07

 新年早々、俺はジャメルと二人でいつもの路地裏に立ってる。

 めちゃくちゃ寒いわ。マフラー、日本に忘れて来てもた。こんな事やったら持ってきたらよかったな。

 のんびりハシシを吸いながら、ぼうっとしてるとヘッドセットからゆりの声が聞こえてきた。

「誰かそっちに向かってる」

「どんな奴?」

「若い男や。ルノくらいの背で、きょろきょろしてる」

 俺は横でいつも通り、ハシシを売ってるジャメルを見た。次の客やって言うと、ジャメルは嬉しそうに笑った。

 俺もジャメルも、ここに立つのは久しぶりや。最近は下っ端連中で十分儲けが出るから全然立ってへんってジャメルが言うてた。知らんうちに結構大物になってて、親友の俺は鼻が高いわ。

 今日はそこそこ客がおる方やと思う。さっきからそんなに時間をあけんと客が来てるから。多分バーで聞いて、ここに来るんやと思う。みんな、楽しくパーティーしてんねん。ハシシを吸いたくもなるやろ。昔と同じように、バーの裏手で立ってればいくらでも人が寄ってきた。

 俺はゆっくり伸びをすると、辺りを見回した。

 ちょっと怪しい奴が数人いてる。どいつもこいつも、そこそこ喧嘩の強そうないかつい奴や。酒を飲みながらこっちを見て、誰かに連絡を取ってる。

「ゆり、マジでエリックはいてへんの?」

「うち、鼻血せいで顔は全然覚えてへんねんけど」

「首にタトゥーがあるからすぐに分かる筈やけど」

「うーん、そんなんあったっけ?」

 全然役に立たへんな。

 俺は頭をかいて、ハシシを地面に捨てた。足で踏み潰すと、深呼吸をする。出来るだけ下を見ぃひんようにしながら、ポケットからチュッパチャップスを出した。

 大丈夫や、落ち着け。

 エリックもシモンもこのままやと全然見つかりそうにないから、外に立つ事にしてん。ジャメル一人で立たせとく訳にもいかんから、俺も一緒におるって訳や。

 ホンマは嫌やけど、しゃーない。それでも、いつも立ってた場所の中では一番キレイなところを選んでんで? あんまり人目につかんところやったら意味ないから、バーの裏なんかになってもたけど、それでもマシな方や。

 俺は包みを開けて、デッカイキャンディを口に入れた。

 ラムネの味や。俺、苺の方が好きなんやけどな。なんでもええねん。気がまぎれれば。出来るだけ、飴の事だけ考えるようにする。

 隣りで酒を飲んでるジャメルは、ちょっと楽しそうや。

「ルノ、今日はめちゃくちゃ売れるな」

「確かに。みんな新年会で吸うからやろか」

「ちょっと高めなのにな」

 そう、今日は決して安い値段で売ってる訳ちゃうんよ。あんまり人が寄ってきたら、邪魔やからな。むしろちょっと高いんちゃうかってくらいの値段やのに、みんなじゃんじゃん買いに来よる。

 ジャメルの顔があれば、質がいいって分かるからやろか。それにしたって高いと思うんやけどな。いくらいいハシシやったとしても、ちょっとボリすぎの筈やねん。

 ゆりの言うてた客が、ジャメルの事をじっと見上げる。

「ジャメルか?」

「誰かの紹介か? どちらさん?」

 ジャメルはにっこり笑顔で男に尋ねる。

 暗めの茶髪でめちゃくちゃ不健康そうな顔しとる。やせこけた感じの頬に、青白い肌。隈があるし、目がイッてる。

 男がポケットに手を入れたのを見て、俺は身構えた。

「シモンからのプレゼントだ」

 そんなに大きくないけど、ナイフや。男はそれをジャメルに向けて、勢いよく突き出してきた。

 とりあえずジャメルの服を掴むと、思いっきり後ろに引っ張った。ふらついたジャメルを無視して、前に出る。そのまま男の腕を掴むと、後ろにひねり上げた。壁に向かってそのまま男を押し付けると、辺りを見回す。

「おい、無事か?」

「おう、助かった」

 男がナイフを手放したのを確認してから、俺はジャメルに言うた。

「他に武器持ってへんか確認して」

 それから、俺は男に尋ねた。

「お前誰や? シモンとどういう仲や?」

「誰でもいいだろ? お前のせいでヤクもらえねぇじゃねぇか」

 おっと。これはどうしようもないのを捕まえてもたかもしれん。ただのジャンキーや。

 とりあえず日本語でゆりに言うた。

「ゆり、他に怪しい奴は?」

「いてへん。怪我無いか?」

「大丈夫や」

 俺は溜息をつくと男に言うた。

「シモンはどこにいてんねん?」

「ヤクくれよ」

 マジでどうしようもない奴みたいや。こんなんを寄こしてくるって、シモンってのは俺らの事を舐めとんか? ジャメル一人やったとしてもこんなんやったら、どうって事なかったやろ。

