇだろ。こんな華奢で細っこい女子を殴っちまったら、大問題じゃねぇか。仕事が続けられなくなっちまう。
「オレの目の前から消えろって言ってんだ」
「無理無理。オレ、存在感あるから」
腹の立つ転校生は、楽しそうに笑った。腰に手を当てて、偉そうにふんぞり返ってこっちを見てやがる。
「お前みたいな女の顔見てると、ムカつくって言ってんだよ」
途端に転校生は刺すような目をこっちに向けてきた。急にオレのシャツに掴みかかってくると、オレの事を見上げてくる。
強く低い声で転校生は言った。
「誰が女だって?」
何を言ってんだ、こいつ。
オレは目の前の小さい女子に答えた。
「お前に決まってんだろ、転校生」
急に女は拳を握った。それを真っ直ぐ後ろに引いて、オレに向けて振りかぶってきた。
どうせ、女子が打つショボいパンチだ。一発殴って気が済むって言うんなら、殴ればいい。先に手を出したのは転校生の方なんだから、軽く一発小突いても、誰にも何も言われねぇ気がする。
でもその眼には殺気が宿っていて、なんかヤバそうな気がした。こんな目、見た事がない。宝を前にした大人どもだって、こんな目を向けてきた事はねぇぞ。
少し身構えて、立っていた。
ひゅんと空気を割く音が聞こえる。顔に向かって飛んでくる小さい拳は凄い速さだ。危ないと思った瞬間に、オレは直撃を避けて体をひねった。
頬に当たった拳は、とてもこんな細い女が打ってきたとは思えねぇ重さだった。
オレと同じくらいの体重の男が殴ってきたのと大差ねぇ。でも目の前に立ってるのは、自分より頭一個分は小さい細身の転校生で間違いない。
こんな体でどうやって、こんな重いパンチを打ってきたんだ?
前の机にぶち当たって、腰をぶつけた。大きな音を立てて机が飛んでいく。どうにか立ったままだけど、結構な衝撃だ。慣れてなかったら吹っ飛んでた。普通の奴だったら脳震盪を起こして即ダウンしてるぞ。
女はこっちを睨みつけたまま怒鳴った。
「オレを女って言うんじゃねぇ。ケンカ売ってんのか、くりくり頭」
構え方はめちゃくちゃだ。殴り方も見た事ないようなフォームをしていた。どこかで何かを習ったって訳じゃないらしい。立ち姿からしても、この女はど素人の筈だ。武術の類をかじった事のある姿じゃねぇ。
びっくりして何も言えずにいたら、転校生はこっちに向かって突っ込んできた。それも凄い勢いだ。
いきなり懐に突っ込んでくるって、どんな度胸してんだ。自分よりずっとデカい男が相手なら、普通は怖い筈だろ。こんなに躊躇いもせずに突っ込んでくる奴は初めてだ。
さっと身を引いて避けたけど、女はその勢いできれいな回し蹴りを決めてきた。避け切れねぇから、腕でガードをして転校生を見た。
「てめぇこそ、人の事をくりくり頭とか言ってんじゃねぇ」
腹が立つ筈なんだよ。
クセ毛、気にしてんだから。こんな細っこい女に、めちゃくちゃ言われっぱなしで黙ったままでいるのも嫌なんだ。
でも不思議と、もうそこまで腹は立ってなかった。どっちかというと、この女と本気でやり合ってみたいんだ。相手が女だって事も分かってんだけど、でも凄いと思ったから。すげぇ面白そうだから。
ど素人がどうやったらこんなに重い拳を打って来られるんだ? 次はどんな事をしてくるんだ?って、心の底からワクワクして来るんだよ。
やっちゃいけねぇ事だって分かってんのに、止められたくなんかなかった。
転校生もさっきほど、怒ってるようには見えない。ちょっと興味深そうな顔をして、こっちを真っ直ぐ見てやがる。
「くりくりしてんだから、くりくり頭じゃねぇか」
「うるせぇ、バカ女」
オレは拳を後ろに引くと、転校生に向けて真っ直ぐ突き出す。重さもスピードもそこそこのもんだと思うんだ。多少手加減はしたけど、そう簡単には避けられねぇ筈。
それなのに、この転校生、素人の筈なのに拳をいなしやがった。
当たってるんだけど、大したダメージにはなってないだろう。手加減は必要なさそうだ。本気で殴っても、これならどうって事ないだろう。
