スタートリガー社の工作員達 続編03

桜井もみじ☆

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 いとこのモネが、車を出してくれた。

 こいつんところに、昔はよく預けられてたんよ。おとんの遠い親戚やって聞いた事がある。そのせいか、こいつとはどことなく似てるって言われる事が多い。

 性格も趣味も、全然違うんやけどな。

 せっかくやからと思って、ちょっと遠いけど親の墓参りに行ったんよ。ジャメルと二人で。行きたかった訳やないけど、なんとなく暇やったんよ。一応、姉ちゃんやジャンヌって事になってる誰かが一緒に埋葬されてる訳やし。

 そしたらたまたま、モネが誰かの墓参りしてたところに鉢合わせした。

 なんでもクリスマス休暇でパリに戻ってたんやって。で、ちょっと話したんよ。今、日本に住んでる事とか、パソコンの学校行ってる事とか。

 でもそろそろ空港までゆりを迎えに行かんなあかんって、そう言うたら車出したるからちょっと話そうって。

 でもその割に、モネはジャメル見て怯えてたな。

 話したら悪い奴ちゃうって分かってくれたみたいやけど。

 それにしても、モネはなんでこんなええ車に乗ってるんや。ポルシェやぞ、ポルシェ。赤いポルシェに乗っとんねん。びっくりしてんけど。

 俺、そもそもスポーツカーなんぞに乗った事あれへんからな。ちょっとテンション上がって、助手席に乗せてもらってる。いつもと一緒の筈のパリの街が、なんかめちゃくちゃきれいに見えるわ。

 後ろの席で楽しそうに笑ってるジャメルが、供え物のワイン片手に楽しそうや。

「今日来るっていうのは、日本のお友達?」

「せや。ゆりっていう、ちょっとアレな女や」

「アレって、太陽みたいな?」

「あそこまでちゃうけど、まあそう」

 俺は外を眺めながらそう返事した。

 流石に免許持ってへんのに、運転さしてくれとか言われへんからな。あとで、止まってる時にでも、運転席に座らせてもらおう。写真撮って、フェイスブックに載せるんや。

 ちょうど飛行機が見えてきたところで、俺は後ろを向いた。ジャメルが飲んでるワインを分けてくれって言うて、ボトルに口をつけて飲み込んだ。

 ジャメルが買えって言うから買ったけど、なかなかやな。美味しい、悪くはない。

 墓参りかて、やろうって言い出したんはジャメルや。姉ちゃんの墓を見に行くとか、アホな事を言うたんよ。姉ちゃんやったら日本で楽しくやってるって分かってるくせに、何を考えてんかさっぱり分からん。

 で、墓参りなんやから、供え物がいるとか言い出したんよ。その辺に生えてる花でよくない?って言うてんけど、あかんって怒られた。ジャメルに連れられて、花屋と酒屋に行ったって訳。

 まあそのおかげでモネに会えた訳やけど。

 空港の駐車場に車を止めて、モネは言うた。

「お迎え、行かんでええの?」

「待ってぇや。俺、運転席で写真撮る」

「待ってるんじゃないの?」

「待たせとけばええやん」

 モネに怒られながら、俺は車を降りると運転席側に回った。

「写真撮るだけやから、ええやろ?」

「それくらいさせてあげるから、女の子を待たせちゃダメだよ」

 モネに怒られて仕方なく、俺はジャメルにそこから動くなって言うてターミナルの方に向かった。広い空港を歩きながら、俺はラインをチェックした。まだゆりからのメッセージは来てない。

 とりあえず、入国窓口の近所でぼうっとしてる事にしよう。いまどこってメッセージを送ってから、俺は壁にもたれた。顔を上げたらちょうど、スーツケースを転がしたゆりが出てきた。