 このまま放っといてええんか悩んでたら、ジャメルが男に向かって言うた。

「教えてくれたら、オレらがシモンからヘヴンもらってきてやるよ」

「ジャメル、何を言うてんねん」

「いいから。お前がやってんの、ヘヴンだろ?」

 男は首をちょっと動かして、ジャメルの方を向いた。

「そうだ。くれんのか?」

「教えてくれるんならな」

 男は嬉しそうに言うた。

「バスティーユのグランブルーってクラブだ」

 俺は男から手を放すと、ジャメルを見た。

「知ってるん?」

「お手頃価格で酒が飲めるって、聞いた事がある」

「案内するぜ」

「いいや。必要ねぇよ」

 ジャメルはポケットから一本だけハシシを出すと、男に渡した。

「これでも吸ってろよ」

 とりあえず二人でその場を離れると、ゆりに言うた。

「場所が分かった。バスティーユのグランブルーってクラブや」

「綴りが分からん」

「ジャメルが場所知ってるって」

 俺は後ろを見た。

 さっきの男が地面に座り込んで、ハシシを咥えてんのが見える。金のほとんどをヘヴンに費やしましたって感じの顔しとる。身形もボロボロ。いかにも金なんか持ってなさそうな感じ。

「ハシシ、やらんでもよかったんちゃうん?」

「まあな。でも可哀想になっちまって」

 ジャメルはそんな事を言いながら、先を歩いた。何を考えてんのか知らんけど、ジャメルは真面目な顔で前を見てる。

「ゆり、このままそこに向かって大丈夫か?」

「ええよ、了解。今のうちにトイレ行ってくる」

 ゆりは一体何を飲んだって言うんや。さっきからトイレにばっかり行ってる気がする。別にええけど。ダンテみたいに役に立つ訳でもないみたいやから。

「おい、ルノ」

 ジャメルがこっちを見て、手を出してくる。

「何?」

「オレにも一本くれよ」

「お前持ってへんかったっけ?」

「チュッパチャップスがいいって言ってんの」

 しゃーないから持ってたやつを一本、ジャメルに渡した。味、確認せんと渡したけど、ジャメルはニコニコしながら包みを破く。口に入れると、嬉しそうに笑った。

 ジャメル、チュッパチャップスやないけど、飴やったらいっぱい持ってる筈なんやけどな。それ食ったらええのに。

 俺はそんな事を考えながら、飴でパンパンのボディバッグを見た。

 どの飴が一番効くんか分からんから、とりあえず売ってた飴がいろいろ入ってる。でも今度からチュッパチャップスだけはやめよう。これ、棒が邪魔でめちゃくちゃかさばる。

 ギャレットがちゃんと入ってんのを確認してから、チャックを閉めた。

 とりあえずメトロに乗って、バスティーユ広場の方に向かう。改札にナビゴを押し当ててそこを抜けると、ちょうどきた電車に乗りこんだ。

「今どこ?」

 ゆりの声が聞こえる。

「メトロに乗った」

「着いたら教えて」

「分かった」

 俺はドアにもたれて立つと、酔っ払いだらけの車両を見回した。どいつもこいつも楽しそうなもんや。

「ルノ、大丈夫か?」

「なんで?」

「ワイン飲むか?」

 ジャメルは笑ってこっちを見ると、肩を叩いてきた。俺、今は飲まれへんねんって言うてんけどな。いい加減、俺にいちいち言うのやめてくれ。

「いらん」

「儲かったから、グランブルーで酒おごってやるよ」

「まだ飲まれへんねんって」

 俺は面倒になりつつ、ジャメルに言うた。左の方を見ようとしたから、ジャメルが顔を覗き込んできた。

「邪魔」

「わざとやってんだよ」

 ジャメルはそう言うと、俺の腕を引っ張った。椅子の方向くように俺を立たせると、すぐ横でイチャイチャやってるカップルを見る。

「ジジ、何してっかな」

「パンツ一丁で寝てんちゃうか?」

 ドアが開いて、バスティーユって表示が見えた。

 ジャメルと二人で電車を降りて、ちょっと行ったところで立ち止まる。

「よかった」

「何が?」

「お前の横をちっこい虫が飛んでたんだよ」

 まさかそんな事になってたとは、全く気付かんかった。ジャメルは俺が気付かんように、どうでもええ事を喋りながら腕を引っ張ったって事か。

 ホッとして、俺はジャメルを見上げた。

「ありがとう」

「どういたしまして」