こんな強い奴、生まれて初めてだ。
オレと違って、凄い身軽らしい。曲芸みてぇな避け方をしながら、ちょっと普通じゃねぇ攻撃ばっかり仕掛けてくる。アニメやゲームでしか見た事ないような動きをしてんだぜ? 笑えるだろ。
教室に先生が乱入してくるのが視界の隅に写った。オレ達を止めようとしてきたけど、転校生は上手にそれをかわしていく。かわしながらこっちに蹴りを入れてきやがった。
本当にすげぇ奴だよ、この女。
オレはちょっと移動しながら、転校生を一発殴った。今度はいい感じに入ったんだけど、倒れる様子はない。
「お前、強いじゃねぇか」
目の前の転校生に、オレは言った。
「くりくり頭こそ」
転校生は楽しそうに笑いながら、オレを組み伏せようとしてくる。軽いから、これを受け流すのは難しくない。拳を握って、本気で殴りつける。なかなか当たらなくて、楽しくなってきた。
体育の先生が三人も割り込んできた。
「
オレはちらっと先生の方を見てから、転校生を見た。
「だってよ、どうする?」
「くりくり頭が、女って言わねぇんならやめてもいいぜ」
転校生は面白そうに拳を握って、くるっと身をひるがえした。やめる気、全然ないじゃねぇか。まだまだやる気満々ってふうにしか見えねぇ。
オレは転校生の拳をいなした。その場で軽く二回ジャンプすると、拳を握って前を見る。
気付けば教室中が大騒ぎになってやがった。クラスの全員がこっちを囲んで、好き勝手言ってるんだ。大嫌いな筈の視線が気にならねぇのは、きっとこの女とやり合うのが楽しくて仕方がねぇからだ。
長い髪の毛が大きく揺れる。
男のオレが見てもきれいだって思うくらいだ。クラスの連中は見惚れてんじゃねぇか?
女って言われたくねぇんだったら、切っちまえばいいのに。でも切るのはもったいないと思うような、きれいな髪だと思った。ちょっと動くだけで大きく揺れるんだ。
オレはクセ毛だから、余計に真っ直ぐなその髪がきれいに見えるのかもしれない。
どれくらい、そうやって殴り合いをしてたのか分かんねぇ。
転校生がちょっと疲れてきたように見える。瞬発力はあるけど、体力はあんまりないのかもしれない。とはいえ、オレもこんな本気のケンカは初めてだ。ちょっと疲れてきちまった。
なんでこんなバカな殴り合いを始めたんだか、思い出せねぇくらいやってた気がする。
先生達がわらわらやってきて、オレと転校生の間に入ってくる。流石にこの人数に囲まれたらたまったもんじゃねぇ。しかもこんな狭い教室で、だ。
それでも向かってこようとする転校生を見て笑っちまったら、サムが飛び込んできた。
「輝、もうやめて」
オレはそれ以上殴るつもりはなかったんだけど、転校生はそうでもなかったらしい。
掴みかかってきた先生を三人を引きずって、こっちに向かって来ようとしてんだ。そんな力がどこにあるんだか。ここまでくると、尊敬しちまうぜ。
「放しやがれ。今、面白いところなんだよ」
転校生は先生達に向かってそう言った。
面白いけど、流石にこんなところでこれ以上はやれそうにない。ここから先は別の場所で改めてって事になりそうだ。
「ねえ、二人とも。もうやめてくれない? 迷惑だよ」
サムがオレと転校生を順番に見て言った。
転校生はそれを聞くなり大人しくなる。
「いいぜ、そいつがオレを女扱いしないで、太陽って呼ぶんならな」
思わず笑っちまったよ。こいつ、なんでケンカしてたのかちゃんと覚えてたんだから。その割には楽しそうな顔して向かってきやがったけど。
「お前がオレをくりくり頭って言わねぇんなら、呼んでやるよ」
オレは目の前の転校生に向かって答えた。
先生三人に取り押さえられた転校生は、オレに向かって訊いてきた。
「お前、名前は?」
「輝、風間輝だ」
「オレは桜野太陽だ」
本当に変わった奴。
でも仕方がねぇだろ、気に入っちまったんだから。
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