「ゆり」

 俺はゆりに手を振った。

「ルノ、おった」

 ゆりはホッとした顔で近寄ってくると、きょろきょろ辺りを見回した。

「あれ? ジャメルさんは?」

「いとこの車に置いてきた」

 俺はゆりのスーツケースを引っ張って、ポルシェのところまで歩いた。

「いとこって、誰? なんでそんな人と一緒におんの?」

「墓参りしてたら会った」

 赤いポルシェが見えてきたところで、俺は言うた。

「あれ、ヤバくない? いとこの乗ってた車、ポルシェやってんけど」

「何それ、ボンボンなん?」

 ゆりは不思議そうに車を眺めながら、近づいて行く。おっかなびっくりって感じやったけど、後ろの席にジャメルがおるのに気付くとホッとした様子で手を振った。

 ポルシェのところまで戻って、俺はモネに言うた。

「ほら、連れてきた。ええやろ? 写真撮らせろや」

 モネはさっと車を降りると、ゆりに手を差し出した。

 ちょっとカタコトの日本語で、ゆりにちゃんと挨拶する。

「はじめまして、モネです」

「日本語喋れんの?」

 ゆりがめちゃくちゃびっくりしてんのを放置して、俺はジャメルに言うた。

「なあ、写真撮って」

「いいぜ。あとでオレも頼むぞ」

 俺は運転席に座って、ハンドルを握ると思いっきりピースした。めっちゃいい気分。こんなん嬉しすぎる。カッコええなぁ、スポーツカー。

「ゆりです。よろしく」

「ルノのいとこです。日本語を使うのは久しぶりです」

「そうは思えんくらい、ペラペラやん」

「ありがとう。どうぞ、よろしくお願いします」

 モネがゆりの小さいスーツケース積んでる間に、今度はジャメルの写真を撮った。調子に乗ってカッコつけてるジャメルの横顔を撮ってたら、ゆりが来た。

「この車、モネのなん?」

「もう一度お願いします」

 困った顔をするモネを見て、俺はゆりに言うた。

「ゆり、関西弁通じんぞ」

「あ、そっか。この車はモネの物?」

「これは父の物です」

 モネはニコニコしながら、ゆりと話してる。ちょうどええから、俺はジャメルと二人で車の前に並んで写真を撮った。調子に乗って、二人で変な顔をしてたら、こっちを見たゆりが吹き出した。

「ちょっと、なんちゅう顔してんねん」

 アホな顔してるところ、モネにまで見られてんけど。ちょっと恥ずかしいな。二人に笑われてんねんけど。そんなに笑わんでもええやん。

 でもジャメルはそれを、めちゃくちゃ楽しそうに笑うんよ。コイツ、恥って言葉を知らんのか? ちっとも恥ずかしそうにせぇへんねん。

 俺だけ赤なってる気がする。なんでや?

 とりあえず助手席はゆりに譲って、俺は後ろにジャメルと二人で座った。

「どこに滞在するんですか?」

 ゆりに向かってモネは尋ねた。

「ジャメルさんの家」

 俺は身を乗り出すと、モネに言うた。

「ルーブル美術館の近所。近くまで行ったら言うから、運転頼むわ」

「ジャメルはそんな良いところに住んでるの?」

「せや。凄いやろ」

 楽しそうに笑うジャメルと二人で、俺はワインを回し飲みしながら笑った。流石に、ここにワインを溢したら怒られそうやから、めちゃくちゃ気をつけて飲んでる。

 でもええ気分や。だってポルシェやで? スポーツカーで酒飲むとか、最高すぎん? 俺、めちゃくちゃ嬉しいんやけど。

「ゆりさんはどこの出身ですか?」

「奈良。関西って、分かる?」

「私、法隆寺に行った事があります」

「おお、奈良行った事あるんか。凄いな」

 ゆりはニコニコしながらモネに言うた。

「ルノとちょっと似てる」

「そうですか? ありがとうございます」

 ゆりはええかと思って、俺はジャメルを見た。

「なあ、シモンの連れって見たか?」

「いや。空港にも墓の方にもいなかったな」

「そうか。狙ってきてくれたらやりやすいんやけどな」

 ボトルをジャメルに渡して、俺は外を眺めた。何もないから、見てても面白い訳ちゃうんやで? でもやっぱりポルシェから見える景色は全然違う気がする。なんか、めっちゃいい気分。

 ジャメルが楽しそうにモネに向かって言うた。

「モネは『ちちなし』って知ってるか? いい女にはそういうらしい」

「そんな日本語、聞いた事ないけど」

 ジャメルは嬉しそうにゆりに言うた。

「ちちなし、愛してる」

「ジャメルさん、それ意味ちゃんと分かってるんか?」

「教えてない」

 俺はゆりに返事すると、ジャメルの肩を叩いた。

「今度姉ちゃんに会ったら、あばずれ、乳なし、ド淫乱って言うたれ」

 そしたら急にモネがこっちを見た。

「ルノ、ジジに会いに来てたんだと思ってたけど、お姉さん他にもいたっけ?」

「ああ、日本やと親しい年上の女に姉ちゃんって言うんや」

 危ない危ない。姉ちゃんが生きてる事、モネは知らんねやった。姉ちゃんの事は隠しとかな。気をつけよう。

「ルノ、もう一回頼む」

「あばずれ、乳なし、ド淫乱」

 ゆりがめちゃくちゃ心配そうにこっちを見る。

「殺されんで」

「いやいや、日本語をちゃんと勉強するんやったらこういう言葉からやろ」

 姉ちゃん、言われ慣れててなんとも思わんのちゃうか?