 バスティーユ広場に出ると、ジャメルは棒をその辺のゴミ箱に捨てた。食べんの早いなと思いながら、俺はゆりに着いたって言うた。

「今からグランブルーに向かう」

「分かった」

 ジャメルは真っ直ぐバスティーユ通りを歩いて行く。

 この辺あんまり来ぇへんけど、やけにジャンキーがいっぱいいてる気がする。みんなヘヴンやってるって言うんやろか? でもどこ見てもジャンキーがいっぱいたむろしてる。

「ジャメル、この辺こんなんやったっけ?」

「最近増えたんだよ」

「マジで? これは酷いな」

 あんな薬にハマる奴の気が知れん。なんも面白くなかったけどな。クマのぬいぐるみで遊ぶのが面白くなるくらいにはイカレた薬やと思うけど。

 俺は口の中で飴玉転がしながら、そんなジャンキー連中を眺めて歩いた。

 ちょっと行ったらすぐにグランブルーが見えてきた。分かりにくいところにあるとは思うけど、それにしてはジャンキーばっかりや。どいつもこいつも目がイカレてんねん。見たら分かる。

 グランブルーの前で、俺は立ち止まってジャメルを見上げた。

「あそこやんな?」

「そう」

 平然としてるジャメルに、俺は言うた。

「乗り込んで行くのはええけど、流石に守りながらは無理やぞ」

「何言ってんだ。オレはお前の相棒だぞ。自分の身くらいは守れる」

 確かにジャメルやったらジャンキー連中くらい蹴散らせるやろ。問題はエリックとシモンや。周りに誰を連れてるか分かったもんちゃうからな。しかもヘヴンの大元って、ミランダやダンテのおかんが絡んでくる訳やんか。

 俺はちょっと怖い。

 もしミランダがおったら? 俺が動かれへんようになったら、ジャメルが危ないんやで。俺だけやなくて、ジャメルまで危ない目に遭わせる事になる。それだけは避けやなあかんのに。

「ルノ、オレはお前に守ってもらわなきゃなんにも出来ねぇ腰抜けじゃねぇぞ」

 ジャメルはそう言うと、先にグランブルーの方に歩いて行った。

 俺は誰やねん。パリの悪魔のルノ様やろ?

 親友を一人で行かせる訳にはいかん。何のために日本から飛んできたんよ? 親友を、ジャメルを守るためやんか。その俺が怖いからって逃げててええんか?

 俺は覚悟を決めて真っ直ぐクラブの中に入った。

 ガンガン流行りの音楽が鳴ってる。チカチカ眩しい明かりが辺りを照らして、酔っ払いが奇声を上げながら踊ってた。ジャンキー連中がこっちを見てるのは、多分気のせいやない。

 前を歩くジャメルを追いかけて、俺は人をかき分けて進んだ。

 クラブの外、運河の方に向かって行くと、大きいパラソルが見えてきた。その下に、女を連れたエリックが座ってる。おしゃれなカクテルを飲みながら、ビニール袋に詰めた白い錠剤を売り捌いてる。

 エリックの周りにいる護衛をやってるっぽい下っ端連中が、こっちを見てる。大して強そうなんはいてへんけど、数が結構多い。

「よぅ、エリック。探したぜ?」

 ジャメルはエリックの前のテーブルに手をついて、低い声で言うた。

「ジャメルじゃねぇか。こんなところによく来たな」

 エリックの隣りにおった女が、俺に気付くと立ち上がってニコッと笑った。

「ルノやん」

 そいつは日本語でそう言うと、真っ直ぐ俺の前まで来た。ブルネットの髪の大嫌いな顔が嬉しそうにこっちを見てる。すらっとして見えるドレスを着てて、白いふわふわのマフラーを首に下げてた。

「ミランダ」

「何しに来たん?」

 ミランダはそう言うと、俺の耳元に口を近寄せてきた。

「大丈夫か? 顔色悪いで」

 怖いよ。めちゃくちゃ怖いですよ。人目を気にせず、座り込んで泣けたらどんなに楽やろな。

 でも俺の親友は、目の前でもっと危ない事をやろうとしてるんや。

 こんな事で泣いててええんか? 俺はそんな腰抜けになりとぅない。大事な友達を守られへんような、クソ野郎には絶対になりとぅないんや。俺はルノ様やぞ? こんな虫女なんぞに負けててたまるか。

 だから深呼吸をすると、はっきり言うた。

「心配してくれてありがとう。でもお前に用はない」

「そうか。でもこっちはあるんよ」

 ミランダはそう言うと、太もものホルスターを俺に分かるように見せてきた。そんなに大きい銃ではなさそうやけど、この女やったら平気で撃ってくるやろ。こんな狭い店の中でも。

