紅いビキニ

森崇寿乃

序章 影の楽園

自由独立国、カヨ・ソンブラ。

カリブ海に浮かぶその小さな群島国家の旅行パンフレットは、決まってエメラルドグリーンの海と純白の砂浜を謳う。高級リゾートが立ち並び、世界中から集まった観光客たちの肌を灼く太陽と、彼らの喉を潤すラム酒の甘い香り。そこで働く人々は、誰もが陽気な微笑みを絶やさない。誰もがこの島を、地上の楽園と呼ぶ。


しかし、その光景は巧妙に演出された舞台装置に過ぎない。


カヨ・ソンブラの真の姿は、その地理的条件と歴史が育んだ「影の経済」にある。主要な貿易航路の狭間に位置することから、古くは海賊、近代では密輸業者の中継地として栄え、その土壌は世界でも有数のタックスヘイブン(租税回避地)を生み出した。

世界中のあらゆる非合法な資金が、この島の銀行に流れ着き、洗浄され、そして再び闇へと還っていく。各国の諜報機関や巨大犯罪組織は、互いに不可侵を前提とした暗黙の了解のもと、この島を密会や取引のための「中立地帯」として利用する。

警察機構は存在するが、彼らが守るのは市民の安全ではなく、島の有力者たちの利益だけだ。


ここでは、銃声は時折聞こえる夕立のようなものだ。すぐに止み、血の跡も次のスコールが洗い流してくれる。

富と死が、同じ天秤の上で取引される場所。

この危うい均衡の上に、影の楽園は成り立っている。


だが、その夏。

一つの『ブツ』の到来と、それを運ぶ一人の女によって、すべてが覆されようとしていた。

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