 俺はそんな事を考えながら、ジャメルに絶対必要なさそうな日本語を教える。

「ええか、手を繋いでほしい時は『ドスケベ、パンツ脱いで股開け』って言うんやで」

「それ、どういう意味なんだ?」

「あなたの白い手に触れたいや」

 流石にこんな下品な日本語、モネは知らんみたいや。不思議そうな顔をしながら、ゆりに尋ねる。

「ドスケベってどういう意味ですか?」

「うーん、エッチな人に言う言葉やろか」

「エッチって、なんですか?」

 ゆりがくるっとこっちを向く。

「おい、ルノ。フランス語で説明しぃや」

 ちょっと怒ってるんか、ゆりは赤い顔してこっちを見てる。

「嫌や。ゆりこそ、日本人やったら日本語で上手に説明しぃや」

「ルノには出来るんか?」

「最高にエロい女に対して言う言葉やろ」

「エロいって、なんですか?」

「そんなもん、裸の女の事やんか」

 ゆりが冷たい目をこっちに向けてくる。

「何ぃや?」

「いや、相変わらず最低やなって思っただけ」

 ジャメルが不思議そうにこっちを見てる。日本語、もっと覚えてもらおか。日本に帰って、姉ちゃんがどんな顔するか、楽しみや。

 俺はジャメルに言うた。

「キスしたい時は『早よパンツ脱げ』や」

「キスさせてくれになるのか?」

「ちゃう。その口唇に吸い付きたいや」

 ジャメルは姉ちゃんに言うんやとか言いつつ、めっちゃ真面目にぶつぶつ言うてる。前の席でドン引きって顔をこっちに向けてるゆりは、溜息をつくとモネに覚えたらあかんって注意した。

 そりゃ、こんな下品な日本語、おばちゃんが知ったら怒るやろな。でも、モネも俺と同じ、二十やぞ。いい加減、俺なんぞから日本語を教えられたらあかんって覚えるべきや。

 パリまでたっぷり時間を掛けて、俺はジャメルに日本語を教えた。

 ジャメルはノリノリで訊いてきた。

「おいルノ、エッチしたい時はなんて言うんだ?」

「それは『おいデブ、デカいケツこっち向けんな』や」

「どういう意味だ?」

「あなたの体に触れたいや」

 姉ちゃん、キレるやろな。楽しみや。

 前の席で笑ってるゆりが、こっちを見た。

「ルノ、それいつ使うねん」

「姉ちゃん褒める時やろ」

 実際、姉ちゃんにはそれくらいでちょうどええと思うけど。

 俺はそんな事を考えながら、指を差した。

「モネ、次の角を左な」

「デブって、太ってる事じゃなかった?」

「おお、お前覚えてたんか」

 俺はモネを褒めながら、道を伝えた。

 適当な大通り沿いのところで、車を止めてもらった。

 どうせここからすぐやし、この先は道が狭いからな。ぶつけたら怖いし、車やったらここでいいよって言うた。俺は助手席のドアを開けて、ゆりに手を出した。

「そこ、段差あんで」

 ゆりはちょっと楽しそうに笑いながら、俺の手を払いのける。

「結構や。ルノ、酷すぎるやろ」

「ありがとう。嬉しい褒め言葉や」

 思いっきり笑いながら、俺はジャメルと一緒にゆりのスーツケースを下ろした。

 モネが運転席で、ニコニコしながら言うた。

「ルノ、オレしばらくパリにいるから、また話そうよ」

「時間あったらな」

 モネに手を振って、赤いポルシェを見送る。

 時間あったらええんやけど。

 でも、あんまり俺と一緒におるところなんか、見られへん方がええんちゃうやろか。俺もジャメルも狙われてんねんから。何があるか分からん。下手にモネまで巻き込まん方がええやろ。

 ゆりのスーツケースを引っ張りながら、俺はジャメルとゆりの後ろを歩いた。

「ゆり、はよぱんつぬげ」

「ジャメルさん、それ言わん方がええで」

 困った顔でこっちを見てくるゆりは無視して、俺は夕飯のメニューをゆっくり考えてた。

 そういや、牛乳残ってたな。グラタン作ろっかな。マカロニ余ってた筈やし、ちょうどええかも。ジャメルんちにはオーブンあるし、作れる筈や。器あるかな?