 とりあえず落ち着かんなあかん。

 俺はちょっとごめんって一応断ってから、チュッパチャップスをポケットから出した。包みを開けて口に入れると、もう一本ミランダに見せた。

「いる?」

「おお、懐かしい。くれんの?」

「リコラのお礼や」

 ミランダは嬉しそうにチュッパチャップスを口に入れると、にこっと笑った。

「ええ事、教えたるわ」

「何?」

「あのエリックってクソガキやったら好きにしぃ。役に立たんからな。でもシモンはやめとき。ルノなんぞにどうこう出来る奴ちゃう」

 ミランダは優しい声で言うた。

「気ぃつけや。シモンはたち悪いで」

 そのままにっこり笑って隣りのテーブルに座った。そのまま見物するつもりらしい。手は出さんと見てるって事やろか?

 何にせよ、今はジャメルの方が心配や。

 俺はジャメルの横に立つと、一緒にエリックを見下ろした。

「久しぶりやん。今日も素敵な鼻血面、見してくれるんか?」

 さっきまでジャメルに向かって偉そうにしてたくせに、エリックは俺の顔を見たとたん青い顔して黙った。

 ジャメルが楽しそうに笑った。

「お前、シモンと二人してオレの事狙ってたんだろ? ルノがいたらなんにも出来ねぇのかよ」

「お前ら、見てないでやれ」

 エリックはそう言うと、目の前の下っ端連中に指示を出した。一斉にかかってくんのを見て、俺はジャメルに言うた。

「俺が相手するから、ジャメルはエリック頼むで」

 返事は待たんと、俺は一人目を殴り飛ばした。その辺にあった椅子を掴むと、それで周りの下っ端どもを軽く吹っ飛ばした。ジャメルを狙うチンピラを見て、椅子を投げつける。

 これで五人。さて、残りは何人や?

 髪の毛を後ろでまとめてくくると、辺りを見回す。

「かかってきぃや。相手したんで」

 不思議と怖くないのはなんでやろ?

 いつミランダが撃ってきてもおかしくない。いつ気が変わって、俺を連れて行こうとするか分からんのに。

 でもジャメルが一緒やったら、なんも怖くないんよ。俺はパリじゃ敵なしの悪魔でいられる。しっかり前を見て、自分の親友を信じてればええから。

「ゆり、カメラは見えてる?」

「人が多すぎてちょっと分かりづらいけど、いけんで」

「じゃあジャメルは?」

「なんか川の方で誰かと殴り合いやってる」

「分かった」

 俺はひょいっと柵を乗り越えると、一個下の階に降りた。なんかあった時のために、ジャメルから離れんように気をつける。酔っ払いカップルが悲鳴を上げて逃げてったから、ちょうどいい。

 あんまり見晴らしの良いところにおったらミランダに狙って下さいって言うてるようなもんやんか。とりあえずパラソルの影に隠れながら、下っ端どもをやっつける。

 ちらっとジャメルを確認すると、エリックを殴り飛ばしてるところやった。

「ゆり、ミランダは?」

「え? おったん?」

 全然役に立たんな。

 俺はそんな事を考えながら、目の前の男をもう一人殴り飛ばした。

 ぱっと見、もうほとんどの客が逃げ出した後ちゃうやろか。残ってんのも下っ端の下っ端って感じやし、俺に突っ込んでくるような度胸のある奴は残ってなさそうや。

 ゆっくり辺りを見回して、ミランダの位置を確認する。どうやら、さっきのテーブルのところから一歩も動いてないみたいや。マジで、こっちになんかする気はないんやな。

 ほっとして、そのままジャメルの方に向かった。

 やっぱり鼻血垂らしたエリックが、運河の前にひっくり返ってる。ジャメルが肩で息をしながら、エリックに怒鳴った。

「てめぇ、もうオレに構うんじゃねぇ」

 エリックは全然聞いてなさそうやけど、ジャメルは頭に血がのぼってて気付いてない。ギャーギャー言いながら、エリックの事を運河に頭から放り込んだ。

 コイツ、絶対風邪ひくやろな。

 俺はそんな事を考えながら、ジャメルの肩を叩いた。

「大丈夫か?」

「当たり前だろ」

 元気そうなジャメルを確認して、俺はちょっと笑った。

「寒中水泳させんのはやりすぎちゃうか?」

「ちょっと調子に乗りすぎちまったかな。ま、これでもう大丈夫だろ」

 楽しそうに笑ったジャメルの背中を叩いて、俺は思いっきり笑う。

「危ない」

 ゆりの声が聞こえて、俺はジャメルの腕を引っ張った。銃声が連続で五回聞こえてくる。でも多分、ミランダやない。ミランダやったらこんなに撃たんでも当ててくる筈やからな。