「おいジャメル、先戻ってて」

「どこ行くんだ?」

「買い物してくるわ。夕飯の材料、買ってくる」

「頼むぜ」

 ゆりにも買い物行ってくるとだけ伝えて、俺はささっと近所のモノプリに向かう。

 スーパーなんやけど、歩いてすぐのところにある。日本みたいにいろいろテイクアウト出来る国やないからな。作らな美味しい物は食われへん。ジャメルはいっつもそこで総菜買ってるみたいやけど。

 とりあえず街をのんびり歩きながら、俺はモノプリのある駅を目指した。

 グラタンに何入れようかな。じゃがいもは使いきれるか自信ないな。にんじんはあったから、あと何がええやろ。

 考え事をしてたら、後ろから肩を叩かれた。

「ああん?」

 振り向いたら、ミランダが立ってた。

「ルノ、ちょっとええか?」

 ヤバイ。超ヤバイ。

 一瞬息が出来ひんようになる。苦しくて、頭も真っ白になった。胸がやけにデカい音を立てて脈を打ってる。

 またちゃんと息が出来てないんかもしれん。苦しくて、立ってんのがつらくなってきた。はあはあ言ってるのが自分で分かる。

 どうしよう。

「落ち着いて、なんもせぇへん。うちは丸腰や」

 ミランダは急にそう言うと、俺の手を掴んで引っ張った。ホンマに敵意はないんかもしれん。ちょっと心配そうな顔でこっちを見てる。

 何回か、ゆっくり背中をさすられた。それが怖くて、胸がぎゅっと苦しくなる。

 逃げやんなあかんのに、逆らわれへんのはなんで? 逃げやんな、何されるか分からへんのに。

「ちょっと、ルノ」

 ミランダは俺の顔を覗き込んで、優しい声で言うた。

「訊きたい事があるだけや。なあ、落ち着いて」

 背中を何度かさすられて、大丈夫って言われる。

 実際、こんな人のいっぱいおるところでなんかして来ぇへん筈や。一人みたいやし、面倒になる筈やから。俺の事を捕まえようと思ってたんやったら、もっと人のいてへんところで声をかける筈。

 俺は深呼吸をした。出来てなさそうやけど、それでもなんとか深呼吸をした。怖いけど、必死で押し殺してミランダを見る。

 手がめちゃくちゃ震えてる。

「飴ちゃん、食べへんか?」

 ミランダは急にそう言うと、ポケットに手を入れた。黄色い箱を出すと、飴を一つ俺の手にのせた。自分も同じ箱から飴を出して口に入れる。

「ほら、大丈夫。毒とか入ってない」

 虫、食べたくない。怖い。

 ちゃんという事きかんな、何されるか分からん。

 俺は口に飴を入れた。甘くて、ちょっといい匂いがする。何の飴かは分からんけど、美味しい。ミランダは俺の方を心配そうに見ながら、大丈夫ってまた言うた。

 ちょっとだけ、息が楽になった気がする。

「俺に何の用?」

 どうにかミランダに尋ねた。

「ダンテは一緒ちゃうんか?」

「なんで?」

「ケイティさんが心配してるんよ。ダンテはどうしてんの?」

「元気にしてる。だからもう構わんといて」

 めちゃくちゃ情けない事に、声がカスカスで震えてる。

 ボディバッグの中のギャレットを、抱けるもんなら抱きたい。ついでに、今すぐダンテにしがみついて泣きたい。誰か助けてって言えたらええのに。

 精一杯強がりを言う事しか出来ひん。

「ごめんな。しんどいか?」

「分かってんねやったら、なんで話しかけてくるん?」

「どこにいてるんか教えてくれたら、もう行くから」

 ミランダは俺の事をじっと見てる。

 俺は荒い息を必死で誤魔化しながら、涙を堪えた。大丈夫って自分に言い聞かせて、何回も深呼吸した。

「言うたらどうするん?」

「探しに行くよ。それが仕事やからな」

 教える訳にはいかん。

 それくらい、俺にだって分かる。

 ダンテが危なくなる。確かに普段は支部長やヴィヴィアンがついてるけど、一人になったらあかんのは息が詰まる。俺、もうあんなん嫌や。ダンテかて嫌な筈や。

 俺は誰やねん?

 パリの悪魔で、パトカーに火炎瓶投げつけ、ポリ公ぶっ飛ばしたルノ様ちゃうんか? こんなに情けない悪魔がおってええんか? あかんに決まってるやんか。

 しっかりせぇ。

「言われへん」

 ミランダの目を見る事なんか出来ひんかった。下向いて、必死で震えを抑え込もうとする。足までガクガクしてきた。

 でも嫌や。

 怖いからって、友達を売るような真似だけはさせんといてぇや。

 自分が最低な事くらい分かってる。毎回違う女と寝て、相手の顔も名前も人数すらも覚えてない。喧嘩して、いろんな奴を病院送りにもしてきた。小学校何回もクビになって、パリの街角でハシシを売るようなどうしようもない奴。それが俺。

 最低最悪、マジでクソみたいな男や。

 でもこれだけは譲れへん。

 いくら最低でも、友達を売るようなクソ野郎にだけはなりたくない。友達の情報を売って、自分が助かるような事だけは絶対にしたくない。

 ダンテの事を話すくらいやったら、虫食って死んだ方がええ。

「ダンテは元気や。それ以上の事、絶対に言われへん」

「そうか。分かった」

 顔を上げると、ミランダが笑ってこっちを見てた。

「ルノ、病院には行ったか?」

「なんで?」

「それしんどいやろ? 過呼吸っていう病気やで」

「病気?」

「心の病気や。薬でよくなるかもしれんから、一回診てもらった方がええよ」

 ミランダは黄色い飴の入った箱を、俺の手にのせた。

「またなったら、飴ちゃん食べ。ちょっと楽になる筈や」

 リコラや。スイスの飴で、ハーブが入ってるんちゃうかったっけ? 姉ちゃんがたまに食べてた。見た事ある箱や。

 ミランダはじゃあなって手を振ると、さっと人ごみに紛れて消えて行った。一瞬で見つからんようになってもた。追いかけたくなんかないから、別にええけど。

 俺は黄色い箱をポケットに入れると、急いで電話を掛けた。ダンテにどうしたらええって言わんなあかん。ダンテのおかん、まだダンテの事を探してるって言わんなあかん。

 震える手でどうにか通話を押す。

 ダンテはすぐに電話に出た。

「もしもし、どうしたん?」

 ちょっと眠そう。時間の事、考えてなかったけど大丈夫やろか。でも今言わんなあかん。

「ミランダに話しかけられた」

「今どこにいてんの?」

「ジャメルんちの近所」

「なんて言われたん?」

「ダンテはどこにいてんのって。ダンテのおかん、まだダンテの事探してるって」

 必死で、何があったか話した。

 思い出せる限り全部、ちゃんと言うたつもりや。リコラを俺に渡して、どっかに行ったって、ちゃんと言うた。

「ルノ、それ食べてんの?」

「ミランダも目の前で食ってた」

 ダンテはちょっとあきれてんのか、困った声で笑った。

「それならええや。その飴と箱、こっちに郵送して」

「なんで?」

「念のため調べてもらうから」

「でもただのリコラやで? 日本でも同じの売ってんで。見た事ある」

「じゃあ箱だけはとっといて。念のためや」

 ダンテに言われて、俺はポケットから黄色い箱を出した。マジで、こんなん置いとかんなあかんの? ただの飴やと思うんやけどな。

 でも確かに、今はあんなにしんどかったのに元通りや。ちゃんと息出来てる。ダンテに話せたから? 飴を口に入れてから、ちょっと楽になったんはなんでやろ?

 俺はダンテに尋ねた。

「病気って言われた。かこきゅーって何?」

「ルノがたまになってるはあはあするやつの事やと思う。でもオレ、お医者さんちゃうから分からへん」

 ダンテはそう言うた。パソコンをカタカタやってる音が聞こえてくる。

「なんか、ストレスでなるって書いてるから、日本に帰ってきたら診てもらおう」

 分かったって大人しく返事して、俺は深呼吸した。

「もうちょっと、電話しててもええ?」

「ええよ。ゆりちゃんに来てもらえるように連絡しよか?」

「大丈夫。もうちょっとだけやから」

 俺はポケットからタバコを出して、口にくわえた。ライターで火をつけて、ゆっくり煙を吸い込むと、時間を掛けて吐き出した。

 情けない。

 俺は出てきた涙を手で拭った。


 結局、総菜とお菓子と野菜を買って戻った。作ろうなんて元気も気力ももう残ってなくて、食欲かてなかった。

 すでにゆりとジャメルに連絡が行ってたらしくて、めちゃくちゃ心配されてる。

 二人は俺をソファーに座らせると、熱い紅茶を渡してきた。ありがたくそれを飲みながら、俺はギャレットと一緒に休む事にする。一人やったら怖かったけど、戻ってきたらちょっと楽になった。

 ゆりは総菜を喜んでる。食べた事ないけど、見た目がキレイとかなんとかかんとか。写真を撮って喜んでる。

 ジャメルも黙って総菜を食べて、俺のそばに座ってる。ホットワインを作ったらしい。ゆりに飲ませて、楽しそうや。

「おい、ルノ。ゆりに甘えて来いよ」

「なんで?」

 俺はギャレットを膝にのせて、ジャメルの顔を見た。

 ジャメルはにっこにこで、昼間っから元気に酔っ払ってる。楽しそうに音楽を流しながら、リズムに乗ってちょっと揺れてる。一体、ホットワインを何杯飲んだんや。飲みすぎちゃうんか?