 俺はそのままジャメルを連れて、物影に走った。こんなところにおったんじゃええ的や。当たらなそうなところに隠れて、俺はジャメルを見た。

「食らってない?」

「無事」

 出来るだけ冷静にならんな。

「ゆり、誰が撃ってる?」

「電車でナンパしてきた奴やと思う。そっちに向かってんで」

「シモンか。そいつ、何人くらい仲間いてんの?」

「見た感じ、いてへん」

 俺は深呼吸を一回すると、辺りを見回した。

 セーヌ川の方に向かうとバレバレやからな。いくらド素人が撃ってるとしても、銃には敵わん。俺ら、丸腰なんやで? 流石に分が悪い。

「ジャメル、走れるか?」

「撃たれてんだぞ、何キロでも走るわ」

 とりあえずセーヌ川と反対側、バスティーユ広場の方に行けってジャメルに指を差した。俺は後ろを確認する。今のところ、シモンの姿は見えへん。

 これで八回目の銃声や。一体どんな銃なんか知らんけど、そろそろ残弾数が怪しいんちゃうか? なら今のうちに逃げやなヤバイ。

 俺は全速力でジャメルの後ろを走った。

「今のうちや、逃げろ」

 真っ直ぐ走ったら、なんかよぅ分からん、橋みたいなんが見えてきた。行き止まりやったらどうしよか、マジで不安になってきた。とにかく止まらずに走り続ける。

「待てルノ」

 急にジャメルが立ち止まって、俺の腕を掴んだ。

「撃たれたいんか?」

「前見ろ、前」

 必死のジャメルに言われて、俺は前を見た。

 見覚えのある顔が、こっちに銃を向けてる。

「やあ」

 やけに明るい声で、ジャメルみたいにデカいアジア系が笑ってる。懐かしい優しい笑顔にちょっとイラつく。めちゃくちゃごつい銃を持って、こっちにそれを真っ直ぐ向けてる。

「撃ちたくないから、逃げるのやめてくれる?」

 めちゃくちゃ笑顔で、フレッドがこっちを見てる。優しそうな顔してるくせに、銃口はこっち向いてんぞ。

「お前ら、関係あれへんやろ」

 俺は日本語でそう怒鳴った。

「全くの無関係って訳ではないんだ。それにルノ、ヘッドセットしてるでしょ? 会社が関わってくるんだったら、黙って逃がす訳にはいかないんだ」

「これは俺のもんや。会社のんちゃうぞ」

 落ち着け。とにかく時間を稼がんな。

 俺は辺りを確認する。最悪な事になんもあれへん。逃げたかったらこのクソ寒いのに、汚い運河に飛び込むしかなさそうや。流石にそれは嫌すぎる。

「でもそれ、話してる相手ってダンテくんじゃないの?」

「はあ? ダンテ?」

 なんか勘違いされてるっぽい。

 俺は両手を上げると、ゆっくりフレッドのそばまで行った。ヘッドセットを外して、つけてみろって促す。

「もしもし、君は誰?」

 フレッドは少し困った顔しながら、ゆりとちょっと話すとヘッドセットを外してこっちに返してきた。

「確かにダンテくんじゃなさそうだけど、ちょっと待ってよ。ね?」

 銃口向けてお願いしてくんな。

 コイツ、もうちょっとええ奴やと思っててんけどな。やっぱりミランダの仲間ってだけあって、どうしようもない奴やなって思うわ。優しそうな顔して、底意地悪いのは一緒やな。

 俺はヘッドセットを耳につけて、後ろをちらっと見た。

 日本語の分からんジャメルが、泣きそうな顔してるのが見える。

 そりゃ、銃口を向けられてんねんぞ。泣きたくもなるわ。しかもジャメルは何を要求されてんのかも分からんねん。きっとめちゃくちゃ怖い筈や。

 でもこのままここで止まってたら、イカレたシモンが銃を持って追いついてくるかもしれん。

 深呼吸をすると、目の前のデカい銃を見た。

 マシンガンみたいな大きいやつや。多分、弾数も相当あると思う。こんなもん撃たれたらたまったもんやない。間違いなく死ぬ。そんなん嫌やぞ。

 フレッドが自分のヘッドセットに向かってなんか喋ってんのを見て、俺は動いた。

 銃身を横から掴むと、橋の方にそらした。そのままフレッドの腹を蹴っ飛ばすと、銃をひったくってジャメルに怒鳴った。

「行け」

 俺はそのまま銃を構えると、フレッドに向けたまま後ろにゆっくり歩いた。フレッドは地面に転がって、痛そうに悶えてる。それを見ながら、出来るだけ冷静に考えた。

 フレッドは見た目ほど強くない。ただの筋肉って感じがする。ヴィヴィアンの方がよっぽど怖い。いくらデカくても、この程度やったら俺一人でもどうにか出来る。怖くはない。

 階段をいくつか上がったところで、シモンが近づいてきた。俺は迷わずシモンの足元に銃を向けた。引き金を引いたけど固い。弾が出ぇへん。これどこにセーフティーあんねん? ヤバイ、全然分からん。

「撃つぞ。そこで止まって、銃を運河に捨てろ」

 必死で怒鳴ると、シモンは止まった。俺が銃を向けてんのに気付いて、シモンはめちゃくちゃ悔しそうな顔をする。でも撃たれたくはないんやろ。黙って運河に銃を投げた。

「ちょっと、それうちのやぞ」

 シモンに向かって、ミランダが怒鳴った。どうやらミランダの持ってたやつをシモンが持ってたって事らしい。って事は、ミランダは丸腰ちゃうんか?

 チャンスやと思って、俺はくるっと後ろを向くと階段を上がろうとした。どうせ撃たれへんねん。こんなお荷物捨てて行こうと、俺はマシンガンをその辺に放り出した。

 でもジャメルは、すぐ目の前で止まったまま。

「おい、何やっとんねん」

 前を見ると、誰かが立ってた。小さい銃をジャメルに突きつけて、真っ直ぐこっちを見てる。

 ドちびっこい女や。

「あら、ルノが一緒だったの」

 ダンテにそっくりな顔が、俺の事を見てにっこり笑う。ケイティや。ケイティがいてる。

「ねえ、煖はどうしてるの?」

 ダンテの話やと、この人、母親らしくない事ばっかりするんちゃうかったっけ? その割にはえらい必死そうな感じするけど。俺に向かって、めちゃくちゃ真剣に言うてくる。

「お願い、教えて」

 足元に捨てたマシンガンを見たけど、すでにミランダがそれを拾い上げたところやった。

 俺が外されへんかったセーフティーを一瞬で外して、銃口を真っ直ぐこっちに向けてくる。

「フレッド」

 ミランダはフレッドを呼ぶと、俺のボディーチェックをするように促した。そんなんせんでも丸腰や。飴しか持ってへんぞ。

 うんざりしながらフレッドを見てたら、フレッドは飴でパンパンのボディバッグまで開けた。おかげで持ってた飴ちゃん、落ちたやんけ。

 地面に散らばるキャンディを見て、シモンが急に笑い出した。

「ガキかよ」

 フレッドはバッグの中のギャレットに気付くと、優しく笑ってチャックを閉めた。

「大丈夫、何も持ってないよ」

 とられてもおかしくないのに、なんも言わへんねん。思いっきり笑われてもおかしくなかった。見んかった事にして、そっとしといてくれるらしい。そういうとこばっかり、優しくしてくれるみたいやわ。

 シモンは歩いてくると、俺の事を殴った。ド素人にしてはやる方なんやろけど、ヴィヴィアンのせいでなんとも思わん。ちょっとは痛いけど、殴られ慣れすぎて大した事ない。別に何とも思わんかった。

「なんや。こんなもんか?」

 俺はシモンに尋ねた。

「よくもやりやがったな、殺してやる」

「やれるもんならやってみぃや」

 シモンは鬱陶しそうにミランダを押しのけた。命知らずって、こういう事を言うんやろな。俺やったら銃を持ってる相手にそんな事しようとは思わんけどな。

 当然やけど、ミランダは銃でシモンを派手に殴りつけた。

「触んなクソガキ」

 ミランダは訛りのないフランス語で、はっきりそう言うた。

 そう言えば、この虫女はフランス語が分かるんやっけ? でも、これは分かるとかそういうレベルちゃうぞ。ペラペラやんけ。ヴィヴィアンよりちゃんと喋れんちゃうんか?

 俺はぎょっとしながら、目の前のミランダを見つめた。

 フレッドは地面に落っこちた飴を一つ拾い上げると、包みを剥がして口に入れた。めちゃくちゃ美味しいみたい。俺はまだそれ、食べてないから分からん。でもちょっと気になるくらい、嬉しそうな顔しよる。

「お、これ当たりだ」

 何が当たりなんか知らんけど、フレッドは嬉しそうに飴を舐めながら近寄ってきた。

「じっとしててね」

 そう言うと、先にガタガタ震えるジャメルを後ろ手に縛った。太い結束バンドをちゃんと持っとる。どうやら人を縛る事に関しては慣れてるらしい。自信満々って感じがする。

 どうしようか。

 このまま二人仲良く捕まるのは避けやんな。俺まで捕まってもたらなんも出来ひんようになってまう。今回は誰も助けに来ぇへんねんぞ。どんな目に遭うか分かったもんやない。

 だからって、親友を見捨てて逃げられるか? そんなん絶対に嫌やぞ。諦めんな。絶対二人で逃げるんや。

 でも仮に殺すつもりやったら、とっくにやってんちゃうか? わざわざ縛ったって事は、連れて戻りたいって事やろ? どうやら狙いは俺やなくてジャメルみたいやんか。もし俺が狙いなんやったら、先に俺を縛る筈や。