「ゆり、めちゃくちゃ心配してたんだぜ? いい子じゃん」

「いい子なんは認めるけど、いい女ではないで」

「ルノは分かってねぇな。付き合うんなら中身も大事だろ?」

 ジャメルはもたれかかってくると、楽しそうに立ち上がった。小さく踊りながら、ゆりのいるカウンターまで歩いて行く。

「ゆり、ルノは好みじゃねぇのか?」

 ジャメルはフランス語で、ゆりに一方的に話し続ける。

「アイツ、あんな事言ってるけど、いい奴なんだぜ? 襲っちまえよ」

 そしたら急にゆりの前のパソコンから声が聞こえてきた。

「おい、クソ袋。通じひんからってゆりちゃんに何言うてんねん」

 姉ちゃんや。

 もうミランダの事、知ってんかな? 日本に帰ったら殺されんちゃうやろか。嫌やな。心配させるから話したくなかったのに。ジャンヌの事もあるし、姉ちゃんには日本におってほしいんやけど。

「ジジ、いいだろ? どうせ分かんねぇんだから」

「お前、ホンマにクズやな」

 姉ちゃんはジャメルにそう言うと、今度は日本語でゆりに言うた。

「ゆりちゃん、その二人がなんかしでかしたら気にせんと金玉蹴り上げるんやで?」

「心配しすぎやろ。ジャメルさんにはジジがいてるし、ルノは腰抜けやで? うちは大丈夫」

 おい、俺が腰抜けってなんやねん。確かに今はちょっとそうかもしれんけど、普段やったらそんな事あれへんぞ。

 でもゆりは笑顔でパソコンに向かって言う。

「それに、わざわざうちなんぞを襲わんでも、ルノやったらなんぼでも女の子見つかるやろ?」

「いやいや、ゆりちゃん。そこにいてる二人はマジで信じられんような事するからな。忘れたらあかんで」

 姉ちゃんはちょっとしつこくそう言うと、今度はフランス語でジャメルに言うた。

「クソ袋、ゆりちゃんになんかしたら、マジでお前らの息の根止めるからな。忘れんな」

「オレにはジジがいるから、ゆりにはなんにもしねぇよ。ちゃんと二人は見とくから、安心してくれ」

「ああ、心配しかない」

 姉ちゃんはそう言うと、日本語になった。

「ゆりちゃん、ルノは?」

「え? ぬいぐるみと紅茶飲んでるで」

「顔見たい」

 ゆりはパソコンを抱えると立ち上がった。ジャメルと二人でこっちに来ると、テーブルにパソコンを下ろして、画面をこっちに向ける。

 画面には姉ちゃんとダンテが並んで座ってるのが写ってる。

「ルノ、大丈夫か?」

「大丈夫」

 俺はマグカップを持ったまま返事した。

「なあルノ、ちゃんと話そう」

 ダンテはそう言うと、ゆりを呼んだ。ゆりはソファーの後ろに回ってくると、返事をした。

「あのな、ジジ。ミランダがルノに接触してきてるんよ」

「何それ? 聞いてへんけど」

「言わんといてって、ルノが」

「だからって黙っとったん?」

 姉ちゃんはキンキンする声で、ダンテに向かって怒鳴った。気持ちは分かるけど、マジでうるさい。なんやねん、このアンサロあばずれ女は。

 俺は下を向くと、黙ってカップを握った。

 ギャレットを見ながら、めちゃくちゃ泣きたくなんのを我慢する。流石にもう、ミランダなんぞの事で泣きたくない。そこまで弱い腰抜けのどうしようもない男に成り下がってたくない。