「ルノ、逃げられてないの? 返事して?」

 ヘッドセットからゆりの声が聞こえてくる。

 ああ、うるさいな。ちょっと黙っててくれ。

 ミランダが俺に銃を押し付けた。

「何考えてんか知らんけど、変な事したら撃ち殺す。手ぇ上げて」

 しゃーないから、俺は大人しく両手を上げた。ミランダにやられて額から血を流したシモンが、悔しそうにこっちを睨んでる。ミランダが怖くて寄っては来られへんみたいや。

 なんでもええから時間を稼ごう。

 俺はミランダに向かって言うた。

「この棒、捨てたいんやけど」

「ええよ」

 棒だけになったチュッパチャップスを口から出して、ズボンのポケットに押し込んだ。それから次の一本を出す。ミランダの前で包みを剥がしてたら、ケイティが言うた。

「ねえ、煖はどうしてるの?」

「元気やで」

 とりあえずそう答えて、俺はコーラ味のキャンディを口に入れた。包み紙をポケットに押し込んでたら、ミランダが俺の胸に銃口を押し当てた。

「ちゃんと答えて」

「元気やって言うてるやんか。支部長と遊んでんちゃうか?」

 嘘やないからな。日本でお正月休みをエンジョイしてる筈や。支部長もヴィヴィアンも家にいてるんやろし、多分幸せにやってる筈や。

 場所さえ言わんかったら大丈夫の筈。

 それに、なんでか知らんけど、今は気分がええんよ。全然怖くない。死ぬかもしれんのに、怖くもなんともない。平気でヘラヘラしてられんのはジャメルが一緒やからや。そのジャメルは泣きそうな顔しながら、ダンテのおかんに怯えてるけど。

「煖と話したいの。何もしないって約束するわ。教えてちょうだい」

 なるほど、ダンテの情報がほしいから、俺に変な事して来ぇへんのちゃうか?

「ジャメルを放して。ちゃんと逃げんの確認するまで、絶対なんも言わん」

 ミランダが引き金に指を掛けた。

「殺すぞ」

「殺したらええやんか。ダンテの事、知りとぅないんやったらやればええねん」

 実際、虫食えって言われるより、死ねって言われる方がよっぽどマシや。怖くもなんともないわ。

 俺はケイティとミランダを、順番に眺めた。

 どっちもめちゃくちゃ悩んでるような顔をしてたけど、すぐに決めたらしい。ジャメルに向けてた銃を下ろして、ケイティが言うた。

「分かった。いいわ、逃がしてあげなさい」

 怯え切ったジャメルに、俺は言うた。

「大丈夫やから先帰ってて」

「行ける訳ねぇだろ?」

「じゃあ駅で待っててぇや」

 俺は出来るだけにっこり笑って見せると、ええから行ってって言うた。

 ジャメルはこっちを見ながら、ゆっくり階段を上がって行った。

「待ってっからな」

「おう」

 ジャメルがちゃんと行ったのを確認して、俺はダンテのおかんを見た。

「何が知りたい?」

「あの子は今、どこで何をやってるの?」

「ちょっと待ってや」

 俺はそう言うと、ヘッドセットの電源を切った。

「ゆり、ちょっと電話するから、一回切んで?」

「ええ? ちょっと待ってぇや」

 俺は気にせずゆりの通話を切って、ダンテに電話を掛けた。

 流石はダンテ、すぐに電話に出た。

「もしもし、ダンテ? ケイティがどうしてもダンテの事知りたいみたいやねん」

「ちょっと待って、どうなってんの?」

「説明すると長くなるんよ。俺、このままやったら殺されそうやし、電話変わってええ?」

「えっ? ルノ、大丈夫なん?」

「今のところ大丈夫」

 俺はそれから、iPhoneをケイティに渡した。

「はい」

 ケイティは電話を耳に当てると、もしもしって言うた。泣きそうな顔しながら、電話に向かって言うた。

「煖、大丈夫? 怪我してない?」

 ミランダの方を見たら、ちょっと嬉しそうな顔をしてた。

 俺が変な事を言うより、ダンテに言うてもらった方がええやろ。ダンテやったら上手に言うてくれんちゃうの? 運がよかったら、この隙に逃げられるかもしれんし。

「そう、よかった。無事なのね」

 ケイティはそう言うと、両手でiPhoneを持って泣き出した。

「どこにいるの? 何してるの?」

 俺は様子を見ながら、辺りを見回した。

 すぐ横でフレッドが飴を拾ってる。なんか、よぅ分からん奴や。こいつもケイティも、どうって事なさそう。逃げるのに、困る事はないやろ。でもミランダの方がこっちから目ぇ離してくれそうにない。