「ごめん。まさかあれ以上接触してくるとは思わんかってん」

 ダンテははっきりそう言うた。ゆりが俺の肩を叩くと、大丈夫って優しい声で言うた。

「せめて話をちゃんと聞いてからにしようや」

 姉ちゃんの溜息が聞こえてくる。

 俺は黙ってカップを置くと、テーブルにあったティッシュで思いっきり鼻水をかんだ。泣きたくないのに、我慢してんのはマジでつらい。もうこんな話したくないのに。

「何があったん?」

 ゆりは俺に言うた。

「モノプリ向かってる最中に声かけられた」

「なんで逃げんかったん?」

 言わせんな。

 なんでわざわざ分かり切ってる事を聞いてくんねん? めちゃくちゃ腹が立ってくる。なんでこの女は毎回、俺に嫌がらせしてくんねん。

 黙ってたら、ダンテが言うた。

「ゆりちゃん、ルノはミランダがホンマに怖いんよ。逃げたくても動かれへんようになんねん」

「嘘やん、そんなん聞いてへんで?」

「前に捕まった時も、動かれへんようになったところを殴られたみたいやねん」

 ダンテは強い声ではっきり言うた。

「ルノが言いたくないみたいやから黙ってたけど、このままじゃ危ない。ゆりちゃん、ミランダが出てきてもたら、ルノは戦われへん。連れて逃げて」

 そんな事ないって、言い張る事も出来ひん。

 実際、俺は何の役にも立たんやろから。泣きながらその場に座り込むと思う。一歩も動かれへんようになって、息すらマトモに出来んようになる筈や。

 情けなくなってきてギャレットを握ってたら、涙が出てきた。

 日本語の分からんジャメルが、俺の横に座ると背中を撫でてくれた。心配そうにこっちを見ながら、泣くなよって囁く。

「話しかけられた時、ルノは実際なんも出来ひんかったみたい。向こうはオレがどこにいて、元気にしてんのかを聞いたんやって」

 ダンテは姉ちゃんに向かって、言い聞かせるように言う。

「もしホンマにルノになんかする気があったんやったら、人のおらんところでする筈や。せやから落ち着いて」

「それはそうやけど、そんな状態なんやったらルノをパリにおらせる訳にはいかん。今すぐクソ袋と空港いけ」

「ジジがそんなんなるから、ルノかて言われへんかったんや。落ち着かれへんねやったら、今後一切、ジジに情報を共有せぇへん」

 めちゃくちゃはっきり、強い声でダンテが言い切った。

 顔を上げると、姉ちゃんがめちゃくちゃ困った顔してるのが見えた。クソメルドなだけある。言われるまで気付きませんでしたみたいな顔してる。

「ごめん。今後は気をつける」

 クソジジなりに反省してんのか、姉ちゃんは静かにそう返事すると下を向いた。

「よく聞いて。ケイティの目的はオレなんやから、ルノ一人やったら大丈夫や」

「でもルノと交換にジジとダンテに働けとは言うかもしれへんやんか」

 ゆりが不思議そうにダンテの方を見てる。

「それはオレやジジが、いう事きくって確実やないとせぇへんやろ。ケイティも、オレを連れて歩こうと思ったら会社が本気出すって分かった筈や」

「それはそうやけど、懲りんかもしれんやん」

「ケイティはそこまでアホやない。もうちょっと考えて行動する筈や」

 ダンテはそう言うと、姉ちゃんの肩を叩いた。

「問題はそっちやなくって、そのエリックとかシモンとかって人ら、ポルトの下っ端なんちゃうの? もし上司としてミランダが出てきた時や」

 顔を拭ってたら、ゆりが行儀悪くソファーの肘置きに座った。

「でも下っ端の下っ端なんちゃうの?」

「末端やとは思うけど、もしもの時の事を考えよう。ジャメルさんって、なんか格闘技やってたん?」

 俺は首を横に振った。

 ジャメルはなんもやった事ない筈や。喧嘩強いってだけ。少なくとも、俺はなんも聞いた事ない。でも素人相手の喧嘩で、一対一やったら負ける事はまずないけど。

「あれ? そうやっけ?」

 姉ちゃんがそう言うと、困ったようにこっちを見てる。

「ジャメルは素人や。喧嘩強いだけ」

「でもそいつと二人でポリ公アホほどやっつけたんちゃうの?」

「俺がおったからや。その辺のチンピラだけやったら、ジャメル一人でも別に大丈夫やけど。でもなんで?」

 ダンテがちょっと不安そうな顔をする。

「警察官相手に出来るんやったら十分やろ」

 俺は横に座ってるジャメルを見た。

 弱くはないけど、心配ではある。シモンって奴がどんなもんか分からんからな。でも、ミランダが相手になった時、役に立つかって言われたらなんとも。

 あの女、めちゃくちゃ筋肉質な体してたからな。多分それなりに素手でも戦えるんちゃうやろか。

「お前、素人やったっけ?」

 姉ちゃんがジャメルに尋ねた。

「喧嘩なら得意ですけど、ルノやジジ様には遠く及びませんよ」

「それは知ってるけど、そんな小物やったんか」

「ルノ様がいなかったら、所詮オレは小物ですよ」

 ちょっと悲しそうな顔をするジャメルは、俺の肩を揺さ振る。

「おいルノ、お前の姉ちゃん酷すぎねぇか?」

「知らんかったんか?」

 俺はギャレットを両手で抱いて、横で大袈裟に騒いでるジャメルを見た。

 よくよく考えたら、素人に背中を任せてたんやな。俺とジャメルの二人で結構めちゃくちゃやってきたけど、考えた事もなかった。そう言えばジャメルって素人で、なんか特別やった事ってないんやなって、そう思った。