 ケイティがちょっとつらそうな顔をした。

「そう、分かったわ」

 何が分かったんか知らんけど、寒いな。運河を眺めながら、俺はキャンディを口の中で転がした。

「お願いがあるの。嫌ならそれでもいい。ルノには何もしないって約束するわ」

 ケイティがこっちを見ながら、ダンテに言うた。

「ときどき、あなたと話がしたい。電話じゃなくてもいい、メールでもいいの。ダメかしら?」

 この人、ダンテが言うてたような感じせぇへんな。ダンテの事を心配してるみたいやし、無理にどうこうしようって感じやない。ホンマにただ、話がしたいって言うてるように感じる。人の親やったら、それくらいはしたいよな。

 俺かて、ジャンヌと離れっ放しになるのは嫌や。そりゃ一生一緒におりたいなんて、言うつもりはないけど。でもジャンヌがちゃんと一人立ちしたとしても、たまには会いたい。電話もしたいし、メールもしたい。

 それくらいは当たり前の事やと思う。

 何回か頷くと、ケイティは電話をこっちに返してきた。

「ルノ?」

「ダンテ、どうやった?」

「あとで話すから、そこから離れて。大丈夫やから」

 俺は短く分かったって返事すると、そのまま階段を上がってバスティーユ広場に向かった。

 ミランダが銃を向けてきたけど、ケイティが止めてくれた。その横を抜けて、俺は真っ直ぐメトロの駅に向かう。フレッドもミランダも追って来ぇへんかった。

「ルノ、怪我はない?」

「シモンに一発殴られただけ。大丈夫や」

 俺はちょっと走りながら、メトロの改札に向かった。ちょうど改札のところで情けない面ぶら下げて、ジャメルが突っ立ってんのを見つけた。

「ジャメル、大丈夫か?」

「ルノ」

 俺はジャメルが無事なんを確認すると、電話に向かって言うた。

「ジャメルも大丈夫。合流出来た」

「よかった。いきなり電話してくるからびっくりしたやんか」

 ジャメルは後ろ手に縛られたまま、ガタガタ震えて立ってる。ちょっと笑いながら、俺はジャメルが持ってた小さいポケットナイフで結束バンドを切った。結構きつく縛られてたみたいや。手首に赤い痕がついてた。

「エリックとシモンだけやったらこんな事にはなってへんかってんけど、ポルトの連中が出てくるから。ごめんやで」

「ゆりちゃんからや。めちゃくちゃ心配してるやんか」

「謝っといて。今からジャメルんち帰るわ」

 とりあえずナイフをジャメルに返した。泣きそうになってるジャメルの背中を叩いた。

「ダンテのおかん、なんて言うてた?」

「どこにいてるか訊かれた。オレは今、幸せやから邪魔せんといてって言うたったで」

 そんな事を言うてるとは思いもせんかった。

「メールしたる事にしたん?」

「メールだけやで」

 俺はちょっと笑うと、ジャメルと一緒に改札を抜けた。そのまま真っ直ぐルーブル美術館方面に行く電車に乗り込む。

「じゃあ後でな」

 俺は一旦電話を切ると、目の前でうるうるしてるジャメルに言うた。

「お前、ビビりすぎやろ」

「なんで平気なんだよ? 銃だぞ銃!」

「撃たへんって分かってたからな」

 ジャメルと一緒に空いてる椅子に座ると、情けないその背中を叩いて笑った。

「姉ちゃんに慰めてもらえば?」

「そうするよ」

 まだ震えてるみたいやったから、俺はポケットから最後の一本を出してジャメルに渡した。チュッパチャップス、これはラムネ味や。

「これ食っとけ」

 それにしたってビビりすぎやろと思いつつ、キャンディを咥えた親友を眺めた。

 デッカイ図体してるくせに、ホンマに怖がりやな。ジャメルがこんなんなってんの、初めてみた。今にも泣きそうな顔して、怯えてんねんもん。もう大丈夫やって言うのに。

「怖かった」

 ジャメルはそんな事を言うと、くっついてきた。しゃーないから、背中を撫でたると、ジャメルはぐすぐす泣き出した。びっくりして、顔を覗き込むとめちゃくちゃしんどそうな顔してた。

 マジで怖かったんや。

「もう大丈夫や。帰ろ」

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