 二人やったら、どんな相手でも怖くなかったのはなんでやろ? ポリ公がどんなに騒ごうが、二人やったら逃げきれたからかな? 複数人に囲まれても、安心して前向いてられた。

 ゆりがこっちを見て言うた。

「仮にミランダが出てきた時、どうしたらええの?」

「出てきた瞬間、ルノを連れて撤退としか」

「逃げられそうになかったら?」

 ダンテがちょっと言葉に詰まった。

「ルノを置いてでも逃げて」

 ゆりがテーブルを叩いた。

「何それ、流石にそれは出来ひん」

「気持ちは分かるけど、落ち着いて聞いて」

 ダンテが困った顔で姉ちゃんを見てる。

「ジャメルさんはともかく、ゆりちゃんはポルトにとって何の価値もないんよ。その点、ルノはオレかジジに対して使えるから、殺される事はない」

 確かにその通りかもしれん。

 ケイティもミランダも、目的がダンテや姉ちゃんなんやったら、俺を生かしときたい筈や。まだ姉ちゃんを使うつもりがあるんか知らんけど、少なくともダンテが俺の事を親友やって言うたんや。ケイティが俺を殺す事だけはないやろ。

「ジャメルさんはジジにって可能性がちょっとはある。でもゆりちゃんだけは確実に殺されんねんで? 迷わずルノを見捨てて逃げて」

 ゆりは不満そうやったけど、頷いた。

「ルノもよく聞いて」

 ダンテが真剣な顔してる。

「もし捕まっても、ルノが殺される可能性はめちゃくちゃ低い。怖いと思うけど、大人しく言われた通りにするんやで」

「危なくないの?」

「言い方悪いけど、ルノはもう洗脳済みやねん。使いやすいようにわざわざそうしつけたんやで? 今更利用せんと殺す事はまずない。無理に逃げようとせんと、大人しくいう事をきくんや」

 正直、出来る自信が全然ない。

 考えるだけでめちゃくちゃ怖い。押さえつけられて、虫を食えって言われんの、絶対に嫌やねん。思い出すだけで、怖くて足が震えてくる。

 でもダンテが言うてるんや。きっとダンテが正しい筈や。

 実際、一歩も動かれへんような奴、なんも危なくないもんな。人質として使うのにちょうどいいかもしれん。俺やったら、ダンテが来ぇへんかったら殺すって脅しに使う。

 納得したくなさそうなゆりと姉ちゃんは、ちょっと不満そうにダンテを見てる。

「大丈夫、出て来ぇへんよ。まずはシモンって人、どうにかしよう。運がよかったら、それだけでエリックの方が怖がって逃げるかもしれん」

 手の中のギャレットを見てたら、ゆりが背中を叩いてきた。ちょっと痛いくらい、思いっきり叩いたから咳が出てくる。

「ごめん、ちょっとやりすぎた」

 ゆりは笑いながら俺の背中をさする。

「シモンって人、どんな人なん?」

「電車で会ったのが最初で最後やから、俺はなんも知らんで」

「でも有名なんやろ? 情報はないんか?」

 俺は首を横に振った。

 ジャメルも俺も、マジでシモンに関してだけはなんも知らん。強いってだけ。

 来てすぐにジャメルから聞いた話じゃ、バスティーユの方にいてヘヴンをばらまいてるって話や。最初は安くで売って、だんだん値段を釣り上げていく。金がなくなったら、働く先を紹介するんやって。そうなったら最後、誰も帰って来ぇへんらしい。

 ポルトがそいつらを働かせてんちゃうかって言うてたけど、もしそうやったら内臓を取って売ってるって事ちゃうやろか。だから誰も帰って来ぇへんねん。最後は心臓まで取られて死んでるから。

「シモンがどこに住んでんのかも分らんから、こっちからどうこう出来そうもない」

「仕掛けてくるのを待つしかないって事?」

「そう」

 ゆりはちょっと考え込むと、ジャメルの顔を見た。

「あかん、眠くて頭回らん。いっそ外を二人で歩いたらええんちゃうん?」

「俺がおったら出て来ぇへんと思う」

「じゃあまた変装しよう」

 ダンテはそう言うとニコニコ笑った。

 なんか嫌な予感がする。



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